前期にゾンサガの記事を書いた時に「毎期何かしら一本ぐらいは個別に記事書けたらいいな」と思ったので今回はSonny Boyについて書いていこうと思う。
主観的な部分から根拠を抽出しているので、考察というよりかは推測みたいなものだが悪しからず。
まずは兎にも角にも、Sonny Boyはめちゃくちゃ面白かった。見ていて全然わからないと感じる部分もあるけど、それも含めて全部面白かった。最終回まで見たことによって解消された謎もあれば、解消されずに残された謎もある。
その残された謎の中で私が一番気になったのは、希が見た光の正体は一体何だったのか、ということだ。
第12話でコンパスが指し示した先に辿り着いた場所、それは未来に進むことができた可能性の世界だった。北を示すコンパスが北極点で回転するように*1、希の見た光を示すコンパスは現実世界で回転していた。この世界は正に、希のコンパスの辿り着くべき場所であった。(以後、現実世界を正史世界、漂流した世界を漂流世界と呼ぶことにする)
コンパスが正史世界を指し示していたのならば、正史世界自体が光の正体と解釈してしまっても間違いではないのだろう。
でも私はそれだけでは納得できなかった。
なので、これからその部分をちょっとだけ考察していこうと思う。
超能力
まず、光について考察するに準備として、希の能力「コンパス」や他のキャラクターの超能力についておさらいしていこう。
キャラクター | 能力名 | 能力詳細 |
---|---|---|
希 | コンパス | ある一点を示す光が見えるが、他人には知覚できない。その光の正体は不明。 |
長良 | 観測者 | この世界そのものを作り出し、可能性の箱を開けることのできる能力。 |
瑞穂 | ニャマゾン | 望んだものを三匹の猫が持ってきてくれるというものだが、実際はそれは猫たちの能力であり、彼女自身の能力は「状態を静止させる」能力であることが明かされた。 |
朝風 | スローライト | 重力操作が主だった能力だが、それを応用して様々なことが行える模様。次元を切り開いたり、人間を能力遺物に変換する能力もその一環か。 |
ラジダニ | ポケコン | プログラムを実世界に反映することができる能力。 |
骨折 | モノローグ | 人の心の声を聴くことができる能力。 |
明星 | Hope | イメージが具現化できる能力。第1話で死神のイメージを見せたりなどで使われていた。 |
ポニー | スイッチ | 触れたものを入れ替えることができる能力。 |
キャップ | 万能部室 | 誰もいない部室で集中すると様々なものが作れる能力。ただし、一日に作れる量には限界があるらしい。 |
あき先生 | 相対性 | 詳細は不明。朝風の「スローライト」と相性が良いらしい。また骨折の「モノローグ」に対して、「尺度を合わせると良く聞こえるんだ、あの女の声が。私の能力で相対的にね」と発言したことから、コピーか相手の能力を利用する能力の可能性あり。 |
希の見た光について考察する手がかりとして、まず各個人と能力の相関関係を探る。
ラジダニの発明能力、キャップの部室能力、瑞穂の猫能力など、基本的に個人の特徴を表す形で能力が発現するのかもしれない。
しかし、それだけだと個人の特徴に関連しない長良や朝風などの能力は説明ができない。
そこで、作中の描写を用いて説明を試みることにする。
- 第1話、屋上で希と長良が話している場面。長良が希に「ねえ君、本当は……本当はどこか行きたいと思ってる?」「逃げんの!?」と問い詰められたところで漂流が発生した。
↓
漂流は長良の能力であると明言されている。長良のどこかへ逃げたいという思いが別の可能性の世界を観測する「観測者」という形で能力を発現させたのではないか。
- 第10話で瑞穂が頼んだ鶏と長良が頼んだ鶏で対照実験を行った時の長良の台詞。
「瑞穂は、誰かが死ぬのを見たくなかったんだ」
↓
瑞穂が望んだ「状態の静止」がそのまま瑞穂の能力になっている。
- 朝風が希をコンパスにしてしまった時、神が「心の奥底は自分でも覗けない。偶然に生まれる能力の結晶、美しいと思わないか」と言った。
↓
深層心理が能力として表出する、と解釈できそう。
これらのことから、「能力はその人の望みが具象化する形で発現する」と言えるのではないだろうか。
