自分の児文

元々は児童文学の感想置き場でした

2022夏アニメ

 

ちみも

大好きアニメーション。夏クール始まって3、4週目ぐらいに遅まきながら見始めたらドはまりしちゃって、宝物を見つけたような気分になったよね。ちみもたちの可愛さにまず1HIT。カナヘイさんのゆるふわ〜なキャラデザから地獄というギャップのある題材に2HIT。そして、あの見た目で人間臭さ溢れる鬼神家の三姉妹のギャップに3HIT。最後に不憫可愛い地獄さんにフィニッシュブロウを喰らったわけです。溜まってたアニメを消化しきって見るものがなくて、何の気なしに見始めたアニメがぶっ刺さったとき、自分が暇な人間で良かったとつくづく思います。

15分×2本立ての構成は、子供の頃に見たお茶の間アニメーションを思い出させるどこか懐かしさを感じる作り。シンエイ動画っていったらドラえもんクレしんのとこだもんね、納得です。地味にこの15分2本立てが嬉しくってね。私、好きなアニメを見るのに結構心構えがいるタイプなんですけど、ちみもは15分で一区切りという軽さのお陰で、肩肘張らずに何時でも見れちゃうんですよ。そういうアニメって私には中々なくて、だからこのアニメが夏クールの精神安定剤だったと言っても過言ではないでしょう。

それに、このアニメって私たちの日常の嫌なことを笑いに変えてくれるじゃないですか。普段私たちが生活していて遭遇する、モヤモヤすることや納得いかないこと、はたまた慣れ過ぎて不感症になってたけどよく考えたら嫌だよねぇ、なんてことまで、地獄さんが「地獄じゃ~!」って言って笑いに変えてくれる。だから、見ていて胸のすく思いでしたし、そういう意味でも精神安定剤だったんですよね。

最終話で地獄さんが地獄先輩に「生きづらい世の中でそれぞれ地獄を抱えて生きとるんじゃ!」と言ってくれたシーンは、この作品屈指の名シーンでした。この作品では、嫌なことをコミカルに「地獄」と形容してギャグや微笑ましさに昇華していましたが、普通に考えたら、そんな嫌なことが辛くない訳ないですよね。それを最後に、おふざけなんて一切なしの心から絞り出した本気の言葉で「辛いことは辛いんだ」と言ってくれることが、どんなに嬉しかったか。それが地獄先輩に対する言い訳の言葉であっても、あの追い詰められた状況で出た、地獄さんの偽りのない本心であることは疑いようがありません。地獄から来た地獄さんだからこそ、フラットな目線で人間界の地獄を見つけられて、その辛さを代弁できるんです。辛いことを認めて、代弁して、訴えかけてくれるって、もう人間のこと救いに来てるじゃん。笑いあり癒しあり涙ありで、しまいには見てる人まで救ってくれる、本当に最高のアニメなんですよ、ちみもって。

私のフォロワーさんには、まさかちみもを見ていない方などいらっしゃらないとは思いますが、もし仮にうっかり見逃していました、なんて方は早急に見るべきです。そこに地獄から来た魑魅魍魎による"救い"が待っていますから。

 

Extream Hearts

スポーツ×アイドルという中々に難しそうな組み合わせですが、今期でも屈指の大好きアニメでした。スポーツ×アイドルで言うとウマ娘とかプラオレなんかが思い浮かびますけど、どちらもアイドル要素は添え物程度でしたし、直近だとリーマンズクラブが会社員×スポーツをやってましたが会社員描写もスポーツ描写も中途半端になってしまっていたのもあって、最初は大丈夫かなぁという気持ちが強かったです。それぞれが単体で成り立っちゃうぐらい強力な題材なだけに喰い合ってやしまわないかなんて心配をしていたわけです。まぁ見進めていくうちに杞憂だったと思わされるんですけど。キャラクターの細かい描写はSSSや公式ブログに任せると割り切って、本編はスポーツもアイドルもどっちもやっちゃう欲張り構成が気持ちいいくらいにバッチリとハマっていて、最高でしたね。テンポ良くノンストップでノンストレスな構成、見ていて本当に気持ちが良かったです。

個人的転機は8話だった気がします。それまでも十分楽しく見てたんですが、それはあくまでもスポーツものとしての楽しさでした。仲間集めしながら強敵に挑んでいく展開とか完全に少年漫画の構図ですし、少年心くすぐるアツいスポ根を楽しんでた感じ。そんなアニメだと思ってキャッキャしてたので、8話でいきなりキラッキラのアイドルがぶん殴りに来たら、そりゃあ一発で落ちますよね。あまりにもズルじゃん、そんなの。そこで遅まきながら「このアニメ、スポーツもアイドルも本気でやるつもりなんだ」って気付いて、俄然視聴にも熱が入るようになったんです。

RISEのみんなは、一度は夢を諦めた/諦めかけた人たちで、だからこそ夢を諦めたくないという思いに共感して、アイドルもスポーツも本気でやりたいという陽和所長についてきてくれたんですよね。SSSでも言っていましたが、陽和所長は圧倒的リーダーって感じでじはありません。ただ、「この子の力になりたい」って思わせてくれるような人なんです。彼女のひたむきなところとか、困ってる人を見捨てられないところとか、絶対に諦めないところとか、メンバーにさえ弱いところを見せないちょっと心配なところとか、その全てが彼女の本当で、彼女の真っすぐを構成しています。そんなひたむきに頑張る彼女を見たらさ、好きにならない訳ないじゃないですか、冷静に考えて。頑張った人が頑張った分だけ報われるなんてそんなうまい話はそうないけれど、陽和所長には絶対に報われて欲しいなって思わずにはいられない、それこそが彼女の持つ力なのですよね。このアニメ、マジで陽和所長のためのアニメ過ぎるし、陽和所長のことを好きになったら、それだけでその他の全てが気にならなくなるの最強すぎません?

