自分の児文

元々は児童文学の感想置き場でした

2022秋アニメ

お久しぶりです、くぼはじめです。

もう冬アニメも折り返しですが、秋アニメの感想を書いたのでよろしければ読んでください。

 

 

Do It Yourself!!

ディスイズ秋アニメナンバワン大好きアニメイショーンッ!(二枚屋王悦)

線の数が少なく影も最小限で整理された画面は見やすさがありつつ、動きにはバッチリ気合が入った本当に楽しいアニメでした。特に、何かを作っているの手つきには見入るものがありましたね。手を動かして頭の中にあるものを形にする楽しさが、これでもかってぐらい詰まっていたと思います。たくみんの匠の手付き、サイコー!

何を作ろうかと思案して、材料から調達して、あれこれ試行錯誤しながら作っていって、そして完成したときには達成感を分かち合える仲間がいて。もう最高だよね。そして、想像を形にする楽しさを何より知ってるアニメーターさん達がそれを本当に楽しそうに描くものだから、キャラクターからだけじゃなく作り手側からもその気持ちよさを共有してくれてる気がして、本当に見ていて楽しかったです。何気ないカットにも動きで表情がついていたりして、animationって、命を吹き込むってこういうことなんだろうねって思ったり。決して潤沢じゃないであろう制作資金の中で、ここだけは譲れないというこだわりが見える作画、そういうの大好きよ。

せるふがいっぱい失敗しながら部長に教えてもらってるかと思えば、たくみんが周りには目もくれず黙々と好きなことやってるのを見て、このアニメはとても良いアニメだなと思ったよね。ジョブ子が自分で考えながら色々アレンジしちゃうところとか、しーが一つのことに興味が出たらひたすらそれやっちゃうところとか、各々の自由が尊重されて許容されている自由さも、このアニメの良いところ。皆で一つのことに取り組むときも、自分のやりたいことを各々がやって、それってとっても健全な楽しみ方だよなぁと思うのです。やりたくないことやらされることなんか一回もなくて、やりたい人がやりたいことをやって回ってる関係ってとっても素敵です。

そして、それが出来ていたのは紛れもなく部長のおかげでした。各々にやりたいことをやらせてあげて、指導役までうっきうきで買って出ちゃう部長、本当に可愛くて良い人で、この人の存在ありきで回っていたアニメだったと思います。部長がみんなを見守る時の優しい眼差したるや。新しいことに挑戦するとき、勇気を出して踏み出したとき、それを暖かく見守ってくれる人がいるんだよね。そういう視線を作中に繰り返し登場させてくれたのが、この作品で一番好きなところです。それは、ある時には治子先生や部長が生徒(後輩)達を見守る時の眼差しで、またある時はジョブ子ママやせるふママが娘達の成長を見つめる眼差しで、でも、やっぱり作中で一番眼差しが描かれたのはぷりんでした。

彼女がせるふを見つめるのは大抵が窓越しで、近くに見えているのに踏み出せない彼女の気持ちが伝わります。1話で、せるふが湯女ではなく潟女に行くと聞いて思わず閉めてしまった窓ガラスが、いつしかぷりんにとっては越えられない壁となってしまったかのようです。

一度開いてしまった心の距離を丁寧に少しづつニュートラルに戻していく描写は秀逸で、話数が進むにつれ少しずつ二人の距離は元に戻っていきます。しかし、どれだけ距離が近づいても、ぷりんからその窓を開けることは出来ないのですよね。だから、10話でせるふが窓越しの視線に気が付いて、その壁をぶち壊して手を差し伸べてくれた時は本当に嬉しかったです。

多分せるふからしたら別にどうってことないことで、最初から最後まで変わらずぷりんに接しているんですよ。でも、ここまで10話という尺を使って描かれてきた丁寧なぷりんの気持ちの変化があったからこそ、あの描写はぷりんにとっての救いになり得たわけで、なんて丁寧に救いを描くアニメなんだと思いましたよね。

そして、そこで感動できたのはやっぱり、彼女がせるふに向ける眼差しが絶えず描かれていたからこそなんですよ。彼女の眼差しを見れば、今どんな気持ちを抱いているのかが如実に読み取れて、それを知ればこそ、視聴者である我々もぷりんに感情移入できたので。

このアニメを見て、ぼんやりと自分の中にあった、見守ってくれる眼差しに思いを馳せる嬉しさ、というのでしょうか、それが形になって理解されたような気がします。アニメや漫画を読むことは、好きを再確認する作業であると同時に、自分の中に視点や考え方を増やす作業でもあって、そういう気付きのあった作品はやはり自分の中で特別な存在になっていきます。この作品はそういう意味でも素晴らしく心に残り、これから私は事あるごとに思い出す作品になるでしょう。好きを再確認する作業の中で、好きが増えていくって、なんて素晴らしいことなんでしょうね。

 

アークナイツ

ソシャゲアニメに懐疑的な私もこれにはニッコリ。内容は笑顔で見れるようなものじゃないですけど……。

このアニメ、構図のとり方にはかなり気を遣っているように見えて、それを気にしながら見るととても楽しめたなと思います。縦が狭く奥行きを出すのが難しそうなシネスコの画面で、前景と後景に効果的に人やモノを配置して奥行きを表現したり、逆に横が広いという特性を生かして、左右に向かい合う構図や横並びの構図を多用して、独特のアス比を演出に昇華できていた印象があります。特に、向かい合う構図を活かした対比的な表現には目を見張るものがありました。

また、引きの構図を効果的に使いながらも、基本望遠でキャラクターのバストアップや顔のアップで写す"寄り"の構図が多かったのも印象的でした。寄りが多いのはキャラクターの表情による芝居を多用したが故だと思うのですが、バストアップにしても左右に空いた空間から背景や他のキャラクターが映り込み、キャラクターの位置関係や状況が十分に把握できるのも、横が広いことによる副次的な効果でしょう。また、前景に人やモノを配置して、時には主題さえも遮るような配置を多用することで、カメラ(=視聴者)がその場に存在しているかのような臨場感があり、視聴に緊張感が生まれていたのも良かったです。それが縦に狭いアスペクト比から来る圧迫感や不安定さ、そして作中の状況から来る緊迫感と見事に噛み合っていて、とても没入できる作品になっていたと感じます。

演出もキレッキレで、最終話のスカルシュレッダー(ミーシャ)絡みの演出なんかは特に凄かったですね。目元や表情で語ることが多いアニメだったからこそ、最終話ではミーシャの表情が徹底的に隠されており、その心の内を視聴者に想像させる余白を残したのが抜群でした。ミーシャの表情が写るのは、「スカルシュレッダーを立ち上がらせる」と決意した瞬間のワンカットだけで、その冷たい目と言葉の重みには背筋が凍るようでした。

スカルシュレッダーの復活に後光を背負わせ、あたかも神の奇跡のように描いておきながら、その散り際を生々しくあっけない人間の死として描くところなんかも、とんでもないなこのアニメと思わされましたよね。神であるかのように描いた少女を、ただの人間に戻してしまったこのこの描写は、あまりにも非情で残酷で、しかしこれ以上ない現実です。死人が蘇ることなどない、奇跡など起こりはしないのだと、非情な現実を突きつけて、だからこそアーミヤは選択をしなければいけないのだと、そう語り掛けてくるようでした。

こうした素晴らしい画面構成及び演出に支えられて描かれたのは、アーミヤという少女の選択と葛藤でした。彼女の個人的な感情と、組織の上に立つ人間として為さねばならぬことは違っていて、その乖離が彼女を苦しめます。この戦時下で組織の上に立つには、彼女はあまりにも若く、そして優しすぎたのかもしれません。しかし、「感染者と非感染者双方を救う」という理想論を掲げる彼女がトップであるからこそ、ロドスという組織があるとも言えます。理想がなければやってられませんよ、こんなことは。だからこそ、彼女は悩みながらも選択を続けるしかないのですよね。

私も彼女たちの行く末を見届けたいな、という気持ちはありつつ、もうソシャゲに手を出すのは懲り懲りなんだよなぁという気持ちもあって、ちょっぴり複雑な気持ちです。黎明編と銘打つぐらいですから、アニメで続きが描かれることを信じて、続編を待ってみようと思います。その間、皆さんはYostarにお金を落としてくださると幸いです。

 

モブサイコⅢ

これまでの全てはこの3期のため、モブが普通の学生生活の1ページを手にするための物語でした。原作を読んでた時には特に意識してなかったんですけど、モブサイコって「コミュニケーションの話」だったんですね。そういう旨のフォロワーのツイートを読んで、これまでの全てが繋がった感覚がありました、ありがとう。

振り返ってみると、特にこの3期はビックリするぐらい綺麗に纏まっています。3期は最初からエクボとの対話や脳幹電波部との対話が話の中心にあって、最期のエピソードも霊幻師匠との対話であり、つぼみちゃんとの対話であり、内に秘めたる自分自身との対話でした。最終回では「恋愛対象として見たことがないからわからない」とつぼみちゃんにフラれたモブですが、エピローグでは彼女と文通していることも明かされます。フラれたからってそこで終わらなくて、わかろうと努力してくれるのもまたコミュニケーションで、本当に最後まで徹底しているんですよね。

そしてまた、そのエピローグが美しいんですよ。コミュニケーションの果てに、モブが本当に望んでいた普通の学生生活の一ページを手にすることができた様子が描かれて、終いには霊幻師匠が救われちゃうご褒美もあったりしてね。

霊幻新隆という男は本当に胡散臭いしやってることも詐欺まがいで決して褒められた人間ではありませんが、それは彼が何者にもなれない自分に抗った末に作り出した人格で、彼なりの鎧なんですよね。本当の彼ってどうしようもない程に真っ当な常識人で、どんなに取り繕っても真人間なところが見えてしまうから憎めないんです。大人が子供を教え導くことを当然のことだと思っているところとかさ、モブのことを利用できるだけ利用してやろうなんて思う人間だったら出ない考えだもの。

だから、最終回で師匠がみんなに誕生日を祝われて、本当に嬉しかったです。彼はまだ本当の自分のことが嫌いだったかもしれないけど、真実を知ったモブがそれでもなお「霊幻師匠」って呼んでいるんだから、周りの人間はその仮面の下から覗く真人間なところも含めて皆彼のことが大好きだって、気付いたはずなんですよね。

彼はモブに「そのままの自分を受け入れてやれ」って言っていたけれど、それは何もモブだけじゃなくて、自分にも向けていい言葉なんだって思えるはずです。彼はこの後も仮面をかぶったまま生きていくのでしょうが、自分を曝け出しても肯定されたことは間違いなく彼の救いになったはずなんです。

全てを曝け出してなお、モブと師匠の関係が続いていくことがこんなに嬉しいなんて、多分私も彼のことが大好きなんでしょう。願わくば、この不思議な関係の少し先を、ちょっとだけ覗き見してみたいものです。

 

ヤマノススメNS

DIY、ぼっちざろっくに並ぶ、秋アニメ三大作画気持ちいいアニメーションの一角。

NSは初の30分枠でのヤマノススメということで、とんでもなく気合入ってましたね。前半4話は総集編なのもあって実質的な尺で言えば1クールの30分アニメには満たないですけど、ほのかちゃんの出番が増えたりかすみさんたちとの絡みが増えたり小春部長が参戦したりと、キャラクターを増やしても描き切れるだけの尺の余裕があるぞと言わんばかりの貫禄がありました。

15分2本立てで見ると、前後半での各回の作家性の違いを見るのも面白かったですね。この回は崩し多くて動き重視だなーとか、この回はデフォルメ多くて正統派に萌えアニメしてるなーとか、この回はパースの効いた構図多いなぁとかそんな程度の理解度ですけど、各回のノリの違いを見るのが一つの楽しみになっていて、スタッフ陣に詳しいオタクたちの楽しみ方を垣間見れたような気持ちです。ヤマノススメNSってもしかしてスペース☆ダンディなのかも。

そして、キャラクターが増えたのに伴って、あおいたちの世界が広がっていったのもまた素晴らしかったです。 物語の最大の見せ場としてはやはり富士山リベンジだったのでしょうが、それとは別に、1クールアニメとしてのNSはあおいの世界が広がるお話を中心に構成されていた気がします。同じ登山好きの友達と趣味でやっていた登山しか知らなかったあおいが、競技としての登山や、写真を撮ることが目的の登山などを知っていって、登山以外にもカヌー体験や渓流釣りにかすみさん達との登山なんかも経て、狭かった世界がどんどんと広がっていきました。そして、異なる価値観や文化圏との交流を経て、最後にクラスメイトとの天覧山登山があったのが構成として何とまぁ美しい……。これまでのシリーズを通した最終回が富士山リベンジだとするならば、NSとして描きたかった事の最終回はクラスメイトとの天覧山だったよなと。今まで内輪での関わりに終始していたあおいが、一番関わり方が分からなかったクラスメイト達と天覧山に行くんだもんね、いい最終回(プレ)でしたよホントに。

富士山リベンジを果たしたことで、ひとまずヤマノススメのアニメシリーズは一段落ついた感じがあります。これからどうなっていくのでしょうね、楽しみです。

 

ぼっち・ざ・ろっく

後藤ひとりさんの反応を見るだけで面白い、とっても凄いアニメーション。ぼっちちゃんの姿かたちや心情を表すには既存のアニメ表現だけでは足りないようで、粘土やフェルト人形を使ったりと実写まで取り入れる発想の自由さが飛び抜けてましたよね。こういうお金をかけた遊び、大好きよ。私の中のメイジン・カワグチが「敢えて言おう、アニメは自由だ!」って絶叫してました。

結束バンドの皆が、明らかな異物であるぼっちちゃんを受け入れてくれて、なんだかんだで馴染んでるのが本当に微笑ましくてねぇ、好き。 彼女のカラーリングも、信号機カラーから見れば異物感があって、でも戦隊モノで言えば紅一点のポジションに馴染むし、なんというか絶妙ですよね。ぼっちちゃん総受け概念にカラーリングからマッチしている感じ。

結束バンドの皆が、ぼっちちゃんに目線の高さを(物理的&精神的に)合わせようとしてくれたのは本当何でなんでしょうね。地雷を踏み抜きながら、ドン引きしながらも、それでも歩み寄ってきてくれたのは、本当に人に恵まれましたよね。そんでもって、結束バンドの面々がちゃんと地雷を踏んでくれる人間で、本当に良かったです。

地雷を踏まない人間で言えば後藤ママが真っ先に思い浮かびますけど、この人はこの人で凄かったです。発作を起こして結束バンドの面々ではお手上げ状態のぼっちを一発で現実に引き戻していたりとか、ぼっちちゃんの扱いに関しては、まだまだママに一日の長があって、子供のことよく見てるんだなぁと感心してしまいました。ぼっちちゃんにとって家が絶対に安心できる居場所としてあるのは、家族の存在も大きかったことでしょう。

でも、それだけじゃ後藤ひとりはだめだったんだなって、彼女のステージングを見ると強く思うんです。オーディションで勝ち取ったライブの時も、文化祭ライブの時も、やらなきゃいけない環境に追い込まれた時の後藤ひとりの底力には凄まじいものがあって、彼女は自室でぬくぬくインターネットだけのギターヒーローをやっている場合じゃないんです。

多分、関わる人が皆ママみたいにぼっちちゃんへの距離感が完璧な人間だったら、皆遠巻きに彼女を眺めるだけで終わってしまって、彼女はぬくぬく自室で一生を終えていた気がします。だから、結束バンドの皆やきくりさんみたいに、強引に地雷を踏んででも近づいてきてくれて、外に引っ張り出してくれる人間に出会えたことって、彼女にとって本当に大きかったなと思うのです。

作画とか、楽曲のクオリティとか、とんでもポイントは沢山あって、本当に凄いアニメでした。人気過ぎて自分のアニメじゃないなと思っていたのに、ここまでのもの叩きつけられたら認めざるを得ないのが、ちょっと悔しくて、でもとても嬉しいです。

 

後宮の烏

烏妃様、好き。不器用で優しい人が好き。普段はクールなのに食べ物で釣られちゃうチョロいところが好き。人と関わった経験が薄いからこその真っすぐさや純粋さが好き。深く考えもせず放った酷い言葉をそっくりそのまま返されて、ムッとしちゃうけど言い返せないところが好き。とにかくこの烏妃様の置かれた境遇が切なくて、そんな境遇であっても優しさを捨てられない烏妃様に心を痛めながら見るアニメでした。

みんな籠の中の鳥

いつか抜け出す日夢見

俗世から隔絶された後宮という檻の閉塞感は凄まじく、烏妃様に限らず他の妃や侍女、宦官や帝に至るまで、皆が籠の中の鳥なのでしょう。そんな後宮のしがらみに絡めとられて非業の死を遂げた者の鎮魂を中心に物語は進みます。第1話でモブ侍女が「仕方ないわよ。私たちは一生ここから出られないのだから」と何食わぬトーンで言ったことが、ここまで重くのしかかってくるものだったとは。

一際重い業によって後宮に縛り付けられている烏妃様は、死して尚この場所に縛られている彼らを捨て置くことはできません。彼女は人一倍共感能力が高くって、死者の思いですら捨て置けなくて、不器用ながらも思いを汲もうとしてくれる人だから、みんな彼女が好きでなんですけどね。彼女の言葉や行動は、ときに尖っていたりもするけれど、それは不器用な彼女なりの優しさで、上手くそれを表に出せないだけなんです。そんな彼女の周りに、少しずつ人が集まっていく様子を見るのはとても嬉しいものでした。

この作品で大丈夫かな、、、と思ってハラハラしちゃったのは、彼女がその身の上を帝に「哀れ」だと評されたときです。作中で彼女が感情失禁してしまった場面は作中でもその一度だけで、しかし、その感情の吐露は冰月の乱入によって中断してしまっています。それでなくても感情を吐き出すのが上手ではない彼女のことだから、そのことで溢れ出した感情を上手く消化できないでパンクしたりはしまいか、という心配がありました。でも、それも杞憂でしたね。その後に、帝が烏妃の真実と寿雪様の心を慮って、対等な王となり、歴代烏妃に敬意を払い、そして友人となることを誓ってくれましたから。一度ハラハラさせながらも最後にはちゃんと救いを描いてくれるの、アニメがお上手すぎる。

私が常々言っていることなんですけど、誰かを救う立場の人間には、同じだけ救われて欲しいんですよね。完璧な人間なんていやしないんだから、与えるだけの立場と与えられるだけの立場で成り立ってる関係って、本当にとても危ういと思うんですよ。だから、こういうお互いに救いのある関係であるかどうかって、私にとってはかなり重視している部分で、そういうのが描かれていると「良い作品だな」って思えるんです。

 

新米錬金術師の店舗経営

アイリスさんが不憫な目に合ってるだけでめちゃくちゃ嬉しくなるこのアニメ、天才すぎる。基本ゆるふわーな感じなのに、要所要所でめちゃくちゃシビアな描写が入るの、ギャップで風邪ひいちゃいますよ。アイリスさん、結構エグめの失敗したり不幸な目に合っていて、普通ならめちゃくちゃ可哀想なはずなのに、持ち前の明るさやお調子者気質のお陰で「お、今日もやってんね~^^」ぐらいに感じられるの、本当に良いキャラしてますよね。 しかも、本人はどんな場面でも至って真面目ですし。

ちゃんと店舗経営のお話を中心にやってくれたのも良かったですね。地域密着型錬金術店ということで、ご近所づきあいのサービスも兼ねてですが、あくまでWin-Winな商売を心掛けているのもニクいです。人の命をお金に換算する厳しい一面もあったりして、人助けやご近所づきあいであっても、ちゃんと互いの利になることしかしないというのが徹底されていました。こんなこと言っちゃうと角が立つのですが、なろうなのにちゃんと経営アニメしてるなというのが、結構驚いた点でもあります。

また、経営アニメとしては、特に最終話、商会の申し出を断って店舗経営を続けるという結論に安易に至らなかったのが本当に偉かったです。一時は悩むけど、村の人たちに必要とされていることを実感して店を続けることを決意する流れかなーと思って見ていましたけど、良い意味で予想を裏切ってくれました。

村の人たちの感謝と商会の人たちの思い、どちらも受け取った上で、その感情に身を委ねることはせず、ちゃんと経営者の目線で第三の選択肢を導き出したその姿に、不覚にも感動しちゃいましたよね。しかも、ここでもちゃんとwin-winな関係が念頭にあって、互いが利益を得ることがサラサさんの基本の考え方なんだなって分かるんですよ。1話では「商売のことなんて何も知りません!」なんて言っていたのに、酸いも甘いも噛み分けてちゃんと経営者の思考になってるんだなぁって。正に、「新米錬金術師の店舗経営術」の看板に偽りなしといったところです。

なろうアニメは名作しか見ないと決めている私が見たこのアニメは、間違いなく名作です。そして、これでまた「高尾奏音さんがヒロインのCVを担当するなろうアニメ」説が補強されました。皆も「高尾奏音さんがヒロインのCVを担当するなろうアニメ」は見た方が良いですよ、名作なので。

 

不徳のギルド

私もどうやら、不徳のギルドが好きな方の性別だったみたいです。(サムネイルがちょっと不徳な配信ver.だということは……)

ま、冗談はさておき、私は直接的なエロ描写がある作品ってあまり得意ではないんですけど、この作品は珍しく大丈夫なタイプでした。ちゃんと話の笑い所やオチにエロがあることが多くて、明るく笑えるエロだったのがとても良かったなぁと。最後には伏線回収的な設定の開示もありましたし、作者の性癖をオブラートに包んで、「これは必要なエロなんです!!!」って言って出すのが本当に上手かった気がしますね。決して私がむっつりスケベのエロガキということではございません、決してね。

vsヨケグモ戦で、え、ちゃんとした戦闘もやるんだっていうのも、良い意味で裏切られましたよね。エロコメ一辺倒じゃない振れ幅をもっていて、ちゃんとそれがオモシロいのも流石としか。それに、ヨケグモ戦ではトキシッコ・ダナーちゃんの活躍もありましたし。(トキシッコ・ダナーちゃん激推しおぢさん)

久々にアニメキャラに恋する感覚も思い出せて、とても良いアニメでした。フォロワーのエロガキさんたちも円盤を買っていたみたいですし、2期来ないかなぁ……。(他力本願)

 

BLEACH 千年血戦篇

BLEACH最終章、待望のアニメ化ですよ。今までのテレビシリーズとは気合の入りようが明らかに違っていて、尺稼ぎのためのアニオリを散々やってきたBLEACHが、クオリティを維持するためにむしろ分割にしちゃう始末。超絶クオリティの演出・作画に加えて原作では明かされなかった初出しの設定や補完までしちゃって、あまりの情報量の多さに毎週感動しながら見てましたね。

原作はオサレオサレ言われてますけど、今回のアニメ化に関してはそれに負けず劣らずのオサレを醸し出せていたのも凄かったですよね。斬月の正体判明の時にNumber One(一護のテーマ)がBGMとして流れるのとかもオサレすぎて普通に泡吹いて倒れましたし、毎週次回予告のポエムがあったり、各話始まりのサブタイトルの出し方まで凄くて、オサレ度数相当高かったです。こんなクオリティのものをみせてくれるなら、分割も全然ウェルカムです。そもそもアニメ化までに待った年数を考えれば、数か月程度訳ないですよ。

久保先生と森田成一さんの対談記事で、2クール目では原作では描けなかった戦闘が追加されるって書いてあって、もう今からワクワクがさぁ……!!! 2クール目PVでは、平子が原作に無かった卍解しそうな台詞喋ってるし、これもう絶対平子が卍解して戦ってくれるやつじゃん。 小学生の頃から平子真子一筋だった私がようやく報われるのかと思うと、感慨深いものがあります。

これで平子戦じゃなかったら泣いちゃうかもしれないけど、何にせよ新規戦闘があるだけで嬉しい限り。これといい初代護艇十三隊といい新規台詞の追加といい、「総監修・久保帯人」のパワーってやっぱり凄いですね。久保帯人先生、この仕事が終わったら、BTWや獄頤鳴鳴篇の続きも是非お待ちしております。

 

チェンソーマン

原作が元々大人気だったこともあって、製作委員会方式でなくMAPPA資本100%という異例の製作方式を採用したり、OP米津玄師に各話EDに今旬の大物アーティストを集めたりなど、放送前から話題に事欠かない作品で、秋アニメの大本命と目されていたこの作品。私も一応原作は第一部の終わりまで読んではいたんですけどイマイチハマり切れなくて、でもアニメで見てみたらめちゃくちゃ面白かったですね。

原作とアニメではノリが違うというのは確かにあって、原作の軽さとテンポ感の方がデンジたちの異常性は引き立っていたと思いますし、笑うべきところでストレートに笑えたのもこちらの方でした。対してアニメの方は全体的に重苦しい雰囲気で、質感や間を重視したような作り方をされていたように思います。どちらにも良さがあって、だからこれは好みの問題なんですけど、冗談言われてもこの空気じゃ笑えねぇよ、っていう張りつめた雰囲気にヒリヒリしたり、逆に重苦しい雰囲気だからこその落差でふっと笑わせてもらうこともあって、アニメ版の方が真面目で好きなんですよね。そういう冗談要らねえよ、ってわけではなくて、むしろ彼らの異常性を表すには必須な要素ではあるんだけど、ただそれでストレートに笑うよりは、「え、これ笑っていいやつ?」って描写で思わず笑っちゃうのが好きなんだよねという、ただの好みなんですけど。最後のサムライソードの玉蹴り(意味深)とかも、ここまでしっとり描いてきたからこその落差があって、それもやっぱりアニメの方がその落差が大きくて面白かったなと思いますもん。

ただ、肝心のチェンソーマンの戦闘シーンの物足りなさは確かに私も感じていて、もうちょっとスピード感が欲しかったなという風に思います。重くリアリティのある雰囲気に合わせたのか、ちゃんと動きにも重量を感じるようなアクションが多かったですが、悪く言えばもっさりしてしまっていた気がします。スタイリッシュにスピーディーにという感じのアクションだと、本編を重く作ってしまった分馴染まないのかも、なんて思ったりもしましたが、一番の見どころが見ていて気持ち良くないのは非常にもったいなかったです。最後のサムライソード戦は、サムライソードがスピーディーなキャラクターなのもあって戦闘もとてもカッコよかったので、そういう感じで1話や3話も作られていればなぁと。

原作ファンからは結構賛否あるようですが、私的にはとても好きなアニメでした。でも、一つ苦言を呈するなら、EDは毎話聞かないと覚えらんないから1つにしてください、ということだけ言っておきたいです。ゲロチューのやつしか覚えてないので。

 

異世界おじさん

俺たちの異世界おじさんが帰ってきた!!!!!!

おじさんが異世界で酷い目に合ったり勘違いラブコメを続けるだけでも十分に面白い作品なのに、それを現世に帰ってきてから俯瞰して見るというメタ視点を挟むことによってこんなに化けるとは。この作品は、アニメ実況ならぬ「実況アニメ」なわけですね。たかふみや藤宮さんが常に視聴者の代弁をして突っ込んでくれるの、ホント気持ち良いね。異世界おじさん、もしかしたら陣内智則のコントと本質的に同じかもしれない。

おじさんのジェネギャによる勘違いやすれ違いの笑いが本当に面白いんのは勿論なんですけど、個人的にはそれ以上に、所々で顔を覗かせる意味不明さがツボに入ってしまいました。例えば、おじさんが田淵先生に変身して論破(?)するところとか、たかふみとおじさんが恐竜になってそのまま話が終わる回とか、常人には思いもよらない思考回路から飛び出す理不尽な笑い、本当に怖くて面白くて最高です。

こういうおじさんの意味不明な思考回路が、一部たかふみにも遺伝しているのも面白かったですよね。普段はツッコミ役なのに藤宮さんのことになるとたかふみのヤバい一面が顔を見せたりして、「何だこいつ……(ドン引き)」ってなったりさ。もしかしたらこのアニメで一番ヤバいのって、おじさんじゃなくてたかふみなのかもしれないという恐怖。おじさんにはたかふみや藤宮さんという制止役がいるけど、当のたかふみはアンチェインだし、本人に自覚もないですからね。

私って、こういう意味不明さで笑わせてくるアニメがもうほんとに大好きなんですよ。こういう感性になったのって、私のギャグの原体験がボボボーボ・ボーボボだからなのかもしれません。意味が解らなくても面白いの、誰にでも刺さる可能性を持った笑いで無敵なんですよね。 

最終話はまたもや放送延期ですけど、ギャグアニメはいつ見ても面白いので気楽に待つとします。

 

うちの師匠はしっぽがない

本当に素晴らしいアニメでした。豆狸のまめだ、M・A・Oさんの声が付いたことで5割増しぐらい魅力的なキャラクターになったと思います。まめだを見るだけで一週間の疲れも吹き飛ぶような、そんな明るさと一生懸命さが本当に好きで……。文狐師匠はまめだのこと好きすぎだけど、多分私もだいぶまめだのことが好きです。

火事と喧嘩が江戸の華なら、大阪の華は義理と人情かい?ってな具合に、義理人情に溢れるエピソードが多かったのが良かったですよね。江戸っ子も義理人情に篤いイメージがあるけれど、大阪人だって負けてないですよ。

特に後半の四天王のお話は本当に良かったです。四天王それぞれに文鳥師匠との思い出があってさ、それぞれが受け継いだものや思い出なんかを今度はまめだに継承してあげるの、結局皆まめだのこと好きなんじゃん! このツンデレさんめ!ってなりましたよ。勿論、そこにはまめだの頑張りがあった訳だけど、四天王は文鳥師匠に受けた恩を世代を超えてまめだに返してくれた訳で、皆なんて義理堅く人情に厚い人たちなんだろうね。

私、こういう人情噺に滅法弱くて、見るだけで涙腺が破壊されちゃってダメなんですよ。文鳥師匠も文狐師匠も人を寄せ付けないようにしてたのに、いざ関わっちゃったら情が湧いて手放せなくなるんだもんね。本当に可愛い人たちで、大好きで泣けちゃいます。

上方落語がこうして連綿と受け継がれてくる間には、本当にどこかでこんなお話があったのかもしれません。そこに狸や狐は居なくとも、世代を超えて伝える行為には、様々なドラマが生まれてきたことでしょう。そう思うと、何だか自然と胸と目頭がアツくなるじゃあないですか。

 

陰の実力者になりたくて!&かげじつ!

めちゃくちゃ面白くて、恥ずかしさにちょっとムズムズもして、とっても良いアニメです。

すれ違いギャグが面白いのは勿論のことなんですけど、設定とかネーミングとかに結構メタ要素が多くて、どこまで真面目に見ればいいんだろうっていう所在のない感覚も新鮮で楽しいです。同期のアキバ冥途戦争とは、自分の置きどころに迷う感じは同じでも、受ける印象は真逆かもね。

シャドウには陰の実力者の輪郭をなぞるだけでなくて、いっそ普通に陰の実力者になれば良いじゃんと思う瞬間もあって、少しやきもきしてしまうんですけど、そこもまた魅力というか、だからこそ見続けてしまうというのもありますよね。彼は自分が憧れたシチュエーション再現以外に興味はなくて、どこまで行っても自分本位であるからこそ、この作品がすれ違いギャグとして成立している訳ですし、そこで本当に陰の実力者になっちゃったら、凡百の作品に埋もれてしまいますもんね。流行へのカウンターを、ちゃんとカウンターとして貫き通す覚悟が有るの、その意気やヨシすぎる。

現代技術や知識の侵食も、どうなるかわからないって意味で一つのオモシロポイントです。あれはどこまでいくんでしょうね、最終的には現パロOPぐらいの文明レベルが上がるんでしょうか。モブの私服が明らかに現代のものだったりするし、ガンマのマグロナルドとかミツゴシ商会とかは既存の経済ぶっ壊しかねないし、石油が採れるようになったらイータがまた色々発明するでしょうし、これからもっと加速度的に文明レベルが上がりそうです。変に現代知識で無双する作品よりよっぽどシャドウ由来のあれやこれやが侵食していて、本筋じゃないのに一つの気になるフックになっていて目が離せないんですよね。

感想をちんたら書いていたら、陰実も残すところ最終話のみになってしまったんですけど、最後までこの勢いのまま駆け抜けていって欲しいですね。

 

SPY×FAMILY

おもしろい!コードネーム夜帷好き!(小学生の感想)

OPは荒木哲郎×BUMP OF CHICKENという私の青春全部載せ、最高すぎ!