とすると、希の能力「コンパス」も彼女自身の望みが能力として具象化したものなのかもしれない。よって、希の望んでいたものを光として観測できる形で「コンパス」が発現したのではないか、という仮説を立てることにする。
希の思考
ということで、今度は希の求めていたものを割り出すために彼女の思考をトレースしてみよう。
まずは私は希の思考をトレースする上で、彼女の台詞に着目して本編を復習した。その中で印象的だった台詞ややりとりの一部を列挙する。
「私があんたを振った理由教えようか。私は朝風を尊敬できない。だから付き合えない」
「皆だって、神だって俺のことを認めたんだぞ!」
「人がどうこうじゃない、あんた自身が決めた価値の話だ。私は帰るよ。たとえ自分が死んでいようとも、私は自分の運命を受け入れる」
「人って、生まれただけじゃ価値なんてないんだよ。だからその後の人生で、その意味を見つけなくちゃいけない。与えられたものに最初から価値が決まってる、意味が備わっているなんて、なんか他人任せで気持ち悪いよ」
「力がない奴は、一人じゃ生きていけないだろ。誰かが助けてやらないと」
「確かに、今まで君のお陰でこの世界に居られたのかもしれない」
「だから従えよ、俺に」
「でもね、それでも、私の居場所は自分で決めさせてもらう」
希の台詞を追いかけて見ていくと、上記の台詞に限らず一貫する信念のようなものが見えてきた。
それは「自分の道は自分で決め、そしてその行動に対して責任を持つ」ことである。
(毎回長々と「自分の道は自分で決め、そしてその行動に対して責任を持つ」と毎回書くのもあれなので、言葉のニュアンスで言うと少し違うのだが以下では「自己責任」とでも言うことにする)
それは彼女がポジティブな時だけではなくて、弱音を吐いた時の台詞からも読み取ることができる。
「あたし今、嫌な奴だから。誰かが全部終わらせてくれないかなって。本当はあたし、そんなズルいことばっか考えてるんだから」
一見他人に責任を取って欲しい旨の発言に見えるが、誰かに全てを終わらせて欲しいと願うことはズルいことだと、間違っているという彼女の価値観を汲み取ることができる。彼女は明確な意思を持って「自己責任」を徹底していると言えるだろう。
正史世界と漂流世界
希の思考はなんとなくわかった。しかし、これがわかっただけでは希の求めるものについてアプローチできない。よって別の方面の考察をしようと思う。(少し話が脱線するように見えるだろうが必要な考察なので我慢して欲しい)
希の「自己責任」の思考は彼女に留まらず、長良や瑞穂にまで伝染していった。
第9話で猫のさくらを神への供物として捧げようとしたソウに対して、瑞穂が「誰かに縋っても、何も変わらないんだ!自分でどうにかするしかないんだよ!」と言ったことや、第12話の長良と瑞穂が会話するシーンで長良が「やっぱり世界は変えられない。だけどこれは、僕が選択した世界だ」と言ったことはとても象徴的に「自己責任」を示している。
長良と瑞穂は自分の行動の結果が未来に繋がっていることを自覚し、それに対しての責任から逃げずに真正面から受け止めているのだ。
一方、他の漂流者たちはどうだろうか。
第5話では漂流したクラスメイトが寄って集って長良を責めるシーンがある。皆が疑心暗鬼になり、長良が悪意を持って漂流を続けているという風説が流布された結果起こった学級裁判だ。そこで希が「こんなの話し合いじゃない!みんな誰かのせいにして、楽になりたいだけなんだ!」と叫んだことからもわかるように、彼らは長良に責任転嫁を行っている。
第7話では漂流被害者の回なる集会が行われ、長良を断罪せよという会議が行われていた。その観衆に対してコウモリが「観測者が居なきゃ皆ただの可能性で終わっていた。結局どこに居たって僕らは抗い続けなきゃならないって。誰も長良を非難することはできないし、僕がさせないんだなぁ」と一喝したことでその件は終了したが、ここでも漂流者たちは不満のはけ口として長良に責任転嫁を行っている。
上記のことから私は「『自己責任』の覚悟の有無こそが正史世界に行けるか漂流するかの決定的な差ではないか」という仮説を立てた。ここにこそ正史世界と漂流世界の差があるのではないかと見たのだ。