更にはSSSやRISEの公式ブログで、本編に詰め込めなかった沢山のこぼれ話なんかを見れば、皆のこともどんどん好きになっていって、もう爆発してしまいますよ、好きという感情が。SSSは、他チームのキャラとの本編では見られない掛け合いとか未解禁の情報とかじゃんじゃん見れるし、ブログは、小鷹咲希ちゃんが顔文字いっぱい使うのとか、雪乃さんの文体が硬いのとか、純華ちゃんが他のメンバーの内容まで見て情報をフォローする役回りしてたりとか、それぞれのメンバーの等身大がそのまんま文章に現れていて、キャラクターの輪郭の補完としてめちゃくちゃに優秀ですし、あまりにも隙がなさすぎます( ( •̀ワ•́ )b←小鷹咲希ちゃんがよく使う顔文字、マジで小鷹咲希ちゃん)。

アイドルアニメとしても、曲もライブシーンのクオリティも申し分ないです。ライブシーンに一家言ある私をも唸らす手描きライブシーン、マジでヤバイ(誰?)。圧巻のパフォーマンスでアイドルとしての格を見せつけるMay-Beeのステージなんか、あまりの迫力にちびりそうになりましたし。本業の芸能活動があるからこそ、エクストリームハーツの勝ち負け以外の部分で存在感を示せたり、他のグループと交流するメリットが生まれたり、ホント上手いこと考えられてますよね。手描きだからこその生き生きとした表情や、躍動感を出すために崩せるという強みを最大限に活かしながら、手描き故にカメラを自由に動かせない弱みまでもカット切り替えを多用してカバーする柔軟性。3DCGの使用も最低限で、引きのときやカメラが難しい動きをするとき等目立たない部分だけ。令和にもこんな素晴らしい手描きライブが見れるなんて思ってなかったので、嬉しさ余って最終話のライブシーンなんか10回ぐらい見直しましたもんね。

書いてることがぐっちゃぐちゃで纏まらなくなってきたんでもう適当に切るんですけど、とにかくめちゃくちゃ良いアニメで大好きだよ、ということだけでも伝わればいいかなと思います。皆も見てね!

 

ワッチャプリマジ

この作品、今までのプリティーシリーズを踏襲しトップのタイトルをかけて争う形をとりながらも、終盤でトッププリマジスタを決めるという予定調和をぶっ壊し、最終的にはそれぞれの違う道への進路を描くという、あまりにも佐藤順一(総)監督イズムに溢れる素晴らしいアニメでした。エキシビションですら5人センターという変則フォーメーションを取り入れて順位付けを避け、しまいには全員優勝なんてこともやっちゃう徹底ぶりも、とても佐藤順一監督らしいなと。それぞれの目指す未来にそれぞれが羽ばたいていくことを描くのは、佐藤順一監督なりのキャラクターに対する誠実な向き合い方なんでしょう(これはたまゆらでもARIAでもハグプリでも描かれていたことですからね)。

思うにこのアニメは、トッププリマジスタを目指すことを第一目標に掲げながらも、本当のところは自分自身を受け入れるために努力して苦しんできた人たちが、自分を受け入れられるようになるのための過程を描いたアニメでした。ライバルに勝てなくて自分を認められない者、プリマジをすること自体に葛藤がある者、自分は主人公じゃないと自覚してしまっている者、自分がプリマジスタであることを誇れない者、皆それぞれに悩みを抱えながらプリマジをしていました。

そんな彼女らの抱える悩みは、物語を通じて少しずつ解消されて行きます。何か一つの劇的なきっかけで成長するでなく、様々な出来事が積み重なって徐々に変化していく丁寧なキャラクター描写は、4クールという長尺を基本とした女児アニメだからこそできたことでしょう。そして、彼女たちの成長にヘブンズ化という形で晴れ舞台を作り、本筋にまで絡めるという構成力。流石にお上手すぎません? 個別回で積み上げてきたそのキャラクター描写を一切無駄にすることなく、ヘブンズ化の際にキャラクターが自分を肯定するための材料にまで昇華できています。メインストーリーのために数多の個別回も絶対に必要だったと言えることが、このアニメの構成力の高さを正に物語っているでしょう。

このアニメの中で、陽比野まつりの存在だけは少し異質でした。彼女一人だけエレメンツに認められることもなく、大きな問題を抱えているわけでもなく、別段個性が強いわけでもありません。しかし、そんな彼女こそ、このアニメの主人公にふさわしいのですよね。

他のプリマジスタって、みんな我が強いというか、モノの見方が自分中心で、自分のことでいっぱいいっぱいなんですよね。ジェニファーのステージを見て「私じゃ勝てないからセンターを降りる」だとか「私なら勝てるからセンターやらせろ」だとか、ジェニファーが太陽のエレメンツと融合してワッチャを全て奪っていってしまった時も、「プリマジ(プリマジスタ)はもう終わりだ」とか「エレメンツを持っていてもジェニファーなんかに勝てっこない」とか、とにかく自分がどうなるか、自分がどうにかできるか、を基準にモノを見ているんです。デュオプリマジでさえお互いの高め合いであり、他人との協力や協調を考えるものではなかったように思います。