 

4人はそれぞれウソをつく

1話は若干俺の苦手な奴かもしれない……という不安があったんですけど、見ていくうちに徐々に体に馴染んでいく感覚がありました。関根嬢のCVが佐倉綾音さんで本当に良かったです。佐倉綾音さんのツッコミ、何故だかわからないけど体に馴染むなぁ~(脳裏をよぎるキャラクターの数々)。彼女にツッコミをさせたらもう天下一品で、そのおかげで成り立っているアニメと言っても過言ではなかったと思います。

リッカ大佐や千代さん行動が絶妙にズレていて、なんだか居た堪れない気持ちもあるけど、関根嬢や翼さんの不憫さには毎回笑ってしまうんですよね。関根嬢の裏回しや気苦労を思うと、この二人と普通に友達を続けてる彼女らはあまりにも聖人過ぎやしないかと。でも、それを許容できてしまうのも、二人の行動の根底に友達を思う気持ちがあるからなのだと思います。行動の裏に下心があるかどうかとかそういうの、サイキックだからわかっちゃうんですもんね、関根嬢は。だから、彼女が一緒に居るってことは、リッカ大佐も千代さんも逆説的に相当良い奴らってことなんですよ。良い奴らの友達を思う気持ちだけで回ってるアニメ、あまりにも良すぎる。微妙かと思ったアニメが体に馴染む感覚の為に、数多のアニメを最後まで切らずに見続けていると言っても過言ではなくて、そういう中で正にこういうアニメに出会えると嬉しくなりますね。

 

アキバ冥途戦争

任侠モノのフォーマットでヤクザ部分をメイドに置き換えたらどうなるか、そんな悪ふざけのような問題作。最後の最後まで私はこのアニメのことを掴めなくて、どう楽しんだものかと思案していた気がします。人の命が軽い作品なんて言うのは別段珍しいものではないけれど、その軽い命の散り様を、美しく見せたいのかギャグで見せたいのかドン引きさせたいのか、最後まで分からなかったなぁと。命だけでなく食べものを粗末にする描写なんかも散見されて、角が立つような、人を選ぶような、アクの強い描写がとても多かったです。やっちゃいけないことをやって「面白いでしょ?」って言ってくる感じ、私は正直あまり好きではなかったなと。

ただ、不義理を働いた者や恨みを買った者にちゃんと報いが来ているのは潔かったですね。それは主人公の一人であった嵐子さんも例外ではなくて、彼女も終盤でチュキチュキつきちゃんの残党に殺されてしまいます。やはり彼女もやくざ者ですから、あれだけ人を殺していれば相当の恨みを買っていたことでしょう。チュキチュキつきちゃんの残党でなくとも、いつかは名前のない誰かしらに殺されていただろうと思いますが、作中でちゃんと死を描いていたのが良かったです。アクの強い描写が多いからこそ、そこらへんのヘイト管理はしっかり行っていた印象ですね。

なごみが信念を最後まで貫き通したのもカッコよかったです。嵐子さんや愛美さんなんかも信念を貫き通した人間でしたが、彼女たちがそうできたのにはあまり驚きはありませんでした。なぜなら、彼女たちは根っからのやくざ者であって、自分なりの筋を通すだろうということに疑う余地すらなかったので。しかし、対するなごみはその目線で言えば明らかな異物で、本来任侠物で登場しようはずもない、ただの堅気のメイドでした。そんな一般人がこの"アキバ"で"メイドをする"という信念貫き通したって、それはもう尋常なことじゃないでしょう。野球回なんかもなごみ一人が真っ当に野球をしようとしていて、それがギャグのように描かれていましたけど、そういうところから既に信念を曲げない強さを描いていたのは流石です。

最近のP.A.WORKS、ちょっと挑戦が過ぎる気がしないでもないですが、とはいえ世界観のあるオリジナルアニメをコンスタントに作り続けてくれる会社は貴重なのでありがたいです。今回は合わなかったですけど、あまり外野の評価を気にしすぎずこれからもオリジナルアニメで攻めていって欲しいなと思います。あと、00年代の在りし日のGONZOはマジで帰ってこい。

 

入間くん3期

関係性の~~~~~~~~~~オタク~~~~~~~~~~!!!入間ち、クララ、アズくんの三人組が離れ離れになっちゃってどうなっちゃうの~って思ってたけど、より絆が深まったようで一安心です。会えない時間が愛を育むとはよく言ったものですね。

3期はアブノーマルクラスの各キャラクターの成長にフォーカスを当てていたところがとても良かったです。序盤は少年漫画らしい修行パートから始まり、後半で遂に成長のお披露目会といったところ。ようやく少年漫画らしくなってきたなというか、家系能力が日の目を浴びてからは能力バトル的側面が見えてきて、いよいよ面白くなってきました。

2期まではなんとなく見ていた感じだったんですけど、3期になって一気に引き込まれています。収穫祭も大団円で終わり、次から新しい展開が始まりますね。2クール目も後半になってしまいましたが、引き続き楽しんでいきます。

 

ブルーロック

サッカーを題材にした疑似デスゲームものということで最初の手触りは個人的に最悪だった訳ですけど、そのファーストインプレッションで抱いた嫌悪感とは裏腹にどんどんと面白くなっていって、ちょっと悔しいです。私がそもそもデスゲームものを好きじゃなかったり、それこそ前期にアオアシがあった分サッカー描写はそれでいいのかって思っちゃうことがあったり。方程式がーとか化学反応がーとか武器がーとか、まぁ要素分解して単純化したんだろうけど、そういう安易な言葉に落とし込んでいいモノなのかな、なんて思ったり。

これは競技をエンタメに落とし込むためにどこまでデフォルメするか、という問題だと思うのですが、強みが特殊能力のように取り沙汰されすぎている、というのはあって、基礎を研鑽しその先にある複合的な要素によって獲得したであろう強みを、「武器」という形で特殊能力のように取り扱われると、あまりにやりすぎじゃないかな、なんて思ったりもします。

でも悔しいかな、燃えるシチュエーション作るのがあまりにお上手すぎて、嫌いなはずなのに胸がトゥンクしちゃうんですよね。真っ当なサッカー漫画じゃないからこそ、やりたいシチュエーション先行でセレクションの内容を考えられるの、設定段階からもう勝利してますよ。実際どのように作られているかはともかく。

2クール目の現在も着実にドリームチームが出来つつあって、本当に展開がずる過ぎです。今後も、嫌いなのに何度もイカされちゃうであろうことが安易に予想出来てしまって、本当に悔しい限り。

 

ンダム水星の魔女

正に新時代のガンダムって感じですね。水星の魔女は今までのガンダムの型を破るような作品だったからこそ、私意外とアムロとかカミーユとかバナージとかも結構好きだったんだなって思えた気がします。

UCってやっぱり大人の世界が舞台で、その中で主人公たちって、口悪く大人は勝手だの軍の規律がなんだ俺は軍人じゃないだの言ってモヤモヤしながらも、それこそ時にはブライトさんにぶん殴られたりもしながらも、結局のところは生きるために命令に従って戦うしかないんだって知っていったんですよね。そして、善悪で測れない大人の世界に揉まれながら、命を繋ぐための戦いを通して徐々に自分の信念を形成していくのですよね。青さでぶつかったってどうにもならない世界だってわかっちゃって、でもそれでも譲れないものを獲得していく青年たちの成長を見るのが一つの醍醐味だったというか。

で、それで言うと水星の魔女って、若さゆえの青さと勢いを携えたまま大人の世界に殴り込みに行って、それであわよくば構造からぶっ壊してやろうぜ、なんて、かなり攻めた作りしていて、これまでのガンダムシリーズまでもぶっ壊そうとしているようにも見えるんです。学園舞台であるとか主人公が女性であるとか、既存のブランドイメージを壊してして新規層を取り込もうとしているというのはどこかのインタビューで読みましたが、そういうものが物語の構造にも表れてきているのが面白いなぁと思って見ていました。

まぁしかし、そんな甘っちょろい幻想を叩き潰すかの如く絶望を叩きつけてきたのが、衝撃の12話なんですけどね。これまで何だかんだと上手く行っていた彼女たちは、学園という箱庭で守られていたんだなって。外の世界は結局そんな甘くないんだって突きつけるような恐ろしい展開の連続、あまりにも悪魔的すぎやしませんか。新しいことやりますよ!女の子が学園で決闘する新しいガンダムですよ!って触れ込みで新規を沼に引きずり込んでおいて、洗脳完了したところでいつものガンダムが始まりそうなの、あまりに狡猾で若干引いてます。本当にやり口が汚くて好き。

1クール目は、正直面白いのは面白いんだけどそこまでのめり込めなくて、周りとの熱量の差も感じていて、ちょっと残念な気持ちだったんですけど、12話があってから俄然続きが楽しみになりました。2クール目が本番ぐらいの気持ちでいるので、今からワクワクが止まりません(虹野ゆめ)。

 

虫かぶり姫

少女漫画やそれに類する女性向け作品では、力強く自立したヒロイン像が主流として定着して久しい昨今、巻き込まれ型乙女ゲーヒロインのような受け身体質のエリアーナ嬢を主役に据えた虫かぶり姫が人気を博しているのは何だか新鮮だよね。まぁどちらにも需要があるわけですから、要はバランスなのでしょう。

私としてはやはり自立したヒロイン像が好きなので、自分から全く行動に移すことがないエリアーナ嬢は好みからは外れるのですが、それはそれとして作品としては楽しく見ることが出来ました。少女漫画大好きくんだから、ただひたすらに甘い言葉を囁くお砂糖のような恋愛を見るの大好きなんです。

ただ、殿下はこれからも大変でしょうね。あんなにも言葉で愛してると言い続け、行動でもエリアーナの為にありとあらゆる手を尽くしても、彼女はふとしたことで不安になって殿下の愛を信じられなくなっちゃうんですもの。それでも、それも殿下にとっては嬉しいことなのでしょう。十何年と追い続けてきた女の子が、初めて自分を意識して恋心を抱いてくれて、不安になってくれているのですから。エリアーナが初めての感情を知っていくその過程を見守れる喜びは、何にも代えがたいものがありますし、その点で言えば、それを一番近くで見守れる殿下には、少し妬いてしまいそうにもなりますね。

 

羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来

中国発の劇場アニメ。何年か前に映画をやっていて、それテレビ版に再編集したものです。

羅小黒戦記の売りに一つとしてアクションが挙げられると思うんですけど、何よりもまず驚いたのが、アクションシーンの"浮かなさ"です。別にアクションシーンが凄い作品なんてのはそれこそいっぱいあって、でも、そういう作品って、アクションシーンとそれ以外の平場の差が激しすぎてアクションだけ浮いてるというか、「ここ気合入れて作りました!!!」感がありありと見て取れるものが多い気がするんです。

それに対して、この作品はアクションと平場に殆ど差がないというか、あってもそれを感じさせないんです。しかも、平場のレベルにアクションを合わせているのではなく、アクションシーンのカロリーの高さに平場を合わせているような感覚で、全編に渡って均一なクオリティの絵を見せてくれます。アニメーターの個性を楽しんでいるような作画オタクなら或いは戸惑うかもしれませんが、私はこんなことができるアニメがあるのかと衝撃を受けましたね。

作品の内容についても、力強い二項対立が軸となっており、テーマにも普遍性があって面白かったです。自然を破壊し版図を広げる人間たちに対して、主人公たち妖精は人間との共存を目指すか、或いはそれに抗うか、といった思想の対立が軸なんですね。小黒目線では、序盤はフーシーたち反人間派閥が「味方」で、それを捕まえに来たムゲンたちは「敵」である、と意図的に描かれていましたが、しかし敵のはずだったムゲンと過ごす時間の中で、どうやらそればかりではないみたいだぞと、徐々に思想を逆転させる手法は見事の一言でした。

体制側が勝利するというのは、体制による検閲のある中国らしい作品だ、という言説をどこかで見たのですが、それも間違いではないとは思います。でも、この作品には、フーシーたちの思想が間違っている訳ではないという意味も暗に込められている気がします。彼等も、やり口は兎も角、その思想までは悪と断ずることが出来ないと思うんですよね。彼等は散々虐げられてきた側で、その苦しみから救う根本の解決策を誰も提示できなかったからこそ、彼らは凶行に及んでしまったわけなので。だからこそ、サブタイトルの「ぼくが選ぶ未来」には、これはあくまで小黒の選択であって、対立する彼等の思想の善悪を決めるものではない、という意味も込められているのではないかと思うのです。革命を成し遂げることが出来ずに散ってしまい、フーシー達は救われない悪者になってしまいましたが、彼らの思想自体が否定されるわけではないんですよと。

流石に無理やりこじつけ過ぎですかね、でも私にはそんな窮屈なアニメには見えなかったんですよね、このアニメは。勝った方が正義になるんだ、なんてよく言いますけど、人の数だけ正義があるとも言うじゃないですか。歴史上正義とされてきたものは勝者の側なんでしょうけど、傍観者である我々から見ればどちらにも言い分があって、どちらにも正義があるんだなってわかるじゃないですか。結局はそういうことだと思うんですよ。勝ち負けが思想の優劣ではなくて、そこをはき違えると窮屈なアニメに見えるけれど、別にそういう訳でもないよなと思う訳です。

 

万聖街

羅小黒戦記の制作会社さんの新作で、羅小黒戦記と放送枠を前期後期で分割して放送したアニメ。

4コマ漫画をそのままアニメにしたような作りは新鮮で、とにかくサクサク進んで子気味の良いテンポ感です。キャラクターも良く動くし、アクションシーンも抜群で、動きの緩急やデフォルメ具合にカートゥーンっぽい気持ちの良さを感じたりなんかして、見ていて気持ちの良いアニメでした。

キャラクターもみんな可愛くって、私は特にリリィがお気に入り。自由奔放・天真爛漫で全く嫌味のないキャラで、ともすれば嘘臭く見えてしまいそうなキャラクターなのですが、天使という属性のおかげでそれに疑いをはさむ余地が無くなるのがバランス良くて凄いです。全くあざとくなくて裏表も感じない可憐さ、あこがれちゃうね。

 

僕とロボコ

あまりジャンプで育ってこなかったタイプの人間でも意外とジャンプネタってわかるもんなんですね。読んでなくてもミームとして定着していたり、他作品でパロディされて知っていたりで、ちゃんと面白かったです。

個人的にはガチゴリラとモツオがただの良い奴なのがツボです。何回見ても大好きだから、このネタずっと擦って欲しいですね。誰も傷つけない笑いって言うんですか?私は結構好きですよ。

 

令和のデジキャラット


見た!何かノリがよく分からなかった!(完)

ブシロの嫌いなところ、すぐ内輪でワイワイやるところなので。

 

聖剣伝説LOM

原作ゲームは未プレイ。ゲーム原作のアニメ化の難しさをヒシヒシと感じるアニメになりました(もちろん、あまりいい意味でなく……)。

イベントシーンを繋げただけではどうにもおざなりで、冒険の道中のワクワク感も描けなければ、キャラクターの掘り下げにも乏しかったです。昔のRPGだからってのもあるのでしょうが、キャラクターも記号的で多面性がなく、主人公もプレイヤーキャラクター的であまり個性がありません。ゲーム部分ありきの、そこで楽しんでもらうこと前提のストーリーとキャラクター達を、何の思い入れもない視聴者にそのまま提示したら、そりゃあ面白いとはなかなかね……。

セラフィナの意図も最後まで読めなかったし、よくわからないキャラクターでした。友人を殺しておいてさ、「本当は裏切りたくなかったし、殺したくなかった」って言われても、セラフィナの葛藤も描かれず真意も明かされないから、見ている側からすると意味不明で。

主人公たちも主人公たちで、裏切られて仲間が目の前で殺されたのに、その後なんで殺したやつのこと再び信用できるんですかね。それでまた裏切られてんだから、性善説を信じているとかそういうレベルの話じゃなくてただの馬鹿じゃん……。

そういう意味でこのアニメは、納得のできる展開が少なく、キャラクターへの感情移入も困難であるなど、全体的に視聴者置いてけぼり感の強い作品だったなと思います。セラフィナってどうやらゲームの女主人公のアバターを使ったアニオリキャラらしいですね。原作ゲームで女主人公を使ってた人達、アニオリで全てのヘイトを担う悪者にされちゃったから、怒っている人や悲しんでる人も結構観測されて本当に可哀想だなと。ちょっとこのアニメ、ファンにも喧嘩売って初見さんには説明が全くなしという、どこに向けてのアニメ化だったのか分からず困惑してしまいます。

あと、結局聖剣ってなんやったん?言葉が一瞬出てきただけやったけど。

 

BORUTO

今期はなんとBORUTOでデスゲームものをやるという謎采配。誰にでも手を差し伸べて、自己犠牲で全てを救おうとするボルトの性格、私はあんまり好きじゃないなぁ。同じ理由で衛宮士郎も苦手だし、そのせいでFateシリーズ全般にも苦手意識があるんだけど。
BORUTOの体たらくはBLEACHに人員取られてるからだったりするのでしょうか? だったら全然許せるんですけど。

 

終わりに

秋アニメの打率の高さ、はっきり言って異常です。いくらなんでも面白いアニメが多すぎるでしょ。秋が収穫の時期だからって、豊作にしなきゃいけない法律でもあるんかい!!!!!! いや、嬉しい悲鳴なんですけど。

そんなわけで、秋はいつにも増して毎日特大の楽しみがある凄いクールでした。チェンソーマンやBLEACH最終章の待望のアニメ化であったり、リコリコに続いてぼざろが大バズりをカマしたり、水星の魔女のとんでもない引きが話題になったりと、いつ何時も話題にも事欠かなかったですよね。話題作のアニメが現れると、アニメを引退したかつてのアニメ老人たちがぽつぽつとアニメに戻ってきてくれるのが地味に嬉しかったりします。競馬とかパチンコとか麻雀の話はできないけどアニメの話ならできるから、また気が向いたらアニメに戻って来て欲しいな、なんて思いながらみんなの様子を眺めているキモい奴なので。

また次にお会いするのは冬アニメの感想になるんですけど、冬は打率こそ秋に及ばなさそうなものの、見たい、というか見ているアニメ数が多くて久々にアニメが溜まる感覚を味わっています。俺が好みそうなアニメを作るのが上手いね、アニメ業界の人たちは。また冬も感想を書く予定ですので、気が向いたら読んでくださいね。では。

2022年まとめ5選

2022年に触れたもので素晴らしかったものを、各部門5作品ずつ選出。

本当は年内にあげたかったんですが、ヘラヘラ飲んでたら未完成のまま年が明けてしまいましたので、元旦にカリカリと加筆して何とか形にしました。

思い込みの激しいタイプの人間なので、最初に受け取ったイメージだけで変なことや間違ったことを言っているかもしれませんが、暖かい目で見てやって下さい。

 

 

 

アニメ

今年も新作TVアニメ部門、新作アニメ映画部門、過去作アニメ部門を設立。

 

新作TVアニメ部門

今年も新作アニメの感想は各クールの感想に書いてあるので割愛。ただ、何もないのも寂しいのでちょこっと何か書いてあります。

 

時光代理人

今年一番更新を心待ちにしていた作品であり、今一番続きが気になる作品です。最近は海外産のコンテンツが逆輸入されることが増えましたけど、感覚として中韓国の作品は私達と感性が近いことが多い気がしますね。現代舞台で田舎の人情噺が出来るのは中国ならではで、日本では産まれ得なかったであろう作品なのも素晴らしい点です。

 

平家物語

諸行無常」という言葉の意味を大抵の日本人が知っているのは平家物語のおかげですが、その映像化の中で今も昔も変わらぬ日本の四季の美しさが折に触れて描かれることに、特別な意図を感じます。変わらないものはないと語った平家物語が、形を変えて、語り口を変えて現代まで連綿と伝わってきているという事実には、感慨深いものがありますね。

 

ヒロインたるもの

今年私の中で一番大きかったオタク的出来事を挙げるならば、告白実行委員会シリーズを好きになったことかもしれません。桜丘高校を舞台にした正に恋愛"群像劇"と呼ぶに相応しいこのシリーズは、真っ直ぐな人間関係のぶつかり合いを数多く見せてくれました。私はそういう若さを二次元コンテンツに求めている節がありますね。

ちみも

今年のアニメを振り返ってみた時、意外とこのちみもの存在が大きくて、自分でもちょっとびっくり。
ペット系YouTubeチャンネルにぞっこんな私ですから、ちみもにハマったのも必然なのかもしれません。

 

Do It Yourself!!

激戦の秋クールを制したのはこのアニメ。また詳しい感想は秋アニメの記事に書こうと思いますが、DIYは誰かの見守る目線を強く感じるアニメでした。そのことがとっても嬉しくて今年の5選に選びました。

でも、DIYは本当に危ない面もあるからみんな気を付けてね!

 

新作アニメ映画部門

今年からド田舎に引っ越してしまったので、映画を見に行くのも結構な時間と交通費が掛かるようになって、あまり気軽に見に行けなくなりました。地方への移住を考えてるオタク(いない)、近くに大きい映画館があるかどうかだけはマジで気にした方が良いですよ。

 

映画バクテン

2022年個人的MVPはこの作品。

辛い気持ちも嬉しい気持ちも、終始彼ら思いがダイレクトに伝わってきて、比喩でなく最初から最後までずっと泣いていました。心象を背景描写に反映させるという変に奇を衒わない真っすぐな演出が、この作品には本当に合っていたと思いますし、その美しさったらないですよ。TVシリーズの演出をリフレインさせる場面もあって、ちゃんとTVシリーズと地続きの劇場アニメをしてくれたのもとても嬉しかったです。

 

劇場版は、インターハイ〜3年生引退に伴う世代交代したチームの立て直しのお話でした。

世代交代のお話は本当に見ていて辛かったです。偉大な先輩たちが抜けたあとの世代交代の描写は、否応なく私の心を締め付けました。亘理先輩の気持ち、悲しいかな私にも似たような体験があるから分かってしまうんですよね。自分語りになってしまいますが、私も中学時代、強豪校で主力としてプレーしながらも、自分たちの代で結果を残せなかったという苦い経験があります。自分たちは先輩達ほど優秀じゃない、という実感は常にあったのですが、終ぞそれを覆せぬまま引退を迎えてしまった、悔いの残る部活人生でした。だからこそ、亘理先輩の不安や苦悩が自分のことのように思えてとても苦しかったです。

しかし、亘理光太郎という男はそんな逆境を跳ね除けて、改めて前を向いて進んで行きました。彼は私とは違うのだな、と理解された瞬間、その時のために私はアニメを見ているかもしれないとすら思いました。そして、彼の強さに、カッコ良さにとことん惚れ込みました。

恥や外聞、自分の苦悩なんかより大事なものがあるって、心では分かっていても、実際に行動できる人なんて中々いるもんじゃありません。大事なことのために打算なく動ける人間の強さってこういうことだし、だからこそ周りの人間も利益なんて度外視で彼のために動いてくれたのです。気持ちだけでは動かぬものばかりのこの世界ですが、人の心を動かすものだけは、間違いなく誰かの強い気持ちなのだと思います。

私が物語の中に見ているのは、いつもそんな手の届かない人物なんです。こういう人になりたいという憧れこそ、私がアニメから貰っているものなのかもしれません。私がなれなかった、でもなりたかった姿を物語の中に見つける度、そのために私は沢山の物語を体験しているのだと実感します。

 

映画ゆるキャン

今年、一番見るのが辛かったアニメといえばこれ。

何の前情報も入れずに、映画館来てバクテンだけ見るのも勿体ないし(※映画館まで往復4時間、運賃3k)何か他にも見るか、とヘラヘラしながらスクリーンに入ったら、完全にタコ殴りにされましたよね。私はアニメを見に来たはずなのに、そこにあったのは触れられそうな程の現実で、リアルな手触りでした。

序盤から志摩リンが普通に社会人してるだけでも苦しかったのに、大垣千明が出てきてその経歴を語りだした時、私の心は完全に壊されてしまいました。彼女の高校卒業以降の来歴は、私と被るところがあまりにも多くて、でも彼女はとても充実した人生を送っているんですよね。東京でやりたいことはやり切った、って言える彼女が、直視できない程眩しかったです。

私が上京してやりきったと思えることって何かあったかなぁと思い返しても、本当に何もないし、地方住みも良いけれど相変わらず東京への未練はあるし、今の人生充実してるかと言われると閉口してしまうのが正直なところです。私の頭の中では、都築詩船の「やりきったかい?」が何度も木霊していました(バンドリーマーの末路)。烏滸がましいかもしれませんが、私の心情的には「逆だったかもしれねぇ」なんですよね、大垣千明と私。それほどまでに彼女の存在にはダメージを受けました。

そこからはずっと辛かったのですが、中盤〜終盤に差し掛かる頃、志摩リンとなでしこが秘境温泉で語らうシーンでもう修復不能なダメージを受けましたよね。高校生の頃の、ノリと若さである意味何でもできると思っていた彼女たちが、大人になってもできないことがあるんだって知ってしまったんです。いや、いつかは大人になるって分かっているしその事実は別に辛くはないけど、大人になってもできないことがあるなんて、それをなでしこに言われちゃあ、もう私の心はズタズタですよ。

とまぁ愚痴はここまでにしまして、ここまで酷評めいたことを言ってきましたが、この映画は間違いなく名作ではありましたよね。上のものだって別に酷評でなく「私の心が辛かったよ」っていう一個人の心の内で、それさえ除けばめちゃくちゃ面白かったし、何ならそれだけ私の心に刺さったってことですから。

やっぱりみんなで一つのものを作り上げるのを、学生の課外活動規模でなく市政の事業規模でできちゃうのとかめちゃくちゃワクワクしましたし、酸いも甘いも噛み分けた社会人としての彼女たちは、あの頃とは別の魅力に溢れていたと思います。それに何より、生活に追われ好きを忘れてしまった社会人に再び夢を見せてくれるアニメを、私が好きにならないはずないんですよね。

見た直後はそれこそ一生見たくないなんて思っていたこのアニメですが、時間が経って噛み砕けば噛み砕くほどに「でも面白かったなぁ……」となってきて、私も心の置き所をどうしたら良いものか分からずにいます。それでも、これだけ私の心を掻き乱したアニメですから、それを今年の5選に選ばずして何とするか、と思うのです。

 

四畳半タイムマシンブルース

四畳半神話体系との出会いは、大学時代に友達の家で見せられたのが最初だったかと思います。今思うと、大学時代に四畳半を見れたことはとても幸せでした。こういうくだらなくてしょうもないことを大きく広げてウダウダできちゃうのが大学生という生き物であって、永遠のモラトリアムを過ごしている彼らを、同じ歳頃の感性で見ることができたのが大きかったなぁと。

そして、月日は流れ令和4年、そんな彼らが帰ってきました。同い年だったはずの彼らは相も変わらずモラトリアムを過ごしていますが、片や私は社会人になっていて、時間の流れを痛感します。もう彼らとは年齢も立場も違うんだな、なんて一抹の寂しさを覚えながらも、やっぱり彼らをまた見たいなと思い映画館に足を運ぶことに。

しかし、そんな少しのジェラシーと不安を抱えての鑑賞だった訳ですが、結論から言えば本当に素晴らしい映画で、見終わった後にはそんな些末なことは全て吹き飛んでいました。サマータイムマシンブルースの方は全くの予備知識無しなのでわからないですけど、この作品の中には、あの頃と変わらない「私」と愉快な仲間達が生きていました。一瞬であの頃に引き戻される感覚はとても心地良く、見始めるまでの不安なんて何処へやらといった具合です。

物語自体は馬鹿馬鹿しくも面白く、本当にいつもの四畳半で、サマータイムマシンブルースとの親和性の高さに驚きました。こんな馬鹿みたいな話なのにロジックや伏線の回収には目を見張るものがあり、そのギャップにもやられました。

まぁでも、何が一番良かったかと言われれば、最後の「私」の台詞でしょうね。あの台詞によって、今まで散々と同じ時間を繰り返してきた「私」たちの、その先の未来への展望がぱぁっと開けたように感じられました。語らないことで語るという小粋さもありながら、素晴らしい余韻を残す一言でもあって、この映画はこの台詞のためのものだったのかもしれないな、と私も思わず膝を打ちましたよ。

見終わってみると、永遠のモラトリアムだと思っていた彼等の日々も、いつかは終わりが来るのだなと感じさせられました。それは作品としては描かれないかもしれませんが、いつかは彼らも社会に出て、結婚をして子供を産んで、年老いていくのだなと。その点で、この映画は正に、終わらない青春に一つの区切りをつけた偉大な作品だったのではないかと思うのです。

 

すずめの戸締まり

新海誠監督、あくまで写実的な表現を突き詰めた上で、現実を遥かに凌駕するドラマチックな映像を作ってくれるところがとても好きです。演出のために逆光にならないところであえて逆光にしたりすることはあれど、基本的に彼の映像は、レンズの湾曲や収差、被写界深度に至るまで、極めて現実のカメラの光学に則ったものなのですよね。こういう今まで気にしてこなかったことに気付くと、自分の中に視点が増えたことに嬉しくなると同時に、自分より遥かに視点が多い人の途方もなさに軽く眩暈もします。
あまり作品を別の作品と絡めて評価したくはありませんが、この作品は「君の名は」と「天気の子」があったからこその作品だろうと思います。過去2作に渡って描いてきた災害に対しての新海誠なりのアンサーを、この作品でようやくを示してくれたような、そんな気持ち。

一作目の「君の名は」では、災害が起こったことに対して、その結果から逆算して過去を変えることで命を救う選択をしました。でも、それって災害を題材にしながらも災害から逃げているようでもあって、現実で救えなかった無念を作品で昇華しようとした作品のようにも思えます。

災害を題材として扱うのは、災害が忘れ去られることのないように、と新海誠監督がどこかのインタビューで言っていましたが、「君の名は」では、それが出来ていたかと言われると難しいところです。災害を被った人を、文字通り"なかったこと"にした訳ですから、見方によっては出来ていなかったとも言えそうです。

続く二作目「天気の子」では、天気と大切な人を秤にかけて、大切な人を選んだ結果のあのラストでした。大切な人を救った上で災害にも正面から向き合っています。もしかしたらあの結末には、彼等が世界を恒久的に変えてしまったことで、今度こそ災害を忘れ去ることのないように、という狙いもあったのかもしれません。 

しかし、「天気の子」は陽菜と帆高とその周りの数人だけで物語が完結しています。そのセカイの外で災害に直面した人々については殆ど触れられることはなく、被災者不在の災害感が否めません(瀧くんのおばあちゃんぐらいですかね)。

被災するはずだった人々を救うことで結末を迎えた「君の名は」を見ると、災害とはそれ自体が本質なのではなく、被災した人々が居るということが本質だということが分かります。そうでなければ、「君の名は」では何も解決していないことになりますから。しかしそうすると、被災者が描かれない「天気の子」も、まだ未完成なんじゃないかと思えてきます。

そして、そんなことを感じた前述の2作品を見てきたからこそ、「すずめの戸締まり」は彼なりの答えなのではないかと感じたのです。

「すずめの戸締まり」は、これから起こり得る災害を未然に防ごうという物語である一方で、起こってしまった災害から目を背けることなく受け容れることを描いた作品でもありました。そして何より、被災した地域に生きた人々の思いを悼む作品でした。

「すずめの戸締まり」で描かれた受け容れるとは、痛みに慣れて忘れ去ってしまうことでも、心に蓋をして封じ込めてしまうことでもなく、その事実を胸に抱いてなお未来はきっと「大丈夫」だと信じられるようになることです。これは「天気の子」でも描かれましたが、すずめではその一歩先、そこに生きた人々の思いごと受け容れ、前に進むことまで描かれています。

各地の後戸を巡り、そこに生きた人々の思いを重しに蓋をする戸締まりという行為は追悼のようでもあります。災害のあった事実を忘れないのではなく、そこに生きた人々の思いを忘れず悼むこと、それが新海誠監督が出した結論なのだと感じました。

 

フルーツバスケット -prelude-

この映画、総集編ではないですが、半分ぐらいはTVシリーズの素材を使っていたんじゃないかと思います。とはいえ出来は十分に素晴らしいもので、文句をつけるところはありません。ただ、原作に忠実にというスタンスのアニメであるので、正直このエピソード単体で劇場アニメとして楽しめる強度でないのは確かです。あくまでフルーツバスケットの文脈の中にあってこそのお話をそのまま映画にしたので、完全にファンに向けた作品です。それでも5選に選んだのは、やっぱりフルバファンとしてこの映画を挙げないのは嘘になるからでしょう。

先程も言いましたが、出来についてケチを付けることは一切ありません。見終わった後には、ただ喪失感だけがありました。内容云々ではなく、これで本当にフルーツバスケットのアニメが終わってしまったんだな、という喪失感です。令和の時代にフルバのアニメが作られたことが奇跡みたいなものなのに、こんなに素晴らしい出来で最後までアニメ化なんてされちゃった日にはもう、その喪失感も推して知るべしでしょう。これからはフルバのアニメが作られることのない世界だなんて、あまりに残酷すぎますよ……。

 

過去作アニメ部門

今年は中々過去作を見る余裕がなくてサボりがちだったけど、一気見できるほどのめり込める作品が見つかると途端に楽しくなります。毎週追いかけて見るアニメと短期間で一気に見るアニメでは、摂取できる栄養素が違うと言われていますからね。

 

蟲師

高校生の頃、テレビでやってた蟲師続章をちらっと見て、「これ、ちゃんと腰を据えて見たいな」と思って幾星霜。いつの間にか存在を忘れていたアニメでした。次見るアニメを物色してた時に発見して、少しの懐かしさを覚えながら視聴することに。

そんな軽い気持ちで見始めたが最後、いつの間にやら続章から特別編に至るまで全話見終わって原作まで揃えていました。久々にこんな上質で濃密な視聴体験をしましたね、いやぁ良かったです……。

この作品の一番好きなところと言えば、やはり世界観の表現でしょう。漆原友紀先生が構築した蟲師の世界観を、少しの妥協もなく映像化出来ている凄味。「蟲師」の世界観を構成する要素以外が徹底的に排除されていて、間や無音、画面が真っ暗で何も映っていないことすらも恐れず積極的に挟み込んでいく、侘び寂びを感じるアニメとでも言いましょうか。OPEDですらも本編とシームレスに繋がっているような感覚で、本編に合っているというより、OPの立ち上がりやEDの余韻、そしてそれらの映像も含めて丸々一つの作品なんです。無駄なものは何も足さず、むしろ引き算で作っていって最後に残る静謐さを大切にしたこのアニメは、もう面白い面白くないという評価基準で語るのは野暮に感じるぐらいで、その世界観への誘いは芸術の域に達していると言っても過言ではないでしょう。

派手な作画でもなければ、お話も決してエンタメ然とはしておらず、釈然としない結末や、どうにもならない後味の悪さが残る話が多いです。しかし、人間の範疇を超えた存在と向き合うというのはそういうことなんだろうな、と納得させられてしまうのがこの作品。画面全体の説得力で捻じ伏せられてしまうのです。

蟲たちはただ在る様に在るだけで、それが人に悪く働くこともあればよく働くこともあるのですよね。それは作為や物語の都合などよりも大きな、「存在」による奔流です。人間だって生きていれば必ず周りに影響を与えるように、蟲もそうで、それがたまたま人間にまで影響を与えるものであっただけなのです。超自然的な存在か、あるいは現象か、その前になすすべない人の存在。それを人間レベルにまで嚙み砕き、何とか折り合いをつけようというのが「蟲師」なのでしょう。結末の中にも、「蟲」に翻弄されてままならないけれどそれでも続いてしまう日常や、あるいは悲しい結末を迎えた中にも、その当人だけにしかわからない救いがあったりします。ハッピーエンドにもバッドエンドにも分類できないような、その間の無限のグラデーションの中にある話に、どうしようもなく心が掴まれるのです。

 

R.O.D シリーズ

本作は紙を自在に操る紙使いを主人公にしたアニメです。OVA全3話+TVシリーズ26話で前々から気にはなっていたんですが、如何せんTVシリーズがU-Nextでしか配信されていないのもあって、中々手が出せずにいました。TVシリーズだけでも十分に楽しめますが、OVAはそれ自体のクオリティも高いですしTVシリーズに繋がる話でもあるので、見られる方は先にOVAを見ることをオススメします。

紙って、縁で指を切っちゃうような鋭さもあれば、重ねればとんでもなく硬い壁にもなり得るし、それでいて形も変幻自在だってんだから、よくよく考えたら凄い素材です。しかし、そんな何でもできそうな紙ですが、一方で水に弱いなんていう明確な弱点も持っていて、戦闘においてとても映える能力なんですよね。紙を使った変幻自在のアクションシーンはそれ自体が面白く、それに加えて作画も素晴らしく良いため、アクション目的での視聴にも十分に耐え得る強度があります。

また、物語の進行度に合わせて段々と物語がスケールアップしていくワクワク感もとても良かったです。最初は日常のあれやこれやを描いていきながら、最終的には世界の存亡を賭けた戦いまで話を膨らませちゃう全部乗せ感、大好きです。しかし、物語がどんどんとスケールアップしていって、最終的に世界の存亡を賭けた戦いの中にあっても、「三姉妹+菫川ねねね先生」という家族のお話が核に描かれていたところが私の一番の好きポイント。どれだけスケールが大きくになっても物語の中心は家族のお話で、最後までブレることはありませんでした。

「血の繋がりだけが家族じゃないんだ」なんて、有史以来何度となく繰り返されている言葉で、耳にタコが出来る程どこかで聞いた言葉であっても、人間口にしなくちゃ伝わらないんですよね。そういうことを臆面もなく言えるようになるってのが、家族になるってことなのかもしれません。こんな小っ恥ずかしいことを思っちゃうぐらい、素晴らしく愛に溢れたアニメでございましたよ、R.O.Dは。

 

RD潜脳調査室

士郎正宗×Production I.G.の本作、どうやら攻殻機動隊の少し先の未来を描いた作品らしいです。といっても物語上の繋がりはなくて、あくまで世界観を共有している程度の姉妹作品のような位置づけらしいんですけどね。らしい、らしいと言ってるのは、恥ずかしながら私が攻殻機動隊を見たことがないからです。シリーズが多すぎてどれから見るべきかと調べることすら億劫で、手を出すきっかけもないままここまで来てしまいました。去年はガンダムを履修し始めましたけど、ご長寿シリーズは如何せん見始めるまでの心理的なハードルが高くて、ね……。

ま、それはさておき、そんな位置づけの作品ですから、攻殻を全く知らない私でも十二分に楽しめました。ざっくりしたあらすじとしては、通称メタルと呼ばれる電脳世界が発達した世界で、そのメタルを通じた色々な事件を解決していきながら、徐々に50年前のある事故の真実に迫っていく、というSFチックな作品です。とはいえ、SFらしからぬのほほんとした雰囲気やゆるーい掛け合いが多く、人情噺も見どころの一つであるなど不思議なバランスで成り立っている作品なのですが。

まずもって、秀逸なのがキャラクターです。

女性キャラは所謂肉付きの良い健康的なポチャ子さんばかりで、一般的な王道からはかけ離れています。最近はライザ(アトリエ)や宝多六花(グリッドマン)のように体型に似合わぬ太ましい太腿なんかが大人気でありますが、このアニメの女の子はそういう感じではなく、兎角全身がふくよかなのです。でも、それがまた良いんだ。動いている姿を見てもらえばより伝わると思うのですが、全くそっちの気はない私ですら目覚めそうになっちゃったぐらい可愛いんですよ、彼女たち。

画質悪くてごめんね、でも太ましさは伝わるでしょ?

そして、男性キャラに関してもこれまた一癖ある人達ばかりです。主人公なんて81歳の車椅子のお爺ちゃんだし、30代半ばの義体を纏った80歳越えのダンディな部長さんに、ダイビングショップを営む癖の強い兄弟に、若いイケメンは唯一ヒロインの兄貴だけという、なんともまぁこちらも正統派とは呼べないような面々が揃い踏み。

で、この81歳のお爺ちゃん・波留さんと15歳の少女・ミナモさんという不思議なコンビが名コンビなんですよねぇ。

この年齢差の二人の絡みは、さながらお爺ちゃんと孫のそれで、ほんわかした雰囲気から安心して見ていられます。しかし、彼らは自他ともに認める"相棒"で、お互いに相手にないものがありリスペクトを欠かさない関係でもあるのがイカしてるんです。15歳を教え導く81歳が居てもいいし、81歳が15歳の純粋な真っすぐさに助けられることがあっても良いじゃあないですか。年の差があっても相棒として対等に認め合うことが出来るって、素敵やん?(島田紳助

また、体が不自由な波留さんが電脳世界にダイブして、同時進行でミナモさんが現実世界で行動してサポートする、という各話の基本構成もこの凸凹コンビとの相性バッチリでした。この電脳世界と現実世界両面からのアプローチで問題解決に向かう構成は、単話だけでなく、物語全体の構成としても適用されており、さながら美しいフラクタル構造のようです。結末については少々概念的過ぎる部分もありましたが、それを差し引いてもとても美しい幕引きでした。

これから攻殻機動隊に手を出そうかどうしようか迷っている方(私自身もまだ迷ってはいますが)、とりあえずこの作品は単体でも楽しめますし気軽に見てみては如何でしょう?