結末を迎えた時、元の世界に帰ることができたのは長良と瑞穂の二人だけだった。未来を選択する責任を知った二人だけが正史世界に帰ったのだ。未来を選択するということには責任が伴う。世界を変えることはできないけれど、今居る世界は自分の選択が積み重なった結果であり、それを他人のせいにはできない。「未来を選択すること」と「その行動の責任を持つこと」はセットなのだ。
だからこそ責任を放棄したコピーたちは未来に辿り着けず、漂流し静止した存在になってしまったのではないだろうか。漂流者たちの責任転嫁行動は言ってしまえば、未来を放棄しているに等しい。未来には責任がついて回る。自分の置かれた境遇を他人のせいにしてしまえば、自分に責任はないと思えばそれはなんとも楽な逃げ道ではあるが、その瞬間彼らは未来を選択することもできなくなるのだ。
つまり、「自己責任」の覚悟こそが正史世界に進むために必要なものであり、それはイコールで「未来を選択すること」に繋がっている、ということだ。
希の見た光
で、だ。希の求めるものについて話を戻そう。
これまでの私の考察が正しければ、「自己責任」の覚悟を持つということは「未来を選択する」ということであり、希はその覚悟を持っていた。
そもそもこの漂流に於いて、希は明らかに異端として描かれている。それは「自己責任」の覚悟においてもそうだし、服装という視覚的な観点から見てもそうだし、第10話で骨折が「希だけだった。何の偽りもなくみんなと接していたのは」と評していたことからも明らかだ。
漂流者たちが未来を捨てたという上記の仮説が正解だとするならば、異端として描かれた希が「未来」を欲していたと考えるのは辻褄が合う。
つまり、この考察の結論としては、「希が欲していたものとは『未来』であり、光の正体『未来』だ」ということだ。
静止した漂流世界には存在しない「未来」という存在を誰よりも追い求めていたからこそ、希はそこに光を見たのだと、そう思うのだ。
補足:異端の漂流
そもそも未来を望んだ希がなぜ漂流したのかという疑問に対しては、第1話の漂流が起こった瞬間が答えになっているように思う。
何のことはない、漂流の瞬間、希は長良の肩に手を置いていた。だから漂流したのだろう。漂流を引き起こした能力者の長良に直接触れていたから、本来漂流するはずのない希が漂流したのだ。
これは単なる状況証拠で、だから根拠としてはとても薄いものではあるのだが、少なくとも私はそう解釈した。そうすると、希という異分子が紛れ込んでしまったことへの回答になる。
また、正しい世界を歩むはずだった希がイレギュラーで漂流に巻き込まれたという考えは、正史世界の希の死についても整合性がとれる。漂流した希がコピーではなく正史世界に行けたはずの本物だとするならば、希は正史世界に存在しなくなる。それが謎の失踪を遂げたとして死亡扱いを受けたと考えれば、第6話での正史世界の希の死が説明できる。そして、12話では「コンパス」が正史世界に渡ったことで、それが希に変化し正史世界も希が存在する世界へ再構築された、とすればよいのだ。
長良と瑞穂はニャマゾンでコピーした「コンパス」と朝風が持っていた本物の「コンパス」の2つを持って正史世界に渡った。しかし、辿り着いた正史世界の長良の引き出しには「コンパス」が1つしか存在しなかった。このこともこの説を補強することができるだろう。
メッセージ
まとめ方がよく分からなくなってきたので、最後に、作中で印象的だった台詞を並べて終わることにする。
「過去は変えられない。でも、未来ならいくらだって変えられる」
「やっぱり世界は変えられない。だけどこれは、僕が選択した世界だ」
「誰かに縋っても、何も変わらないんだよ!自分でどうにかするしかないんだ!」
「私は帰るよ。たとえ自分が死んでいようとも、私は自分の運命を受け入れる」
「教えられた安全な道だけ歩いて『ああ、良かった』なんて、私は思わない。そんなの君の人生じゃないよ」
自分の道は自分で決める。それは同時に責任が伴うことでもあるけれど、それが何より大事なことなのだ。
この先の未来、楽しいこともあれば辛いことや苦しいこともあるだろう。でも、それは自分の選択した行動の結果だという自覚があれば、逃げることなく立ち向かえるのではないだろうか。
「人生はまだこれからだ。先は、もう少しだけ長い」
*1:実際は北極点でも磁北極でもコンパスって回転しないらしい。まぁそこは分かりやすくするためのフィクションの嘘ということで