それに比べて、陽比野まつりにはあまり我がありませんでした。我がないと言っても、勝ちたいという意思がないわけではなく、自分本位でない見方もできる柔軟性があるという意味です。エキシビションで5人センターを提案したのも彼女だし、ユーフォリアレビューでも、自分以外のエレメンツ所持者が力を合わせれば何とかなるよと提案したのも彼女だし、彼女はそういう他のキャラにはない視点を持っています。

私は、多分これが陽比野まつりが主人公である理由なんだと思うんです。これから先プリマジはどうなって、プリマジスタはどうなるのか、という場面ですら、まつりが一番に心配していたのはジェニファーのことでした。「私たちじゃジェニファーに勝てない」じゃなくて、「どうすればジェニファーを救えるのか」という目線。「自分がどうか」だけで動いていた個性の塊のキャラクター達を結びつけたのは陽比野まつりで、彼女が居なければみんなが手と手を取り合うことも無ければ、ジェニファーが救われることもありませんでした。

彼女たちはユニットでも何でもないけれど、全体を考えて見渡せるリーダーのような陽比野まつりが居たからこそ、団結が生まれ、物語が生まれ、大団円で終われたと思うのです。だからこそ、この物語においては陽比野まつりだけが主人公足り得るのだと、そう思うのです。

 

アオアシ

葦人の「お前の言う通り勝つことが一番や。勝たなきゃ富樫にも黒田にも正義はねぇ」って台詞、カッコいいぜ。

何もできやしないやつが語る理想論には誰も耳なんか貸さなくて、行動と結果で示すしかないんだってことは、みんなよくわかってるんですよね。竹島も黒田も浅利もことあるごとに「点を決めてから言え」だとか「お前は何もできちゃいないじゃないか」とか言ってましたけど、小さなころから真剣勝負の世界で生きてきた彼らにとっては当たり前の感覚なのでしょう。そしてそんな黒田や浅利と衝突したからこそ、葦人もその重さが身に染みてるんですよね。

でも、どこまで行っても結果を示すことでしか生きていけない世界であることは救いでもあります。あまりのレベル差に軽視され馬鹿にされてきた葦人でも、結果を出せば認められる世界なわけですから。あれだけ傍若無人に振る舞った金田の存在が許容されたのだって、彼が圧倒的な結果を残してきたからに他なりません。

これまでに類を見ない程高度で繊細な戦略・戦術描写に飾り立てられながらも、その根底にあるのは勝つことこそが全てであるという単純明快で力強い一つの答えなの、痺れますねぇ。セレクション組と内部昇格組のいざこざや、冨樫と内部昇格組との数年来のわだかまりでさえも余裕でぶっ飛ばしてしまうような、そんな根源的で強力な"勝利"への渇望。"勝利"を眼前に、バラバラだった足並みが一つに集束していく様は本当に見事でした。身も蓋もないですけど、要は勝ちゃあいいんですよね。彼らが戦っているのはそういう世界なんだって、ビシビシと伝わってきました。そんな真剣勝負の世界で切磋琢磨する選手たちの熱量に、見てるこっちまで当てられてしまう、そんな心地よい疲労感を伴った視聴体験は中々にエキサイティングでした。

あと、個人的に注目したいのは選手以外のキャラクターです。

その中でも、花ちゃんとお母さんの存在は特筆すべきものでした。上澄みの上澄み、才能と努力を日本最高峰のレベルで両立させた者達のぶつかり合いの中で、唯一この二人だけがサッカーの門外漢でいてくれたありがたさですよね。門外漢として、無理にわかろうとするでなく、ただ絶対的な味方になってくれたことが本当に大きかった。サッカーを知らないからこそ、この二人は葦人の味方になり得たんですよね。サッカーを知らないからこそ、彼を絶対的に肯定できたし、彼に「辛いなら帰っておいで」と、「たかがサッカー」と言うことが出来たんです。そんな居場所があることが葦人をどれだけ救ったことでしょう。彼女たちなしで葦人の物語は成り立たなかったことを思うと、この二人はやはり外せないなと。

あと、伊達監督ですよね。彼のことも、ホント凄く好きですよ。葦人のSBへの転向や武蔵野戦でのアドバイスの際に迷いが見えたり、指導者としての葛藤がちゃんとある人が指導してくれて本当に良かったです。選手の前では決して悩みは見せず、情も見せず、でも誰よりも選手のことを見てくれて考えてくれてる人。葦人や冨樫みたいな問題児のことも色眼鏡なしでちゃんと見ていてくれるの、あなたと福田監督だけですよ。福田監督みたいなカリスマ指導者じゃなくとも、必ず選手たちには必要な存在だって、私ぐらいになるとわかっちゃいますからね。

こういう選手以外の人たちの存在もこの作品には不可欠で、彼らの起こす局所的なドラマですらも描写も欠かさないから、私はこの作品のことが大好きなんですよね。サッカー描写が激化すればするほど、彼らの出番は減って行ったりするけれど、それでも、彼らによる盤外のドラマこそがこの作品を素晴らしいものにしていることは、疑いようのない事実でしょう。