 

オーバーマンキングゲイナー

ガンダムシリーズを見て以来、ようやく富野由悠季作品が体に馴染むようになってきた今日この頃。富野監督は極めて現実主義の人間だとは思いますが、その一方で根っこの部分では強い思いがあれば世界変られるというような理想主義を信じたい気持ちも持っていて、そのせめぎ合いの中で作品を作ってるんじゃないかと感じるんですよね。特にこの作品からはその部分を強く感じてとても好きだったため、今回の5選に挙げさせていただきました。

お気に入りはアデット先生。ガサツなようでいて愛の深い彼女は、見ていて本当に飽きないキャラクターでした。

 

宇宙船サジタリウス

やくもで日本アニメーションやるじゃん、ってなって、何か他にも見てみようかなぁと思って見た作品。何年か前に原作者がファンコミュニティに現れたってんでアニメーター周りの界隈が俄に活気付いていたのをぼんやりと覚えていたので、個人的には今なお根強いファンが多い作品という印象でした。

第一印象でまず好きになったのはキャラクターです。キャラクターのバランスというか、配置が絶妙なんですよね。しっかり者でサジタリウス号船長のトッピー、がんこで頭が固いステレオタイプなおっさん船員のラナ、見栄っ張りでうだつの上がらない生物学者のジラフ、歌が大好きでいい意味で空気を読まない異星人のシビップ。欲に目が眩んだラナやジラフがトラブルに巻き込まれて、仕方ないなとトッピーが助ける。しかし、それでも何とかならないことはしばしばで、そんなときにシビップの歌が意外な効力を発揮してハッピーエンドになったりします。予定調和に展開しているなと分かっていても、キャラクターの掛け合いが楽しくて何だか愛おしくなってしまうのですよね。

しかし、それだけで終わらないのがこのアニメです。見進めていくうちに段々と、子供向けに見えて意外と大人にならないとわからない要素を内包しているなと気付く訳です。構成としては数話単位で一つのエピソードを描くようなつくりなのですが、それぞれ環境問題、核戦争の危機、絶滅危惧種保全、etc……などを扱っており、笑ってばかりもいられない身につまされる話が意外と多いのです。当時はまだ私なんかが生まれる前でしたから実際のところは分かりませんが、当時騒がれていたような社会問題をテーマとして扱っているのではないでしょうか。それに加えて、冴えないサラリーマンの悲哀を感じるような部分もあって、子供に伝わらないであろう描写が多く、意外と社会派のアニメの側面もあったりなかったり。

今だったらポリコレ棒でぶっ叩かれそうな発言もバンバン出てきたり、キャラクターの成長が描かれなかったり、と色々と時代を感じる作品ではありますが、それでも素晴らしい作品であったことは間違いないと思います。

 

漫画部門

漫画も昨年同様2022年に完結巻が発売した漫画と第1巻が発売した漫画を5つずつ選びました。自分の肌感覚では私自身はあんまりギャグやコメディって好きじゃないと思ってたんですけど、挙げた作品を見たときに意外とそういうテイストの作品が多くて驚きました。まぁ今回選んだ「あそびあそばせ」や「スペシャル」はただギャグ漫画で終わらなかったところが大きいのでしょうけど、意外と自分で自分のことって分からないものですね。

 

完結漫画5選

途中まで紙で揃えている漫画を、紙で揃えるか電書で揃えるか迷うやつってあるあるですよね? 私の場合は、お金に余裕が出た時に電書で揃え直してそれまでは漫喫で読むか、ってなるんですけど、これって作者にお金入らないし良くないよなぁと思いつつ、でも追ってるやつ全部買い直すのも不可能で頭抱えてます。だから、電書移行前から追いかけてる漫画とりあえず早く全部終わって欲しいです(暴論)。

 

ちはやふる末次由紀

名人・クイーン戦、本当に何度泣かされたことか。この二戦が同時並行なの、現実に即しているだけなんでしょうけど、それによって様々なドラマが生まれていて凄かったですね。個人競技でありながら、精神的にはちはやと新と、応援してくれているみんなで団体戦をしているようでもあり、「個人戦こそ本当の団体戦」という言葉を彷彿とさせます。この言葉、本来は個人トーナメント戦で後続の味方のために相手を疲弊させる、という意味合いで使われたのでその原義には合わないのですが、言葉としては本当にピッタリだなと思います。応援してくれる皆の後押しを見ると、瑞沢高校かるた部を作ったり、クイーン予選を捨てて修学旅行に行ったり、ここまでちはやが歩んできた道程は決して最短距離ではなかったけれど、間違いでもなかったと思えて、それがとても嬉しいんですよね。

好きなところはそれこそ無限にあって、でもこういう大き過ぎる物語に対して、私はまだ語る術を持ち合わせていなくてもどかしさも感じています。しかし、私が何かを語るまでもなく、この作品は傑作であると何百何千万の人が知っています。それだけで十分なのかもしれません。

 

あそびあそばせ涼川りん

まさかのあそびあそばせ完結。

改めて、とんでもない漫画でしたね。終盤は作者でも御しきれていなかったんじゃないかなと思います。特にあそ研の3人の関係性がギクシャクしだしてからは殆ど新聞部と美術部の話になりましたし、思うように彼女たちを動かせなくなってるんだろうなと。

しかし、その終盤のとんでも闇深百合展開とギャグの合わせ技ですら面白いのは、流石と言わざるを得ません。作者も収集つかなくなって手探りで描いているんだろうなと伝わるからこそ、そこで生まれる緊張と緩和には予想外の角度から飛んでくるパンチのような鋭さがあります。恐怖と笑いがせめぎ合う読書体験、あまりにも新感覚過ぎるんですよね。不条理ギャグとかホラーコメディに当てはめるのも何だか違って、これは新たなジャンルと言っても差し支えないような、そんな感覚です。

まぁ、作者の迷走ガーとか言ってますが、本当は計算されたものなのかもしれないし、実際のところは分からないんですけどね。あくまで私の目にはそう映ったってだけの話です。

アニメだけしか知らないよ~って人には是非とも原作を読んでもらいたいですね。そして、この恐怖と笑いを共に分かち合いましょう。

 

スペシャル/平方イコルスン

この作品は、田舎に転校した主人公・葉野小夜子が怪力女子高生・伊賀と出会うところから始まる、所謂コメディ漫画でした。

本作の特徴として、作中にしばしば非現実的な出来事が挟み込まれたり、端々から謎の香りが立ち昇ることが挙げられます。最たる例でいえば、怪力女子高生・伊賀の存在がそうです。彼女の怪力は尋常ではなく、電柱に触れただけで折ってしまうし、紙なんて脆いものは勿論持てないから本すら読むことができない程です。しかし、それについて違和感があるのは我々と精々主人公だけで、作中の人物は我々とはズレたリアクションをとるところが、この作品の笑いの根幹なのです。妙に現実感があって地に足ついたキャラクターたちのはずなのに、我々とは微妙に齟齬があり面白おかしい、そこが魅力のコメディ作品でした。

しかし、それも中盤までのお話です。そんなコメディ作品だったはずの「スペシャル」ですが、終盤ではいつの間にやら全く別の何かに変わっていたのです。それは一気に覆される訳ではなく、コメディを見ていたはずが、いつの間にやら別の何かになっていた、そんな感覚。「○○が全く気付かないうちに△△になる」って一時期流行りましたけど、それを漫画で感じたのって初めてですよ。

私がギャグのための要素だと思っていたそれらは、実はそんな簡単なものではなくて、彼女らにとっては切実であり現実の問題だったんですよね。いつの間にか作品は非現実に支配され、不穏な何かで埋め尽くされてしまいました。謎は殆ど明かされず、結末も良く言えば想像の余地を残させる、悪く言えばぶつ切りのバッドエンドという、何とも心の整理が付けられない終わり方。

正直、評価にはかなり難しいところがありますが、私はこの作品とても大好きなんです。単行本の2pの描き下ろし部分で、本当に終わったんだと初めて理解されるぐらいには、頭も心も追いつかない展開と終わり方でしたから、自分でも噛み砕けていないことばかりです。それでも、私はこの最終巻に大きく心動かされました。私はこの「よくわからないけど心動かされた」という感覚を、とても大事にしています。

私は昔から、心動かすロジックを解き明かしてしまえば、何か大切なものが無くなってしまう気がしていました。自分が心動かされたことが、言葉で説明されて欲しくなくて、定式化されたものの上に成り立っていて欲しくなかったのです。どんなものにもロジックがあって、そのもとに作られていると、頭では分かってはいても、心でそれを受け入れたくなかったのです。

そんな私ですから、「よくわからないけど心動かされた」という作品が存在することは、ある意味で救いなんです。私の心を、私が理解できない感動で満たしてくれるんです。私が私の心がどういう風に動くかを完全に知ってしまったら、そこにあるのは既知の感動だけであって、絶対にいつかは心の針が動かなくなる瞬間が来てしまいます。だからこそ、未だ私は自分の心を解き明かそうとしながらも、全てが明らかになることのないように願っているのです。

心を言葉にすればするほど難しくなる類の感動を、未だ味わわせてくれる作品があるんです。そんなの、どうしたって嬉しいに決まってるじゃないですか。だから、そんな作品に出会えることは、私にとって何よりの喜びなのです。

この作品は、私の中で確実に大切な作品になりました。わからなくっても、好きって言える作品になりました。平方イコルスン先生には、これからもそんな素晴らしい作品をどうか作り続けて欲しいですね。

 

惰性67パーセント/紙魚丸

煩悩まみれで怠惰で冴えない美大生の仲良し男女が集まって、色々とバカなことする漫画です(勿論、彼らの生活は色んな意味でオワっています)。作者の紙魚丸先生は成人漫画畑の方なので、そちらで知っている人も多いかもしれませんね。

この作品は私にとっての理想の大学生活を描いたものでした。大学にキラキラした理想を持って入学した人は多かったかもしれませんが、私にとってはこの色々オワってる生活こそが理想だったんです。学業はギリギリで何とかこなしつつ、自堕落な生活を送りながら大学近くの友達の家に入り浸って、適当に駄弁ったり時々バカやったりするような、そんな生活。何故か、自然とそういうものを求めてしまうのですよね。多分、手が届きそうで届かない、絶妙なラインだったからっていうのもあるんでしょう。そして、キラキラした生活よりも、何百倍も居心地よさそうに見えたんでしょう。だからこそ、この作品のキャラクター達にはとても感情移入できるし、ここまで好きになれるのだと思います。

本当に永遠に続いて欲しい漫画だったなぁと、終わってから特に思います。もう彼らの汚ねぇひだまりスケッチみたいな生活は見れないのか、という寂しさは日に日に募っていくばかりです。

 

ブスに花束を/作楽ロク

あまりブスなどと言うの憚られますが、ブスな主人公とクラスメイトの王子様が恋愛をするお話です。主人公がブスであるというのは第一印象のインパクトこそ強烈かもしれませんが、やっていることは王道に真っ当な恋愛漫画です。でも、それがいいんですよね。自己肯定感の低い人間が勇気を出して一歩踏み出す大変さは私自身もよく知っているし、だからこそ主人公カップルの何の変哲もない歩みの一つ一つが、とても愛おしく感じるのです。

主人公カップルが好きなのは勿論のことですが、私が一番応援してたのは、クラスメイトのキョロ充くん。キョロ充って聞くとイメージ悪いですけど全然悪いやつではなくて、自分なんか分不相応かもと思いながらも、背伸びして頑張り続けている姿がとてもカッコいいやつなんです。彼の空回りで場の空気が緩むし、細かいところまで気配りできる性格してるし、ホント応援したくなるんですよね。

主人公もキョロ充くんもそうですけど、結局、誠実に頑張って生きている人間が報われるのが見たいんですよ、私は。自分が真面目で誠実であるなんてことはとても言えませんが、それでも不真面目で不誠実な人間が得する世界ではあって欲しくないと思います。だから、真面目な人が報われる話を見ると、これを書いている人がいるなら、まだまだ世の中捨てたもんじゃないな、と思える気がするのです。

 

新作漫画5選

今回5選に挙げた「おとなのずかん改訂版」が3巻で打ち切りの憂き目にあいそうなので、興味がある人は買ってください(宣伝)。まだ2巻しか出ていない現時点ですら私の人生のマスターピースに入りそうなほどの作品なので(泣)。

 

ブレス/園山ゆきの

元モデルの宇田川アイアといつも背中を丸めているそばかすの女の子・炭崎純。期待からはみ出さないように生きてきた二人、そんな二人が出会ったことで、それぞれの夢が動き出す。

圧倒的な筆致で描かれる第一話にはもう度肝抜かれましたよね。メイクという題材を扱うに足る画力、線の美しさ、構図のとり方、キメるべきところでバッチリ決めてくれる気持ちよさ、その全てに見惚れてしまいます。全てにおいて想像以上のものを叩きつけられた時、人間ってのは言葉を失うんですね。

それでいて、話も抜群に面白いってんですから末恐ろしいですよ。抑圧からの解放のカタルシスも素晴らしいし、1話のメイクコンテストの題材に「変身」を持ってきたところとか3重ぐらい意味が掛かってるし、1巻の最後でタイトルの「ブレス」まで回収していく大局的な構成力もあって、もう本当にとんでもない新人さんが現れたものです。

皆さんも是非、第1話だけでも読んでみてください。絶対に損はさせませんので。

 

シュガーレス・シュガー/木村イマ

女性の一生を乗りこなすことは容易い

そんな語りから始まる第一話。「妻」や「母親」という役割に収まれば、何はなくとも無難に生きていくことができる。そんな風に考えていた主人公が、小説家の青年と出会うことによって変わっていく物語です。

元々小説家志望だった彼女は、青年と出会ってしまったことで、少しずつ欲が出始めます。夫は認めてくれないけれど、自分も本当は小説を書きたかった。今の「妻」や「母親」を「演じている」自分は本当の自分ではない。本当の私を認めてくれるのは件の青年だけだ。と、身勝手にもそう思うようになっていきます。でも、結局はそれって幻想なんですよね。その役割を引き受けたのは自分の選択だし、本当の自分じゃないと思っているのは「自分が嫌いな自分自身」です。

主人公が不幸だったのは、青年に出会ってしまったことで自身の身の上の悲しさに気付いてしまったことですが、主人公が幸運だったのは、青年が彼女の過ちを指摘してくれる人だったことです。果たして、出会わないほうが幸せだったのかどうなのか、それは物語が終わった後で、彼女にしか分からないことでしょう。

正直私も主人公みたいな思考に陥ることが度々あるので、読んでいて身を切られる思いでした。願わくば、幸せな方向に向かって欲しいですが、果たしてどうなることやら。

 

おとなのずかん改訂版/イトイ圭

感情を言葉にしてくれるって、これだ。

私が大好きな芸人さんの又吉直樹さんのエッセイに「夜を乗り越える」というものがあります。「夜を乗り越える」は、又吉さんの生い立ちから現在までの軌跡を振り返り、彼が本を読むに至る理由を様々な角度から考えてみる、というようなエッセイなのですが、その中にこんな一節があります。

僕が本を読んでいて、おもしろいなあ、この瞬間だなあと思うのは、普段からなんとなく感じている細かい感覚や自分の中で曖昧模糊としていた感情を、文章で的確に表現された時です。

自分の中で曖昧で、言葉にすることが出来なくて、でも漠然とずっと感じていたものが、作品の中に描かれている驚きと感動。それこそが本を読む理由だと彼は語っていました。私にとっては、この文章で表されたことこそが自分の中で曖昧模糊としていた感情であったため、その入れ子構造のような感情に大変興奮したのを覚えていますが、まぁ今はそれはどうでもよくて。何が言いたいかっていうと、「おとなのずかん改訂版」には私にとっての言葉にできない感情が描かれていた、ということなのです。

この作品は、家族の形を問い直すようなそんな作品です。所謂肉欲を伴う愛だの恋だのではなく、ただ単純にそれに匹敵する感情を他人に持つことはそんなにおかしなことですか? 家族になるって、それがなければいけませんか? そういったことを悩み、苦悩し続け、それでも家族になろうと藻掻く人たちがこの作品の中で生きているのです。

自分はどうにもそういった感情を人に向けることが出来なくて、でもそれってあまり言っちゃいけないことのような気もしていて、ずっとモヤモヤしていました。だから、そういう感情を持たなくていいし、こういう家族の形があってもいいじゃないかって、言ってくれるこの作品にとても救われたような気がして。

無論、作中でもその歪な家族の形が正解であるとは描かれないし、他人の目線から心無い言葉が飛んでくることもちゃんとあります。だけど、スタンダードではないけれど、これも一つの形だって教えてくれただけで、私はこの作品を人生のマスターピースの一つに挙げることに何の躊躇いもなくなったのです。

 

白山と三田さん/くさかべゆうへい

ひょんなことから付き合うことになった、上京を夢見る地味カップルのギャグ漫画。所々で挟まる恋愛(?)要素も、意外だからこそキュンと来ます。

何でしょう、この絶妙な「いそう」感。エッセイや写実的な作風であればいざ知らず、ギャグでこの「いそう」感が出せて、しかもちゃんとめちゃくちゃ面白いって凄いですよ。過度に強調しすぎない、等身大の冴えなさ。極端に振り切れた言動・行動の可笑しさや醜悪さってそれだけで笑えるし強い武器ですけど、このしみじみとした冴えなさはまた違うベクトルの笑いなんですよね(所々に極端な部分もあるにはありますが)。シュール、なんでしょうか。でも非現実ではない現実感、本当に面白いです。

冴えないだけで、おとなしいだけで、キモいだけで、根っこはただの良い人なんですよね。そんな主人公と三田さんの行く末を見届けるのが、今からとても楽しみです。

 

天幕のジャードゥーガル/トマトスープ

かつて世界の四分の一を支配したと言われる「モンゴル帝国」を舞台に、その捕虜として捕まってしまった少女の反逆の物語です。

私がジャードゥーガルで特に好きなのが、ナレーションの語り口です。場面場面ではしっかりキャラクターの心情にフォーカスして描かれているんだけれど、一方の歴史上の出来事をなぞるナレーションは淡々としていて、キャラクターとは違う温度感なんですよね。そこらへん、歴史をなぞるために必要な情報を過不足なく伝えつつ、読み進める際のテンポ感は損なわず、これが本当に絶妙な塩梅なんですよ。更には、ナレーションは淡々と事実を並べているだけでそれ自体に温度はないはずなのに、それを話の締めに持ってくることで不安を煽ったり話に印象的な影を落としたりするなど、使い所もまた抜群に巧い。

一昨年の新刊5選にもトマトスープ先生の「ダンピアの美味しい冒険」を挙げさせていただきましたが、今年もまた先生の作品を選出しました。とはいえトマトスープ先生が大好きな私でも、この作品がこのマンガが凄い2023の女性部門1位を取るとは思ってませんでしたけどね。ただ、それだけの面白さは十分にある作品ですので、気になっている方は是非に。

 

音楽部門

記事書くにあたって色々聞き直しましたが、もう忘れてるものが多すぎますね。やっぱり私って音楽にあんまり興味ないのかも。ということで、今年も聞いたのはアニソンだけです。

 

アニソン5選

曲が好きなことは大前提として、僕がやっぱり一番気にしてるのは歌詞です。作品ありきのアニソンは、歌詞も作品の物語の一部なのでね。

 

裸の勇者/Vaundy
裸の勇者

裸の勇者

  • Vaundy
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

恐らくですけど、私が今年一番聞いた曲だと思います。曲の展開のドラマチックさが凄いですよね、そういう知識とか全くないですけど。

お恥ずかしながらVaundyさんのことをこの曲で初めて知ったんですが、変幻自在の歌声も驚愕すぎでしょ。これを一人で歌い上げてるの、レーダーチャートがあったとしたら表現力のパラメーターが限界突破してますよね、絶対。

 

光るとき/羊文学
光るとき

光るとき

  • 羊文学
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

諸行無常の残酷な世の中で、それでも、と世界の美しさを歌ったこの歌が好きです。何度も繰り返し「世界は美しいよ」と言うのには、琵琶や徳子のそうあって欲しいという祈りも込められているんじゃないかな、なんて、希望的観測でしょうか。

 

0/GOOD ON THE REEL
0 - Single

0 - Single

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人の数だけ思いがあって 僕はなんか泣きそうになって

ここを聞くたびに、私もなんか泣きそうになります。人それぞれの思いに寄り添ってくれる素晴らしいアニメでしたよね、エスタブライフは。

映画エスタブライフも楽しみです。嶺内ともみさんが引退を発表されましたが、エクアさんのCVはどうなるのでしょう。

 

菫/坂本真綾
菫

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2番Aメロがないなんてありなんだ。(書き終わってから思ったけど、オトメの心得とかもそうだったかも)

夢を抱いたり 砕いたり

ここめちゃくちゃ好きです。「夢を砕く」ってフレーズがであいもんという作品を象徴しているような気がしますよね。

「夢を砕く」なんて、ともすれば強い負のエネルギーを持った言葉にもなりかねないけれど、であいもんという作品において「夢を砕く」ことは、夢を次の世代へと託すという意味も持っています。そうして託し、託されてここまで繋がってきたバトンを、また次の世代に託す喜び。そこに悲しみがないと言えば嘘になるけれど、それよりも喜べることが何より嬉しいんですよね。

いつの日か、一果ちゃんもまた誰かに繋ぐことになるのでしょう。作品はどこまで続くやらわかりませんが、そこまで見届けられたらどんなに幸せかと思います。

 

花の塔/さユり
花の塔

花の塔

  • provided courtesy of iTunes

俺バカだから音楽的なことは分かんねぇけどよ、2番で転調してキー下がるやつめっちゃ良くねぇか?

あと、リコリコ見た全員が言うことだけどEDの入り最強ですよね~。この曲だけでリコリコの評価何段階か上がってる気がするもん。

 

終わりに

まずは、ここまで読んでくださってありがとうございました。2022年もこの記事に入りきらなかった名作たちが数多くありましたが、その全てに感想を書くような時間的余裕も精神的余裕もなく、例年通り5選ということでお茶を濁させていただきました。特に漫画の方はTwitterでは殆ど話題に出さないようにしているのもあって、この場ぐらいでしか語ることがないので、選択にはかなり迷いましたね。

ま、それはさておくとして、2022年は個人的に激動の年でした。卒論に追われ何とか大学を卒業し、田舎に移住して社会人になって、ニート生活やっていた去年と比べてかなり忙しい一年を過ごした実感があります。それに加えて経済的な余裕が少しでてきたお陰で、ロードバイクや陶磁器という新たな趣味も開拓できたり、カメラに一層投資したり、積極的に旅行にも出かけるようになったりと、兎に角時間が足りないと感じるようになりました。去年までと比べるとアニメや漫画に割ける時間って言うのは確実に少なくなっていて、社会人の諸先輩方がオタクを卒業する気持ちもわからんでもないなと感じてしまうなど、嫌な実感もあったものです。

実は私にも、暫くアニメや漫画から離れていた時期がありました。別にオタクを卒業する気はなくって、でもただ何となく生活が忙しくって見れなくなって、いつの間にかフェードアウトしてしまうオタクの典型みたいな時期が。でも、今思い出そうとしてもその頃のことってあまり思い出せないし、空っぽだったなと思うんですよね。その頃、心動かされた思い出が全くないんです。

多分それが思い出せないのは、私が自分の人生をつまらないものだと思っているから。私は自分に対する期待感がとても薄くて自分の人生ってつまらないものだと思っているから、人生をただ生きていることに対して大きな喜怒哀楽が発生しないんです。だからこそつまらない生活の隙間を埋めてくれるような趣味が必要で、それがドラマチックで心を大きく動かすものであって欲しいんでしょうね。そして、それこそがアニメや漫画だと気付いてからは、私にとってそれらは生活の一部へと昇華した気がします。

趣味の時間が「非日常」でなく「日常」になって、それが生活に根付いている状態は強いですよ。仕事食事風呂アニメ漫画ですからね、本当に。

いつまでこの生活が続くのかはわかりませんが、2023年も引き続きアニメや漫画を存分に楽しめればなと思います。Twitterはあまり活発にはならないと思いますがぼちぼち流し見はしているので、同じ趣味をお持ちの方は引き続き仲良くしてくださると嬉しいです。

では、また来年(もう今年)もお会いできることを願って締めさせていただきます。さようなら。

2022夏アニメ

 

ちみも

大好きアニメーション。夏クール始まって3、4週目ぐらいに遅まきながら見始めたらドはまりしちゃって、宝物を見つけたような気分になったよね。ちみもたちの可愛さにまず1HIT。カナヘイさんのゆるふわ〜なキャラデザから地獄というギャップのある題材に2HIT。そして、あの見た目で人間臭さ溢れる鬼神家の三姉妹のギャップに3HIT。最後に不憫可愛い地獄さんにフィニッシュブロウを喰らったわけです。溜まってたアニメを消化しきって見るものがなくて、何の気なしに見始めたアニメがぶっ刺さったとき、自分が暇な人間で良かったとつくづく思います。

15分×2本立ての構成は、子供の頃に見たお茶の間アニメーションを思い出させるどこか懐かしさを感じる作り。シンエイ動画っていったらドラえもんクレしんのとこだもんね、納得です。地味にこの15分2本立てが嬉しくってね。私、好きなアニメを見るのに結構心構えがいるタイプなんですけど、ちみもは15分で一区切りという軽さのお陰で、肩肘張らずに何時でも見れちゃうんですよ。そういうアニメって私には中々なくて、だからこのアニメが夏クールの精神安定剤だったと言っても過言ではないでしょう。

それに、このアニメって私たちの日常の嫌なことを笑いに変えてくれるじゃないですか。普段私たちが生活していて遭遇する、モヤモヤすることや納得いかないこと、はたまた慣れ過ぎて不感症になってたけどよく考えたら嫌だよねぇ、なんてことまで、地獄さんが「地獄じゃ~!」って言って笑いに変えてくれる。だから、見ていて胸のすく思いでしたし、そういう意味でも精神安定剤だったんですよね。

最終話で地獄さんが地獄先輩に「生きづらい世の中でそれぞれ地獄を抱えて生きとるんじゃ!」と言ってくれたシーンは、この作品屈指の名シーンでした。この作品では、嫌なことをコミカルに「地獄」と形容してギャグや微笑ましさに昇華していましたが、普通に考えたら、そんな嫌なことが辛くない訳ないですよね。それを最後に、おふざけなんて一切なしの心から絞り出した本気の言葉で「辛いことは辛いんだ」と言ってくれることが、どんなに嬉しかったか。それが地獄先輩に対する言い訳の言葉であっても、あの追い詰められた状況で出た、地獄さんの偽りのない本心であることは疑いようがありません。地獄から来た地獄さんだからこそ、フラットな目線で人間界の地獄を見つけられて、その辛さを代弁できるんです。辛いことを認めて、代弁して、訴えかけてくれるって、もう人間のこと救いに来てるじゃん。笑いあり癒しあり涙ありで、しまいには見てる人まで救ってくれる、本当に最高のアニメなんですよ、ちみもって。

私のフォロワーさんには、まさかちみもを見ていない方などいらっしゃらないとは思いますが、もし仮にうっかり見逃していました、なんて方は早急に見るべきです。そこに地獄から来た魑魅魍魎による"救い"が待っていますから。

 

Extream Hearts

スポーツ×アイドルという中々に難しそうな組み合わせですが、今期でも屈指の大好きアニメでした。スポーツ×アイドルで言うとウマ娘とかプラオレなんかが思い浮かびますけど、どちらもアイドル要素は添え物程度でしたし、直近だとリーマンズクラブが会社員×スポーツをやってましたが会社員描写もスポーツ描写も中途半端になってしまっていたのもあって、最初は大丈夫かなぁという気持ちが強かったです。それぞれが単体で成り立っちゃうぐらい強力な題材なだけに喰い合ってやしまわないかなんて心配をしていたわけです。まぁ見進めていくうちに杞憂だったと思わされるんですけど。キャラクターの細かい描写はSSSや公式ブログに任せると割り切って、本編はスポーツもアイドルもどっちもやっちゃう欲張り構成が気持ちいいくらいにバッチリとハマっていて、最高でしたね。テンポ良くノンストップでノンストレスな構成、見ていて本当に気持ちが良かったです。

個人的転機は8話だった気がします。それまでも十分楽しく見てたんですが、それはあくまでもスポーツものとしての楽しさでした。仲間集めしながら強敵に挑んでいく展開とか完全に少年漫画の構図ですし、少年心くすぐるアツいスポ根を楽しんでた感じ。そんなアニメだと思ってキャッキャしてたので、8話でいきなりキラッキラのアイドルがぶん殴りに来たら、そりゃあ一発で落ちますよね。あまりにもズルじゃん、そんなの。そこで遅まきながら「このアニメ、スポーツもアイドルも本気でやるつもりなんだ」って気付いて、俄然視聴にも熱が入るようになったんです。

RISEのみんなは、一度は夢を諦めた/諦めかけた人たちで、だからこそ夢を諦めたくないという思いに共感して、アイドルもスポーツも本気でやりたいという陽和所長についてきてくれたんですよね。SSSでも言っていましたが、陽和所長は圧倒的リーダーって感じでじはありません。ただ、「この子の力になりたい」って思わせてくれるような人なんです。彼女のひたむきなところとか、困ってる人を見捨てられないところとか、絶対に諦めないところとか、メンバーにさえ弱いところを見せないちょっと心配なところとか、その全てが彼女の本当で、彼女の真っすぐを構成しています。そんなひたむきに頑張る彼女を見たらさ、好きにならない訳ないじゃないですか、冷静に考えて。頑張った人が頑張った分だけ報われるなんてそんなうまい話はそうないけれど、陽和所長には絶対に報われて欲しいなって思わずにはいられない、それこそが彼女の持つ力なのですよね。このアニメ、マジで陽和所長のためのアニメ過ぎるし、陽和所長のことを好きになったら、それだけでその他の全てが気にならなくなるの最強すぎません?

更にはSSSやRISEの公式ブログで、本編に詰め込めなかった沢山のこぼれ話なんかを見れば、皆のこともどんどん好きになっていって、もう爆発してしまいますよ、好きという感情が。SSSは、他チームのキャラとの本編では見られない掛け合いとか未解禁の情報とかじゃんじゃん見れるし、ブログは、小鷹咲希ちゃんが顔文字いっぱい使うのとか、雪乃さんの文体が硬いのとか、純華ちゃんが他のメンバーの内容まで見て情報をフォローする役回りしてたりとか、それぞれのメンバーの等身大がそのまんま文章に現れていて、キャラクターの輪郭の補完としてめちゃくちゃに優秀ですし、あまりにも隙がなさすぎます( ( •̀ワ•́ )b←小鷹咲希ちゃんがよく使う顔文字、マジで小鷹咲希ちゃん)。

アイドルアニメとしても、曲もライブシーンのクオリティも申し分ないです。ライブシーンに一家言ある私をも唸らす手描きライブシーン、マジでヤバイ(誰?)。圧巻のパフォーマンスでアイドルとしての格を見せつけるMay-Beeのステージなんか、あまりの迫力にちびりそうになりましたし。本業の芸能活動があるからこそ、エクストリームハーツの勝ち負け以外の部分で存在感を示せたり、他のグループと交流するメリットが生まれたり、ホント上手いこと考えられてますよね。手描きだからこその生き生きとした表情や、躍動感を出すために崩せるという強みを最大限に活かしながら、手描き故にカメラを自由に動かせない弱みまでもカット切り替えを多用してカバーする柔軟性。3DCGの使用も最低限で、引きのときやカメラが難しい動きをするとき等目立たない部分だけ。令和にもこんな素晴らしい手描きライブが見れるなんて思ってなかったので、嬉しさ余って最終話のライブシーンなんか10回ぐらい見直しましたもんね。

書いてることがぐっちゃぐちゃで纏まらなくなってきたんでもう適当に切るんですけど、とにかくめちゃくちゃ良いアニメで大好きだよ、ということだけでも伝わればいいかなと思います。皆も見てね!

 

ワッチャプリマジ

この作品、今までのプリティーシリーズを踏襲しトップのタイトルをかけて争う形をとりながらも、終盤でトッププリマジスタを決めるという予定調和をぶっ壊し、最終的にはそれぞれの違う道への進路を描くという、あまりにも佐藤順一(総)監督イズムに溢れる素晴らしいアニメでした。エキシビションですら5人センターという変則フォーメーションを取り入れて順位付けを避け、しまいには全員優勝なんてこともやっちゃう徹底ぶりも、とても佐藤順一監督らしいなと。それぞれの目指す未来にそれぞれが羽ばたいていくことを描くのは、佐藤順一監督なりのキャラクターに対する誠実な向き合い方なんでしょう(これはたまゆらでもARIAでもハグプリでも描かれていたことですからね)。

思うにこのアニメは、トッププリマジスタを目指すことを第一目標に掲げながらも、本当のところは自分自身を受け入れるために努力して苦しんできた人たちが、自分を受け入れられるようになるのための過程を描いたアニメでした。ライバルに勝てなくて自分を認められない者、プリマジをすること自体に葛藤がある者、自分は主人公じゃないと自覚してしまっている者、自分がプリマジスタであることを誇れない者、皆それぞれに悩みを抱えながらプリマジをしていました。

そんな彼女らの抱える悩みは、物語を通じて少しずつ解消されて行きます。何か一つの劇的なきっかけで成長するでなく、様々な出来事が積み重なって徐々に変化していく丁寧なキャラクター描写は、4クールという長尺を基本とした女児アニメだからこそできたことでしょう。そして、彼女たちの成長にヘブンズ化という形で晴れ舞台を作り、本筋にまで絡めるという構成力。流石にお上手すぎません? 個別回で積み上げてきたそのキャラクター描写を一切無駄にすることなく、ヘブンズ化の際にキャラクターが自分を肯定するための材料にまで昇華できています。メインストーリーのために数多の個別回も絶対に必要だったと言えることが、このアニメの構成力の高さを正に物語っているでしょう。

このアニメの中で、陽比野まつりの存在だけは少し異質でした。彼女一人だけエレメンツに認められることもなく、大きな問題を抱えているわけでもなく、別段個性が強いわけでもありません。しかし、そんな彼女こそ、このアニメの主人公にふさわしいのですよね。

他のプリマジスタって、みんな我が強いというか、モノの見方が自分中心で、自分のことでいっぱいいっぱいなんですよね。ジェニファーのステージを見て「私じゃ勝てないからセンターを降りる」だとか「私なら勝てるからセンターやらせろ」だとか、ジェニファーが太陽のエレメンツと融合してワッチャを全て奪っていってしまった時も、「プリマジ(プリマジスタ)はもう終わりだ」とか「エレメンツを持っていてもジェニファーなんかに勝てっこない」とか、とにかく自分がどうなるか、自分がどうにかできるか、を基準にモノを見ているんです。デュオプリマジでさえお互いの高め合いであり、他人との協力や協調を考えるものではなかったように思います。

それに比べて、陽比野まつりにはあまり我がありませんでした。我がないと言っても、勝ちたいという意思がないわけではなく、自分本位でない見方もできる柔軟性があるという意味です。エキシビションで5人センターを提案したのも彼女だし、ユーフォリアレビューでも、自分以外のエレメンツ所持者が力を合わせれば何とかなるよと提案したのも彼女だし、彼女はそういう他のキャラにはない視点を持っています。

私は、多分これが陽比野まつりが主人公である理由なんだと思うんです。これから先プリマジはどうなって、プリマジスタはどうなるのか、という場面ですら、まつりが一番に心配していたのはジェニファーのことでした。「私たちじゃジェニファーに勝てない」じゃなくて、「どうすればジェニファーを救えるのか」という目線。「自分がどうか」だけで動いていた個性の塊のキャラクター達を結びつけたのは陽比野まつりで、彼女が居なければみんなが手と手を取り合うことも無ければ、ジェニファーが救われることもありませんでした。

彼女たちはユニットでも何でもないけれど、全体を考えて見渡せるリーダーのような陽比野まつりが居たからこそ、団結が生まれ、物語が生まれ、大団円で終われたと思うのです。だからこそ、この物語においては陽比野まつりだけが主人公足り得るのだと、そう思うのです。

 

アオアシ

葦人の「お前の言う通り勝つことが一番や。勝たなきゃ富樫にも黒田にも正義はねぇ」って台詞、カッコいいぜ。

何もできやしないやつが語る理想論には誰も耳なんか貸さなくて、行動と結果で示すしかないんだってことは、みんなよくわかってるんですよね。竹島も黒田も浅利もことあるごとに「点を決めてから言え」だとか「お前は何もできちゃいないじゃないか」とか言ってましたけど、小さなころから真剣勝負の世界で生きてきた彼らにとっては当たり前の感覚なのでしょう。そしてそんな黒田や浅利と衝突したからこそ、葦人もその重さが身に染みてるんですよね。

でも、どこまで行っても結果を示すことでしか生きていけない世界であることは救いでもあります。あまりのレベル差に軽視され馬鹿にされてきた葦人でも、結果を出せば認められる世界なわけですから。あれだけ傍若無人に振る舞った金田の存在が許容されたのだって、彼が圧倒的な結果を残してきたからに他なりません。

これまでに類を見ない程高度で繊細な戦略・戦術描写に飾り立てられながらも、その根底にあるのは勝つことこそが全てであるという単純明快で力強い一つの答えなの、痺れますねぇ。セレクション組と内部昇格組のいざこざや、冨樫と内部昇格組との数年来のわだかまりでさえも余裕でぶっ飛ばしてしまうような、そんな根源的で強力な"勝利"への渇望。"勝利"を眼前に、バラバラだった足並みが一つに集束していく様は本当に見事でした。身も蓋もないですけど、要は勝ちゃあいいんですよね。彼らが戦っているのはそういう世界なんだって、ビシビシと伝わってきました。そんな真剣勝負の世界で切磋琢磨する選手たちの熱量に、見てるこっちまで当てられてしまう、そんな心地よい疲労感を伴った視聴体験は中々にエキサイティングでした。

あと、個人的に注目したいのは選手以外のキャラクターです。

その中でも、花ちゃんとお母さんの存在は特筆すべきものでした。上澄みの上澄み、才能と努力を日本最高峰のレベルで両立させた者達のぶつかり合いの中で、唯一この二人だけがサッカーの門外漢でいてくれたありがたさですよね。門外漢として、無理にわかろうとするでなく、ただ絶対的な味方になってくれたことが本当に大きかった。サッカーを知らないからこそ、この二人は葦人の味方になり得たんですよね。サッカーを知らないからこそ、彼を絶対的に肯定できたし、彼に「辛いなら帰っておいで」と、「たかがサッカー」と言うことが出来たんです。そんな居場所があることが葦人をどれだけ救ったことでしょう。彼女たちなしで葦人の物語は成り立たなかったことを思うと、この二人はやはり外せないなと。

あと、伊達監督ですよね。彼のことも、ホント凄く好きですよ。葦人のSBへの転向や武蔵野戦でのアドバイスの際に迷いが見えたり、指導者としての葛藤がちゃんとある人が指導してくれて本当に良かったです。選手の前では決して悩みは見せず、情も見せず、でも誰よりも選手のことを見てくれて考えてくれてる人。葦人や冨樫みたいな問題児のことも色眼鏡なしでちゃんと見ていてくれるの、あなたと福田監督だけですよ。福田監督みたいなカリスマ指導者じゃなくとも、必ず選手たちには必要な存在だって、私ぐらいになるとわかっちゃいますからね。