 

ラブオールプレー

この作品を通して思ったのが、「懐の深さがあるアニメ なんとすばらしい‼(ミギー)」ってことなんですよね。内田くんみたいな初心者をちゃんとプレイヤーとして扱ってくれたり、かと思えば初心者で練習についていけなくて辞めてしまった学友たちも試合を応援してくれていたり、バドを諦めざるを得なくなってしまった花ちゃんにマネージャーとして関わる道があったり、そういうのを描いてくれたのがとっても嬉しかったです。スポーツって何もガチでやるだけじゃなくて、色んな楽しみ方があるわけで、関わり方は人それぞれなんだなって教えてくれるような、そんな懐の深さをこの作品からは感じました。初心者を集めて全国制覇、みたいな夢物語でなくて、強者は強者としての舞台が用意されていて、でも初心者や応援してくれているプレイヤーじゃない人たちのことも蔑ろにしない、そんな懐の深さをこの作品からは感じました。

これは多分同期にアオアシがあったこともかなり大きかったと思うんです。アオアシって高校年代サッカーの最上位の中でもさらにその上澄みの才能のぶつかり合いのお話で、着いてこれない者は容赦なく切り捨てる鋭さのある作品だったじゃないですか。そんな作品と同期だったからこそ、余計にこの作品の懐の深さが心地良かったんです、どちらが優れているとかでなく、どちらも本当に素晴らしい作品であること前提のお話でね。

でも、この作品もアオアシと正反対という訳ではなく、監督たちの指導という点では同じイズムを感じることができました。彼らの教育方針は明解で、一貫して「自発的な課題解決のための思考力・行動力を養う」といったところに重きを置いた指導がなされていました。指導はあくまで"きっかけ"で、そこから先は自分たちで考えなさいよ、というやり方です。

この、答えではなくきっかけを与えて本人に気付かせるやり方は、非常に賛否の分かれる部分だと思います。もちろん、自発的な思考能力を養うことはあらゆる技能の上達の要でもあるし、一番生徒たちの為になるやり方なのかもしれません。でも、問題はそれが理想論であるということなのです。そのことに気付くことが出来ずに潰れていった人たちも、絶対に星の数ほどいると思うんです。自ら選んで勝負の世界に身を投じて、それで食っていこうとしているユースの選手たちに向けてであるならばともかく、高校の部活でそれをすることのリスクはとても高いと思わざるを得ません。

15話は正にそのことに主眼を置いたエピソードでした。あらすじをざっくり言うと、厳しい練習についていけずにバド部をやめようとする新1年生の一ノ瀬くんに対して、その練習の"意味"を考えることで新しいものが見えてくるんだと水嶋くんが説いたことで、無事彼を引き留めることが出来た、というお話です(だいぶ諸々端折りましたが)。これって、本来は指導者がやるべき役目のことを水嶋くんがやっているわけで、しかも海老原先生は引き留めようとせず「本人が決めることだ」と切り捨てているんですよ、仮にも自分がスカウトした人材なのに。

これは海老原先生の指導方針が分かっている人なら、切り捨てている訳ではなく自ら考えて出した答えを尊重しているのだと理解できるのですが、分からなかった人たちの目線で言えば、海老原先生の指導方法は放任と捉えられてしまっても仕方のないものなのですよね。

学生時代にもうダメだと諦めてしまった経験って、絶対に後を引くと思うんですよ。だからこそ、海老原先生の指導を手放しに評価していいモノかと思う訳です。思えば10話で榊が水嶋とのダブルスを解消したいと言い出した時は、口をはさみこそしなかったものの、とても険しい表情で見つめていましたし、先生にもやきもきする気持ちがないわけではないとも思うのです。だからこそ、もう少しできない人間には助け舟をあげて欲しいなと、そう思ってしまったのです。誰もが日本一を目指せるわけではないし、ましてや部活なのですから、我武者羅に続けることで学ぶことだって沢山あると思うので。

なんか酷評っぽくなっちゃいましたが、基本的にずっと楽しみながら見ていましたしめちゃくちゃ面白かったですよ、このアニメ。それだけに、小さな気になる点が大きく見えてしまった、それだけなんです。

 

リコリス・リコイル

夏アニメで間違いなく一番人気であり、一番話題になったアニメですね。

このアニメのキャラクターって、その繋がりの強弱はあれども基本的にニコイチでデザインされていて、そういうとこカプ厨だから大好きです。私は順張りで千束とたきなの組み合わせが一番好きですね。たきなと千束の関係はたきなが可哀想で良いんですよね(最低の発言)。たきなはいつでも千束を求めてるのに、必ずしも千束はそうではない、その非対称性がね。

もちろん、千束にとってもたきなが大切な人であることに疑いはありません。「DAだけが世界じゃなくて、もっと楽しいことだって沢山あるんだよ」とたきなに教えることで、そして同じ目線で隣を歩いてくれる人が居ることで、千束も救われていたのでしょうから。でもそれは、自分に新たな生き方を提示してくれた救世主の影を自身に重ねた行動であり、自分の寂しさを紛らわす行動でもあり、たきな"が"千束を救ったわけではないと思います。物語が進むにつれて互いが互いの大切な人になりはしたものの、どこまで行ってもたきなが千束に向けていた感情が返ってくることはなくて、千束がその感情を向けるのは救世主の幻影です。千束の中で神格化されてしまったヨシさんを、たきなはどう頑張っても上回れませんでした。千束の心を救った存在がたきなではないのは明白で、千束に対する思いだけがより重くのしかかって来るのです。

 

というのが、一回通して見た時の感想でした。でも、これを書いてから最終回をもう一度見返したときにちょっと違うのかも、なんて思ったり。最終回では、意外とたきなと千束って対等なのかもなって思ったのです。

千束って今までずっと自分のじゃない価値観に縛られて生きてきたじゃないですか。DAとして実力を認められ上に行くことこそが正義だという価値観、幼い頃から植え付けられたそれを打ち破った先で千束は自由になった気でいたけれど、結局その後もヨシさんの「使命を果たせ」という言葉に縛られて、その価値観で生きてきました(それはヨシさんの意図とは違って伝わってしまいましたが)。千束が人を助けることは素晴らしいけれど、それはヨシさんの言葉ありきのものでした。

しかし、12話で千束は、「使命を果たせ」という言葉の本当の意味を知ってしまいます。自分の思っていのとは真逆の意味だったと知り、その価値観すら揺らいでしまって、千束には何もなくなってしまいました。彼女には生きる指針が無くなってしまったわけです。「何しようか、これから」という台詞に、彼女のそんな気持ちが詰まっているのですよね。宮古島に逃げたのだって、色々理由をつけてはいましたが、自分がなにをすれば良いのかわからなくなってしまったからかもしれません。

だから、そんな千束に「諦めてたことから始めてみたらどうですか」という何気ない一言をかけたたきなは、千束のことを救えたんじゃないかなと思うんです。ここまで、たきなが物理的にピンチを救ったことはあっても、千束に影響を与えたことってなかったと思うんですよ。まっさらになってしまった千束に指針を与えてくれたたきなって、何気ないけどちょっとは千束に影響を与えることが出来たんじゃないのかな、なんて思うようになったわけです。

非対称な関係って好きですけど、やっぱり最後には対等に向き合えるようになって欲しいというのも本音です。だから、最終回でようやくたきなが隣に並び立てたんじゃないかな、と気付けたことは、私にとってはとても嬉しいことでした。

 

組長娘と世話係

決して小さい子が好きな訳ではないが、小さい子が出てくるアニメは大抵大好きな私。桜樹八重花ちゃん、あまりにも守りたい笑顔すぎる……。

でも私、八重花ちゃんが悪い奴ら(霧島たちも十二分に悪い奴らだけど)に怪我をさせられたところで、そいつらもこの作品のことも本当に許せなくなりそうでした。序盤の方から薄々分かっていた展開ではあれど、どこかでこの作品の筋者はその一線だけは越えないでいてくれるんじゃないかって思ってたんでしょうね、多分。雅也さんとか、霧島にはオラオラだったけど横にいる八重花ちゃんには絡まないでいてくれた訳だし、「もしかしたら……」って思わずには居られなかった。霧島も八重花ちゃんの前では極力ヤクザの顔しないようにしてたし、いつでも裏社会と隣り合わせに見えてもちゃんと見えない壁で守られてたと思うんです。

子供ってやっぱり特別なもので、良い影響も悪い影響もすぐ受けちゃうじゃないですか。そんな真っ白なキャンバスを物語の都合でズタズタにされちゃったりしたらさ、それはもう笑ってみてらんないですよ。子供は親を選べないし、自分を取り巻く環境を変える権利も与えられていないんですよね。子供は自分の意思で契約も結べないんですもの。だから、組長の娘という立場に生まれてしまったが故に傷付いてしまった八重花ちゃんを見るのが本当に辛かったんです。

でもやっぱりこのアニメの最終回まで見て笑顔で笑うことが出来ている八重花ちゃんをみたら、この作品のこと嫌いにはなれなかったなと。それは彼女が障害を負ったりトラウマになったりしなかったから結果的に良かったって言ってるのとは少し違います。そこではなくて、事件の後も変わらず霧島のことを求める彼女の姿を見て、怖い思いを掻き消すぐらいに楽しい霧島との思い出が彼女の中にはあるんだってわかっちゃったんですよね。これは大人の都合の良い解釈かもしれません。好きな作品を嫌いになりたくないがための私のエゴかもしれません。まだ小さくてよく分かっていないだけで、今後八重花ちゃんも周りの環境を呪うことがあるかもしれません。でも、それでも私は、最後には笑っていられた八重花ちゃんのその笑顔を信じたいなと思ったんです。だから最後には、やっぱり見て良かったなって思うことが出来ましたし、大好きなアニメだと思うことが出来ました。

 

メイドインアビス 烈日の黄金郷

この作品、誰にも悪意がないところが本当にヤバいと思います。誰かを陥れてやろうという意思はなく、ただ自分たちの諦めきれない一つの為に選択を迫られた結果、何かを犠牲にせざるを得なくなり、衝突が生まれ、喪失が起こってしまいました。このアニメを見ていると、どこにもやり場のない感情が無限に発生してきて、本当に困るんですよね。ファプタの視点に立てば成れ果て村を許せないのは当たり前で、でもワズキャンの立場に立ってみれば、これ以外の選択肢は存在しなかったわけです。だからと言って彼の行動が許されるとは思いませんが、少なくとも彼の選択は数多くのガンジャ隊の命を救い、姿形はどうであれここまで生き永らえさせました。また、リコもワズキャンに利用されそうになりますが、彼女自身が誰より深層を目指す気持ちに抗えないと知っているからこそ、彼女もワズキャンのことを責められません。彼らだけじゃなくキャラクター一人一人に異なる思惑や感情があって、それぞれの視点で見ると全く違う物語に感じられるほどに矢印が複雑です。だから物語を俯瞰で見た時に、誰が悪いということは一意的に決められなくて、行き場のない感情だけがずっと渦巻いてしまうのです。