こういう選手以外の人たちの存在もこの作品には不可欠で、彼らの起こす局所的なドラマですらも描写も欠かさないから、私はこの作品のことが大好きなんですよね。サッカー描写が激化すればするほど、彼らの出番は減って行ったりするけれど、それでも、彼らによる盤外のドラマこそがこの作品を素晴らしいものにしていることは、疑いようのない事実でしょう。

 

ラブオールプレー

この作品を通して思ったのが、「懐の深さがあるアニメ なんとすばらしい‼(ミギー)」ってことなんですよね。内田くんみたいな初心者をちゃんとプレイヤーとして扱ってくれたり、かと思えば初心者で練習についていけなくて辞めてしまった学友たちも試合を応援してくれていたり、バドを諦めざるを得なくなってしまった花ちゃんにマネージャーとして関わる道があったり、そういうのを描いてくれたのがとっても嬉しかったです。スポーツって何もガチでやるだけじゃなくて、色んな楽しみ方があるわけで、関わり方は人それぞれなんだなって教えてくれるような、そんな懐の深さをこの作品からは感じました。初心者を集めて全国制覇、みたいな夢物語でなくて、強者は強者としての舞台が用意されていて、でも初心者や応援してくれているプレイヤーじゃない人たちのことも蔑ろにしない、そんな懐の深さをこの作品からは感じました。

これは多分同期にアオアシがあったこともかなり大きかったと思うんです。アオアシって高校年代サッカーの最上位の中でもさらにその上澄みの才能のぶつかり合いのお話で、着いてこれない者は容赦なく切り捨てる鋭さのある作品だったじゃないですか。そんな作品と同期だったからこそ、余計にこの作品の懐の深さが心地良かったんです、どちらが優れているとかでなく、どちらも本当に素晴らしい作品であること前提のお話でね。

でも、この作品もアオアシと正反対という訳ではなく、監督たちの指導という点では同じイズムを感じることができました。彼らの教育方針は明解で、一貫して「自発的な課題解決のための思考力・行動力を養う」といったところに重きを置いた指導がなされていました。指導はあくまで"きっかけ"で、そこから先は自分たちで考えなさいよ、というやり方です。

この、答えではなくきっかけを与えて本人に気付かせるやり方は、非常に賛否の分かれる部分だと思います。もちろん、自発的な思考能力を養うことはあらゆる技能の上達の要でもあるし、一番生徒たちの為になるやり方なのかもしれません。でも、問題はそれが理想論であるということなのです。そのことに気付くことが出来ずに潰れていった人たちも、絶対に星の数ほどいると思うんです。自ら選んで勝負の世界に身を投じて、それで食っていこうとしているユースの選手たちに向けてであるならばともかく、高校の部活でそれをすることのリスクはとても高いと思わざるを得ません。

15話は正にそのことに主眼を置いたエピソードでした。あらすじをざっくり言うと、厳しい練習についていけずにバド部をやめようとする新1年生の一ノ瀬くんに対して、その練習の"意味"を考えることで新しいものが見えてくるんだと水嶋くんが説いたことで、無事彼を引き留めることが出来た、というお話です(だいぶ諸々端折りましたが)。これって、本来は指導者がやるべき役目のことを水嶋くんがやっているわけで、しかも海老原先生は引き留めようとせず「本人が決めることだ」と切り捨てているんですよ、仮にも自分がスカウトした人材なのに。

これは海老原先生の指導方針が分かっている人なら、切り捨てている訳ではなく自ら考えて出した答えを尊重しているのだと理解できるのですが、分からなかった人たちの目線で言えば、海老原先生の指導方法は放任と捉えられてしまっても仕方のないものなのですよね。

学生時代にもうダメだと諦めてしまった経験って、絶対に後を引くと思うんですよ。だからこそ、海老原先生の指導を手放しに評価していいモノかと思う訳です。思えば10話で榊が水嶋とのダブルスを解消したいと言い出した時は、口をはさみこそしなかったものの、とても険しい表情で見つめていましたし、先生にもやきもきする気持ちがないわけではないとも思うのです。だからこそ、もう少しできない人間には助け舟をあげて欲しいなと、そう思ってしまったのです。誰もが日本一を目指せるわけではないし、ましてや部活なのですから、我武者羅に続けることで学ぶことだって沢山あると思うので。

なんか酷評っぽくなっちゃいましたが、基本的にずっと楽しみながら見ていましたしめちゃくちゃ面白かったですよ、このアニメ。それだけに、小さな気になる点が大きく見えてしまった、それだけなんです。

 

リコリス・リコイル

夏アニメで間違いなく一番人気であり、一番話題になったアニメですね。

このアニメのキャラクターって、その繋がりの強弱はあれども基本的にニコイチでデザインされていて、そういうとこカプ厨だから大好きです。私は順張りで千束とたきなの組み合わせが一番好きですね。たきなと千束の関係はたきなが可哀想で良いんですよね(最低の発言)。たきなはいつでも千束を求めてるのに、必ずしも千束はそうではない、その非対称性がね。

もちろん、千束にとってもたきなが大切な人であることに疑いはありません。「DAだけが世界じゃなくて、もっと楽しいことだって沢山あるんだよ」とたきなに教えることで、そして同じ目線で隣を歩いてくれる人が居ることで、千束も救われていたのでしょうから。でもそれは、自分に新たな生き方を提示してくれた救世主の影を自身に重ねた行動であり、自分の寂しさを紛らわす行動でもあり、たきな"が"千束を救ったわけではないと思います。物語が進むにつれて互いが互いの大切な人になりはしたものの、どこまで行ってもたきなが千束に向けていた感情が返ってくることはなくて、千束がその感情を向けるのは救世主の幻影です。千束の中で神格化されてしまったヨシさんを、たきなはどう頑張っても上回れませんでした。千束の心を救った存在がたきなではないのは明白で、千束に対する思いだけがより重くのしかかって来るのです。

 

というのが、一回通して見た時の感想でした。でも、これを書いてから最終回をもう一度見返したときにちょっと違うのかも、なんて思ったり。最終回では、意外とたきなと千束って対等なのかもなって思ったのです。

千束って今までずっと自分のじゃない価値観に縛られて生きてきたじゃないですか。DAとして実力を認められ上に行くことこそが正義だという価値観、幼い頃から植え付けられたそれを打ち破った先で千束は自由になった気でいたけれど、結局その後もヨシさんの「使命を果たせ」という言葉に縛られて、その価値観で生きてきました(それはヨシさんの意図とは違って伝わってしまいましたが)。千束が人を助けることは素晴らしいけれど、それはヨシさんの言葉ありきのものでした。

しかし、12話で千束は、「使命を果たせ」という言葉の本当の意味を知ってしまいます。自分の思っていのとは真逆の意味だったと知り、その価値観すら揺らいでしまって、千束には何もなくなってしまいました。彼女には生きる指針が無くなってしまったわけです。「何しようか、これから」という台詞に、彼女のそんな気持ちが詰まっているのですよね。宮古島に逃げたのだって、色々理由をつけてはいましたが、自分がなにをすれば良いのかわからなくなってしまったからかもしれません。

だから、そんな千束に「諦めてたことから始めてみたらどうですか」という何気ない一言をかけたたきなは、千束のことを救えたんじゃないかなと思うんです。ここまで、たきなが物理的にピンチを救ったことはあっても、千束に影響を与えたことってなかったと思うんですよ。まっさらになってしまった千束に指針を与えてくれたたきなって、何気ないけどちょっとは千束に影響を与えることが出来たんじゃないのかな、なんて思うようになったわけです。

非対称な関係って好きですけど、やっぱり最後には対等に向き合えるようになって欲しいというのも本音です。だから、最終回でようやくたきなが隣に並び立てたんじゃないかな、と気付けたことは、私にとってはとても嬉しいことでした。

 

組長娘と世話係

決して小さい子が好きな訳ではないが、小さい子が出てくるアニメは大抵大好きな私。桜樹八重花ちゃん、あまりにも守りたい笑顔すぎる……。

でも私、八重花ちゃんが悪い奴ら(霧島たちも十二分に悪い奴らだけど)に怪我をさせられたところで、そいつらもこの作品のことも本当に許せなくなりそうでした。序盤の方から薄々分かっていた展開ではあれど、どこかでこの作品の筋者はその一線だけは越えないでいてくれるんじゃないかって思ってたんでしょうね、多分。雅也さんとか、霧島にはオラオラだったけど横にいる八重花ちゃんには絡まないでいてくれた訳だし、「もしかしたら……」って思わずには居られなかった。霧島も八重花ちゃんの前では極力ヤクザの顔しないようにしてたし、いつでも裏社会と隣り合わせに見えてもちゃんと見えない壁で守られてたと思うんです。

子供ってやっぱり特別なもので、良い影響も悪い影響もすぐ受けちゃうじゃないですか。そんな真っ白なキャンバスを物語の都合でズタズタにされちゃったりしたらさ、それはもう笑ってみてらんないですよ。子供は親を選べないし、自分を取り巻く環境を変える権利も与えられていないんですよね。子供は自分の意思で契約も結べないんですもの。だから、組長の娘という立場に生まれてしまったが故に傷付いてしまった八重花ちゃんを見るのが本当に辛かったんです。

でもやっぱりこのアニメの最終回まで見て笑顔で笑うことが出来ている八重花ちゃんをみたら、この作品のこと嫌いにはなれなかったなと。それは彼女が障害を負ったりトラウマになったりしなかったから結果的に良かったって言ってるのとは少し違います。そこではなくて、事件の後も変わらず霧島のことを求める彼女の姿を見て、怖い思いを掻き消すぐらいに楽しい霧島との思い出が彼女の中にはあるんだってわかっちゃったんですよね。これは大人の都合の良い解釈かもしれません。好きな作品を嫌いになりたくないがための私のエゴかもしれません。まだ小さくてよく分かっていないだけで、今後八重花ちゃんも周りの環境を呪うことがあるかもしれません。でも、それでも私は、最後には笑っていられた八重花ちゃんのその笑顔を信じたいなと思ったんです。だから最後には、やっぱり見て良かったなって思うことが出来ましたし、大好きなアニメだと思うことが出来ました。

 

メイドインアビス 烈日の黄金郷

この作品、誰にも悪意がないところが本当にヤバいと思います。誰かを陥れてやろうという意思はなく、ただ自分たちの諦めきれない一つの為に選択を迫られた結果、何かを犠牲にせざるを得なくなり、衝突が生まれ、喪失が起こってしまいました。このアニメを見ていると、どこにもやり場のない感情が無限に発生してきて、本当に困るんですよね。ファプタの視点に立てば成れ果て村を許せないのは当たり前で、でもワズキャンの立場に立ってみれば、これ以外の選択肢は存在しなかったわけです。だからと言って彼の行動が許されるとは思いませんが、少なくとも彼の選択は数多くのガンジャ隊の命を救い、姿形はどうであれここまで生き永らえさせました。また、リコもワズキャンに利用されそうになりますが、彼女自身が誰より深層を目指す気持ちに抗えないと知っているからこそ、彼女もワズキャンのことを責められません。彼らだけじゃなくキャラクター一人一人に異なる思惑や感情があって、それぞれの視点で見ると全く違う物語に感じられるほどに矢印が複雑です。だから物語を俯瞰で見た時に、誰が悪いということは一意的に決められなくて、行き場のない感情だけがずっと渦巻いてしまうのです。

そんなことを引き起こしているのはやはり、原生生物やアビスの呪いや遺物といった、到底人間の身でどうにかなるものではない圧倒的な理不尽の数々なのでしょう。悲しみを、怒りを、誰かのせいにできないって相当苦しいですよ。その思いをずっと抱えさせるなんて、本当にどういう神経してるんですかつくしあきひと先生……。やっぱりこれ描いてるつくしあきひと先生、相当面白さに貪欲か相当性格悪いかのどっちかだと思います。

 

プリマドール

今期守りたい笑顔ランキングのTopを桜樹八重花選手(組長娘と世話係所属)とエミリコ選手(シャドーハウス所属)と争った、灰桜選手の所属アニメです。

人の喜びを自分のことのように喜んで、人の悲しみで当事者以上に泣くような、そういう灰桜みたいな生き方に、何でしょうね、憧れ?とも少し違うんですけど、しみじみとした畏敬の念のようなものがありました。

関わった全部を他人事ではなく自分事として捉えるなんて、普通は出来ません。どれだけ他人を思いやる心があっても、無意識に自己と他人には線引きをしてしまうもので、しかし彼女にはそれがないのですよね。ちょっと穿った見方をするなら、それは彼女が自律人形だからなのかもしれません。思考を複製して下の世代の自律人形に共有するという自律人形の特異性。だからこそ、自己と他人の境界が曖昧であるのかもしれません。まぁ、今そこはどうでも良いんですけど。

私たちは、大人になればなるほど素直に感情を吐露することが難しくなります。周りに心配をかけないように、はたまた恥や外聞を気にして、様々な要素が私たちを縛っています。辛いことがあっても、大人だからと抱え込んで、感情を押し殺してしまうことがいつしかデフォルトになっているんですよね。そんな折に灰桜が側にいてくれることが、彼女が感情を代弁してくれることが如何に救いとなり得るか、大人になった今だからこそわかります。直情的で幼いように見えて、でもそういう灰桜だからこそ皆を救えるのです。

誰かの救いになれるって、それはとっても素敵なことで、形は違ってもそういう灰桜みたいな人になりたいなと、そう思わせてくれるアニメでした。

 

Engage Kiss

ド屑なヒモ主人公を取り合う二人のヒロインという構図。第一印象は結構最悪で、「女性ってこういう男が好きなんだね……。オタクだからわかんないや……(アニメでしか恋愛を知らない悲しきバケモノ)」という悲しみを伴った視聴感だったわけですが、話が進むにつれどんどんと惹きこまれて行きました。

正直嫌いな要素は嫌いなままで、最後までずっとありはしたんですよね。シュウの軽薄さは最後まで好きになれなかったし、D災害の対処にあたる競合他社が悪魔をビジネスとして見てる感じとかも苦手だったなぁとか、その他諸々小さいことなんですけど苦手な部分は多くありました。心象が悪かったことに対して、そこにちゃんと納得に足る理由付けや反省があればすぐに手のひら返すんですけど、そこを描かずなあなあにされるともうダメなのです。シュウなんかは可哀想な過去ではあったし、そこに対して感情移入は十分にできたけど、でもそれと屑なのはまた別問題ですからね。

それでもこのアニメが好きだったのは、嫌いな要素以上にキサラやアヤノさん達ヒロインが魅力的だったからなんです。シュウを取り合ってわちゃわちゃしている二人を見るのが楽しくて、かと思えば記憶を代償にしているなんて設定が明かされて切なくもなっちゃって、兎角彼女たちの感情の動きからは目が離せませんでした。シュウにはたった一つのブレない目的があって、そこに向かって脇目も振らず自分のことも顧みず進んでいくもんだから、背負わされているのはいつもヒロインの二人です。大事なことは全部忘れて先に進んじゃって、残される人の葛藤も知らないでさ、都合のいい男だよホントに。

最終回で「未解決で大団円」って銘打ってましたけど、まぁアスモデウスを追い返しただけで倒せてないし、諸々未解決なのは本当ですよね。目下一番の問題であった妹の救出はできたけど、シュウが大変なのはここからです。ようやく妹を助けて、これからはヒロインたちと向き合う時間ですから。今まで散々な不義理をしてきて、その上それを一からキサラに説明しなくちゃいけないし、アヤノさんとの関係もなぁなぁで流してきたけどそれも清算しなくちゃいけないし、今度は妹のカンナまで争奪戦に参加です。この先のシュウの苦労を想像すると、同情半分ざまぁみろ半分でまぁ何とか許してやろうじゃないのという気持ちになるし、意外といい塩梅の落としどころだったのかもしれません。

 

シャドーハウス 2nd Season

1期ではまだキャラクターを掴みあぐねていた部分やキャラクターの意図が見えない部分が多くて結構モヤモヤしていたんですけど、2期は驚くほど見やすくなっていて面白かったですね。

1期の頃見辛さって多分、作品の中に謎"しか"なかったところから来てたと思うんですよ。全てが謎に包まれて、この物語のやりたいことすらわからない状態。手探りで一つ一つ謎に挑むも、それがわかったから何なんだって状態。それがどうにも居心地が悪くて、見る時にどういうスタンスで見ればいいのか分からなかったんだと思います。

そんな状態から、1期終盤でケイトの目的が明かされて、ようやくこの物語の指針が見えたんですよね。ケイトの目的が明かされることで、作品としての指針ができて、それに向けて物語が進んで行くんだってわかったから、視聴者も断然意図を汲み取りやすくなりました。だからこそ2期は見やすくて面白く感じたのではないかと。

あと2期はキャラクターの成長も嬉しかったですね。エミリコが「アホの子」から「考えるアホの子」になってたのが愛おしすぎるし、同期の皆も型に嵌ったキャラクターだったのが段々個性が出てきてたのも感慨深かったです。何の気なしに、子供たちの塔のシャドーって直情的であまり深く考えないやつが多いなって思って見てましたけど、シャドーが人間を真似て学習しているという話を受けてちょっと見方が変わりましたよね。シャドーって年齢的な幼さよりもかなり幼くて、まだ思考や感情も学習途上にあるみたいなので、大部分のシャドーが欲望に忠実で裏がないのはそこから来ているのでしょう。だから、特にパトリックとか、2期は出番が少ないながらも心の揺れ動きや思考が深化しているのが見て取れるようになっていて、そういう成長が嬉しかったのです。

 

神クズ☆アイドル

このアニメはアイドルアニメというべきか、アイドルオタクアニメというべきか。仁淀ユウヤの成長を楽しみに見つつも、それに振り回されるドルオタの悲喜交交を楽しむところまでがワンセットで、一度で二度美味しいアニメ、みたいなところありましたよね。

自分が結構移り気なオタクだったからというわけでは無いんですが、一つのことだけに情熱を注げる人は凄いです。自分も好きな作品はずっと好きだけど、やっぱりずっと高い熱量で応援し続けられるかっていうとそんなことはなくって。コロナ禍に突入する前は声優さんの追っかけやライブキッズみたいなこともやってましたけど、ずっと一人の声優さんやアーティストさんを追いかけ続けていたわけでもないですし。

だから、推しの一挙手一投足で泣き笑いできるオタクたちに共感もしながら、でも同時に羨ましさや引け目みたいなものもちょっとだけ感じながら見ていました。自分には何があっても何年経っても応援し続けるような熱量はないなぁ、って。人は人、って簡単に割り切れたらいいですけど、私は性格が内向的で後ろ向きなもんで、要らんことばっかり気にしてしまうんですよね。

それもあって、仁淀くんが「ファンってよくわかんないんだけど、絶対一人だけしか応援しちゃダメなの?」って言ってくれた時はもう、スタンディングオベーションですよ。元々誰か一人を応援し続けなくてはならない、みたいなルールなんてないですし、俺が勝手に引け目を感じていただけなんですけど、でも、なんというか、楽しみ方に狭量になっちゃいけないなと改めて思わされたと言いますか。

まぁ多分この手の話は気にする人は全く気にしないし、私みたいなのは一生気にしていくことになるのでしょうが、それでも少しは肩の荷が下りて、もうちょっと遠くまで見渡してみようかと思わせてくれたこのアニメには感謝しかありません。

 

咲うアルスノトリア すんっ!

一つ一つの何気ない掛け合いが楽しくって、大きな山も谷も無くともそれだけで大好きになってしまえるぐらいには、このアニメのことが好きでした。

最初は本当に何がしたい作品なのか分からず、ただ困惑するばかりでした。このアニメでは、基本的にペンタグラムたちの学園パートと騎士たちの不穏パートが9:1ぐらいの割合で描かれます。ただ、そこが最後まで繋がってこないんです。私には、ニトロプラス原作なのも相まって、てっきり3話~少なくとも中盤ぐらいには平和な学園生活が壊れてしまうのだろうという先入観があったんですよね。というより、そういうブランドイメージも込みでそういうミスリードを演出した制作側に、まんまと釣られてしまったんでしょうけど。だからこそ、いつまで経っても"本編"が始まらないな、という感覚でイマイチ入り込めなかったんですよね。

でも、キャラクターのことを知って、キャラクターのことを愛せるようになってきてからは徐々に変わっていきました。「もしかしてシリアスなアニメじゃないのでは?」と思うようになり、そうすると不思議なことに繋がりそうで繋がらない緊張感やもどかしさすら、平和な学園生活において一種のスパイスのように作用しているな、と好意的に解釈できるようになってきたのですよね。

特に最終話は秀逸でした。最終話の学園パートは明らかに1話の構成をなぞった作りです。そこでは、端々にキャラクターの小さな成長が見られながらも、最初から最後まで何ら変わりない学園生活の様子が描かれます。そして、それとは対照的にクライマックスに向けどんどんと加速していくのは騎士パートです。あわただしく敵の本拠地へ向かう騎士たち。騎士にとっての敵は誰か、それは明言こそされませんでしたが誰が見ても明らかです。それでずんずんと進軍していくものだから、最終回でいよいよ本当に2つの世界が邂逅してしまうのではないか、ここまで引っ張ったのも最終回に山場を持ってくるための布石だったのではないか、と疑心暗鬼になりながら、緊張感だけがどんどんと高まっていきます。そして、緊張感の糸がピンと張りつめて切れる直前、あわや邂逅か……!といったところで、結局またもミスリードでしたというオチが明かされ、ホッと胸をなでおろす、というような構成です。緊張と緩和、学園と騎士の対比を最大限に利用したハチャメチャに素晴らしい構成、いやぁ脱帽です。

結局私はキャラクターを見ることが多いので、それさえ好きになれば作品の色々な要素を、マイナスだと思っていたことでさえも好意的に捉えられるようになるんだなぁ、という発見が出来たのは、自分でも思わぬ収穫でした。こうやって、自分が好きになれることを増やしていってどんなものでも好きになれると、人生がもっと楽しくなるのでしょうね。

 

よふかしのうた

モノクロの漫画の世界では十分に表現し得なかった、蠱惑的なほどにキラキラと輝く夜の世界。なずなちゃんが言ったように、中学生のコウくんにとって夜はまさに「非日常」であり、何よりも自由で魅力的に写っていたことでしょう。そのコウくんの心の内を反映したかのような、情景と連動しているかのような背景美術こそがこのアニメの真骨頂だったのではないかと思います。背景全体を写し取るような構図や引きの構図も多く、夜の魅力を全身で以って訴えかけてくるようでした。

11話で鶯餡子に出会ってから、そんな楽しいだけだった夜の生活も一変するわけですが、そこからの演出がまたとんでもなく良かったです。今まで眩しくキラキラ光っていたはずの夜の世界が急激に色を失いくすんでいく様や、本当に吸血鬼になって良いのかと思い悩むんでいても、なずなちゃんに会うとやっぱり夜はキラキラ輝いて見えてしまう様。そして、フラットに夜を見た上でその輝きを再認識したコウくんの変化までをも克明に描き出していた素晴らしい演出。原作を読んでいたときとは全く違う視聴感で、総合的な演出の良さではアニメの方に軍配が上がるかもしれないですね。(端折られたエピソードはさておき)

個人的な話をさせてもらうと、この作品はちょうど自分が不眠症で苦しんでいる時に出会った作品です。不眠症って寝れないだけじゃん、と思われるかもしれませんが、ぐっすりと眠れないのは存外辛いモノです。夜寝れなくて昼夜逆転、寝れても浅い眠りですぐに目覚めるし、日中も常に眠気だけがあってパフォーマンスはダダ下がりです。しかも、寝よう寝ようと思うと余計に眠れなくなって負のループに嵌るからたちが悪い。それで苦しんで、今日もまた眠れないのかな、なんて考えていた折に出会ったのがこの作品(と「君は放課後インソムニア」というこれまた不眠症を題材にした作品)なんです。

この作品は、夜寝れないことを正当化してくれるんですよね。正当化というと聞こえは悪いですが、要は夜も寝るばっかりじゃつまんないぜって教えてくれるんです。現実にナズナちゃんはいないけど、夜起きてるのも楽しいもんだぜとか、皆大なり小なり病気なんだからそれとうまく付き合う方法を見つければいいんだぜとか、そういう生き方(というと大仰過ぎますが)を認めてくれるこの作品には、精神的にかなり救われました。読んだからと言って眠れるわけではないのですけど、心の持ちよう一つで辛さは大きく緩和されるものです。

今は不眠症の治療も終えて普通に生活していますが、それでもまだ時々眠れないことはあります。あの頃に戻ったらどうしようと不安は常にあって、でもそんな折、この作品を思い出しては少し安心するんです。そんな作品が素晴らしいアニメ化の機会に恵まれて、私としても本当に嬉しいのでした。来年には君は放課後インソムニアのアニメ化も控えていて、楽しみは増すばかりです。

 

ダイ大

この2年間毎週楽しかったです、ありがとう。とにかく出てくるキャラクターがみんなカッコよくて、しかもちゃんと散り際までちゃんとカッコよくってさ。キャラクターの散り際って作者の美学が色濃く出ると思うんですけど、散り際に必ず活躍を描いてくれる作品って好きなんです。あっけない死とか、身を呈した死とか、未練を残した死とか、散り際にも色々ありますけど、そこを最後の晴れ舞台としてちゃんと活躍をさせてあげられる作品は、その世界で生きているキャラクターへのリスペクトがあってとても好感が持てるんですよね。

原作を読んだことがないのでどこまで原作に忠実だったのかはわからないですけど、原作ファンの反応を見るに素晴らしいアニメ化であったことは間違いないのでしょう。私みたいな若輩者が内容にとやかく言うのは野暮ってもんでしょうからやめておきます。

私的には、往年の名作に真正面から向き合って最後までしっかりアニメ化してくれたという事実が嬉しかったです。ここ5~10年ぐらい、過去の名作リブートの流れがどんどん盛り上がってますけど、ファンも大満足なタイトルってどれぐらいありました? 私の記憶にある限りでは、ダイ大、フルバ、ジョジョぐらいだと思うんですが、いかがです?(ジョジョ見てないですけど) この打率の低さは、アニメのクオリティ以上に尺の問題が大きいと思います。尺とそれを作り切る体力さえあればリブートが評価された作品も沢山あったと思うんですよ。うしとら然りからくりサーカス然りイエスタデイ然り封神演義然り、私には合わなかったけどマンキン然り。アニメを作る側の苦労は全く考慮しない物言いで恐縮ですが、尺を用意できないならやらないで欲しいというのが正直本音なんですよね。

だから、このアニメが100話という長尺で2年間にわたって妥協のない素晴らしいアニメを見せてくれたことに感動すら覚えました。作品本編の内容ではない部分なんですけど、まだちょっとはリブートに期待してもいいのかもな、なんて思わせてくれたのが何よりも嬉しかったのです。

 

RWBY氷雪帝国

難しすぎる……。設定周りでわからないことが多すぎて、かといって原作の方見るほど自分は惹かれなくて、あまりハマれないまま終わってしまいました。何度も振り出しに戻っては少しずつ進んでいく形式で変わり映えしない絵面が飽きを誘発させてしまっていた気がしますね。

アクション作画は抜群だっただけに、平常時の作画の粗が目立ったのもちょっとマイナスポイントです。最近のシャフトって小綺麗になったというか、良くも悪くも普通の制作会社になってきましたよね。アクション作画ができるようになって、でもアクの強い演出は減っていって、悪く言えば面白みが無くなってしまったというか。シャフトが原作付きを制作するって聞くと、シャフトなりの再構成というかその絵作りや演出の奇抜さに期待することが多かったので、そういう挑戦的な演出が減ってる現状は少し残念に思います。

夢の中の支離滅裂で脈絡なく何でもありになっちゃう感じが表されていたのはとても良かったです。夢の世界の変化からワイスの意図を汲み取る仕掛けなどもあったのでしょうが、あまりのめり込んで見れなかったためそこを適当に流してしまって、ちょっと反省。

 

ようこそ実力至上主義の教室へ 2nd Season

軽井沢恵を弄びやがって!😡綾小路清隆許さん!😡って怒ってたけど、オタクにこの先のネタバレ(?)を軽く喰らったおかげで普通に許せました。でもそれはそれとして、綾小路清隆が青春してると面白すぎるから普通にやめて欲しいけどね。

1期の頃と比べて意外と皆年相応だなって思う場面が多かったですが、多分記憶が曖昧だから超高校生級のキャラクターや出来事しか記憶に残ってないだけで、1期の頃も変わらずこうだったんでしょうね。

普通に綾小路清隆が"陰の実力者"やってるの楽しすぎて顔面ヤバいことになりましたね。Wikipediaにも「10‐20代から圧倒的な支持を集めている」って書かれてますし、私にもまだまだ若い感性が残っているみたいで良かったです。

 

ハナビちゃん

パチスロ全然わかんなかったけど、OP全部強かったし楽しかったです!ショートアニメの満足度、OPEDとキャラの可愛さで決まるからね(浅ッ……)。

 

BORUTO

BORUTO、月刊のせいで遅々として進まない原作のせいで本筋は進められないので、本編に何の影響もなく起伏もないアニオリストーリーが無限に繰り返されている訳ですが、6年目にもなると最早それにも慣れてきて、むしろ楽しめるようになってきている自分がいるわけですよ。だからといって感想という感想はないわけですが、もうなんかこれ見るのも日常の一部ですよね。

夏クールあたりから始まったアカデミー編は、カワキに加えて今まであまり描かれてこなかったヒマワリが主役のメインストーリーです。カワキの人間性が成長するのが微笑ましくて、ヒマワリもちゃんとナルトの子供なんだなぁと分かってちょっとエモい、そんな感じでした。

なんだかんだ言いながら来期も見続けるんでしょうね。

 

ルミナスウィッチーズ

戦闘はないし、ズボン(パンツ)もないし、使い魔がはっきり描写されるどころか使い魔中心のストーリーまでやっちゃうし、歴代シリーズ(といってもアニメしか知らない)とは色々と勝手が違うアニメでしたね。正直全然刺さらなかったし、アイドルものなににライブシーンも結構酷くて、あんまり感想という感想はないです……。

 

ダンまち4期

やー、ここまでじゃちょっと判断つかんですね。

分割2クールの1クール目が全然キリ良くないところで終わってるので、ちょっと2クール目に持ち越しです。

 

終わりに

ここまで読んでくださってありがとうございました。見てる作品数は減ってるのに感想の文字数はむしろ増えていて、書くのもいよいよ時間がかかるようになってきました。

夏も本当に面白いアニメが多くて楽しかったですね。前期までのアニメの感想は溜めちゃって大変な思いをしたので、夏こそはすぐ出そうと思ってちまちま書き溜めてたんですけど、結局11月までずれ込んでしましました。ままならないもんです。

夏は色々と豊作でどれも甲乙つけがたいのですが、個人的には「よふかしのうた」の出来が良かったのが嬉しかったですね。一番面白かったとかそういうベクトルではないですが、自分に影響を与えた作品が良い形で世に広まるのはとても嬉しいものです。

馬鹿みたいですが、アニメや漫画に救われることって全然あるし、それらが人生の指針になることだってあるんですよね。私がSNSで演じている人格だって、こういう人になりたいと思えるアニメや漫画のキャラクターから影響を受けてますし、現実世界でだってなるべくそうあろうと努めてますもん。

作り話が一時の娯楽として消費されるのではなく、誰かの人生に影響を与えるって、考えてみたら素敵なことです。私はこれからもそんな作品たちに出会うため、アニメや漫画を見続けるのだと思います。まだまだ摂取し足りないので、しばらくは飽きることはないでしょうし、感想を書くのも続けていけたらなと思います。

次は、秋アニメの感想か2022年の総括か、どちらかで会えますように。気が向いたらまた読んでくださると嬉しいです。

では。

2022冬アニメ&春アニメ

冬&春アニメの感想です。

長編とかめんどくさかったので、ほぼ冬と春始まったものです。

 

 

冬アニメ

時光代理人

この作品は各エピソード短編映画を見ているような完成度の高さに加え、毎話必ず引きの強いエンディングを持ってきてくれて、次の放送日が本当に楽しみでした。魔道祖師といい天官賜福といい時光代理人といい、最近の中国アニメは凄いですね。数年前まではあまり見れるレベルのものは無かったように記憶しているのですが、全く発展目覚ましいです。

各エピソードの題材選びも秀逸で、経済成長真っ只中の中国だからこそリアリティを持って描ける題材ばかりでした。都会と田舎の経済・環境格差による対比や、表面上きらびやかに見える部分と生活水準が追いついていない部分の対比。これらによって、今現在中国が抱えている問題までも、克明に描き出していたと思います。しかも、全てのエピソードに家族愛(またはそれに準ずる特別な関係)という普遍性の高いテーマが通底しており、とても共感性の高い作品になっていました。

また、作中で度々繰り返される「過去を問うな、未来を聞くな」というヒカルの台詞もとても印象的でした。この台詞、従来のタイムリープものとは一線を画す言葉ですよね。過去に戻って別の選択肢で別の世界線の話を選択するのではなく、過去から現在までの確定した道筋を変えないように動かなければいけないという特異性。それがこの作品の面白いところだったんじゃないかと思います。写真の中の過去に戻る力があったって、何も変えられないのなら、それに何の意味があるのだろう。そんな葛藤の中で、まだ確定していない未来を、現在から、そして過去から強い意志を持って確定させようとするトキの成長には目を見張るものがありました。

しかし、そんな感動とは裏腹に、物語はとんでもない引きを残して終わってしまいます。全てが解決し収束に向かうかと思われた瞬間の大どんでん返し、ずる過ぎるって……。幸い中国では2期の制作がすでに始まっているみたいですので、完結しないということはないでしょうが、日本で放送されるかという一抹の不安が胸に残りますね。コードギアスをリアルタイムで見ていた人の気持ちを完全に理解できるので、皆さんも見てはいかがですか?(ダイレクトマーケティング

 

平家物語

冬は時光代理人平家物語の2トップでした。

この作品を語るにおいて、『目』というのはとても重要な役割を持っていました。琵琶という少女を語り手とするための仕掛けというだけでなく、『目』に着目した演出が多くなされ、すべての事柄はその場に居る誰かの目線を通して語られるようでした。

 

このアニメ「平家物語」は、琵琶という少女の『目』を通して見た、琵琶というフィルターがかかった物語です。だから、平家と対立する側の掘り下げなどは殆どされません。もしも源氏の側に語り手がいたならば、物語は源義経の英雄譚にでもなっていたことでしょう。平清盛は倒すべき悪として描かれ、平氏を倒した源氏のハッピーエンドで終わっていたことでしょう。

しかし、この作品は『平家』物語なのです。平家の人々と共に過ごし、共に生きた琵琶が語ったこの物語では、義経や頼朝などほぼ出てこないばかりか、悪逆非道の限りを尽くしたとされる清盛入道でさえ魅力的な一人の人間として描かれました。

 

6話で清盛が維盛や資盛、琵琶に対して語った言葉にこんなものがありました。

 

「金がないのに使うばかりです手を打たず

各地で反乱が起こっても収めることもできず

何もできぬ貴族と偉そうにするばかりの坊主が支配する

身分と権威が全ての世を

我らは変えた

息苦しい世界に風穴を開けたのだ

富と武力でな!」

 

「ですが……今、我ら平家は……」

 

「何かを大きく変えるときには反する者も出よう

変えるのを良しとせぬ者もおろう

だからこそ我ら平家一門

力を合わせねばならぬ

この新しい都で

開いた港で

我らは更に富を築く

その富で武力も蓄える

さすれば

我らの世は続くのだ」

 

初めは清盛に対してあんなに攻撃的だった琵琶も、6話では人が変わったように清盛に微笑みかけていました。琵琶にとっての清盛は、最初は『悪逆非道の限りを尽くす鬼』だったのでしょう。しかし、長く平家の側で彼を見てきて、その人柄を知っていくうちに、琵琶にはいつの間にか人間に見えるようになっていたのですよね。やり方に賛否はあれど、彼はこの腐りきった世を変えてやろうという気概で動いていたんです。そこまで知ってしまったら、私も彼を単純な悪人として見ることは出来なくなっていました。彼が実際のところどんな人間だったのかなんて知る由もないことですが、語り手次第で人物の印象は180度変わるのだと感じさせられます。

清盛は徳子に「人を駒としか見ていない」なんて言われていましたが、多分そんなことはないんですよね。そうでなければ、盛子が藤原家から相続した土地を奪われた時に死装束の盛子を思い出して激昂したりはしないでしょうし、重盛の息子たちや琵琶に重盛のことを語ったりはしなかったでしょう。死の間際に思い出すことだって娘の徳子のことで、どれだけ彼が子供たちのことを愛していたのかが分かるというものです。ただ、彼はやり方を違えてしまっただけなのです。

 

この作品は、平家の興亡のお話です。しかし、この作品で描きたかったものは、歴史上の出来事ではなくて、その中で生きた人々なのですよね。

琵琶は

そなたらに会って

そなたらを知った

だから

見て聞いたもの

ただ語る

清盛にはじまり重盛や徳子、果ては自死を選んだ清経や維盛など、歴史の表舞台では語られぬような、あまりに儚い命でさえも、琵琶は語り、我々に繋いでくれました。この作品を見なければ一生知ることがなかったであろうあまりにも遠い人々の悲喜交々を、こんなにも身近に感じることができるとは、物語とは不思議なものです。