そんなことを引き起こしているのはやはり、原生生物やアビスの呪いや遺物といった、到底人間の身でどうにかなるものではない圧倒的な理不尽の数々なのでしょう。悲しみを、怒りを、誰かのせいにできないって相当苦しいですよ。その思いをずっと抱えさせるなんて、本当にどういう神経してるんですかつくしあきひと先生……。やっぱりこれ描いてるつくしあきひと先生、相当面白さに貪欲か相当性格悪いかのどっちかだと思います。

 

プリマドール

今期守りたい笑顔ランキングのTopを桜樹八重花選手(組長娘と世話係所属)とエミリコ選手(シャドーハウス所属)と争った、灰桜選手の所属アニメです。

人の喜びを自分のことのように喜んで、人の悲しみで当事者以上に泣くような、そういう灰桜みたいな生き方に、何でしょうね、憧れ?とも少し違うんですけど、しみじみとした畏敬の念のようなものがありました。

関わった全部を他人事ではなく自分事として捉えるなんて、普通は出来ません。どれだけ他人を思いやる心があっても、無意識に自己と他人には線引きをしてしまうもので、しかし彼女にはそれがないのですよね。ちょっと穿った見方をするなら、それは彼女が自律人形だからなのかもしれません。思考を複製して下の世代の自律人形に共有するという自律人形の特異性。だからこそ、自己と他人の境界が曖昧であるのかもしれません。まぁ、今そこはどうでも良いんですけど。

私たちは、大人になればなるほど素直に感情を吐露することが難しくなります。周りに心配をかけないように、はたまた恥や外聞を気にして、様々な要素が私たちを縛っています。辛いことがあっても、大人だからと抱え込んで、感情を押し殺してしまうことがいつしかデフォルトになっているんですよね。そんな折に灰桜が側にいてくれることが、彼女が感情を代弁してくれることが如何に救いとなり得るか、大人になった今だからこそわかります。直情的で幼いように見えて、でもそういう灰桜だからこそ皆を救えるのです。

誰かの救いになれるって、それはとっても素敵なことで、形は違ってもそういう灰桜みたいな人になりたいなと、そう思わせてくれるアニメでした。

 

Engage Kiss

ド屑なヒモ主人公を取り合う二人のヒロインという構図。第一印象は結構最悪で、「女性ってこういう男が好きなんだね……。オタクだからわかんないや……(アニメでしか恋愛を知らない悲しきバケモノ)」という悲しみを伴った視聴感だったわけですが、話が進むにつれどんどんと惹きこまれて行きました。

正直嫌いな要素は嫌いなままで、最後までずっとありはしたんですよね。シュウの軽薄さは最後まで好きになれなかったし、D災害の対処にあたる競合他社が悪魔をビジネスとして見てる感じとかも苦手だったなぁとか、その他諸々小さいことなんですけど苦手な部分は多くありました。心象が悪かったことに対して、そこにちゃんと納得に足る理由付けや反省があればすぐに手のひら返すんですけど、そこを描かずなあなあにされるともうダメなのです。シュウなんかは可哀想な過去ではあったし、そこに対して感情移入は十分にできたけど、でもそれと屑なのはまた別問題ですからね。

それでもこのアニメが好きだったのは、嫌いな要素以上にキサラやアヤノさん達ヒロインが魅力的だったからなんです。シュウを取り合ってわちゃわちゃしている二人を見るのが楽しくて、かと思えば記憶を代償にしているなんて設定が明かされて切なくもなっちゃって、兎角彼女たちの感情の動きからは目が離せませんでした。シュウにはたった一つのブレない目的があって、そこに向かって脇目も振らず自分のことも顧みず進んでいくもんだから、背負わされているのはいつもヒロインの二人です。大事なことは全部忘れて先に進んじゃって、残される人の葛藤も知らないでさ、都合のいい男だよホントに。

最終回で「未解決で大団円」って銘打ってましたけど、まぁアスモデウスを追い返しただけで倒せてないし、諸々未解決なのは本当ですよね。目下一番の問題であった妹の救出はできたけど、シュウが大変なのはここからです。ようやく妹を助けて、これからはヒロインたちと向き合う時間ですから。今まで散々な不義理をしてきて、その上それを一からキサラに説明しなくちゃいけないし、アヤノさんとの関係もなぁなぁで流してきたけどそれも清算しなくちゃいけないし、今度は妹のカンナまで争奪戦に参加です。この先のシュウの苦労を想像すると、同情半分ざまぁみろ半分でまぁ何とか許してやろうじゃないのという気持ちになるし、意外といい塩梅の落としどころだったのかもしれません。

 

シャドーハウス 2nd Season

1期ではまだキャラクターを掴みあぐねていた部分やキャラクターの意図が見えない部分が多くて結構モヤモヤしていたんですけど、2期は驚くほど見やすくなっていて面白かったですね。