 

リアデイル

ケーナさんに始まり、人魚のミミリィや養女になったルカなど重いバックグラウンドを持ったキャラクターも結構いましたが、しんみりした物語にならなかったのが良かったですね。作中のキャラクターが一貫して、過去を振り返ってはクヨクヨするより今や未来の楽しいことのために生きてるのが素敵だなぁと思います。12話でミミリィがケーナに、「人魚の里、もう探してもらわなくていいかなって」って言うんですけど、この言葉が諦めからではなくポジティブな気持ちから出てくるのが、最高にこの作品の"らしさ"なんですよね。

皆基本的に裏表なく喜怒哀楽を表現していて気持ちよかったし、それに結構俗人的な感覚を持っているケーナさんにも親しみを覚えたりなんかして、とにかくキャラクターが好きだなぁと思える作品でした。複雑に感情が交差する作品ももちろん好きですけど、なんかこう、好きなものを好きって言って、素敵なものを素敵ってストレートに言える人達に憧れちゃうし、そういう物語も大好きなのです。

近頃へんね 素敵だったものを

素敵と思えなくなってしまったよ

どうしよう

本当の始まりを 取り戻しに行かなくちゃ

素敵なものをいつまでも素敵と思える感性、大事にしていきたいね。

 

 

明日ちゃんのセーラー服

時間が止まれば良いのになって思うよ

OPの一発目、このイントロもなく始まる冒頭のワンフレーズに撃ち抜かれちゃいました。

見る前はセーラー服フェチの作品なのかな、ぐらいに思ってたんですけど、全くそんなアニメじゃなかったですね。むしろセーラー服は添え物というか、セーラー服を着ることができる学生時代という有限な時間の中で、彼女たちが見せる青春の輝きこそ描きたいものだったんじゃないかなって感じました。

単純にアニメーションとしてのクオリティがめちゃくちゃ高かったし、原作読んだらめちゃくちゃアニオリでキャラの掘り下げめちゃくちゃされてることも分かったし、ちゃんとアニメで見る価値のある作品だと思いますね。個人的には、古城さんの掘り下げがアニオリだったのはちょっとした衝撃でした。めちゃくちゃ好きなキャラになってたので、原作に無いと知った時はちょっとショック。

あと、人たらしの主人公好きすぎ。峠口さんとか蛇森さんとか、明日ちゃんは誰にでも分け隔てなく接してるだけだって、わかってても好きになっちゃうよね……。わかる……。

 

錆喰いビスコ

1〜3話は過去と現在の時系列が交互に放映される形式で若干わかりづらかったかなーと思いつつも、それを理解して見ればそんなに不自然なこともなく意外とすんなり入ってきました。序盤は唯一無二の世界観によるワクワク、中盤はロードムービー的な楽しさ、終盤は少年漫画的激熱展開と、それぞれに違った面白さがあって良かったですね。

序盤は一つの"個"だったビスコとミロでしたが、物語が進むにつれ、お互いの中にお互いの精神が芽生え、二人で一つになって、終いには一人で二人分にまでなっちゃって。やっぱバディもの、最高ですね。

特に、終盤の怒涛の展開に「愛してる」の台詞なんか、震えましたね。愛って色んな形があって、恋愛だけじゃない愛の形を示してくれる作品って大好きなのです。

 

怪人開発部の黒井津さん

極力キャラクターを使い捨てにしない愛みたいなものを感じて良かったね。作画がだいぶ怪しいところもあったけど、いい意味でくだらない内容だったからそこまで気になるものでもなかった気がします。作画が本当にヤバかった11話では、ジャガーフェンリル様の口だけ全く動いてなくて、逆に面白かったぐらいですから。獣系怪人の口パクはは輪郭ごと動かさないといけない分作画カロリー高いんでしょうね。

あとは、欲を言えばメギストスさんと黒井津さんの絡みがもっと見たかったなぁと思います。2話のメギストスさんと黒井津さんが出張に行く話、狂おしいほど好きなので。

後はそこまで印象に残ってることはないですね、すいません。

 

東京24区

いわゆるトロッコ問題を主軸に、思考実験を現実化したかのようなアニメーション。しかし、管理社会というにはあまりに生々しい生活感がそこにはあって、それがユートピアになるかディストピアになるか、その分岐点のような時代のお話でした。

最初はRGBやその周りのキャラクターがイマイチしっくりこなくて、結構懐疑的な目で見てたんですけど、中盤から終盤にかけては面白かったです。8話までは、発生した問題に対してRGBの三人が場当たり的に対処するだけの物語だと感じていましたが、9話で過去の回想が入ったことにより、これまでの物語の裏にあった人間関係が浮かび上がってきて一気に物語に引き込まれました。

最後の結論は賛否あると思いますが、個人的には結構良かったんじゃないかと思いますね。

前半はそれぞれ自分の思うようにバラバラに動いていたRGBですが、後半は彼らが各勢力の手足となって、大人たちの思惑に取り込まれて動かざるを得ない構造になっていました。それぞれが思想を持ちながらも、もう自分たちの思いを語っていられる状況ではなくなってしまったのです。本当にこれで良いのかと思いながらも、自分たちの行動すらも大局に任せるしかなくなっていました。

しかし、だからこそ、彼らは自分たちの未来は自分たちで選択すべきだという当たり前に気付くことができ、カナエシステムなんてなくてもいいんだという結論に至れたのでしょう。だから、物語の結論としてはかなり綺麗に落ちたんじゃないかなと思うんですよね。

翠堂豪理の早すぎる手のひら返しとか、「大好きだー」とか、終盤のRGBの殴り合いシーンとか、榎木淳弥さんの演技とか、正直不満点を挙げれば結構あるのですが、それでも悪いアニメではなかったように思います。

 

その着せ替え人形は恋をする

喜多川さんが聖人過ぎて眩しいっす。好きに全力って勇気を貰えるし、それを違う世界の住人だと思ってた喜多川さんのような人が肯定してくれるから、より嬉しいんですよね。喜多川さんの友達とかも五条くんに優しくて、胸が温かくなります。

所謂ハーレムラブコメ的な、主人公1人にヒロイン多数みたいな構図が好きではないので、基本五条くんと喜多川さんの恋愛軸でお話が進むのが見ていて安心感がありました(ジュジュさまが五条くんを好きになる展開は少なからずありそうですが)。

あと、作品にエッチな要素とか入れられると結構ノイズに感じるタイプなんですけど、この作品はエッチな描写もありながらも何故か健全な感じであまりいやらしさが無かったので、そのバランス感覚も凄かったなと思います。

ただ、素晴らしく良質なラブコメを見たのは間違いないんですがど、喜多川さんの喋り方だけはちょっと苦手でしたね……。オタクが考えるギャルの喋り方って感じがして、どうしてもね……。

 

リーマンズクラブ

大人になっても、働いてても、夢を諦めなくていい。そんなメッセージが眩しいぐらいに鮮烈で、強烈に描かれていました。ただ、刺さったのはそこだけで、それ以外はあまりいい出来ではなかったように思います。バド描写もリーマン描写も中途半端になっちゃって、イマイチ説得力に欠ける感じがどうしてもね。

まずバドミントン描写については、解像度が低すぎた気がします。戦略というものが殆ど無くなく、個々の能力や半分特殊能力みたいな一芸のみで試合を組み立てている様に感じました。バドをあまり知らない自分ですらそう感じるって相当ですし、バドに限らずスポーツってそんな単純じゃないですよね。

で、リーマン描写については、内容があまりなかったような気がしますね。ねぎジンジャーの企画以外の具体的な業務内容があまり見えてこず、実業団のスポーツものがやりたかったから仕方なく描写入れてます感が否めなかった気がしますね。(主観で申し訳ないですけど)

あと、専務とか世界ランク1位さんみたいなやっっっっっっすい悪役キャラも本当に苦手なんですよね……。物語の都合上必要な悪者だったとしてもいい加減前時代的すぎるし、それに最後は専務も世界ランク1位さんも意外といい人でした、チャンチャン、じゃないんですよ。それで今までやってきたことは誤魔化されないよ、私もバカじゃないんだから。(いや、バカではあるんだけど……)

ま、という訳であまり肌に合わないアニメでした……。

 

CUE

個人的ダークホース。1クール目の後半あたりから段々馴染んできて、いつの間にか毎週楽しみに見ていました。特に好きなのは、8話、10話、12話あたり。

最初は、皆声優という仕事に対して見通しが甘くない?とか、めちゃくちゃ恵まれてるのに気付いてないんじゃない?とか、色々思うところがありました。例えば、6話で絢が猫の為に寮を出るって言いだしたり、15話で聡里が親子共演を断っちゃったり、先のことを考えたら非合理的だと思ってしまうような発言や選択なんかも沢山ありました。でも、それが悪いことかっていうと、多分そうじゃないんですよね。

考えてみれば、彼女たちは殆どが成人すらしてない少女たちで、まだ自分の気持ちとも折り合いをつけられなくて当たり前なんですよ。アニメや漫画を読んでいるとまだ成人すらしてないのにとんでもなく人間ができてるキャラクターがゴロゴロいるからそれに慣れてしまいがちだけど、青さや未熟さなみたいな本来あって然るべきものを「粗」なんて見るべきではないと思うのです。自分たちだって昔に通ってきたはずのことを、振り返って指さして笑ったり、ましてや馬鹿にしたりなんかするものじゃないです。

確かに未熟なキャラクターは、見ていてやきもきすることもしばしばです。しかし、このアニメには、その未熟さにがっぷり四つと向き合ってくれる仲間や大人が居ました。彼女たちはまだ若く、夢のスタートラインに立ったばかりです。期待と不安が入り混じった子もいれば、冷静に現状を分析してる子もいて、舞い上がってしまっている子もいれば、まだ声優になった実感がなくてふわふわしてる子もいます。彼女たちにはそれぞれ違う悩みがあって、それは大人から見れば小さいものかもしれません。でも、その一つ一つに寄り添って丁寧に描いてくれて、そして周りの大人たちも彼女たちがぶつかっている壁に対して、子ども扱いせず真剣に向き合ってくれる。こんなに嬉しいことはないですよ。

ブルームボールの音響監督さんなんか、一見超絶厳しくて怖い人だったけど、その実誰よりも未熟な彼女たちを対等にプロとして扱ってくれていたと思います。社長の真咲さんも、基本的には彼女たちの自主性に任せつつ、でも迷っている子には考えるきっかけを与えてあげる優しさも持った素晴らしい人でした。こうした、未熟さに真剣に向き合って導いてくれる人たちがいてくれたからこそ、私は彼女たちの未熟さもまた素晴らしいもであると気付き、この作品を好きになれたんですよね。

 

ハコヅメ

どのエピソードをとっても非常に質が高く、更にはコメディもシリアスもどっちもイケるというとんでもないバランス感覚を持った作品でした。

警察を題材にした作品では、衝撃的な事件や正義の味方的な側面がフィーチャーされることはあっても、この作品のように警察は正義の味方でもロボットでもないんだよ、と突きつけてくるものは珍しい気がしますね。これぞ元警察官のリアル(狐火)。

やっぱり警察はどこかネジが外れていないとできない仕事であり主人公の感覚が俗人で凡人だから、そうしたギャップから生まれるドラマには秀逸なものが多かったですね。是非とも2期も見たいアニメです。

 

スローループ

吉永恋ちゃん、Love……。

海凪小春ちゃんといるとお姉さんみたいになる吉永恋ちゃん、Big Love……。

 

高木さん3期

もういい加減お前らは「からかった」「からかわれた」で一喜一憂するような間柄じゃないじゃん!もう花火デートもしたじゃん!なんてやきもきしながら見ていました。3期に突入してもずっと同じフォーマットで話が作られていて、正直少し食傷気味になっていたところもあると思います。どちらかと言えば北条さんと浜口くんの恋愛模様の方が気になったりなんかしちゃったり。

でもね、最終回、本当に良かったですよ。ようやく漢を見せた西片、カッコ良すぎるよお前。告白なんてまだでまだ先でええ。お前らはお前らのペースで進んでいけばええねん(アツい手のひら返し)。

ま、こんなこと言いながら劇場版見れてないんですけどね……。

 

春アニメ

ヒロインたるもの

元々LIP×LIPは好きで曲をよく聞いてたんですが、まさかアニメ化するとは(LIP×LIPというよりは涼海ひよりのアニメだけども)。よく聞いてたといっても、曲と内山昂輝さんが大好きだっただけで、詳しいかと言われると全くそんなことなかったんですけど。

それが今やハニワの告白実行委員会にまでドハマリして、小説まで全部読み漁るまでになりましてね。

本作は、「ノンファンタジー」「ヒロイン育成計画」「ヒロインたるもの」という楽曲をベースに物語を再構成したものなのですが、お話はかなり大胆に変わっています。そもそもひよりの友人の千鶴や樹里は元々存在しなかった後付キャラで「ヒロインたるもの」の楽曲PVでいきなり登場した存在ですし、そこの整合性を取るためにも変更は必須だったわけですが。

 

今までずっと、自分の中のLIP×LIPはアイドルでした。楽曲と声と見た目、そしてステージ上の華やかな姿しか知らない、良くも悪くもアイドル以外の何者でもありませんでした。でもこのアニメのおかげで彼らが人間として目の前に降りてきたような感覚があります。このアニメのおかげで、ステージ上の偶像だったものが、悩みもすれば迷いもする人間だったんだと理解されました。

でも、このアニメで良かったのは、人間になった彼らもちゃんとアイドルだったことです。

どれだけ仲が悪くても、周りに見ている人が一人でもいるならアイドルであることをやめなかったことや、どれだけ信頼していても、ひよりに「Love」の意味での愛情を向けることがなかったことなど、彼らのプロ意識は徹底していました。彼らのアイドルでない面を知ったことで、普段ファンの前でどれだけ気を遣っているかがわかるようになり、より彼らをアイドルだと感じれるようになったようになった気さえします。

小説版まで読んだうえでの感想なんですけど、正直LIP×LIPとひよりの恋愛路線になる可能性も結構あったと思うんですよね。現に小説版のヒロイン育成計画のラスト付近では、ひよりと愛蔵がかなり良い感じになりますし、小説や楽曲でのひよりはヒロイン願望のある女の子なんですよ。しかも天下のハニワですから、恋愛に天秤が傾いても何の不思議もなかったわけです。

兎角、恋愛というものは神格化されがちで、人間関係の行き着く先とされることが多い気がします。同性間の友情がBLや百合に置き換えられたり、異性間の信頼関係が恋愛感情と捉えられたり、友情や信頼の先に恋愛があると見る人は存外多いのですよね。解釈は人それぞれですので、間違ってるとは言いませんが、個人的にそういう解釈があまり好きではありません。私は友情も信頼も恋愛も、それぞれ交わることや変化することはあっても、基本的には同じ階層に並んでいるものだと思っているからです。だから、それらが一緒くたに恋愛という形に当て嵌められてしまうと結構モヤモヤするのです(必ずしもそれらが独立して存在するわけではないので、完全に分けて考えることが無理なのは承知の上なのですが……)。

だから、この作品はそういった解釈が入り込む余地が無いくらいに、LIP×LIPとひよりの強い信頼関係を描いてくれていて、そこが本当に良かったなと思うのです。そして恋愛に舵を取らなかったことは、ジュリエッタたちにとっての誠実さにも繋がっていて、更には話の後半の展開に説得力を持たせるにも必要な要素であることを鑑みると、二重にも三重にも効いてくる素晴らしい判断だったなと思うのです。

 

かぐや様ウルトラロマンティック

本当に素晴らしかったです。

作品に一貫した「告らせたい」の言葉の持つ意味が、キャラクターの成長と共に変容していく様は見事の一言に尽きますね、本当に。最初はお互いの意地であったはずのこの言葉、それがいつしか対等に並び立つためのものになっていたなんてさぁ……。

お互いが両思いなのにどちらも一歩踏み出せなくてやきもきしちゃう。そういう状態って、恋愛ものにおける一番美味しい部分だと思いますし私も好きですけど、その状態をグダグダ引き伸ばされると醒めるのも事実で。そこをこの作品は「告らせたい」という抑止力によって上手いことその状態を持続させていました。そして、その抑止すら効かなくなってきたこのタイミングで、再び「告らせたい」という言葉を、別の意味で提示する。さらには、その意味の変容がキャラクターの成長をも示しているなんて、本当にとんでもない作品です。

ギャグもキレッキレで文句の付け所がありませんでしたね。

 

エスタブライフ グレイトエスケープ

現実の土地柄人柄をデフォルメして誇張したようなクラスタ群は見ていて楽しいですね。東京に土地勘がないとなんのこっちゃってなってたんだろうなと思うと、上京して生活してた頃の経験もアニメ視聴に活きているんだなぁという、よくわからない感慨を得ることができました。

また、逃げることを肯定してくれるこのアニメは、非常に現代的な作品だなぁと感じました。仕事が合わないと感じたらすぐやめろだとか、学校に行きたくないなら行かなくていいだとか、よくわからないインフルエンサーたちが口を揃えて言うようになった現代ですから、そういった時代の潮流を組んだ側面も少なからずあるのだと思います。人には十人十色の悩みがあって、そこから逃げ出したい理由も様々で、逃げられない理由も様々で、それをうまくクラスタという設定に落とし込んだなぁと感心してしました。

自分も何度かレールからドロップアウトしたからわかるんですけど、逃げることを全肯定は中々できないものです。本当に限界なら逃げ出すのが最善手ではありますが、一度ドロップアウトした者に社会はあまり寛容ではありません。逃げた先にまた社会のレールに戻ろうとすると、逃げることの何十倍もの労力が必要になります。そりゃあインフルエンサーになるような人たちは抜群に能力があったり個人で価値を生み出せたりするから何とかなっても、普通の人間はやっぱりそういう訳にはいかないです。しかも彼らは逃げた後の生活を保障してくれるわけじゃないですし、彼らの言葉は無責任だなぁと感じてしまうのです。(自分はもう逃げ癖がついて、辛いことがあったらすぐ現実をやめたくなるのですが、これがまたなかなか治らんのよね……)

しかし、この作品がそういった無責任なインフルエンサーたちの甘言と同種のものかと言えば、そうではないとも思います。この作品がそれらと明確に違う点として、「とんずら同意書」の存在が挙げられます。

「とんずら同意書」とは、「逃がし屋」がクライアントを逃がす前に、意思の確認として拇印を押してもらう類のものです。そこに書かれていることは結構過激で、社会的地位や財産をすべて失うことや、生命や生活の保障は一切されないことなど、一見するとかなり恐ろしい内容になっています。あくまで「逃がし屋」は逃がすだけの存在であって、その後の生活には一切干渉できないよ、ということなのでしょう。でも、これって現実世界でも同じことなんですよね。現実でも、何かから逃げたとて、その先の生活の保障なんてのは誰もしてくれません。だから、これはある種現実の厳しさまでも反映して真面目に描いた結果であると言えるでしょう。そして、逃げた先での生活を保障できないからこそ、エクアは、最後の選択を決して強制せず、クライアント本人の意思に任せるようにしているのですよね。

逆に、エクアが不在であった第6話では、「逃がし屋」たちはクライアントのハチローの意思などお構いなしに、とりあえずで彼を逃がそうとします。ですが、それじゃダメなんですよね。それは、無責任な甘言と何ら変わりありません。人一人の人生を左右する選択が、他人の意思によって為されるべきではないのです。ですから、結局秋葉原クラスタから逃げるのをやめたハチローの行動も、尊重されるべき選択の一つなのです。

6話は結果として何も起こりませんでしたが、だからといって無駄だったかっていうとそんなことはありません。多分、大事なのは本当に限界になったらいつでも逃げられるという選択肢があることなのです。「仕事が辛いなら辞めればいいじゃん」なんていう無責任な甘言じゃなくて、我々に必要なのは「辞める選択肢もあるけど、どうする?でもその選択にもリスクはあるよ?」とちゃんと教えてくれる存在で、その選択は本人に委ねられるべきなのです。そして、だからこの作品は、ただ逃げることを肯定するだけでない、とても誠実なアニメだったなと思うのです。

 

まちカドまぞく2丁目

1期の頃からさらに小慣れて洗練されたハイテンポな掛け合いに、7話冒頭みたいなお遊びをする余裕もあって、安心しながら見ることができました。リコくんやマスターの声もイメージ通りで素晴らしかったし、1期では影薄かったミカンさんの出番が多かったのも嬉しかったですね。

お話が遅いのは原作の都合だから仕方ないけれど、それでも2丁目ではちょっとずつ前進しました。ただ、個人的にはもっと進むの遅くても良い気がしますね。正直2丁目はまじめなお話の割合が多くて、1期程の爆発力と勢いがない気がしたので。1期の方が好きだったなぁと感じるのは、思い出補正かはたまた情熱を失ってしまったからかもしれないですけど、でもやっぱり何か違う感も否めませんでした。飽き性な自分の悪いところ出てるね……。

 

パリピ孔明

めちゃくちゃ面白かった~。あくまで自分らしさを表現したいがために売れたいのか、はたまたセルアウトの為に自分らしさを捨てるのか。永遠の命題ともいえるこのテーマを下敷きにしたEIKOとAZALEAの対比は、単純ながら力強いものを持っていました。

ギャグとしても上々。孔明が現代の渋谷に転生するという掴みもさることながら、彼が現代社会に爆速で馴染んでるだけで面白いのはズルいよね。

あと、EIKOの表情がコロコロ変わるのも本当に良かったです。やっぱ本渡楓さんは明るくて感情の起伏が大きい子が似合いますね😊

ただ一つ言いたいのは、KABE太人必要だったか?という問題。男を出すなとかそういうことを言うつもりはないですけど、楽曲に参加するでもユニットとして活動するでもないって、何だかそこにいる必然性があまりないキャラクターだったように思えてしまいました。KABEのストーリー自体は良い話だったし、EIKOにアドバイスもしたりして、キャラクターとして悪かった訳ではないんですけど、EIKOの前座の煽り役としてだけのキャラクターが果たして必要だったのかと言われるとどうだったのかなって……。ストーリーも良かったとはいえ、本筋からしたら寄り道なわけだし、余計にね。EIKOとAZALEAの二項対立をじっくりやった方が綺麗に纏まったんじゃないかなとは思います。

まぁでも面白かったのは間違いないので、結果オーライなんですけどね。

 

アオアシ

Production I.G.のスポーツ描写、間違いないやね。

全然サッカーとか知らないはずなのに、練習や試合の描写が丁寧且つ説得力がありすぎて、まるでサッカーのこと知ってるような気にさせられるから凄いです。作中でもしつこいまでにプレーを言語化することに拘ってましたけど、誰よりも作者の言語化能力が高いんですよね。ここまで戦術を理論建てて説明できてたスポーツアニメや漫画って、今まで無かったんじゃないかってぐらい。現実世界の野球とかサッカーとかは全然点入らないから退屈になっちゃって見られないのに、戦術とか選手の意図とかがわかるだけでこんなにも面白いものなんですね。

続きが待てなくて原作最新刊まで読んじゃったんだけど、阿久津とかいうツンデレがカッコ良すぎてヤバいです。所謂ヤンキーが更生したらめちゃくちゃいいヤツに見える系のアレなんですけど、好感度マイナスからプラスに転じたときの振れ幅のデカさってやっぱ凄いっす。悔しいけどそういうキャラが絶対刺さっちゃうの、我ながらチョロすぎるとは思いつつ、でもやっぱ好きなんだよなぁ。

 

BIRDIE WING

春アニメはラブオールプレーやアオアシみたいな正統派のスポ根があったかと思えば、こういうお馬鹿スポ根もあって、スポーツアニメが豊作なクールでしたね。お馬鹿と言っても決して悪い意味でなく、ぶっ飛んでいて楽しいという意味で。しかも、設定や演出や構成なんかは結構ぶっ飛んでても、肝心のゴルフ描写は意外と堅実で好感が持てます。

そして何より、出てくるキャラクターが全員魅力的なのが凄かったです。ただの噛ませかと思われたヴィペールがあそこまで良いキャラに化けるなんて、誰が予想したでしょう。そしてまたしてもCV瀬戸麻美の俗っぽさが最大限に発揮されている天鷲葵に、天性の人たらしイヴ。早乙女イチナも新庄雨音も、もう全員大好きです。

前半で命を懸けて闇ゴルフをやっていたイヴが、後半では日本で高校生に交じってゴルフをするようになったのは、インパクトが弱くなっちゃった感じは否めないですけど、その分魅力的なキャラクター達が増えたり葵とイヴのイチャコラが見れたりで、それはそれで大満足でした。続きにも期待大ですね。

 

ラブオールプレー

あまり動く作画ではないものの、真面目なバドミントン描写に好感が持てますね。水嶋くんが一つ一つ気付きを重ね上手くなっていく、そして同時に人間的な成長もしていく姿はやっぱり見ていて嬉しいものです。CUEの時にも書きましたが、大人になった私たちから見ると「そういう時はこうしたらいいじゃん」なんて思っちゃうことでも、思春期の彼らにとっては初めてぶち当たる問題だったりして、それを笑っちゃいけないなと思うんですよね。それに本気で悩んで、時には周りの助けも借りながらでも自分で答えを出せることって、とても凄いことです。

2クール目に入り、そんな彼らも今や先輩になりました。今度は先輩として、後輩の指導やら何やらでまた色々問題にぶつかっているようですが、そこでもまた成長が見られるのだと思うと楽しみでなりませんね。

 

であいもん

派手なドラマのある作品ではなかったですが、どのエピソードも確実に心温まる、素晴らしい作品でした。

子供って大人が思ってるより周りの顔色を窺って生きているものだと思っているのですが、一果ちゃんの場合は特にその傾向が強かったです。幼少期に親に捨てられた経験と自分の家ではない場所で養ってもらっているという家庭環境がそうさせたのでしょうが、それはやっぱり悲しいです。私は親になったことはないので口だけですが、それでも子供には何も気にせず甘えて欲しいし、いつでも笑っていて欲しいと思います。それは自分のの子供だからとかじゃなく、どんな子供でもです。

だから、そんな一果ちゃんが憎まれ口を叩きながらでも和さんに甘えてくれるようになったのが、とってもとっても嬉しかった。普段どれだけちゃらんぽらんに見えても、実は人の心の機微に人一倍敏感で、色んな所に気が回るのが和さんなんですよね。完璧な人間ではなくて、美弦ちゃんや一果ちゃんと何を話していいかわからなくて困ったりする一面もあるけど、でもそれは本人たちの前では絶対に見せないという気遣いもできる男。こんな和さんだからこそ、一果ちゃんも徐々に心を開いてくれたのでしょう。

一果ちゃんが父親を忘れることはないと思いますし、和さんが父親になることも、今は未だ難しいのだと思います。それでも、一果ちゃんが緑松を自分の居場所だと思ってくれるだけで、何で関係のない自分までもが、こんなに救われた気になるのでしょうね。

 

境界戦機

敵が味方になる展開、純粋に好き。ただ、現実問題として結構無理がある展開と言えばそうかもしれません。たとえ北米軍の脅威があまりにも突出していて、同盟を組むことが最も合理的判断であったとしても、一枚岩ではない各国の上層部が正常な判断を下せるとは考えにくいですからね。これまで利権争いをしてきて散々殺しあってきた敵国と同盟って、感情論的にも納得ができない者が出てくるのが普通です。

でもやっぱり、新日本協力機構が発足したときは嬉しかったです。敵味方問わず全てに手を差し伸べる八咫烏のこれまでの活動が好きでこのアニメを見てきて、その活動が一気に結実したわけですからね。

味方になった人間でいえば、アレクセイ・ゼレノイ少佐が頼もしすぎて好き。この男、芝居がかっていて鼻につくいけ好かない野郎だと思っていたのに、なかなかどうしてカッコいいじゃないの……。逆にブラッド・ワット大尉は終盤の本性を現した当たりから小物感が否めず、ラスボスとしての器じゃなかったような気がしますね。

総じて好きではあったものの、どうしても1クール目のような熱は持てず、分割2クールって罪な作りだなとしみじみ感じました。

 

盾の勇者2期

ガッツリ中華風の霊亀国が出てきたり、転移先の異世界が和風だったりと、2期になって一気に世界が広がりましたね。そういえば元はゲームの世界だった訳ですし、これぐらいの節操無さはむしろ有りでしょう。

正直、2期はいまいちパンチが足りないかも、なんて思いもありました。というか、1期が理不尽すぎる盾イジメの分のカタルシスがとんでもなかったので、それと比べちゃうとって話なんですけど。でも、個人的にはロリラフタリアを見れただけで満点なんですけどね!やっぱりラフタリアは幼い頃が一番可愛いよ。

 

ビルディバイド

いやぁ、まさかこんなに化けるとは、1クール目の時は予想もしてませんでした。あの頃はギャグアニメぐらいの感覚で見てたのにね……。

2クール目冒頭で置いてけぼり喰らうのも大好物だし、何よりひよこの変化に驚かされました。本当は強くなんてないのに、そうあらねばならなかった人に本当に弱いんですね、私。だから、照人や桜良と再会した後、昔みたいなひよこに戻っていたのがとても嬉しくってさ。

主人公がギャンブルってwぐらいに思っていたのに、ラストバトルで最後決めるのがギャンブルなのもアツすぎてもう……。思えば照人に限らず例えば菊花様だって手札0枚からのデッキトップ解決で見事に挽回して見せてたし、そこがカードゲームの良さなのかもね。プレイングや構築だけでない、最期の一押しを決めることができるのが運であり、カードゲームの面白いところなのよね、きっと。

 

処刑少女

第1話の掴みも最高でしたし、お話も文句なしに面白かったです。流行が大きくなりすぎると、同じ題材を別の切り口で描いたり逆転させて描いたりなんていう、カウンターやアンチテーゼも増えてきて、文化~って感じしますよね。

メインキャラクターは4人と多くないもののそれぞれに別の思惑があり、それらが絡み合い物語が進行していく様は見事でしたね。とはいえアカリと姫の思惑は未だ表層的な部分でしか明かされていないため、続きがあるならそこらへんも楽しみです。というか2期やって下さい、お願いします。

 

ヒーラーガール

最初いきなりミュージカルが始まった時は「!?」ってなったけど、馴染んでくるととても愉快で楽しいですね。
歌が西洋医学と並ぶ立派な医療行為として位置づけられているという設定にも感心。「歌に魔力をのせて治療」だとか「歌で勇気づける」でなく、音声治療が立派な医学として認められているのは、今までありそうでなかった切り口で良かったです。

あと、やりたいこと全部詰め込んだ感も最高。田舎で川遊びしたり文化祭を全力で楽しんだりと彼女たちの日常をキラッキラに描いたかと思えば、玲美ちゃんとメイドさんの泣かせるお話をやってみたり、はたまた西洋医学と音声医療の融合なんていうまじめなお話も交えたり、とにかくバラエティに富んだ物語が楽しかったです。これだけ色んな方面のお話に手を出していながら、ヒーラーとしての資格を取り一人前になるというメインストーリーがあるお陰で一本筋が通っているのも素晴らしい。

総じて良いアニメだったと思いますよ。

 

本好き

ままならないねぇ、本当に。

面白いのは間違いないんだけど、本を作ろうと全力で試行錯誤していたマインが好きだったから、自分の力ではどうしようもない権力構造のしがらみに絡めとられていくマインを見ていてとても苦しくなってしまいました。活版印刷やインクの下りは相変わらずで好きだったんだけどね。

グレンラガンとか映画ゆるキャン△とかもそうなんだけど、何でもできたはずのキャラクターが成長して、社会や権力の足枷がついて動けなくなっていく様を見るのが本当に苦手なんですよね。それが例えハッピーエンドになったとしても、もうあの頃のような若さゆえの無謀さと無敵感でもって何かを為すことはできないんだろうな、という悲しみがあるので。しかも、本好き2期は終わり方さえ救いがないじゃないですか。マインたち一家は結果として無事ではあったけれど、彼らの感情の行き場はどこにもない。それが本当に、苦しい。

救いがあるとすれば、それこそ本なのかなとは思います。活版印刷技術の発明や高品質なインクの開発により本が世間に広く普及すれば、社会構造すら変えてしまうかもしれないという、本の持つ力の強大さ。願わくば本の力によって社会構造に革命が起き、マイン一家がまた4人で暮らせるような世界が訪れて欲しいなと思います。

 

阿波連さん

ギャグがイマイチピンとこず、これはもう感性の問題だから仕方ないなと思いつつ、でもキャラクターがみんな可愛くて良い人たちだったから最後まで見ることができました。終盤のラブコメ展開は非常に好みでした。(恋を吸って生きるバケモノ)

 

RPG不動産

序盤から繰り返し「ここに伏線ありますよ~」ってわかりやすく明示されて、その回収が予想の範疇を超えてこなかった悲しさが、どうしてもね……。あと、きららなのに親友を自らの手で殺してしまうとかいうマジのシリアスをいきなりぶち込まれると流石に感情が追い付かなかったですね。

終盤以外は萌え~って感じでした。

 

くノ一ツバキ

新時代のアイドルアニメじゃんこれ……。今が旬の若手女性声優たち、このアニメ見るだけで大体わかるの凄いよね。それに、こんなにキャラが居るのに誰もキャラ被りせず、しかも1クールでほぼ全員にスポット当てて描き切ったのも本当に凄い。

正直中盤まではお話が肌に合わなくて、キャラクターが可愛いからなんとか見れているという感じでしたけど、11話のもて術/モテたいの回で大爆笑してしまってからはもう参りました、降参です、といった感じ。煩悩まみれの女の子、とてもかわいいもの。

 

SPY×FAMILY

アーニャが可愛かったです。

お話が面白かったです。

 

このヒーラー、めんどくさい

キャラクターデザインの重要性をまざまざと見せつけられた気がしますね。キャラクター的な魅力は敵も味方も結構あったように思うんですけど、如何せん見た目が安すぎでした。色眼鏡なしで見ると結構面白いギャグなんかもあったりして(風味と歯ごたえ好きだったので最終話で伏線回収されたの嬉しかったです)、でもキャラデザが気になりすぎてイマイチ入り込めなかったのが惜しいなと。最終回のアルヴィンの兜とか、変形しても普通にダサいのはギャグなのか……?

 

群青のファンファーレ

最初はあんまり肌に合わない気がしていたんですけど、トレセン実習あたりから徐々に馴染んできて、でも最後盛り上がり切る前に終わっちゃったなといった感想でした。

横からダークホースの皐汰が急成長してくる感じとか、久慈さんが「あいつは騎手じゃねぇな」って言うところとか、面白くなりそう!って思ったシーンは沢山あったんですよね。ただ、そのどれもが爆発しないまま終わってしまったような感じがどうしても……。

キャラクターの関係もあまり分からなかったですね。優と駿は、最初の衝撃的な出会い以降特に仲を深めるような描写もなかったように思うのですが、最後まで特別な関係であるかのように描かれていました。迅人と惣司朗も、最終回でめちゃくちゃ良い感じになってるの見て、「この二人ってこんなに仲良かったっけ……」って思ったり。3年間なり一緒に過ごした(迅人は途中で退学しましたけど)仲間なりに特別な絆が生まれるのはおかしくないにしても、それを印象付けるエピソードがあんまりなかった気がします。(私が色んな描写を見逃してるだけだったら申し訳ないですが……)

そりゃ全部が全部描いてたら1クールで3年も描けないことはわかりますけど、どうにももうちょっと描写欲しかったなぁってところが悉く不足していて、うーん惜しいなぁと感じてしましました。

 

かぎなどシーズン2

やっぱこういうわちゃわちゃギャグ良いね。感動をおもちゃにされてるという複雑な気持ちがなくなったかと言えば嘘になるけど、それでも悲劇的な結末を迎えるようなキャラクターたちもこの世界では自由にのびのび生きていて安心もできたましたし。

ABのキャラもシーズン2からの参戦にも関わらず違和感なく馴染んでて素晴らしかったね。まぁ、元の世界でもやってることほとんど同じようなものだった気もしますが。

 

舞妓さんち

2クールだ!嬉しい!と思ってたらまさかの3クールありました。嬉しすぎ。

帰郷の回や最終回みたいに、スーちゃんが普通の女の子に戻る回めちゃくちゃ好きです。舞妓さん姿の時はあんなに美しく大人びて見えても、やっぱりスーちゃんも年頃の女の子で、まだまだ幼い部分も沢山あるんですよね。でもまだ少女の身でありながら、最終回では自分が今までキヨちゃんにどんな風に支えられてきたかに気付いたりなんかしちゃって、スーちゃん凄すぎです。周りの人に支えられても、それが当たり前になっちゃっててその偉大さや大変さに気付けないことってあると思います。私自身も経験のあることですし、月並みですけど、こういうのって意外と無くなってからじゃないと気付けないのよ。だから、そこに気付けたスーちゃんは、それだけでスペシャルなんです。

 

理系が恋に落ちたので証明してみた。r=1-sinθ

後半の奏ちゃんの「普通」を主題としたストーリー展開は些か無理があったのでは……?