1期の頃見辛さって多分、作品の中に謎"しか"なかったところから来てたと思うんですよ。全てが謎に包まれて、この物語のやりたいことすらわからない状態。手探りで一つ一つ謎に挑むも、それがわかったから何なんだって状態。それがどうにも居心地が悪くて、見る時にどういうスタンスで見ればいいのか分からなかったんだと思います。

そんな状態から、1期終盤でケイトの目的が明かされて、ようやくこの物語の指針が見えたんですよね。ケイトの目的が明かされることで、作品としての指針ができて、それに向けて物語が進んで行くんだってわかったから、視聴者も断然意図を汲み取りやすくなりました。だからこそ2期は見やすくて面白く感じたのではないかと。

あと2期はキャラクターの成長も嬉しかったですね。エミリコが「アホの子」から「考えるアホの子」になってたのが愛おしすぎるし、同期の皆も型に嵌ったキャラクターだったのが段々個性が出てきてたのも感慨深かったです。何の気なしに、子供たちの塔のシャドーって直情的であまり深く考えないやつが多いなって思って見てましたけど、シャドーが人間を真似て学習しているという話を受けてちょっと見方が変わりましたよね。シャドーって年齢的な幼さよりもかなり幼くて、まだ思考や感情も学習途上にあるみたいなので、大部分のシャドーが欲望に忠実で裏がないのはそこから来ているのでしょう。だから、特にパトリックとか、2期は出番が少ないながらも心の揺れ動きや思考が深化しているのが見て取れるようになっていて、そういう成長が嬉しかったのです。

 

神クズ☆アイドル

このアニメはアイドルアニメというべきか、アイドルオタクアニメというべきか。仁淀ユウヤの成長を楽しみに見つつも、それに振り回されるドルオタの悲喜交交を楽しむところまでがワンセットで、一度で二度美味しいアニメ、みたいなところありましたよね。

自分が結構移り気なオタクだったからというわけでは無いんですが、一つのことだけに情熱を注げる人は凄いです。自分も好きな作品はずっと好きだけど、やっぱりずっと高い熱量で応援し続けられるかっていうとそんなことはなくって。コロナ禍に突入する前は声優さんの追っかけやライブキッズみたいなこともやってましたけど、ずっと一人の声優さんやアーティストさんを追いかけ続けていたわけでもないですし。

だから、推しの一挙手一投足で泣き笑いできるオタクたちに共感もしながら、でも同時に羨ましさや引け目みたいなものもちょっとだけ感じながら見ていました。自分には何があっても何年経っても応援し続けるような熱量はないなぁ、って。人は人、って簡単に割り切れたらいいですけど、私は性格が内向的で後ろ向きなもんで、要らんことばっかり気にしてしまうんですよね。

それもあって、仁淀くんが「ファンってよくわかんないんだけど、絶対一人だけしか応援しちゃダメなの?」って言ってくれた時はもう、スタンディングオベーションですよ。元々誰か一人を応援し続けなくてはならない、みたいなルールなんてないですし、俺が勝手に引け目を感じていただけなんですけど、でも、なんというか、楽しみ方に狭量になっちゃいけないなと改めて思わされたと言いますか。

まぁ多分この手の話は気にする人は全く気にしないし、私みたいなのは一生気にしていくことになるのでしょうが、それでも少しは肩の荷が下りて、もうちょっと遠くまで見渡してみようかと思わせてくれたこのアニメには感謝しかありません。

 

咲うアルスノトリア すんっ!

一つ一つの何気ない掛け合いが楽しくって、大きな山も谷も無くともそれだけで大好きになってしまえるぐらいには、このアニメのことが好きでした。

最初は本当に何がしたい作品なのか分からず、ただ困惑するばかりでした。このアニメでは、基本的にペンタグラムたちの学園パートと騎士たちの不穏パートが9:1ぐらいの割合で描かれます。ただ、そこが最後まで繋がってこないんです。私には、ニトロプラス原作なのも相まって、てっきり3話~少なくとも中盤ぐらいには平和な学園生活が壊れてしまうのだろうという先入観があったんですよね。というより、そういうブランドイメージも込みでそういうミスリードを演出した制作側に、まんまと釣られてしまったんでしょうけど。だからこそ、いつまで経っても"本編"が始まらないな、という感覚でイマイチ入り込めなかったんですよね。

でも、キャラクターのことを知って、キャラクターのことを愛せるようになってきてからは徐々に変わっていきました。「もしかしてシリアスなアニメじゃないのでは?」と思うようになり、そうすると不思議なことに繋がりそうで繋がらない緊張感やもどかしさすら、平和な学園生活において一種のスパイスのように作用しているな、と好意的に解釈できるようになってきたのですよね。

特に最終話は秀逸でした。最終話の学園パートは明らかに1話の構成をなぞった作りです。そこでは、端々にキャラクターの小さな成長が見られながらも、最初から最後まで何ら変わりない学園生活の様子が描かれます。そして、それとは対照的にクライマックスに向けどんどんと加速していくのは騎士パートです。あわただしく敵の本拠地へ向かう騎士たち。騎士にとっての敵は誰か、それは明言こそされませんでしたが誰が見ても明らかです。それでずんずんと進軍していくものだから、最終回でいよいよ本当に2つの世界が邂逅してしまうのではないか、ここまで引っ張ったのも最終回に山場を持ってくるための布石だったのではないか、と疑心暗鬼になりながら、緊張感だけがどんどんと高まっていきます。そして、緊張感の糸がピンと張りつめて切れる直前、あわや邂逅か……!といったところで、結局またもミスリードでしたというオチが明かされ、ホッと胸をなでおろす、というような構成です。緊張と緩和、学園と騎士の対比を最大限に利用したハチャメチャに素晴らしい構成、いやぁ脱帽です。