前半はいつものって感じで良かったです。

棘田恵那が幸せだったらそれでええ。

 

終わりに

何とか夏アニメが終わる前に春アニメの感想まで終わらせられて良かったです。仕事が始まってからアニメを見れる量は減ったのに、ボーッとしながら頭使わずに見てる時間は逆に増えてしまって駄目ですね。社会人になったら皆アニメ見なくなっちゃう理由、これかぁ、なんて思ったり。こんなだからヒーヒー言いながら感想書くはめになるんですよね……。(感想に中身なかったりクッソ適当だったりするのもそれが原因です)

でも、感想を書くことに苦労してるとはいえ、感想を書かないと何の整理もされないまま忘れていってしまうので、気力が続く限りは続けていきたいなと思います。自己満足で始めたことではありますが、気が向いたらまた読んでくださると嬉しいです。

ではまた、夏アニメの終わりにお会いしましょう。

2021秋アニメ

大変遅くなってしまいました。

主に卒業研究やら新生活の準備やら旅行やらで時間が取れなかったのと、いくつか感想を書くのに苦労した作品があったのとでここまで遅くなってしまいました。まさか秋アニメの感想書く前に冬アニメが終わるとはね……。まぁでも卒論と違ってアニメの感想を書くのは好きなことだから、苦しくも楽しいですね。

いい加減グダグダ捏ねくり回しても億劫になるだけなんで、全然感想かけてないアニメも多いけどとりあえずあげておきます。

 

 

S

・やくも二番窯

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二番窯では、偉大な母親や祖父を持ってしまったが故に苦悩する姫乃や十子先輩が中心に描かれました。特に、何の為に、どうして作るのかということに主眼を置いて描いていたように思います。

 

作品を作り発表することって必ずしも称賛されることだけではなくて、それによって傷ついたり悩んだりすることも表裏一体で。

それでも彼女たちが作るのをやめないのは、きっと伝えたい思いがあって、喜ばせたい人がいるからなんですよね。

第19話では刻四郎が「器は焼きあがっただけじゃ完成してない。誰かに喜んでもらってやっと完成なんだ」という姫菜の言葉を教えてくれました。

1期で姫乃が作った座布団だって、賞を獲れるかもという期待とは裏腹に残念な結果に終わってしまったけれど、それを作った姫乃の思いは父親に「座りたい」と思ってもらえたことで報われました。

今まで青木十兵衛の孫として周りの顔色を窺いながら作品を作っていた十子先輩だって、初めて剥き出しの自分で挑んだ作品がおじい様に認められて、どんなに嬉しかったことでしょう。

 

思いを込めて作られたものには、言葉などなくとも伝わるものがあるんですよね。姫菜がモニュメントに込めた思いが時を超えて姫乃に届いたように。国境や言語の壁さえ越えてヒメナにも届いたように。十子先輩の織学祭での新作を見た松瀬理央やおじい様が、言葉なくとも彼女の思いを感じ取ったように。

彼女たちには伝えたい思いがあって、その思いが伝わるその嬉しさも知っていて、だから創ることができるのだなぁと感じさせられました。

 

 

 

 

・王様ランキング

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王様ランキングは元々原作を好きで読んでいました。大抵好きな作品のアニメ化って不安の方が大きいんですけど、この作品はWIT STUDIOがアニメ化するなら間違いないだろうと。そして箱を開けてみると、やっぱり間違いなかったなと。

原作の線の少ない絵を崩さないようにしながら、でも手抜き感などは全くなくむしろグリグリ動く素晴らしい作画で、もう流石のWIT STUDIO。ボッジがデスパーさんの家で料理をするシーンとか、ボッジvsボッスのところとか、よくあそこまで広げられたなと思います。

それに構成も順序を組み替えていたりして、色々わかりやすくなっています。

 

やっぱりこの作品の最大の魅力はキャラクターだと思います。悪者に見えたやつが実は良い奴だなんて、使い古された古典的な手法なだけに安易に使うと陳腐になりがちだと思うのですが、そんなことを全く感じさせません。

意地悪な王妃かと思われたヒリングが実は不器用ながらもボッジのことを強く想っていたりだとか、四天王の中で一番悪そうなベビンが本当は如何に忠誠心が高く慈愛に満ちた人間であるのかとか、デスパーさんへの評価が一瞬のうちにクルクル入れ替わったりだとか。

この作品は登場人物それぞれにちゃんと過去を用意してくれていて、それを一人一人丁寧に描いてくれます。みんな必死に生きてその時に最善だと思うことを頑張っていて、単純に善悪で判断できる人たちばかりではありません。自分を善だと信じて疑わないときは、他方からは悪だと思われてるもので、それこそがこの作品を名作たらしめていると思うのです。

 

 

・境界戦機

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この作品はどちらかといえば地味で堅実で、序盤こそ引きの強い物語ではあったものの、それ以降はハラハラドキドキしたり次の展開が気になったりするようなつくりではありませんでした。ですが、地に足がついた草の根的なレジスタンスの活動は個人的にはかなり好印象でした。

他国に占領された日本で、って聞くと他にもいろいろ思い浮かぶ作品はありますが、この作品で嬉しかったのはそこに生きる人々の生活をしっかり描いてくれたことです。レジスタンスとして守りたいもの、その対象としての一般人の生活を描くことはこの作品らしさを作り出すことに一役買っていたと思います。

 

アジア軍も北米軍もオセアニア軍も組織の意思と末端の各個人の意思とが乖離している様子が描かれた中で、八咫烏の面々は気持ちが良い程一枚岩で。人を助けるという点においては戦闘に限らず生活の援助だってするし、人命救助には敵も味方もないという徹底ぶり。もう誰も傷つくところを見たくないというアモウのまっすぐな気持ちと、八咫烏の組織としての活動理念がバッチリと同じ方向を向いていて、彼らの活動を見ているのは本当に気持ちが良かったです。

そんな綺麗ごとばかり言ってられる状況じゃないだろなんて言われてしまえばそれはそうだし、隠岐の島戦において救助したアジア軍の軍人たちにも「甘すぎる」なんて言われていたけれど、それでも彼らの活動によって救われたものたちが居るのも事実です。もしマクロな視点で大局的なレジスタンス活動をする過程で、その足元で困っている人間一人一人を見捨てるようなそんな活動をしていたとしたら、きっと私は好きにならなかったと思います。

結局アジア軍の軍人たちも命を救われた礼として軍規違反を犯してまで助け舟を出してくれて、隠岐の島戦では辛くもアモウ以外の犠牲者を出さず作戦をやり切ることができました。これはアジア軍人を切り捨てていては拓けなかった道です。だから例えそれが綺麗ごとだとしたって、彼らの活動を信じて見守っていきたいと私は思うのです。

 

 

 

・大正オトメ御伽話

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2021年に出会った作品の中での大賞を挙げるならこの作品。

私、夕月みたいな性善説を信じさせてくれるようなキャラクターが本当に大好きなんですよね。私がフィクションで一番見たいものって、究極に端的に言ってしまえば「優しい人」なんだと思います。そしてそんな人たちの優しさが伝播するような物語が大好きなのです。私も「誰にでも優しくある」ということを標榜して生きているのですが、単純だけどこれほど難しいこともないなと思います。

この作品が何故好きかと問われれば、「優しさ」で物語が回っていくからです。珠彦を筆頭とした夕月の周りの人々は彼女の優しさに救われたけれど、彼女もまた珠彦の優しさに救われているのですよね。そこが好きなのです。

 

第一話での夕月の台詞にこんなものがありました。

素っ気ないフリをしているけれど

とても誠実でお優しい方

きっとこの方なら私を大切にしてくださる

だから私も大切にしよう

優しくしようと

そう

思いましたの

 

……私は

側にいて色々な珠彦様を見たい

好きになりたい

そう

思っております

 

優しくされたから優しくしてあげたいという人間の営みがそこにはあります。

金で買われた夕月と人生のどん底にあった珠彦。お互いに人のことを気遣う余裕なんてなかったはずの二人なのに、珠彦は夕月に上着を掛けました。そのことが如何に夕月の心を救ったでしょう。そんな何気ないことで、でも人の優しさは伝わるものなのですね。

無償の愛による「好き」という言葉は素晴らしく思えるけれど、時に無根拠で無責任です。だからこそ、交わりの中で生まれた「好きになりたい」という感情の重みに、そして本当に「好き」になる過程にこそ愛しさを感じてしまうのです。

 

もちろん悪意の存在を無視することはできません。完全無欠な素晴らしい人間などはいませんし、この作品にだって悪意を持った人間はたくさん出てきます。珠子も綾も、志摩家の人間も最初は全員悪意を持って登場します。

でもこの作品では優しくない側の人間にも理由があります。珠子や綾にはトラウマがあり、アニメのその後ではそれこそ志摩珠央や当主の珠義でさえ羅刹と呼ばれるに至るまでの悲しい過去が描かれます。(珠代は悪意ではなく倒錯した愛情によって行動しており、例外的な存在ですが)

 

自分に悪意を向けた人だって他の誰かにとっては大事な人で、ボタンの掛け違いで憎しみをぶつけられる関係になってしまっただけかもしれない。そう思える夕月という人の、なんと素晴らしいことでしょう。彼女のような人間になりたいというのが私の望みであり、それを確認する作業こそが私がフィクションを見る理由の一つなのですよね。

 

 

余談なんですけど、私は「大正オトメ御伽話」を見るとどうしても中島美嘉さんの「僕が死のうと思ったのは」という曲の歌詞が頭から離れないんですよね。amazarashiが提供してセルフカバーもしている曲で、最近だと美嘉さんがTHE FIRST TAKEで歌ってらしたので知ってる方も多いかと思います。

この曲は生きるのに不器用な人間がふとした時抱く希死念慮を歌った歌なのですが、そこにどうしても厭世家である珠彦のことを重ねて見てしまうのです。

僕が死のうと思ったのは  まだあなたに出会ってなかったから

あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ

貴方のような人が生きてる 世界に少し期待するよ

これは「僕が死のうと思ったのは」の最後の歌詞なんですけど、なんだか夕月と出会って生きる希望を見出した珠彦にとってもリンクして見えませんか?

 

 

・ワッチャプリマジ

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甘瓜みるき、好き……。

周囲の人間の影響で屈折したり、過去の出来事が原因でキツい性格になってしまったキャラクターは過去プリティーシリーズにも多くいましたが、甘瓜みるきはそういうタイプではありません。ただ純粋に計算高く、自分の武器として、防具としてカワイイを演出し、周りを蹴落とす。今までのプリティーシリーズにはいなかったキャラクターでワクワクしますね、ほんと。

ただ、プリティーシリーズの尖ったキャラって物語が進むにつれ段々と牙を抜かれてしまう傾向にあるんですよね。今まさにみるきはその最中で、1年目までは多分大丈夫だと思うんですけど、2年目以降メインキャラクターの立ち位置から降りてスポット参戦キャラ化したときに、形式的に毒を吐くだけの甘いキャラクターにならないかがとても心配です。

 

・86

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22, 23話で全部持っていかれましたね。時間がかかってでもクオリティを妥協せず、ちゃんと描いてくれたアニメスタッフにはホント感謝しかないです。

特に23話の構成なんか、どれだけ推敲に推敲を重ねたのだろうか、と思わせられるほどに複雑で且つ素晴らしかったです。

シンが抱えている欠落と絶望について明るみになる2クール目の後半あたりから、俄然物語に引き付けられました。皆がシンエイに頼り縋り、そして皆が彼を置いて先に逝く。それほどシンエイは皆の心の支えだったのでしょう。でもそれじゃあ、残されたシンエイはどうしたって救われない。

フレデリカでさえ、彼を救うことはできませんでした。彼女はシンに願いを掛けてしまいました。キリヤ・ノーゼンを殺すという救いを、彼に求めてしまいました。

絶望とともに生きてきたシンエイの、その上に立ってくれたのはミリーゼ少佐だけでした。隊長として誰にも縋ることもできず、弱みさえ見せることができなかったシンエイにとって、自分より上に立ち手を差し伸べてくれたミリーゼ少佐は救いだったのでしょう。自分に救いを求めない、それが彼をどれだけ救ったことでしょう。

だからやっぱり、シンを救うことができるのはミリーゼだけだったんですよね。彼女が忘れないでいてくれたことが、願いを受け取ってくれたことだけがシンを救うことができたのだと思うと、この結末が必然であり、如何に美しかったかがわかるというものです。

 

 

 

・白い砂のアクアトープ

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この作品は、見方の違いでだいぶ評価が分かれる作品だなぁと思います。この作品の感想はかなり言語化に苦戦していて、こんなに記事公開が遅れたのもこれが書けなかったからなのですよね。

確かに物語的にはそこまで大きな山場は無いし、しかも主人公であるくくるは最後まで迷い続けたまま物語が終わります。加えて色々ぶん投げてしまったように見える要素もあって、一見中途半端なアニメだったようにも思えます。

でも私は、最終回のくくるとおじいの会話を聞いて、今までの全部がストンと腑に落ちたんですよね。

後になってみないと、わからないことっていっぺぇあるさぁね

ちゃっさしんどくても一生懸命やってると、ご褒美みたいな時間が来ることがあるさ

ごくごく稀にね

(中略)

選んだ道を、自分の力で正解にしてあげなさい

つまり、全ては途中である、ということなんですよね。

あのときの選択が正しかったのかなんて、それがわかるのはずっとずっと後になってからで、それは結果論でしか語れないんですよ。最終回でアニメは終わるけれど、彼女たちの人生はまだ道半ばなわけで。だから、アニメとして最終回でキレイに幕引きすることだって出来たかもしれないけれど、そうしなかったということは決して纏められなかった訳ではないと思うのです。

これからの人生だって選択の連続で、迷いの連続であるはずです。今までの選択を間違いにしないために、そしてこれからの人生をも正しい道にするために、最後の瞬間まで迷い続ける彼女たちの姿を描くことは、真摯にキャラクターの人生に向き合った結果なのだと思うのです。

そして、例えば櫂のくくるへの感情だって、アニメが終わるからって区切りをつける必要はないのです。彼らの人生には、それこそ死ぬまで「最終回」なんて区切りはないのですから、まだこれから先にいくらでもチャンスはあるかもしれないじゃないですか。

確かに大きな山場は無かったかもしれない。でも、彼女たち一人一人を見ると、全員確実に変化しているんですよね。メインキャラクターだけじゃありません。あの面倒くさがり屋で女性嫌いだった屋嘉間志空也でさえいつの間にか女性と話せるようになり、やりたいことなどなかった朱里ちゃんは夢を持ってティンガーラに正式に入社し、うどんちゃんはティンガーラのシェフになっていました。それが良いか悪いかなんてのは後になってみないとわからないものですが、彼女たちの選択は、確実にお互いに影響を与え合いながら前へと進んでいっています。そんなキャラクターたちの様子が見れたのがただただ嬉しいのです。

そして、その中でもやっぱり、くくるの成長を見守れたことは格別に嬉しかったですね。

私は最初、というか結構後半までなんですけど、くくるって結構怖いキャラクターだなぁという風に感じていましたし、正直苦手でした。彼女には彼女なりの正義や価値観があって、そこに合致する人間には味方になってくれる心強い存在だけれども、そこに相反する人間に対しては相手方の事情を汲み取る前に敵対視しちゃうのが本当に怖いなぁと。

思えば、がまがま立て篭もり事件も、南風原さんとの確執も、ウェディングプランナーとの折衝が上手く行かなかったのも、この物語で発生した大きな問題の原因は殆どくくるの自分(生き物)本位な物の見方にあったと思うんです。この時のくくるはまだ自分以外の視点で物事を見ることを知らなかったんですよね。だから、自分の思う正義を正解だと振りかざし、それが受け入れられないとわかると周りが敵に見えてしまったのでしょう。

でもそんなくくるが、ですよ。自分の立場でしか物事を見れなかったくくるが、23話では風花に、

ごめんね。

私が心配ばっかりかけて、風花をお姉ちゃんにさせちゃった。

と言えるようになったんです。自分の視点でなく風花の視点から見た自分の姿に反省し、それを謝罪する。これまでの沢山の問題を通して、ようやくくくるが自分以外の視点に立って考えることができるようになったんです。

この台詞を聞けた時、私は今まで見てきてよかったなと、心の底から思えました。

やっぱりこの物語は水族館再建記なんかじゃなくて、くくるの成長物語だったんだなって。そして、それはまだ終わってなんかいないんですよね。これからもずっと迷いながら成長していくであろうくくるに想いを馳せられることが、私にとっての幸せなのです。

 

A

・ブルーピリオド

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アフタヌーンは大好きで購読こそしてないものの新連載は大体チェックしてて、この作品はもう1話から圧倒的に面白かったですね。

どんな創作論でも共通して「意識すること」についての重要性について描かれますが、この作品も例に漏れずそうでした。

 

絵を描くようになって

見えてたはずの景色が今までよりはっきり見えるようになった

知ってるはずなのに今まで何も知らなかった気さえした

 

絵ってさ

言葉だと伝わらないものが伝わるんだよ

世の中には面白いモノや考えがたくさんあるって気づけるんだよ

「見る」以上に「知る」ことができて

「描く」以上に「わかる」んだよ

 

色が良い人とそうじゃない人の違いは「色に対して神経を研ぎ澄ましているかどうか」

色はとにかく乗せればいいわけじゃない

自分にとって最高の色は自分にしかわからないでしょ?

 

これは最近写真をはじめて私もようやく共感できるようになったことです。

季節ごとの自然の表情なんて今まで気にして見たこともなかったし、外を歩いていて空を見上げることなんてそうそうなかったのに、今や天気ばかりが気になって、紅葉はどれほど色づいただろうか、あの花の見ごろはそろそろだろうか、どのように切り取れば一番綺麗に見えるだろうかなんて、そんなことばかり考えています。

一人暮らしをして初めて今まで親がやってくれていた名もない家事の一つ一つに気付いたりだとか、料理にハマって初めて当たり前に食べていた親の料理を全然覚えてなくて泣けてきたりだとか、思い返せば意識的に取り組むようになって初めて気づくことって今までも沢山あったんですよね。

創作活動というものにはとんと縁のない人生でしたが、八虎の気付きにこの歳になってようやく気付くとは、わからないものです。だから八虎が一つ一つ課題に意識的に取り組み、その度に気付きを得ていく姿に、昔はできなかったであろう実感を伴った共感をすることができるようになって二重に楽しかったなと思います。

 

個人的に大好きな原作20話(アニメの10話)の部分は原作から大好きだったけれど、アニメの出来も凄く良かったです。

この作品ってどこまで行ってもキャラクターの自分探しのお話なんですよね。芸術って自己表現で、それに本気で向き合うってことは自分を知ることなのですよね、きっと。

その中でこの10話は、自分と他人の断絶の話だったように思います。

例えば旅館の朝食で八虎は最初に刺身を食べるのに対して龍二は最初に味噌汁から飲んでいたり。波の音を聞いて龍二が「落ち着く」と言ったのに対して八虎は「怖い」と言ったり。八虎の夢の中でだって、二人は海に沈んで別々の方向を見つめています。最後のヌードデッサンのところも、裸の二人の間に屏風があって、これ以上に無い程個人間の断裂を描いています。

お互いに全てを曝け出したとて、完全に理解しあい同じになることなんてのは不可能なんですよね。

でも、そのヌードデッサンのシーンで八虎がボソッと、

自分で勝手にキャラ作りしちゃう気持ちはわかるなぁ…

と呟くんですよね。

思えば朝食のところでも、最初に食べるものは違っても、それでも口を揃えて「うまー!」ってなったりするし、八虎が海の音に「何もかもなかったことになりそう」だと言ったことに対して龍二は「……そうだね」と理解を示しています。

完全に分かり合うことなんてのは不可能で、それでも自分を曝け出し分かり合おうとすることは無駄じゃないのだという、救いの見えるこの話が、私は大好きなのです。

 

 

・見える子ちゃん

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四谷みこができることって基本は見て見ぬふりだけで、幽霊に対してとれる行動のバリエーションがないんですよね。だから最初はワンパターンだし一発ネタとエロで釣る感じなのかなと思って見てたんですけど、思った以上に面白くて恐れ入りました。

四谷家の父親の話みたいに叙述トリック的な仕掛けがあったり、遠野善を悪く見せるための壮大なミスリードを数話かけて各所に仕込んでいたり、四谷みこ以外のゴッドマザーや狐の神様などが幽霊に干渉するという方式をとったりなどして、各所にワンパターンを回避しようという創意工夫のある話が見れました。最初の印象とはもう全く乖離して、最後まで飽きを感じさせることなく楽しませてくれたと思います。

最終話も、狐の神様の「三回」とはいったい何だったのかとか、猫を殺して回っていた犯人がどうなったのかとか、全てを明かし切らないことでヒキも残しつつ、でも遠野善の今までのミスリードなんかは全部回収していく丁寧さも同居していて非常に巧いなあと。

是非とも二期も見たいアニメの一つになりましたね。

 

 

・吸血鬼すぐ死ぬ

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Y談おじさんとかへんな動物とか、雑で安易でバカな下ネタギャグ本当に大好きなんですよね。ロナルドくんの下ネタ語彙が小学生レベルなのとかヒナイチちゃんの下ネタ語彙が「ちんちん」しかないのとか、もうまさにまさにで可愛すぎて撃ち抜かれちゃいました。

 

 

・先輩がうざい後輩の話

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私はTwitter発のシチュエーションコメディ的なラブコメってあんまり好きではないので基本見ないんですけど、見たら見たで悔しいけど面白かったですね。

双葉の感情の振れ幅が異常に大きかったり、桜井さんと風間くんの中学生みたいな恋愛だったり、正直社会人としては見れない部分もありました。キャラクターの幼さと舞台がちぐはぐというかなんというか。でも逆に言うと社会人であるという点にさえ目を瞑れば、安定の動画工房クオリティでグリグリ動くしキャラクターも可愛くてめちゃくちゃ良いアニメでした。

幼さって捉えようによってはマイナス要素でもありますが、萌えという集合の中でかなり大きな割合を占める要素でもあると思います。属性的な萌え要素としてのツインテールやロリータファッション、あとはツンデレなんかも、幼さや精神的に未成熟であったればこそのものです。

だからこの作品は萌えという観点で見れば、毎週萌えを安定供給してくれる素晴らしいアニメだったなと思うのです。

 

 

・逆転世界ノ電池少女

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お約束を理解しているキャラクターたちによる、結構ギリギリでメタメタの綱渡りって感じのアニメでした。

このメタとリアルの綱渡り感、機動戦艦ナデシコとかそういう系統だよなぁと思ったりなんだり。

色々書きたいんだけれど言語化できてないので、思いついたらこっそり追記するかもしれないです。(普通にしないかもしれない)

 

 

・ダイ大

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バランもハドラーもめちゃくちゃカッコよくて、ザボエラ以外のキャラクターが全員魅力的で震えますね。

ザボエラが死んで魅力がある人間ばかりが残ったと思ってましたが、案外生きているのもそれはそれで面白いのかもしれませんね。ザボエラだけクズで小賢しくて、一人だけある意味次元が違うというか、そういうキャラクターがいるだけで予想もつかない掻き回し方してくれそうじゃあないですか。

 

 

無職転生

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いやぁ、相も変わらずエグい。

この作品って異常に生っぽいんですよね。ともすればノイズになりかねない、しかしどんな状況でも切り離せない人間の性欲をド正面から描いたり、連行された先で奴隷として売られる子供たちの悲鳴が聞こえたり、そこまでやるかねっていう生々しさを持った描写は枚挙に暇がありません。

この生っぽさがこの作品の最大の特徴であり、私としては結構苦手な部分でもあり、でも抜群に面白い部分でもあるんですよね。

だけど、「面白い」と「苦手」の間でゆらゆら揺れてた天秤が一気に「面白い」に傾いたところがあって。そこは父親であるパウロと再会して一悶着あったあたり。抽象的ですけど、そこで初めてこの作品の持つ生々しさがリアリティを演出するためでなく、物語のストーリーとして必要になってバチッと噛み合った気がしたんですよね。

そこからはもう食い入るように見て、最後まで息をつかせぬといった感じ。本当に面白いアニメでした。

 

余談ですが、フォロワーが前に「アニメを見ているとたまに、居ても立っても居られなくなった瞬間、登場人物がさらに上回るパワーで代弁してくれることがあって」って言っているのを見て、なんだかそれを実感した場面もありましたね。ギースがパウロにルーデウスのことを話してくれたシーンとか、パワーのある言い方ではなかったにしろとっても嬉しかったです。ルーデウスのこれまでの苦労を見てきた我々視聴者と見ていないパウロにギャップがあるのは、それは仕方のないことで。だからこそ、ギースがルーデウスの苦労を話して聞かせてくれたとき、何だか視聴者の自分まで救われたようなそんな気がしたんです。

 

 

舞妓さんちのまかないさん

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基本はタイトルの通り、舞妓さんのまかないを作る女の子のお話で、何でもない花街の日常が料理を交えて描かれます。しかしただの日常たれ流しというわけでもなく、何気ない話の端々から顔を見せる芸事の世界の厳しさや花街の常識なんかが垣間見えるお陰で、退屈せずにずっと見ていられます。

自分には恐らく一生無縁の世界で、自分には及びもつかない世界でも、頑張っている人達が沢山いる。それってなんだかとても素敵なことで、勇気を貰えますね。

 

 

B

・SELECTION PROJECT

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ダブル主人公とレジェンドアイドル周りの設定が丸っきりIDOLY PRIDEと被っていて、その設定の特異性から、パクリではないにしろ変なノイズになってしまっていて勿体なかったなぁと思います。

 

まぁそれはさておいて、この作品は昨今流行のリアリティショーをモチーフにした作品でしたね。でもこの作品はリアリティショーをアニメでやった訳ではなくて、その裏側を描いていました。本当のリアリティショーならカットされてしまうであろうことをメインに描いていたからこそ、この作品の評価には悩まされました。なぜかって言うと、この作品は作中のチアーズと我々視聴者がイコールではないのですよね。

 

たとえば第6~7話にかけての、美山鈴音の心臓移植跡のゴタゴタ。

セレクションのメンバーやスタッフや我々視聴者からしてみれば、美山鈴音がセレクションは自分がアイドルとしてデビューするためだけのものではなくて、応援してくれているチアーズたちのためのものでもあると自覚し覚悟を決める素晴らしいエピソードでした。

でも作中のチアーズの目線に立って考えてみると、この話って不親切極まりないと思うんです。

だって、このゴタゴタに関してチアーズが知り得る情報のみで話を組み立てると、

 

美山鈴音だけ不自然に水着になることを拒んでいる。

メンバーの提案で夜更かしサミット開催。美山鈴音が水着を着ないことで責められるも、何故か生放送が中断。

何の説明もないまま次の日から練習風景が放送され、美山鈴音が練習を欠席していることが伝えられる。

数日後、夜更かしサミット完結編が放送。これまでの美山鈴音の行動に対する説明は全くなく、「美山鈴音はもう迷いません」という具体性の欠けた決意表明を聞かされる。セレクションメンバーたちもどうやら仲直りしている様子だが具体的に何があったのかは不明。

 

という流れになる訳です。正直、作中のチアーズからしたら意味が解らないと思うし、あまりにも不誠実なんですよ。

濱栗広海は夜更かしサミットを開催した理由として、

何でこういう場を作ったか、心当たりあるやろ?

うちはな、モヤモヤしたままなんが嫌なんや。思ったことはぶつけ合ってハッキリさせたいんや

と言っていましたが、これって多分チアーズたちが一番思ってるはずのことなんですよね。

内実の分からない問題が裏で起こっていつの間にか解決して、それって本当にリアリティショーなのかって。

この作品にはそういう、画面の前の私は裏側を知っているから楽しめてるけど作中のチアーズからしたらどうなんだ?という描写が結構多くて、かなりモヤモヤしました。

彼女たちのパフォーマンスは裏側を全て知っている我々現実世界の視聴者や同じセレクションを潜り抜けてきた仲間に対しては確かに刺さりますが、作中のチアーズを置いてけぼりにしている気がするんですよ。彼女らはチアーズに対して裏側の情報の殆どをシャットアウトしている訳で、そのくせ彼女たちのやっていることは全ての事情を汲んでくださいとでも言わんばかりの行いで。本来彼女たちがすべきは全てを知っている身内や我々視聴者に対するパフォーマンスではなく作中のチアーズに対してのパフォーマンスであるべきだと思ってしまうのです。

 

でも嫌いなところばかりではなくて、好きなところも沢山ありました。

やっぱり一番好きなのはこの子達の表情が本当に生きていたところ。全員集まった時に一人一人の顔を見ると全員違う表情をしていますし、地元に置いてきた家族や仲間たちというバックボーンを描くことでよりそれぞれの個性も際立っていました。

この作品は皆で集まって会議するシーンもかなり多くて、誰かが発言すると別の方向から「それは違うんじゃない?」なんて意見が高確率で飛んできて、本当に出自も違う9人の女の子が集まって共に過ごしているんだなぁと思わせられました。

アイドルものとしてそれぞれの個性をこれ以上ないくらい丁寧に描いていて、そこが本当に見ていて大好きだなぁと思える部分でした。

 

そして、ライブシーンのクオリティの高さも驚きです。

ここは深夜アニメと女児アニメで天と地ほどの差があると感じていた部分なんですけど、この作品は女児アニメに遜色ないと言っていい程にCGがハイクオリティでしたね。それこそプリティーシリーズレベルのライブCGならば比較しても遜色ないぐらいの出来です。

モデリングや動きの自然さ、表情の豊かさなども非常にハイレベルながら、個人的に評価したいのはライティングです。この作品は照明の使い方が本当に上手かった。逆光状態でフレアが発生したりコントラストが低下したり、またその光がしっかりキャラクターに反射していたり。しかもそれだけではなくて、キメのシーンではちゃんと前からスポットライトをバッチリと当てて、常に靄のかかった眠たい絵面にならないようにメリハリもついていました。非常に細かい部分ではありますがそういった部分の細かいこだわりが本当に素晴らしかったです。

また、カメラワークも素晴らしかったです。例えばGAPsCAPsのライブシーンではカメラがドラムの当間マコをアップで映している時にドラムの振動で画面が揺れているような演出がありましたし、Suzu☆Renaのライブシーンでは視点変更の際に一瞬前ピンになってからジャスピンにバチっと決まるシーンなんかもありました。こういう臨場感を高めるための細かいカメラワーク仕草的なものを仕込んであるライブシーンってほんと見てて気持ちが良いし没入できるんですよね。

(それこそ私が大好きなアイカツ無印なんかはこのカメラワーク仕草に於いて本当に卓越した作品でした。今でもアイカツ無印のライブシーンを見返すと気づきが沢山あって本当に楽しいです。もう何年も前の作品なのに、未だにどのアイドルアニメもライブシーンにおいてアイカツ無印を越えられていないなと感じます。)

話が脱線してしまいましたが、まあだからセレプロもそういったそういうCGのモデリングや動きのクオリティ以上のものが垣間見えて最高だったという話です。

 

 

・真の仲間

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ヒロインのCVが高尾奏音さんのなろうアニメは名作。

途中からスローライフ要素どこ?状態でしたけど、何だかんだで最後まで楽しめたので良かったです。

この作品は「加護」という設定の特異性が目立っていましたね。望もうと望むまいと加護に歩むべき道程が定められてしまう。加護に振り回されてしまう人間の、なんと悲しいことでしょう。

どれだけ最強の加護を持っていたって、それによって望まぬ人生を送るくらいなら、加護など無くていい。その結論に至ったルーティには頭が下がる思いです。

なろうで才能や能力を与えられてしまったが故の苦悩を描くことって、これまでのなろう系が描いてきたこととは真逆ですし、かなり勇気のいることだったんじゃないかと思います。ある意味これまでのなろう系の文脈があってこその作品だし、それも含めてとても面白かったです。

 

 

・かぎなど

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key作品は一通りやったのでネタは大体把握済み。ファンの間でもネタにされてるようなあるあるなんかをこれでもかと詰め込んだ楽しいアニメでした。特にお気に入りは妹ネタが続いた6, 7話あたりです。

見る前は「感動作品でそういうことすんのやめてくれよ……」、なんて思っていたんですけど、見てみるとなんだかんだで楽しくて。神様になった日のギャグでもゲラゲラ笑えたし、私未だに鍵特有の一昔前のノリのギャグ大好きなんですよね。

まぁでもSummer Pocketsがネタにされないで本当に良かったという気持ちも心の片隅にはありますがね……。

 

 

・月とライカと吸血姫

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正直いまいち盛り上がりどころに欠けた感は否めなく、印象に残っているところもあまりありませんが、全然見れないことはなかったですね。あんまり覚えてないので特に感想なしです、すみません。

 

 

シンカリオンZ

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シンカリオンって前作は主人公機と最新機以外はインフレについていけないがちだったんですが、今作ではダブルZ合体が登場したおかげで文字通り全員で戦ってる感が出てめちゃくちゃ良いですね。ガンガンズダンダンが今作でも聞けると思わなくて、おじさん泣いちゃったよ……(泣)。

エージェント・ソウギョクの揺れ動く心にも同情したりなんかして、本筋以外も楽しめるところが沢山あっていいよね。

物語は一段落付きましたが、この先どのように展開していくのでしょうか。楽しみでなりませんね。

 

 

・プラオレ

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ボイトレもダンスレッスンも無しの基礎的なステップ練習だけでビクトリーダンスを完璧に歌って踊ってるのって、彼女たちのポテンシャル凄すぎません?しかも普通のステージならまだしも氷上ですし。そこを突っ込むのは野暮なんでしょうが……。

ま、それはさて置き、仲良しグループの仲良し掛け合いが見てるだけで楽しくて、それだけで結構いいアニメだったなって思いますね。愛佳みたいなアグレッシブで皆の中心になれるようなキャラクターがいるお陰で、そして「絆の力でパックを繋げ!」の合言葉があったように、チームメンバーの絆を深める描写に大半の尺を割いてくれたお陰で、彼女たちの掛け合いを見るのが純粋に面白かったです。

肝心のアイスホッケー描写については、作画も良くてピード感や臨場感なども申し分ないながらも、いまいち盛り上がりきれなかったかなぁという印象です。気の持ちよう一つで何とかなっちゃう展開が多かったのが原因なのかなぁとぼんやり思ったりしたけど、どうなんでしょうね。

 

 

・でーじミーツガール

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設定とかキャラクターとかめちゃくちゃ好きだったので15分とか30分アニメでガッツリ見たかったなって思います。

不思議なことが次々と起きてそれを解決していく部分とかいくらでも広げられそうな気がしますし、90秒で消化してしまうにはあまりにも惜しい作品だったなと思います。

 

 

鬼滅の刃 無限列車編 / 遊郭

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作画は流石の一言。

ただ相変わらずテンポはめっちゃ悪いなと。劇場版でやるぐらいが丁度良かったね。

 

 

・ガルパピコふぃーばー

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いつものやつ。

多分ガルパぴことぷっちみくって、どっちも知らない人が見たら全く同じだと思うんですけど、やっぱり私は圧倒的にガルパぴこのほうが好きですね。なんでなんですかね、これ。

 

 

・結城友奈 大満開の章

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正直勇者部の皆の話の続編を期待していた分肩透かしを喰らった感はありました。

でもやっぱ期待を裏切らない辛さですね。(褒め言葉)

特に第5、6話での乃木若葉の章で千景が徐々に狂っていくシーンはとても心に来るものがありました。やっぱり自分がその立場にならないとわからないようなことって沢山あって、だからこそ当事者とそれ以外の温度差に憤ってしまう。これは自分も常々身に染みて感じていることだったので、余計に辛かったです。

だから私も、千景の気持ちが全部わかるとは言いません。勇者を経験していないのに彼女の苦しみが本当に分かると言えばそれは嘘になるから。

でも、その辛さは本人にしかわからない、ということがわかるからこそ、見ているのが辛かった。彼女自身が変わらなきゃ、誰も彼女を救えないのですから。

ゆゆゆシリーズってホント心を抉るのがお上手なんだから……。

 

 

C

・takt op.Destiny

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旅先で出会う人々との関わり合いの中で、少しずつ人間性を獲得していく運命は見ていてとても嬉しいものでした。

ただ、根本的な問題としてこれ題材がクラシック音楽である理由がないよなぁとも思いました。クラシック音楽を題材に何かしようという思いがまずあって、それを無理やり捩じ込んだ感が否めないというか。既存の出来上がった物語に後からネーミングや設定でクラシック要素を乗せましたみたいな、クラシック音楽抜きでも十分に成立してしまうよなこれっていう違和感。最終話でアンナがコンダクターになっていましたが、音楽の素養がなくてもコンダクターになれるならコンダクターって何なんでしょうか。

それとやっぱりこういう物語で私が気になってしまうのはコゼットの人格で。確かに物語を通して、人と関わりあうなかで徐々に成長していく運命は見ていてとても嬉しいものではあったけれど、だからってコゼットが救われる訳ではないのですから。

こういう人格を乗っ取る系は元人格の方が気になっちゃって物語を楽しむどころじゃなくなるので、個人的地雷かもしれないです。

 

 

最果てのパラディン

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ノローグがものすっごい多かったですね。考えてみれば無職転生もそうだけど、なろう系って1人称視点でモノローグマシマシの作品結構多い気がします。前世の記憶を引き継いで表と裏の人格が存在するが故にモノローグが多く必要になるのかなぁなんて思ったり。それでいうと転スラなんかは大賢者のお陰でモノローグも一つの会話になっていて、そういうのを感じさせなくて上手かったですね。

で、そういう作品だから、ウィルが自問自答して思考が自己完結するくせに、物語の都合ですぐに折れちゃうのが非常に気になりました。失敗を経験すると全ての結果を自分で背負い込むくせに、一言二言の説教ですぐに考えを改めてしまう。自分の中に明確に答えを持っているタイプだからこそ、その折れ方にとても違和感がありました。予定調和というかなんというか。

 

 

・ビルディバイド

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主人公が運ゲー仕掛けて主人公補正で勝っちゃうのってどうなの?とか、何の説明もなしにいきなりカードの効果を現実に適用してたりとか、結構ぶっとんだ世界観にツッコミどころ満載なアニメで見ていてとても楽しかったです。ただ、殆どギャグアニメとして見てたので終盤のシリアスはイマイチピンとこず……。

 

 

・暗黒神使

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全く以って日本のアニメ的ではない、突然変異のような3DCGアニメーションでした。それもそのはず、日本でなく中国のアニメみたいですね。

日本の3DCGアニメって手描きに寄せるようないわゆる「セルルック」が主流だったと思うんですけど、この作品はFFとかそういうのを見た時の感覚に近い、どちらかといえばゲーム的な方面に進化を遂げたCG作品だったなと。

世界観や設定がかなり作り込まれていて、ワクワクしたのは確かです。ただ設定に凝りすぎたせいか尺の大半を設定の説明に使ってしまった感じも否めなく、また、理解するにもかなり苦労させられました。理解したら面白いんですが、それらの面倒くささを差し引いてこの評価に落ち着きました。

主人公の過去やトウテツの思惑など、一番肝心なところは明かされないままでしたが、これって続きあるんすかね……?

 

 

・海賊王女

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CV瀬戸麻美さんのフェナが良すぎる、本当に良すぎる。うまく説明できないんですけど瀬戸麻美さんの声ってめちゃくちゃ俗っぽいなぁと思っていて、それが良い意味でフェナの神秘的な見た目とのギャップを生んでいて素晴らしかったですね。ちはやふるのちはやとかもそうだけど、こういう見た目と中身にギャップのあるヒロインやらせたら右に出る者はいないんじゃないかなって思います。

そんでもって作画も音楽も世界観も抜群に良かったですし、やっぱIGって凄いね。

 

でも、エデンにたどり着くまではめちゃくちゃ好きだったんですけど、最後がなぁ。

こういう宝探し系のお話って、最後の最後まで引っ張ったその宝の正体が予想を裏切るものであり、しかし納得できるものでなくてはならないという、一見矛盾した二項を両方満たす必要があると思うんですよ。それで言うとこの作品の宝は完全に予想外ではあったけれど、納得の部分は全くできなかったですね。

フェナに課せられた運命の部分が全くの説明不足で、伏線なんか何もない方向へぶっ飛んで行っちゃって。そんでもって一族を裏切ってまでついてきてくれた仲間たちも完全に置き去りで、フェナと雪丸だけで最後を決めてしまうのも何だかなぁ。(雪丸も殆ど蚊帳の外だったか……)

 

 

 

・SCARLET NEXUS

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終わってみると何だかんだで楽しかったですね。

膨大な設定を段階的に開示して二転三転とどんでん返しを繰り返しながら進んでいく構成によって、最後まで飽きずに見続けることができました。ただ、物語としては殆どが説明シーンなのもあって、面白いかと言われると怪しいです。ゲームはゲーム部分の面白さというベクトルの違う評価軸があるのでストーリー部分は設定の説明だけでも成り立つのかもしれませんが、アニメにそれをそのまま落とし込むのは無理がありますね。

あと、せっかくの異能バトルなのだから、手に汗握るようなアツい戦いも見たかったなと。戦闘描写は数多くあれど、その殆どが名もない怪異やトゲツの構成員との戦いで、面白い戦闘描写が全くありませんでした。これってゲーム原作の弱みなような気もしますね。RPGとかって一つ一つの戦闘が圧倒的に軽いし、いわゆるノルマ的な戦闘がやたらと多い。本来ならそこがゲーム部分で一番楽しい部分であるはずなのだから、そこをプレイヤーが操作しないアニメーションという媒体に落とし込むときにどうするかって、かなり重要な課題ですよね。

総じて色々足りなかった気はしますが、でも嫌いにはなれない、そんなアニメでした。

 

 

・しょうたいむ

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普段僧侶枠って見ないんですけど、お歌のお姉さんのビジュアルが好みでまんまと視聴することに。

エロ漫画が原作なので当たり前っちゃ当たり前ですが、主人公の抑えきれない性欲に笑ってしまいました。娘が寝付いたそのすぐ横で女性を襲うってどういう神経してんだと思っちゃうんだけど、案外普通なんですかね。

 

 

D

・サクガン

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ガガンバー、めっちゃ大人だなぁ。

普段はポンコツだし適当だし色々やらかしたりもするけれど、大人であるべきところではきっちりかっちり大人の役回りを果たすことができる。なんかそれってホントかっこいいよなぁって思うのです。

ただ、問題はぶん投げちゃったこと。全部を全部説明しろとまでは言いませんが、思わせぶりな発言や謎をばらまくだけばらまいて結局何もわかりませんでしたって、それは流石に見ていて辛いよ。

エピソードを一つ一つ見れば1話とか11話とかめちゃくちゃ好きな話もありましたけど、それも殆ど繋がってないのが勿体なかったなと思います。コロニーの構造と人類の生活圏の設定とかサクガンの削岩要素の設定とかもほとんど活かせてなかったように思うし、全体的にもうちょっと頑張って欲しかったですね……。

(後から知ったんだけど元々2クールだったのが1クールに短縮されてこうなっちゃったらしいね。だからといって評価が上がったりはしないけど、あまり悪く言うのも気が引けるし、モヤモヤするなぁ……)

 

・SHAMAN KING

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いつだって正義面した奴らは「復讐なんてくだらない真似をするな」なんて言うけれど、それは本当に門外漢だからこそ言える台詞で、ずるいよなぁと思ってしまうのです。その渦中に立ってすらいない、経験すらしていない苦しみを、「くだらない復讐」の一言で片づけてしまう主人公を、私はやっぱり好きにはなれません。

ルドゼブが葉に向かって言った「大切なものをなくしたことないから、そんな綺麗ごとばかり言うんだ!まるで悟ったみたいにな!」という台詞に全てが詰まっていたように思います。

 

 

BORUTO

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中忍試験編は良いモノの、ボルトとミツキは遅刻して棄権って酷すぎるよ……。特にボルトにとっての中忍試験って前回不正を犯してしまった過去もあって、かなり重要な舞台だったはずです。父親にも里にも成長した自分を認めてもらうための絶好の舞台で、だから遅刻して棄権になった時本当にがっかりしました。人助けをしていたから遅刻した訳ですが、それでもなぁ……。

木ノ葉の里の忍の班って私の認識では全員中忍になると自然消滅するっていう認識なんですけど(合ってるかはわからない)、もしそうだとすると第7班のボルトサラダミツキが全員中忍にすると班が解散してしまうから苦肉の策としてサラダだけ中忍に昇格させるという形をとったのかもと思うのですが、それにしても流石にボルトが可哀想すぎるよこれじゃあ。

 

プラチナエンド

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デスノートの大場・小畑コンビによる作品。

死神と天使だとか、月と明日のキャラクターだとか、その他諸々の要素を鑑みるに、どうもデスノートと対になるように意図して作られた作品のような気がしますね。

個人的には架橋明日の思想はかなり好きではあるんだけど、それがエンタメ作品として面白いかどうかははまた別問題なんですよね。そりゃ誰も殺さない、死なないのが理想ではあるけれど、そんなこと言うてる場合かよ、ってさ。しかも架橋明日が自発的に動けないから、物語が遅々として進まないのも本当に見ていて退屈で。

ただ、あの衝撃的な結末だけは、全く読めずにやられたなぁ、と。

 

 

E

・テスラノート

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作画はまあ見てれば慣れるというか、案外悪いものでもなかったかもしれないというのが最後まで見た感想です。

この作品、1巻発売前後の頃からアニメ化決定のニュースが流れてた記憶があってマガジンの次世代の大本命なのかなぐらいに思ってたんですが、アニメの出来は本当に酷かったですね。いや、原作も同様に酷いのかどうかは分かりませんが読んでないのでここでは言及しません。

まず主人公サイドが全員感情優先の直情型なのは良いとして、それとスパイという題材は流石にミスマッチだったなと思います。

それに加えて敵組織の「おなかすいた」の思想とか、それを説得しようとする主人公サイドの言葉とかも、全部が全部紋切り型の定型句で。

おなかすたとかミッキーのよくわからない喋り方とか、精いっぱいのユーモア要素も、本編がガバガバ過ぎてそんなところに力を入れている場合じゃないだろという気持ちしか生まれずなんだかなぁといった感じでした。

 

 

・闘神機ジーズフレーム

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10月になっていきなり放送が決定した謎の中華ロボットアニメ。

実は敵勢生物のネルガルが単純な悪ではなくて、人類の使うエネルギーが宇宙にとって有害だったので襲ってきていた、という本筋は結構よかったと思います。だからってどうしようもなくて、結局敵をぶん殴って終了というのは何とも強引にまとめてしまったなとは思いますが。

ただ中盤の脱線具合はかなりのものでした。個別回をやったりするのはいいんだけれど、それが全く本筋に繋がっていない。そこが繋がってさえいれば、或いはもう少し楽しめたかなと思います。

 

 

 

 

・180秒で君の耳を幸せにできるか?

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確かにASMRは耳が気持ちよくて良かったんだけど、それを撮影しているのを俯瞰で見せられるとなんだかむず痒いというか、気恥ずかしさのほうが勝ってしまいました。

ゲッコーちゃんの母親が赤ちゃん言葉で話しかけながら耳掻きする回とか、ほんとどういう顔をして見れば良かったのだろう······。

 

 

 

 

・ミュークルみっくす

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感想なし。

 

 

おわりに

秋アニメが終わったのはもう3ヶ月も前のことで、だいぶ忘れてることも多くて感想を書くのが遅々として進みませんでした。やっぱこういうのは最終回見てすぐの、感情が乗ってるときに書かなきゃ駄目ですね。

そして、まだ冬アニメの最終回と感想が残ってると思うと嬉しさ半分、気が遠くなります。社会の荒波に押し潰されていなければ、なるべく早く冬アニメの片付けたいところですが、どうなることやら……。

 

 

 

 

 

2021年まとめ5選

2021年に触れたもので素晴らしかったものを各部門5つ選出。

忘れているものとかもあるので、後から思い出したら変わるかも。

 

 

アニメ

今年は新作アニメ、過去作アニメに加えて劇場アニメ部門も設立。

 

新作アニメ5選

新作アニメの感想は各クールの感想に書いてあるので省略。(秋アニメは後々)

フルーツバスケット The Final

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ゾンビランドガリベンジ

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 Sonny Boy

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やくならマグカップ

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大正オトメ御伽話

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劇場アニメ5選

今年は結構劇場アニメも沢山見た気がする。まだEUREKAを見れていないから早いとこ見に行きたい。

 

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

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今年はこの閃光のハサウェイが見たいがためにガンダムシリーズを1から見始めて、その熱冷めやらず小説版を読むまでに至った。

逆シャア時点でのシャアの思想を頭に入れておくとだいぶ面白く見れるので、見てない人は最低でも逆シャアから見てみることをお勧めする。

 

本編は市街地戦闘の後にギギがケネスのもとへ駆け寄るシーンでクェスがフラッシュバックするシーンや、ハウンゼンでの「やっちゃいなよ!」のシーン、「身構えているときには死神は来ないものだ、ハサウェイ」のアムロのシーンを筆頭に、アニオリでの素晴らしい演出が多くて大満足の出来だった。

作画も素晴らしく、ロボットアニメのステージが一つ上がったなと感じさせてくれる2021年を象徴するアニメだった。

 

 

 

映画大好きポンポさん

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面白いの一つの側面として"共感"というものがあって、それの究極系が「映画の中に自分を見つける」ことなんだと思う。

このキャラクターは自分だと感じる瞬間ってやっぱりアニメを見ていたり漫画を読んでたり小説を読んでいたらあるし、それが全てではないけれど、それも一つの楽しみ方としてある。

MEISTER」の中に自分を見つけたジーンのように、ジーンの中に自分を見つけた視聴者は多かったはずだ。

私はジーンのように映画好きが高じて映画業界に入ったりなどもなく、何も生み出せない身ではあるけれど、それでも私もジーンの中に自分を見つけた。別に全部が全部同じであるわけもなく、お前如きが烏滸がましいと言われるかもしれないが、好きなものに対する情熱と青春を"好き"に捧げたという点においてジーンは私だし私はジーンだった。それは誰に否定されることもないし、誰に恥じることでもないのだ。

 

 

蒼穹のファフナー THE BEYOND 10~12話

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蒼穹のファフナーシリーズも17年の時を経て、ついに完結。物語はさながら竜宮島を巡る年代記のような分量になり、とてもあらすじをここに書き切ることなんてできない。この春からの就職先も実はファフナーの影響があって、この作品は自分の人生とは切っても切り離せない作品になった。

最初は新総士も好きじゃなかったし主人公が美羽と総士に変わったのも結構嫌だったんだけれど、考えれば考えるほどこれにしっくり来ている自分もいる。

 

争いを好まずフェストゥムに対してすら慈愛の心を持った美羽は、人を憎まずフェストゥムとの共存の可能性すらも積極的に探っていた真壁文彦以下竜宮島の大人たちが未来に託した希望が結実したかのような存在だ。彼女の存在こそが竜宮島のこれまでの活動を物語っている。竜宮島の大人が子供たちに教えるのは、戦い方ではなく人間としての生き方だった。

竜宮島は文化を継承し次世代へとバトンを繋ぐことに重きを置いた。人類がフェストゥムに勝利したとて、その先に人々の営みがなければそれは人類の敗北だ。次世代に文化を繋いでいくことこそが人間であるというのが竜宮島の精神なのだろう。

だからこそ美羽も自己犠牲を行ってでも次の世代に繋げることを選択した。

 

そしてそこにこそ総士(新)という存在が必要だった理由もあるのかなと思う。竜宮島の外で育ち、竜宮島の精神を受け継いでいない総士という存在だからこそ、自己犠牲なんてクソ喰らえだとぶっ飛ばし、誰も犠牲にしないという第三の選択肢を見つけることができたのだろう。

結局のところ自己犠牲をしてまで次の世代へとつなげることが竜宮島の意思である時点で主人公が世代交代することはごくごく自然なことだし、そしてそれをテーマとしている時点で、これ以上誰も犠牲を出さぬようにという展開に持っていくためには竜宮島の"外"の人間が必要だったのだ。そう考えるとこの物語の終着点はこれ以外にはあり得なかったなと感じる。

 

 

 

アイの歌声を聴かせて

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景部市高等学校に突然転校生としてやってきたシオン。彼女は、クラスで孤立するサトミを前に、突然歌を歌いだす。これをきっかけに、ふたりは仲良くなり、シオンは瞬く間にクラスの人気者になる。しかし、シオンは時折不可思議な行動をして周囲を驚かして……

構成がめちゃくちゃ良かった。メインの登場人物が抱える問題を一つ一つ丁寧に解決していって、最後に「サトミを幸せにする」という単純明快な目的のもと全ての伏線が回収されて皆でハッピーエンド。もうこれ以上に望むことなんてない。

 

 

ARIA The CREPUSCOLO/The BENEDIZIONE

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ARIA蒼のカーテンコール第ニ章と第三章が六年の時を経てついに公開。AVVENIREの時ですらボーナスステージのように思っていたのに、令和の時代にまたARIAの新作を見られるなんて思わなかった。

 

AVVENIREはどちらかといえば今までの原作やテレビシリーズの延長線上のARIAという感じがあったが、このCREPUSCOLOやBENEDIZIONEは映画用にしっかり構成されたドラマチックなARIAだったなと思う。

私の中でARIAって日常のほんの小さな素敵を大切に大切に描いてくれる宝物のような作品で、だからAVVENIREのいつもの日常の素敵エピソードを複数詰め込んだ形式も大好きだ。テレビアニメで取りこぼしたケットシーとの別れを描いたり、新たな世代のウンディーネたちの出会いを描いたり、そして独立しているように見えたそれぞれの話もちょっとずつ繋がっているという仕掛けもあったりして、ただのオムニバスにはとどまらない素晴らしい作品だったと思う。

対してCREPUSCOLOやBENEDIZIONEには、一個の大きな屋台骨となる問題がある。序盤から中盤はその問題を解決するための手掛かりを過去のエピソードから拾い集め、終盤にその問題の答え合わせがあり、最期はこれからの未来に希望を託して終わるという構成になっている。日常成分こそ少なかったものの、ARIAの"映画"として見応えのある素晴らしい作品だったと思う。

 

そして、AVVENIREからBENEDEZIONEの青のカーテンコール三部作で一貫して描かれたのは「あの頃は良かったじゃなくて、あの頃も良かった」というメッセージだ。これは原作でも度々登場するメッセージであり、それこそ原作の最終話でも登場する、いわばARIAという物語全体に通う通念のようなものだ。

元々はアリシアさんの台詞だが、CREPUSCOLOでは灯里が皆に向けてこの台詞を言ったり、確実にこのメッセージは彼女たちの中に息づいているのがわかる。過去の思い出話から徐々に現在へ話は向かって行き、最期に未来への希望を持たせて終わるという話の構成も、このメッセージとバッチリ噛み合っていて素晴らしい。

だからこの一言を映画館で聞けたとき、私は「この映画は決して蛇足などではない」と確信したのだ。

 

 

 

 

過去作アニメ5選

去年はまとめ記事で00年代アニメを沢山掘ったと書いたが、今年もその傾向は継続中。有名どころや名前は聞いたことあるようなのはぼちぼち見尽した感じがあったので、OVAとかWOWOWアニメとかそのあたりにも手を出して色々見て言った感じ。

 

新世界より

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1000年後の日本。人類は「呪力」と呼ばれる超能力を身に着けていた。

注連縄に囲まれた自然豊かな集落「神栖66町」では、人々はバケネズミと呼ばれる生物を使役し、平和な生活を送っていた。その町に生まれた12歳の少女・渡辺早季は、同級生たちと町の外へ出かけ、先史文明が遺した図書館の自走型端末「ミノシロモドキ」と出会う。そこから彼女たちは、1000年前の文明が崩壊した理由と、現在に至るまでの歴史を知ってしまう。

禁断の知識を得て、早季たちを取り巻く仮初めの平和は少しずつ歪んでいく。

 

常識なんてものは時代と共に移りゆくもので、今の常識がいつまでも常識であるとは限らない。そしてその常識すらも、ふとしたきっかけで崩れ去ってしまうかもしれない。そんな恐ろしさを感じる作品だった。

 

私がファンタジーに求めるものとして、「見たことのない世界を見せてくれる」というのがある。別にそれが全てだとは思わないし、そうでなくても面白い作品なんてごまんとあるけれど、少なくとも私の中では一つの重要な評価基準にはなっている。

それはやっぱり幼い頃から読み続けた児童文学の影響なのだろう。ミヒャエル・エンデが、D.W.ジョーンズが、ラルフ・イーザウが見せてくれた世界は、他の誰にも創造しえなかった驚きとワクワクに満ちていた。あの頃から歳を重ね、沢山の作品に出会った今見ても唯一無二だと思わせてくれる世界だ。

そういう意味でこの新世界よりという作品は私にとって数少ない"本物のファンタジー"だった。

 

 

今、そこにいる僕

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ほんのり昭和の香りのする時代の日本でごく普通の生活を送っている少年・シュウ。謎の少女・ララルゥと出会い、突如として別の世界に飛ばされることからストーリーが始まる。

世界観の説明は殆どなく、ただひたすらにキツい描写が続く。いきなり異世界に飛ばされて、拷問を受け、戦争に駆り出され、人を拐い殺せと命じられるシュウ。全く理不尽な暴力の数々、それは肉体にも精神にも容赦なく襲い掛かる。シュウはその理不尽な暴力にもその結果生まれた悲しみにも、対抗する手段も答えも持たない。

それでも彼は正しいことを正しいと、間違っていることは間違ってると言い続けた。誰だって戦争が間違っていることなんてわかっていた。人を害することでしか生きていけないからと良心を殺し正しさから目を背けていた人たちの中で、どれだけ辛い目に合ったとて正しさを曲げないシュウという存在は直視できないほどに眩しかった。

 

 

 Ergo Proxy

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“死の代理人” それは、創造主が仕組んだ悪意……人とロボットが共存し“感情を必要としない楽園”ドームシティ・ロムドで起きた謎の殺人事件を追う女性査察官リル・メイヤーは自宅のバスルームで異形の超人の襲撃に遭う。物語はやがて螺旋に織り成す謎を纏い、リルを見果てぬ外世界へと誘う――圧倒的な世界観の中で繰り広げられるダーク・サイファイ。近年では「虐殺器官」「GANGSTA.」の監督や、話題を呼んだ映画「ブレードランナー2049」のショートフィルム「ブラックアウト2022」でキャラクターデザイン・作画監督を手がけた村瀬修功によるオリジナルSFサイコサスペンス・アニメーション!

物語は実に難解で、殆どの事柄に説明がなされないまま進む。振り落とされないように腰を据えて見て、些細な描写までもを覚えておく必要があったためかなり見るのに体力が必要だった。

というか、「一度通して見る→(よくわからなければWikipediaなどで設定を補完する)→二度目の視聴」というのがこの作品を楽しむためには必須だと言っても差し支えない。一度目の視聴ではよくわからないまま流していた描写も、設定を十分に把握した上で見ればそういう意味だったのかという驚きと共に理解されることだろう。

この作品の凄いところは、その膨大な設定の数々が裏設定などではなく、作品をしっかりと見てそのピースを繋ぎ合わせていけば必ず現れてくるところにある。設定資料集を読めば、あるいは他のメディアミックス媒体を見れば設定が補完されるなどといった甘えは一切なく、全てアニメの中に描かれアニメ単体で一つの作品として完結しているのだ。

 

 

 機動戦士Zガンダム

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Zガンダムを見て私が感じたことは「シャアという男の悲哀」だ。

Zの最終回でシャアはシロッコハマーンに対して「私が手を下さなくともニュータイプへの覚醒で人類は変わる」と発言している。

しかし、結末を見るとどうだろう。ニュータイプであるシロッコは明確に分かり合いを拒否し、カミーユは高すぎるニュータイプの感応力が仇となって、シロッコの怨嗟によって心を破壊されてしまった。

ニュータイプ同士ならば誤解なく分かり合えるというのは幻想で、現実はたった二人のニュータイプ間であっても"わかりあう"ことはできなかった。結局のところ、全人類がニュータイプに覚醒したとて"わかりあう"ことなど不可能なのではないかとも読み取れる、絶望的な結末だ。

しかし、シャアという男は違った。彼は"ニュータイプのなりそこない"と称されていたように、彼自身はニュータイプになれなかった。だからこそ、彼はニュータイプに対する幻想を捨てきれなかったのだろう。あの結末を受けてなお、ニュータイプが全てを解決してくれるという幻想に縋り、アクシズ落としという修羅の道身を投じてしまったのではないかと私は思う。

彼が本当にニュータイプであったならば、本当の意味でわかりあうことなどできないと気づき、別の道を辿る選択もあったかもしれない。それを思うとシャアアズナブルという男が如何に悲しい男であったかが分かるというものだ。

 

 

彩雲国物語

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中国・唐のような架空の国を舞台に、名門紅家の長姫である紅秀麗が官吏(役人)としてあれやこれやの大奮闘をする物語。

物語は紅秀麗と国王・紫劉輝を両輪として回っていく。

劉輝は秀麗のことを特別に思うが故に、権力を持っているからこそ手助けすることができない。手助けしてしまえば「王族の後ろ盾を持っている」「どんな手を使って取り入ったのか」という非難や偏見に晒されることになるし、劉輝自身に対する不信感にもつながってしまうからだ。

そして秀麗もそれを望まない。彼女が官吏になったのは国民を、そして劉輝を支えるためであり、劉輝の足枷になるためではないからだ。

互いが互いを大切な人と思っていながら、直接手助けできない歯痒さ。そして紫劉輝からの矢印は恋なのに紅秀麗からの矢印は恋ではないという非対称性に、国王と一官吏という身分の非対称性も本当に切ない。

私の中でNHKアニメと言えばプラネテスだったが、この作品は唯一それに並びうるぐらいに思い入れのある作品になった。

 

 

 

漫画

漫画は去年と同じように2021年に完結巻が発売した漫画と第一巻が発売した漫画を5つずつ選んだ。

 

完結漫画5選

あまんちゅ

天野こずえ先生の日常ときどきダイビング漫画が堂々の完結。

終盤のぴかりが脚を折ってしまう展開やぴかりが明るく振舞っている裏で実は泣いていたという事実に、こんなことはあまんちゅに求めていないと顔を顰める人もいたようだが、私的には必要な話だったと思う。

てことぴかりはバディで、どっちが上でも下でもない横並びの存在であって欲しい。でもいつもぴかりがてこの手を引いていてはその関係は対等とは言えない。

ARIAで完全無欠に見えたアリシアさんが灯里との日々を終わらせたくなくて灯里のプリマへの昇格を躊躇してしまったように、灯里が変わっていくことがどうしても不安で怖くなってしまったように、天野こずえ先生の描くキャラクターは完璧なように見えて、その実不完全な一人の人間なのだ。

いくら綺麗に見えたってその裏で抱えている思いはやっぱりあってしかるべきで、それがないというのならそれはまさしく綺麗ごとだろう。だけど、全くそんなことはないのだ。

だからぴかりが常に明るく周りを引っ張っている裏で自分自身に思うことがあるというのはやっぱり当然で、そこを踏み込んで描くことは作品のためにも、そしてぴかりを完全なキャラクターから不完全な一人の人間にするためにも必要なことだったのだと思う。

 

 

太郎は水になりたかった

中学二年生の太郎の家には母親がいない。少しシャイで、同じクラスの谷村さんのことが好きで、親友のヤスシと毎日しょうもない妄想ばかり繰り広げては笑い転げる。そんな太郎とヤスシの、馬鹿みたいだけど真面目な中学生活も遂に完結。

親友が別のやつと仲良くなってぎこちなくなることもあるし、好きな人の好きな人は自分じゃないと知って落ち込むこともある。そんな誰にでもある、全然キラキラしてないけれどかけがえのない青春。冴えない青春を送ってきた誰もが経験しているようなしていないような、でも絶対に共有できる感情がそこにはある。

 

大橋裕之作品は絵こそ独特で一見手抜きや下手に見えるかもしれないけれど、ヘタウマでオシャレでみたいな方向に全く逃げずに、雰囲気で誤魔化したりすることもなく、しっかりとストーリーやギャグが練り込まれている。その上でこの絵のラフさを逆手に取って、だからこそ成り立つ話やキャラのぶっ飛び方までしているものだから本当に凄い。普通の絵柄で描かれたら「いやいや、どんな世界観だよ」と思ってしまうことが、このラフな絵柄だからこそ成り立っている。

ギャグは笑えるしストーリーもしっかりしてるし、作品全体から薫るノスタルジーにも舌を巻くものがある。その上時々鋭い切り口で核心を突いたことを言うものだから、私は大橋裕之作品から目が離せないのだ。

 

 

 

尾かしら付き。

尻尾のついた男の子・宇津見と、そんな男の子のことが気になる女の子・樋山那智。そんな二人が様々な偏見を乗り越えて一緒になるまでの10年間のお話。

マイノリティーに対する偏見の目はどこにだって存在しているが、こと学校という世界の中においてそれは最も残酷に機能する。尻尾があることで"皆と違う"宇津見は酷い偏見に晒され、学校という世界から爪弾きにされる。誰一人として同じ人間はいないのに、表面上の"同じ"から外れただけで人は容赦なく切り捨てられる。

佐原ミズ先生は偏見や差別や負の感情をはっきりと描く。それはもしかしたら私たちが普段生きてるなかで無意識に、当たり前にしてしまっているかもしれない差別だ。見ず知らずの人を値踏みして、「さっきのあの人ヤバくなかった?」なんて、どこでだって聞く会話。その人の内面も何も知らないくせに、無責任な言葉のナイフを放ってしまうことなんていくらでもある。自分が言われたときの痛みを想像しないまま人に暴言を吐いてしまう人なんていくらでもいる。

先生の漫画に出てくるキャラクターはいつもそんな言葉を投げかけられる側の人間だ。でも先生の描く作品が荒み切った悲しい話かと言われればそうではない。世界が優しくなくたって、世界に優しい人がいない訳じゃない。誰に否定されようと特別なたった一人が認めてくれたら救われることってきっとあって、それがきっと宇津見にとっての那智であり那智にとっての宇津見なのだ。

 

 

友達として大好き

友だちの作り方が分からない女の子・櫨沙愛子が生徒会長・高敷結糸と本当の友達になるべく頑張るお話。

早期完結ながら非常に美しい幕引きだった。1話を読んだ時にちょっと引いてしまったのだけれど、そんなことはぶっ飛ばせるぐらいに素晴らしい作品だったので是非読んで欲しい。

沙愛子は初手でエッチを迫ったりする中々にぶっ飛んだキャラクターではあるけれど、その根本には仲良くなりたいけどどうすればいいかわからないという不器用な心があった。言葉や行動が間違っていただけでとっても素直で優しい子だから、表面上の彼女ではなくて、その不器用な心を汲み取ってくれる優しい人たちと出会えて本当に良かったと思う。

 

 

ロストラッドロンドン

地下鉄でロンドン市長が殺された。偶然同じ電車に乗り合わせた大学生・アルと事件の捜査に当たった刑事・エリス。事件によって出会った二人が真犯人を探すクライムサスペンス。

会話やジョークの言い回し、構成上の引きの作り方が抜群に上手い。題材や舞台がアメリカなのも相まって、良質な海外ドラマを見ていると錯覚してしまうほどだ。人種を強調したデフォルメだったり、擬音を表すような描き文字が一切なかったり、トーンを一切使わず白黒グレーのベタ塗りのみで構成したスタイリッシュな画づくりであったり、日本の漫画っぽさを極力排した挑戦的で素晴らしい作品だった。

この作品にはアメリカの人種差別意識についても盛り込まれている。アメリカにおいて白人ではないとはどういうことなのか。当事者ではない私にはわからないが、主人公たちの性格がその差別問題に影響を受けた造形になっていて、その上でアルとエリスのコンビが成立していることに説得力を持たせるところにまで繋げているのだから凄いとしか言いようがない。

 

 

新作漫画5選

まじめな会社員

 菊池あみ子、30歳。契約社員。彼氏は5年いない。いろんな生き方が提示される時代とはいえ、結婚せずにいる自分へ向けられる世間の厳しい目を、勝手に意識せずにはいられない。それでもコツコツと自分なりに築いてきた人間関係が、コロナで急に失われたら……⁉

作者の解像度の高さにただただ脱帽。ふとした時に対人関係で抱く曖昧模糊とした感情をはっきりと形にして突きつけられる、この漫画はそんな漫画だ。所謂社会では自分を偽って生きている、そう感じる痛い人間としては読んでいてとても共感できるところでもあり、身につまされるところでもあり、読んでいて胃がキリキリするような感覚を覚える。

中でも一番グサッときたのが「友達の中でも人気の低い友達」というフレーズ。せつないけれど、これを自覚してしまう瞬間ってかなりある。そしてそんなことをあみ子が考える度に「頑張れッ……!」となってしまうのだ。だって悲しいかな、あみ子の中に自分を見つけてしまったのだから。

 

 

アンサングヒーロー

舞台はレコード会社「ガイアミュージック」。やる気が空回りし怒られてばかりの新人A&R・後免一郎が、圧倒的才能を持ったじゃじゃ馬娘・柊ジャムを発掘し、彼女をプロデュースする物語。

主人公の後免は元々ミュージシャン志望だったものの夢破れてA&Rになったという経歴もあって、その才能の対比というものが切ない。A&Rってアニメで言うところの制作進行、漫画や小説で言うところの編集みたいな感じで、クリエイティブなところに最も近いけれどクリエイティブ職ではないわけで。だからアーティストやクリエイターとの間にはどうしても埋められない溝みたいなものがあって、それがはっきりと描かれているのがとても残酷。

でも同時にそれは悲観すべきものでもないという救いも描かれているのがこの作品の素晴らしいところだ。柊ジャムは確かに後免にクリエイティブな領域について相談しないけれど、それは決して後免を見くびっているわけではない。むしろ彼を最大限に信頼しているからこそ、自分はクリエイティブな部分に集中し、それ以外を彼に丸投げできているのだ。

そしてその描写によってこの作品のタイトルである「アンサングヒーロー」という言葉が効いてくる。この作品の主人公は、誰に称賛されなくとも縁の下でアーティストを支える後免一郎なのだ。

 

 

勇気あるものより散れ

ガンスリや1518の相田裕先生の最新作。

ガンスリは全てを失っても残りの限られた命の中で生きる意味を探し、次の世代への希望を繋いだ少女たちの話であったが、この作品は永遠の命という絶望の中で、この悲しみの連鎖を断ち切るために、次の世代を作らないために「母親を殺す」という決意をした少女の話だ。一見真逆に見えるが、テーマとしては共通しているようにも思う。

相田裕先生の作品は全て、それこそ1518も含め、「失った人々が、そこから何を目的に生きていくのか」ということを描いている。

この作品で言えば、主人公の春安は家族も藩も失い「生きる意味」を失っていたし、ヒロインのシノは家族諸共に「人間としての尊厳」を奪われた状態であった。そこから、「シノの母親を殺す」という目的を得て物語が進んでいくわけだ。

誤解を恐れずに言えば、私はこの失った人々の物語というのが好きだ。成功よりも諦めや失敗を積み重ねた数の方が多い私のような人間には、失った者たちの物語はとても心に響く。結局人間上手くいかないことが殆どの世界で、失敗を後悔するのではなく辿り着いた先で強く生きれる人でありたいなと思わされる。

 

 

ひらやすみ

特別なことは何もないけれど、それでも読んでいて心躍るような、そんな平屋ぐらしのお話。30手前でフリーターの主人公だが、彼の生活に悲観や不安など微塵もない。彼の生活はただ日々を楽しく過ごせればそれでいいじゃん?ってなもので、でもリアリティがないかって言われるとそんなこともないのが良いところ。

彼もただ適当に生きてきたわけではなく、夢に追われ生活に追われ、心を擦り減らすように生きてきた過去がある。そのことが今の彼を作っているのであり、だからこそ彼に共感できるし、こういう精神性でいたいなと思える、ある種の憧れとでも呼べるような感情さえ呼び起こすのだろう。

悪意に悪意で返さない。むしろそれを包み込んでこちらのノリに巻き込んでしまう。そんな彼の生活は、何がなくても見ていて気持ちが良いのだ。

 

 

トリリオンゲーム

天才的なコミュニケーションスキルを持つが技術力はないハルと技術力はピカイチだけどそれ以外はテンでダメなガク。彼らが手を組み目指すのは1兆$を稼いでこの世の全てを手に入れること。

ハッタリとごまかし、外連味バリバリ勢い任せの物語の中にもガクという常識的なキャラクターが居ることで、ファンタジーではない現実に地に足のついた作品になっているのが良い。ガクの凄さが現実離れしてないことによって、ハルが御膳立てしてあとはガクに丸投げって形にならないのもまた良い。いつでも二人で問題に挑戦する形になっているところがバディものとして最高にイかしてる。

池上遼一先生がギャグでデフォルメされた表情を描くのもビックリ。まだまだ進化し続けてるんだなぁと。

 

 

 

音楽

音楽に関しては本当にアニソン以外に興味がないしそれもあっさい興味だけなのでアニソンのみ。

アニソン5選

星のオーケストラ/Saji
星のオーケストラ

星のオーケストラ

  • saji
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

大好きな作品の素晴らしいアニメ化でOPも最高ってもう隙がない。

歌詞も最高。

「あきらめかけたその先にきっとまだ希望のみちがある」

 

 

春うらら/GENIC
春うらら

春うらら

  • GENIC
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

途中でラップが入るアニソン、結構評価が別れるけど私は大好き。

 

 

夢を手に、戻れる場所もない日々を/フランシュシュ
夢を手に、戻れる場所もない日々を

夢を手に、戻れる場所もない日々を

  • フランシュシュ
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

1期の頃は曲が全部ぶっ刺さった奇跡みたいな作品だったから、2期はそこまで刺さらなくてちょっぴり残念なところはあった。でもこのEDと風の強い日は嫌いかだけはめちゃくちゃ好き。

 

 

閃光 / [Alexandros]
閃光

閃光

  • [Alexandros]
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

閃光のハサウェイを見たいと思ったもう一つの理由。

単純に曲が良いアニメってそれだけで何か良いアニメだなって思っちゃうことって結構あって、乗せられてる気がして悔しいけどやっぱ良いもんは良い。

 

enemy / blank paper
enemy

enemy

  • blank paper
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

途中でラップが入るアニソン2。

BACK-ONが女性ボーカルとフィーチャリングすることは度々あったけど、今回は倖田來未との夫婦ユニットとして覆面で出てくるという気合の入りっぷり。その気合に違わず曲も最高だし、倖田來未の力強い歌唱と合うのなんの。

 

 

まとめ

2021年も素晴らしい作品にたくさん出会えて本当に楽しかった。

ブログは一記事一記事文体や書き方を試行錯誤して、結局迷子のまま2021年も駆け抜けていった感じがする。

例えばこの記事は作品を見て主観的に受け取ったメッセージや演出的なものを主体に、半ば「これはこうだ!」と決めつける感じで独善的に固く書いてみようと思ってこんな感じになったのだが、これが意外にも結構気楽だった。元来自分はそういう強い言葉で言い切っちゃう文章が苦手なのだけれど、それを自分でやってみると意外と無責任だけど気楽だなとも思える。結局は解釈なんてその人が正しいと思えば正しいのだから、別にそんなに言葉を濁して予防線を張らなくてもいいのかもな、なんて風にも思えたりして結構収穫があった。固い文体はあんまりしっくりこないから今後はもうちょっと柔らかくしていきたいけど、やっぱ何事も自分で手を動かさなきゃわからないもんだし試してみて良かったなと思う。

また今年も各期アニメの感想とまとめ記事ぐらいしかあげないだろうけど、気が向いたら読んでくれると嬉しい。

では。

2021 夏アニメ

お久しぶりです、くぼはじめです。

今期も簡単な感想をまとめました。

相変わらずあらすじとかは一切書いてないんですけど、良かったら読んでいってください。

 

 

 

S

・Sonny Boy

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個別で記事を書いたので良ければ読んでください。

 

zibun-zibun.hatenablog.com

 

最後の終わりは賛否あれど、私としてはベターエンド、少なくともバッドエンドではないなという風に感じました。二人の約束を思うととても切ないけれど、でも、希の核となる部分は変わっていないとわかって、その上で笑っていてくれるならそれが長良の隣でなくともいいじゃないかと、そう思います。

わからないことも沢山あるけれど、伝えたかった事は本当にシンプルなことなんじゃないでしょうか。

過去は変えられないし、世界は変えられないけれど、でも未来を選択するのは確かに自分で、その行動の責任を他人に預けることはできないのです。自己責任論なんて言ってしまえば救いのないように聞こえますが、そうじゃないんですよね、きっと。未来はまだ長く、その中で沢山の可能性に出会い、選択することができる。それが全て自分の手に委ねられている幸福。そういう希望を知覚できるようになったことに、長良が希に出会った意味があったのだと思うのです。

 

 

・かげきしょうじょ

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自分語りになっちゃうんですけど、この作品は僕にとってはめちゃくちゃ思い入れの強い作品なんですよね。

その昔ジャンプ改っていう雑誌があって、かげきしょうじょもその時代に読んでたんですけど(単行本でいうシーズン0の部分)、雑誌が休刊になっちゃってMELODYに移籍することになったんですよね。でもその時はジャンプ改に載ってるのを読んでいるだけだったんでそこまで思い入れもなくて、読めなくなっちゃうんだーぐらいの感覚で暫くしたら存在すら忘れてしまいました。

それから数年経って、少女漫画に手を広げて何か面白いものがないかと探していた時にたまたまこの作品に再会して、読んでみたらもう滅茶苦茶に面白くて。だからなんかもう自分の中では奇跡の再会みたいな気分になっちゃって、それ以来めちゃくちゃ思い入れの深い作品になったという、そんな自分語りでした。今なんかめちゃくちゃかげきしょうじょの話題がTLに溢れているのがなんだか信じられない気持ちで、何様なんだと思うかもしれないけど本当に感慨深いです。

 

さて、本編に関してですが、色々削られた部分はありましたが個人的には大変満足のいくものでした。それは何故かと言えば、この作品を貫く一つのテーマである「挫折」という部分がしっかり描かれていたからです。

この作品のキャラクター達は皆、一様に何かに挫折したり諦めた経験があります。

渡辺さらさは性別の壁に阻まれ歌舞伎を諦め、奈良田愛は人間関係に諦めをつけ、星野薫は紅華に二度も落ち、杉本紗和は自らが秀才に過ぎないのだということに気付いて絶望し、山田綾子は周りとの差に思い悩みあわや紅華をやめてしまおうかというところまでいってしまいます。

彼女たちは全てを捧げてもなお、届かない夢があることを知っています。運命とは残酷で、女に生まれたさらさは歌舞伎役者にはなれないし、身長が伸びてしまった里見星は娘役にはなれないし、足を悪くした安道先生はもう舞台に立つことは出来ません。それはいわば運命であり、絶対不変の事実です。

 

「それなりの実力と称賛があっても、渡辺さんみたいな破天荒な人に劣等感を抱いてしまうんです」

「どんなに努力したってかなわないんだって直感するんです」

 

これは100期委員長、杉本紗和の台詞です。

彼女たちはまだ10代の少女です。若くして常に外からの視線に晒され成績で順位付けされる世界に身を投じた彼女たちは、壁にぶち当たり挫折することもしばしばです。杉本紗和はモーツァルトサリエリの例を出して、子供心に自分はサリエリだということに気付いてしまったと言いました。

それでも彼女は努力をし続け、トップの成績で紅華に合格します。それは何故か。

 

「努力に裏打ちされた実力は、きっと、自分を裏切らないと思うから…」

 

「絶対なれると同様に絶対なれないなんて事はないと思うんです」

 

上は99期委員長の竹井が紗和にかけた言葉で、下はさらさの言葉です。しかし、これはきっと誰しもが皆信じていることなのです。

敵わないと思ってしまうことがあると、紗和も綾子も口を揃えて言いました。絶対に無理なこともこの世には存在すると、歌舞伎を諦めたさらさは誰よりもわかっているはずなのです。

それでも彼女たちは、そこにわずかでも可能性があると知れば前に進み続けます。それはきっと、「挫折」を知ってなお諦められない夢があるからです。

諦めざるを得なかった夢。夢のために犠牲にしてきた全てのこと。自分たちが越えてきた狭き門の前に涙した数多の少女たちの存在。「挫折」を経験してきた彼女たちはその重みを誰よりも知っています。彼女たちの下には、100期生になれなかった1095人もの女の子がいると、小野寺先生も言っていました。

 

「それにあなた大切なことを忘れてる」

「何も無い子が紅華に入れっこないのよ?」

 

誰しもがモーツァルトのような圧倒的な才能を持っているわけではありません。でも彼女たちには彼女たちにしかないキラリと光るものが、それはまだ小さな光かも知れないけれど、確かにあるのです。

彼女たちは未熟な歳ではありますが、それでも子供ではありません。自分にはどうしようもない現実や、絶対に覆せないルール、偶然の紙一重というものが存在するのだということを知っています。それでも彼女たちは、諦めきれない夢の為に前に進み続けます。「挫折」を知ってもなお立ち上がる彼女たちの放つ輝きに、私はどうしようもなく惹かれてしまうのです。

 

 

・天官賜福

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魔道祖師よりだいぶBL感強めではありましたが、正直全然気にならなかったです。BL、GL、NLで何が好きかと言われれば圧倒的にNLなんですけど、BLもGLもそこに必然性があれば全然いける口ではあるので。

アニメでは三郎(花城)の正体が謝憐が太子悦神の時に助けた男の子だとは明言されませんでした。まぁ見てたら確実にそうだと言い切れっても問題ないぐらいの回想描写はあったわけですが、それでも言い切らないのが良いんですよね。ミステリアスな男の色気ってやつですよこれが。

にしても三郎が謝憐を見つめる時の、あの何とも言えない切ない目。好きだけではない、決して一筋縄ではいかない感情を持っていることを予感させるあの目線がたまらなく好きなんですよね。

 

ここからはその目線に対する私なりの解釈なので話半分で読んでもらえば幸いです。

 

結論から言うと、三郎は愛する謝憐の仙楽国を滅ぼしてしまったが故にあのような悲しい目をしているのではないかと思うのです。といっても彼が直接手を下したとかそういう訳ではなくて。

まず、仙楽国が滅びたのは人面疫という疫病が原因なのは作中でも明かされましたよね。人面疫の詳細については明かされませんでしたが、3話で謝憐たちが助けた山に住む男の子は人面疫に感染していた痕跡が体中にあり、それを包帯で隠していました。

それで過去の回想を見ると三郎も同じように体中を包帯でぐるぐる巻きにしている訳です。状況証拠ではありますが、つまり三郎が人面疫を仙楽国に持ち込み、そのせいで仙楽国は滅んだと解釈することができます。

三郎は人面疫に感染し自殺しようとしていたところを謝憐に助けられ、生きる意味まで与えてもらいました。なのに謝憐が彼を助けてしまったがために、謝憐の愛した仙楽国は滅んでしまったのです。

だから三郎は謝憐にたいして、命を救われた恩と自分が国を滅ぼしたという罪悪感を感じて、触れたいけれど触れられない、そんな目で見ているのではないかと思うのです。そしてだからこその罪滅ぼしで、謝憐の「万人を救いたい」という意志を汲んで、そのためなら人道に悖る行為すら厭わない血雨探花・花城としての生を歩むことになったのではないのでしょうか。血雨探花・花城は鬼を大量に殺したという話は作中で言及されましたが、人を殺したという話はついぞ出ませんでしたし。

 

まぁ半分妄想のようなものなので合ってるかどうかは兎も角、そうすると三郎が過去の回想で包帯を巻いていたことや現在顔を隠していることや謝憐への異常なまでの執着や、最終話挿入歌の意味深な歌詞なども一応全て説明できますよ、とそういう話でした。

 

続きがめちゃくちゃ気になるんですけど、現状原作小説の日本語版は発売未定のため、この1クールのアニメだけが日本語で天官賜福を摂取できる唯一のものなんですよね。本当に苦しいです、今。

 

 

・転スラ

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背負うものがあるとキャラクターが一気に人間らしく見えますね。自分の両手で抱えきれる分だけをキッチリ線引きして、そこだけは本当に大切にする。そういう線引きができるキャラって大好きです。力がないくせに何も失わず全てを為そうとするようキャラクターよりよっぽど好感持てます。

あとは単純にクレイマンをボコボコにするのは見ていて気持ちよかったですね。今まで3クール以上の尺をかけてオークロードやカリュブディスやファルムス王国とのごたごたを描いて、その全てを裏で操っていたクレイマンのストレスを視聴者に刷り込んできたわけですから、それを一気に解放させるような怒涛の大攻勢が本当に爽快でした。

「俺TUEEE」が揶揄されがちな昨今ですけど、別に全然悪いことじゃないと思うんですよね。私が愛してやまない児童文学の名作たちにだって言ってしまえば「俺TUEEE」系譜の作品は多いですし、当たり前ですけど要は使いどころなんです。主人公が無双するというのはストレスの解放という面で最高のエンタメのひとつだと私は思っていますよ。

 

 

 A

・白い砂のアクアトープ

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序盤中盤は正直そこまで肌に合わないなと思って見ていましたしたが、アクアリウムティンガーラの研修生が来た9話から話にグンと引き込まれていきました。

9話では、くくるが初めて外部からの客観的な目線により否応なく現実を突きつけられ、反論しようのない正論でぶん殴られます。「あなたはお仕事ごっこをして楽しいかもしれないけど、私は必死なの」「あなたはまだ高校生で、家業の手伝いをしてるだけよね? お金を稼ぐ苦労なんて何もわかってない。甘いわよ」と、研修生の知夢は容赦なくくくるを責め立てます。

そこでようやく気付いたんですよ、これまでの展開の違和感に。つまり何が言いたいかっていうと、くくるたちが行ってきたことは「がまがま再建"ごっこ"」で、現実問題を見ていなかったんだということなんですよね。

一発逆転のアイデア探しに奔走するくくるたちとは対照的に、おじいは着実に生き物の受け入れ先や職員の今後についての根回しを進めていました。地に足をつけて現実を見据えていたおじいに対して、くくるたちは浮足立って現実すら見えていなかったんだなって、そこではっきりと分かったんです。それまでの話は水族館を立て直す方法を探していたかに見えて、その実彼女たちが行ってきたことは現実逃避とでも言うべきものだったんだなって。

 

くくるはがまがまを閉館させないことを目標にして行動していましたし、本気で閉館させないつもりではあったと思います。だけど閉館の根本的な原因は建物の老朽化だったのに、そのことをおじいとろくすっぽ話し合いもせず見当違いの客寄せに注力していたわけで、本質的に問題から逃げていたと言われても仕方がないのです。

そして「目の前のことをこなしていると何も考えずに済む」、「くくるの夢を手伝いたい」など、風花ががまがま水族館で働く理由も自分の将来を考えることからの逃げでした。

 

8話まではそんな彼女たちの現実逃避譚であったわけです。なるほど、だからいまいち噛み合わなかったのかと。今までこのアニメのことを水族館再建記だと思って見ていたから現実を見ていない彼女たちに苛立ってしまっていたけど、そうじゃなかったんですよ。このアニメはくくるが現実を受け入れ、風花が新たな夢を見つけ再起していく物語であり、1クール目はそのためのクールタイムだったんです。

そういう認識でこのアニメを見返したとき、今まで感じていた不満みたいなものは見当違いだったんだなというのが分かって、なるほど面白いじゃん、ってなったんですよね。

 

 

ガンダムビルドリアル

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展開のアツさもさることながら、微妙な人間関係の空気感を描くことに於いてこの作品は非常に卓越していましいた。グリッドマンとかダイナゼノンが目指すリアリティのある空気感って、あるいはこういうことなのかもしれません。久しぶりに再会したときの会話は盛り上がっているんだけどどこか空回りしているような空気だったり、仲良しグループのなかでもあんまり話さない2人がいたり、「あぁ、そういうのあるわ」っていう共感がとてもむず痒く、でも心地よかったのです。

これをアニメの枠に入れて語るべきか迷いましたが、大好きなガンダムビルドシリーズですしモビルスーツの戦闘シーンはCGを用いているので一応入れることにしました。アイカツプラネットやビルドリアルを見て「実写だから表現できること」って確かにあるんだと感じましたし、アニメ×実写という試みがもっと開拓されればなと思います。

 

 

シンカリオンZ

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「敵と対話するためには、敵を抑え込めるだけの強い力が必要」

当たり前なんだけど、見落とされがちなこれ。意外にこの部分をわかってない作品って多いように思えます。これがあるからシンカリオンが好きだったし、それが今作にもしっかりと受け継がれているのがアツいんですよね。

で、このシンカリオンZは前作から地続きで、前作のキャラクターも出てくるわけですが、この前作キャラの出し方がまぁ上手い。要所要所で小出しに出てきて、でもメインキャラを食ってしまわないようにあくまで助言役としての配置になっている。本当にバランス感覚に長けているなぁと感じさせます。

前作からある突拍子もないコラボは今作も健在で、キティちゃんやエヴァ銀河鉄道999などとのコラボが見られます。しかし作品のカラーがちゃんと確立しているおかげでどんなコラボでもしっかりとシンカリオンらしさが出ています。

毎週コンスタントに楽しめるアニメが通年単位で続くというのはとても嬉しいものですね。最近の女児アニメが個人的に全然ヒットしてなくて、長らくこの喜びを忘れていた気がします。

 

 

・はめふらX

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相変わらずシリアス方面の話はピンと来ていませんが、それ以外はほぼ満点でした。まずカタリナ・クラエスの魅力一本で勝負できるぐらいにキャラが良い。敵であってもその魅力で取り込んでしまうような、圧倒的な人間力の高さ。ギャグであっても鈍感系主人公を全く嫌味なく描けるのって凄いことだと思います。

でもそれだけではなくて、8話みたいな切り口でもしっかりレベルの高い話を見せてくれました。8話みたいなメインキャラたちを外から見たような目線の話めちゃくちゃ好きなんですよ。ぱっと思い浮かんだのでいうと、フルバの由希親衛隊の卒業話とか、今期で言うとSonny Boyの9,10話とか。メインキャラの誰かに感情移入して主観的に見てたりするのとはまた違った、外から見たメインキャラクター達の形や関係性が分かるのが良いんですよね。例えばカタリナが如何に公明正大であるかとか、ニコルが他の貴族令嬢たちにどのように見られているのかとか、身内ではないキャラクターを通してしか見ることができないキャラクターの輪郭というものも確かにあるのと思うのです。

 

はめフラシリーズは全体を通して花言葉の演出が散見されますけど、8話は特に多かったですね。寡黙なニコルの本心が花言葉によって暗示されているというのは、とてもオシャレでキャラクターにもマッチした素晴らしい演出だったと思います。

主だったところで言うと、月見草の「ほのかな恋」、薔薇7本の「ひそかな愛」、黄色のシンビジウムの「飾らない心」、とかそのあたりでしょうか。時にお気に入りは月見草で、前半につぼみで描かれていたものがニコルとフレイのお見合いののちには花が開いていて、押しとどめていたほのかな恋心を捨てる必要はないのだとフレイによって気づかされた、という風に読み取れるものでした。

まぁでも花言葉なんてものは気にしすぎてもしょうがないなとも思います。画面内に描かれている以上は必ず意味があるというのはそうかもしれませんが、たとえば絵面の華やかさや、そこに花が存在することが自然なだけで、その意図が必ずしも花言葉だとは限らないわけです。それに無理やり意味を見出そうとするとまた変な方向に話が転がりかねませんし、ある程度のデフォルメを以って描かれたその花を断定することも難しいのです。だから花言葉なんてのは話半分ぐらいで調べるのが上手い付き合い方なのかもしれません。

 

 

BORUTO

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ナルトと九喇嘛との別れのシーンって、原作だと結構あっさりしてたんですけど、アニメだとガッツリ泣かせに来ててめちゃくちゃ良かったですね。ナルトにとって九喇嘛って生まれた時から一緒の呪いみたいなもので、苦労したことも沢山あったけど、それでもここまで一緒に生きてきた自分の半身のような存在なわけです。それと別れるってなったらそりゃああっさりとバイバイだけじゃ、読者としても不完全燃焼ですよ。読者だって彼らの関係を20年以上見守ってきているわけで、皆その思い入れは相当なもののはずです。だからこそ、その積み重ねを理解して、別れのシーンに重きを置いてを描いてくれたことには本当に感謝しかないのです。

 

 

・ダイ大

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ザボエラが死んで、敵味方問わず魅力のあるキャラクターばかりが残った感じがしますね。特にポップとヒュンケルはめちゃくちゃ良いキャラしてるなぁと思います。ポップは前にも書いたんで割愛しますけど、ヒュンケルも本当にカッコいい。

敵から味方になるやつって大抵弱体化したり咬ませ犬になったりすることが多いと思うんですけど、ヒュンケルはずっとカッコいいし、そしてなにより52話が個人的にめちゃくちゃ刺さりました。

私こういう十字架を背負ったキャラにホント弱いんですよ。アビスのルーク、BASARAの朱里、7SEEDSの安居、ギアスのルルーシュ、ギルクラの集、魔道祖師の魏無羨、etc......、挙げればキリがないぐらいです。世の主人公たちには全員、償いようのない罪を犯してどん底に落ちて一生その罪と向き合いながら更生して生きて行って欲しい、そんな願望があるぐらいには大好きなんですよ。(文字にすると普通に性格悪くて最悪だなこれ)

だから52話でヒュンケルが未だにアバンやアバンの使徒たちに対して剣を向けたことに対する罪の意識を背負い続けて戦っていることを告白した時に、私のハートを撃ち抜かれてしまったわけなんですよね。「正義のための償いをしているのだ」という台詞を聞いた時にはもう、この男の行く末を見届けねばならないなという使命感のような何かが生まれてしまったんです。

 

 

B

小林さんちのメイドラゴンS(+ミニドラ

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カンナ、萌え~。

京アニってやっぱ凄いですね、女の子の可愛い動き全部知ってますもん。

でも正直イルルとの衝突とか、トールとエルマの喧嘩とか、シリアス方面の話はうーん……。別に面白くない訳じゃないんですけど、自分がメイドラゴンで見たいのは、求めているのはそういうところじゃないんですよね。

異種族共生というテーマでガチガチに固められた話より、肩の力を抜いてキャラクターを愛でるような、そんなゆるーい話が好きなのです。

 

 

・迷宮ブラックカンパニー

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現実がうまく行っていない主人公が異世界転生(転移)で人生逆転、というテンプレートを逆手にとって、現実で勝ち組主人公が異世界転移してブラック企業の下っ端として使い潰されるというところから話がはじまります。一発ネタかと思いきや、その後もちゃんと面白いんですよね。

楽して金儲けしようとするも結局最後は痛い目見てまたイチから、っていう構成で基本的な話が作られていたわけですけれど、これやってることドラえもんですね。のび太ドラえもんに秘密道具借りてインチキして、でも調子に乗りすぎて最終的に痛い目見てちゃんちゃん、っていう、幼き頃より何百回と見たドラえもんのテンプレ構成のような安定感が始終あって、とても安心して見ることができました。

キャラクターの掘り下げの塩梅も丁度良かったと思います。二宮にもシアにも暗い過去が用意されていて、でもそれを堀り下げて暗い話にするわけではないんですよね。その過去は今の彼らの行動の動機付けに過ぎなくて、ちゃんと最後には笑えるような明るい話に持っていくのがこの作品らしさだったなぁと思うのです。

 

 

ピーチボーイリバーサイド

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www.animatetimes.com

 

最初は時系列版で見るかオンエア版で見るか迷いましたが、フォロワーに「とりあえずオンエア版で見て整理したくなったら時系列見ればいいんじゃない?」って言われたのと、監督のインタビューを読んでオンエア版で見ることに決めました。

インタビューを読んで時系列をシャッフルした意図を理解したつもりでも、最初はイマイチよくわかりませんでした。その意図が実感として理解できるようになったのは「ミコトとミコト」(オンエア版9話、時系列版最終回)を見たあたりでしょうか。

最後まで見てみると時系列シャッフルの意図としては本当に監督がインタビューで言ってた通りでしたね。

「ミコトとミコト」という桃太郎の文脈を継いだ重要な回を入れつつ、サリーの物語として構成するために、出会いをサリーとフラウの出会いの「元姫と卯人」に定め、終わりをサリーの旅を通しての成長や気付きから今後の方向性を決定した「決意と別れに」定めた。それがシャッフルという形をとった意味だったのではないでしょうか。物語的にも最終回に最高潮の盛り上がりがあって、素晴らしかったと思います。

「鬼と人間との和解」や「差別撤廃」などの理想論を叫ぶではなく、「もう少し妥協させたい」というサリーの決意は納得できる落としどころですし、その上でどうしても分かり合えない敵には力を使うというのもどうしようもなく人間で好感が持てます。

理想論を掲げて正しさでブン殴る作品も大好きですけど、それを納得させるにはそれ相応の熱量が必要で、だからそれに達していない作品だと見ていて腹が立つんですよ。そんなもんじゃ誰も救えやしないだろって。少年漫画のヒーローたちは眩しくてアツくて最高だけど、皆が皆そうなれるわけじゃないでしょうって。だから現実を知って妥協できるキャラクターというものにも、どうしようもなく魅力を感じてしまうのです。

 

 

・100万の命の上に俺は立っている

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1期の出来でハードルが限りなく低くなっていたのはあるんですが、存外面白かったです。

またこの話ですが、四谷友助もどうしようもなく人間なんですよ。彼は自らの手で守れる範囲に区切りをつけて、優先順位をつけていました。理想論を振りかざすことはカッコよく見えるけど、現実的ではないから理想論なんだということを彼はわかっているんですね。だから全てを守ろうという気はさらさらなくて、大事なものを守るためには他を切り捨てることができる。そんな彼と他のキャラクターとの温度差の中で、お互いに歩み寄れる部分、寄れない部分があり、そういった対比が残酷に映ってしまうこともありました。でもそれは彼が決して冷酷なわけではないと思うのです。

作画のレベルが低いのは擁護しようがないし、第1話のいらすとやとか次回予告のおふざけとかを筆頭に面白くないマイナスの内輪ノリみたいなのもキツかったですが、内容だけ見ればとても良かったと思います。

 

 

・RE-MAIN

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終わり良ければ全て良し、というか、最終回に綺麗に着地したときの気持ちよさの為にテレビアニメを見ているところが少なからず私にはあって、だから最終回が良いとそれだけで結構高評価なんですよね。それまでに描かれてきた人間関係のわだかまり。みなとと母親、みなとと元チームメイト、みなととちぬ、キャプテンと父親、網浜兄弟、網浜兄と監督、etc……、彼らの滞っていた関係性、RE-MAINしていた時間が最後の試合をきっかけにまた各々動き出しました。この瞬間を見れただけでもこのアニメを見ていて良かったなと思います。

 

でも正直なことを言うと、最終回までは見るのが結構しんどかったです。それは記憶を取り戻してからのエゴイストなみなとを見るのが辛いという部分もありましたが、単純にあまり盛り上がる展開がなかったからかなと思います。

あひるの空を見ている時も同じこと思ったんですけど、リアリティを追求することと物語を盛り上げることの両立って難しいんですよね。スポーツを真剣にやっていた人間ならわかると思うんですけど、未経験者やブランクのある人間がそれまで弛まず努力してきた人間を超える、と言うのはあまり現実的じゃないんですよ。

だから、あひるの空では全50話という贅沢な尺があっても主人公たちは一勝もできないまま終わるし、RE-MAINだって最初は小学生にすら負けてしまう有り様で、でもそれって凄く当たり前でリアルなことなんですよ。でもそのリアルを見ていて楽しいかっていうと、主人公たちに感情移入して見ている以上は辛いんです。やっぱり主人公たちが勝つと嬉しいし、負けると辛い、当たり前のことです。

だからそのリアリティのラインをどこに設定するかっていうのはとても重要で、この作品はあまりにもリアルに寄せすぎたのではないかと思うんですよね。強豪校相手にチームの皆で一点をもぎ取る、というのは絶妙なリアリティランだと思うし、正直めちゃくちゃ感動しました。でもそれをしたいがために、そこにリアリティラインを設けてしまったがために、そこに辿り着くまでの展開に面白みが欠ける結果になってしまったのではないかと思うのです。

 

 

C

死神坊ちゃんと黒メイド

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根本的にエロコメみたいなのが好きじゃなくて、その上でシリアスとエロの食い合わせって本当に悪いと思うのであんまり笑って見ていられない部分もありました。

でも妹弟や友人と絡む話は軒並み良かったです。距離感が絶妙ですよね。可哀想だとか怖いだとか、そういう感情もないことはないだろうし弟は更に嫉妬だなんだと色々ありましたけれど、それでも拒絶せずに感情をぶつけてくれる存在は坊ちゃんにとって大きかったのかなと思います。

 

坊ちゃんにとって、アリスやロブは必要不可欠な存在でした。彼女たちが居なければ、坊ちゃんは未だに引きこもり人生に絶望していたことだと思います。

でも彼女たちだけではだけではきっとダメなのでしょう。彼を甘やかして優しく接してくれる人間だけでは、主従関係を基にした人間関係だけでは、彼は自分の境遇を嘆くことに甘んじてしまうのではないかと思います。

不器用ながらも自分を他の人間と区別せずぶつかってきてくれる妹や弟。偏見無く友人として接してくれるカフやザイン。彼らは坊ちゃんのことを、対等な一人の人間として扱いました。それはアリスやロブのような主従の関係とは違う、彼にとっては新たな人間関係でした。だからこそ彼は人間としての尊厳を取り戻し、最終話で母親へ啖呵を切れるまでに成長できたのだと思うのです。

 

物語の核心にはまだ遠いけれど、続編があるとのことなので楽しみに待っていようと思います。

 

 

・魔入りました入間くん

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未だにこのアニメがどのようなジャンルに分類される作品かわかっていません。だから何だといわれるかもしれませんが、どのように楽しめばよいのかが未だにわからないのです。ギャグというほどギャグでない、バトルというほどバトルでもない、日常系とは呼べないほどの非日常、ラブコメほどラブ要素も濃くない。

キャラクターを好きになれれば彼らが何してても大体楽しめるのでしょうし、実際自分はそうなのですが、でもそこにハマらないと見るのはちょっと厳しいのかもしれません。

 

 

・東京リベンジャーズ

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原作読んでるときはライブ感でめちゃくちゃ感情移入できたし面白かったんですけど、一旦冷静になってアニメで見ると「?」ってなることが多くてうまくのめり込めませんでした。逼迫した状況でただ突っ立て会話してたりとか、そういうのがとても気になります。

バトルものとかスポーツものとかをアニメ化した際に「戦ってる最中にどんだけ喋るんだよこいつら……」とか思うやつって、結局媒体が違うから起こることだと思うんですよね。

漫画における台詞って所謂「尺」の概念がなくて、コマで切り出した瞬間にタイムラグなく台詞の頭からケツまでを乗せることができてるんですよ(逆に意図的に「尺」や「間」を表現することも可能だけど)。だから漫画を読んでるときは全く気にならないことが、映像媒体になった場合「そんなことちんたら喋ってる場合じゃないだろ」となってしまうのでははないかと思っています。自分が考えていることなので実際のところどうなのかとかは知らないですけどね。

個人的には映像作品って作り手がそのことを意識して違和感がないように作ってくれているかが顕著に出ると思っています。だから東京リベンジャーズは本当に素晴らしい作品だし、アニメも忠実に原作を再現してるとは思うけれども、アニメとして素晴らしい作品になっているかと問われれば個人的には微妙でした。

 

 

・SCARLET NEXUS

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怪異の正体が人間とか、体制側が人体実験をしてるとか、地球が住めなくなったから一旦宇宙に逃げて環境が戻ったから再び戻ってきたとか、他にもタイムリープ、クローン、コールドスリープetc……、もう設定だけでどこかで見たようなのをとりあえず詰め込みましたって感じでお腹一杯。……なんですが偉いもので、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、じゃないですけれど、使い古されたような設定や展開でも重ねりゃ結構やるもんだなと思わされましたね。(悪口ではないですよ)

どんな使い古された設定でもやっぱりそれが面白いから使われている訳で、しかも毎週毎週設定が開示されていく感じとかもTVアニメというフォーマットに合っていて何だかんだ面白く見れています。序盤こそ辟易していましたけど見ているうちに段々と好きになっていった感じなので、今後もっと評価が上がると思います。

 

 

D

・D_CIDE TRAUMEREI

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ソシャゲ側の主人公たちが出てきて二話に渡って話が展開したあたり、完全に要らなかったと思います。あの回、龍平がただの嫌な奴にしか見えなくて株が下がっただけじゃないですか?

あとは最終話前にいきなり浅いクトゥルフ神話要素入れてきたり、雑な広義セカイ系みたいなことしたり、なんだか色々とっ散らかしたまま終わってしまったなあと。

どうせならソシャゲ側の人物出すならもっとバンバン物語に絡めてくれれば、最終話の増援とかももっとアツい演出になったのに、とか色々思ったりもしましたが、無責任な視聴者だからこその意見なんでしょうね。

 

 

不滅のあなたへ

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ジャナンダ島編ではいまいちフシ以外のキャラクターに感情移入できませんでした。キャラクターへのファーストインプレッションが最悪だったのが最後まで拭えなかった感じですね。多分それは皆が自分の利益の為に動いているせいで、ある意味とても人間らしいキャラクターばかりではありました。でもやはりここまでずっとフシの目線で物語を見ているとどうしてもフシに感情移入してしまうし、そうすると彼を利用しようと思って近づく者たちの存在はあまり気持ちのいいものではないわけです。

まぁでも、望まざるとも彼らと一緒のフシを見て彼らの人となりを知っていくと段々と情が湧いてくるもので、ちょっとずつですが好きになれそうかもな~って思ってたんです。思ってたんですけど、無常なもので、またそこにノッカーが現れて皆殺しですよ。

何というか、悲しいとかより先に、置いてきぼりだなぁという風に感じてしまったんですよね。キャラクターを好きになりきる前に終わってしまったというか、感情移入できるようになる前に終わってしまったというか。

アニメ自体はめちゃくちゃ良い出来で、トナリたちのことも好きになれていれば本当に楽しめたんだと思います。物語に乗り切れなかったのが本当に悔やまれるなぁ。

 

 

・ぼくたちのリメイク

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中盤から後半の展開が好きになれませんでした。周りが主人公を盲信し始めたあたりから何かコレジャナイ感があったんですよね。

まず第一に、いうほど橋場恭也の問題解決能力ってそんなに凄いですか?っていう点。卒なく何でもこなすけれど、それが飛びぬけた才能だとは、私の目には映りませんでした。別にいいんですよ、橋場恭也がなんでも卒なくこなせる優等生なキャラクターであったって。それでも彼が優秀であることに間違いはないんだし。でも物語としてそこを軸にしてしまった以上はアッと驚くたった一つの冴えたやり方で問題を解決して欲しいんですよ。このアニメは恭也の周りの人間が彼を信用したことで展開が動く構成になっているわけで、だからこの物語が説得力を以って成り立つにはその解決方法が何より重要だと思うんです。

ビデオカメラがないから写真でコマ撮り動画にしました、とかはまだ良いにしても、炎上対策で詫び石の数を増やしました、とか、炎上中だからこそ社員に休暇を取らせます、とか、スランプの絵師に絵を見せたらかけるようになりました、とか。そんなんじゃないでしょって。一般人が十分に考え得るやりかたで問題が解決してしまうのなら、それは主人公が凄いんじゃなくて物語の都合で周りの知能を落としてるだけなんだって、どうしてもそう見えてしまったんですよね。

序盤は展開にワクワクして見れてとても面白かったし、シノアキも方言萌えの自分としては近年稀に見るドストライクキャラクターだったので、ハマらなくて悲しい気持ちです。

 

 

・探偵はもう、死んでいる

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ユーモアたっぷりのわざとらしい会話劇、やっぱ苦手です。読んでいて気持ちのいい会話劇と聞いていて気持ちのいい会話劇って全く別物で、ラノベアニメとか見るとやっぱりそのことを強く感じますね。(声優陣の演技もいまいち残念だし……)

あと、TOA大好きくんだからこういう人格統合がどうとかそういうのめちゃくちゃモヤるんですよね。(アビスED時の人格がアッシュかルークか問題)

君塚君彦はずっとシエスタが一番で、それでシエスタの人格が復活なんかできちゃったら、あまりにも夏凪渚の立つ瀬がありません。シエスタの復活は今回だけと言っていましたが、渚がその気になればシエスタに体を明け渡すこともできるような描写でした。君塚は渚の後ろにシエスタがいることを知ってしまって、シエスタも一番大切に思っているのは君塚で、そんなだから間に挟まれてしまった渚はこの先ずっと悩まされるのではないかと思ってしまいます。いや、完全なる妄想で嫌な気分になってるだけなんですけどね、これ。

 

 

ヴァニタスの手記

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ノエの天然ぶった鈍さとかジャンヌの明らかに狙いすぎなキャラとか勿体付けた雰囲気全振りの台詞回しとか、作者の作為が裏に透けて見える気がして私には全く合いませんでした。

アニメーションとしての出来は抜群に良かったと思うんですけど、それでも全く肌に合わない作品って時々あるんですよね。

 

 

・Obey Me!

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何となく見たんですけど、6話は結構笑いました。

 

 

E

魔法科高校の優等生

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作画怪しくて話は殆ど劣等生と同じって、正直なんでアニメ化したんでしょうか……。

例えば転スラ日記だったら、本編では描かれなかったテンペストでの日常風景が見れましたし、寄生獣リバーシだったらパラサイトによる大量バラバラ殺人事件について、サスペンス的な側面という新たな切り口で描いたことに意味があったわけです。

この作品は視点は女子グループに移ったものの、達也と深雪が大抵いつも一緒にいるせいで実質的にほぼ変わっておらず、劣等生1期の総集編のようなアニメだったと思います。

 

 

・出会って5秒でバトル

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作画の悪さがまず第一にあって、思考ゲームを描こうというところでも今一歩足りてない感じがします。どうも思考に飛躍が感じられるんですよね。

 

 

・SHAMAN KING

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主人公の達観具合がどうも鼻にかかります。あまりに達観しすぎているというか、「こいつホントに人間か?」って思ってしまうぐらいの達観具合で私は全く感情移入できませんでした。

普段そんなキャラだからたまに怒ったりするのさえも白々しく感じちゃって、もうどうしても楽しんで見れない気がします。

 

 

・ぷっちみく

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・ミュークルドリーミーみっくす

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あからさまに実写回増えてきたし、もう描くこと無くなってる気がしますね。

ゆめと朝陽と会長の三角関係に百合先輩や森村さんも絡んできて、そこまでは良かったけど結局なあなあで流してしまって。なのに今度はあっきーからゆめへの矢印を増やしてみたり、朝陽にフラれた森村さんを引っ張り出してきて「まだ南川のことが好き」と言わせるなんて、あまりに残酷でしょう。

 

あと、やってることももうよくわからないんですよ。

1年目の時は生徒会長に心の闇があって、だからそこにつけ込まれて悪夢を広げる活動をしていたわけじゃないですか?

なのに2年目になってからの敵のアッキーは遊び半分で悪夢を広げてるし、改心したはずの会長もいきなり戻ってきたと思ったら脈絡なくアクム―側についてまた悪夢広げだすしで、もうめちゃくちゃ。彼らが何がしたいのか本気でわからないんですよね。

 

 

デジモンアドベンチャー

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単話完結の適当な回ばっかやって肝心のデジタルワールドを危機に陥れる敵の存在は全く描かれてなくて、だから最後の二話ぐらいでぽっと出のラスボスに出てこられても「あ、そっか」ぐらいの感想しか出てこなかったです。

あと、ラストの変更も個人的には悲しいです。デジモンアドベンチャー02の一話で普通に行き来できるようになってるのが許せなくて結局02見れなかったぐらい、無印の離れ離れになるラストが好きだったんですよ、私。だからこの結末の変更は本当に辛かった。

 

 

終わりに

今期も合うアニメ合わないアニメはありましたがめちゃくちゃ楽しかったです。

 

元々あんまりネガティブなことは書きたくないなーって思ってはじめたはずなのに、良くなかったところの方がスラスラ出てくる自分に少し辟易してしまうこともある今日この頃。正直あんまり何かを考えながら作品を見る性質ではないし、これまで意図的に言語化することを避けてきたこともあって、「面白かった」「合わなかった」以外の感想を絞り出すのにめちゃくちゃ苦労しているのですが、これを続けていくことによってそこら辺の苦手意識を克服できると良いなと思います。

 

余談ですが最近アニメを語ってないことに対するストレスが凄いんですよね。自分はリアタイでアニメ実況とかしないし、その上コロナで引きこもりになってしまって、一気にアニメを語る場が失われてしまいました。久々にアニメガタリズしたいなぁとぼんやりと考えていますので、暇な人は誘ってください。