結局私はキャラクターを見ることが多いので、それさえ好きになれば作品の色々な要素を、マイナスだと思っていたことでさえも好意的に捉えられるようになるんだなぁ、という発見が出来たのは、自分でも思わぬ収穫でした。こうやって、自分が好きになれることを増やしていってどんなものでも好きになれると、人生がもっと楽しくなるのでしょうね。

 

よふかしのうた

モノクロの漫画の世界では十分に表現し得なかった、蠱惑的なほどにキラキラと輝く夜の世界。なずなちゃんが言ったように、中学生のコウくんにとって夜はまさに「非日常」であり、何よりも自由で魅力的に写っていたことでしょう。そのコウくんの心の内を反映したかのような、情景と連動しているかのような背景美術こそがこのアニメの真骨頂だったのではないかと思います。背景全体を写し取るような構図や引きの構図も多く、夜の魅力を全身で以って訴えかけてくるようでした。

11話で鶯餡子に出会ってから、そんな楽しいだけだった夜の生活も一変するわけですが、そこからの演出がまたとんでもなく良かったです。今まで眩しくキラキラ光っていたはずの夜の世界が急激に色を失いくすんでいく様や、本当に吸血鬼になって良いのかと思い悩むんでいても、なずなちゃんに会うとやっぱり夜はキラキラ輝いて見えてしまう様。そして、フラットに夜を見た上でその輝きを再認識したコウくんの変化までをも克明に描き出していた素晴らしい演出。原作を読んでいたときとは全く違う視聴感で、総合的な演出の良さではアニメの方に軍配が上がるかもしれないですね。(端折られたエピソードはさておき)

個人的な話をさせてもらうと、この作品はちょうど自分が不眠症で苦しんでいる時に出会った作品です。不眠症って寝れないだけじゃん、と思われるかもしれませんが、ぐっすりと眠れないのは存外辛いモノです。夜寝れなくて昼夜逆転、寝れても浅い眠りですぐに目覚めるし、日中も常に眠気だけがあってパフォーマンスはダダ下がりです。しかも、寝よう寝ようと思うと余計に眠れなくなって負のループに嵌るからたちが悪い。それで苦しんで、今日もまた眠れないのかな、なんて考えていた折に出会ったのがこの作品(と「君は放課後インソムニア」というこれまた不眠症を題材にした作品)なんです。

この作品は、夜寝れないことを正当化してくれるんですよね。正当化というと聞こえは悪いですが、要は夜も寝るばっかりじゃつまんないぜって教えてくれるんです。現実にナズナちゃんはいないけど、夜起きてるのも楽しいもんだぜとか、皆大なり小なり病気なんだからそれとうまく付き合う方法を見つければいいんだぜとか、そういう生き方(というと大仰過ぎますが)を認めてくれるこの作品には、精神的にかなり救われました。読んだからと言って眠れるわけではないのですけど、心の持ちよう一つで辛さは大きく緩和されるものです。

今は不眠症の治療も終えて普通に生活していますが、それでもまだ時々眠れないことはあります。あの頃に戻ったらどうしようと不安は常にあって、でもそんな折、この作品を思い出しては少し安心するんです。そんな作品が素晴らしいアニメ化の機会に恵まれて、私としても本当に嬉しいのでした。来年には君は放課後インソムニアのアニメ化も控えていて、楽しみは増すばかりです。

 

ダイ大

この2年間毎週楽しかったです、ありがとう。とにかく出てくるキャラクターがみんなカッコよくて、しかもちゃんと散り際までちゃんとカッコよくってさ。キャラクターの散り際って作者の美学が色濃く出ると思うんですけど、散り際に必ず活躍を描いてくれる作品って好きなんです。あっけない死とか、身を呈した死とか、未練を残した死とか、散り際にも色々ありますけど、そこを最後の晴れ舞台としてちゃんと活躍をさせてあげられる作品は、その世界で生きているキャラクターへのリスペクトがあってとても好感が持てるんですよね。

原作を読んだことがないのでどこまで原作に忠実だったのかはわからないですけど、原作ファンの反応を見るに素晴らしいアニメ化であったことは間違いないのでしょう。私みたいな若輩者が内容にとやかく言うのは野暮ってもんでしょうからやめておきます。

私的には、往年の名作に真正面から向き合って最後までしっかりアニメ化してくれたという事実が嬉しかったです。ここ5~10年ぐらい、過去の名作リブートの流れがどんどん盛り上がってますけど、ファンも大満足なタイトルってどれぐらいありました? 私の記憶にある限りでは、ダイ大、フルバ、ジョジョぐらいだと思うんですが、いかがです?(ジョジョ見てないですけど) この打率の低さは、アニメのクオリティ以上に尺の問題が大きいと思います。尺とそれを作り切る体力さえあればリブートが評価された作品も沢山あったと思うんですよ。うしとら然りからくりサーカス然りイエスタデイ然り封神演義然り、私には合わなかったけどマンキン然り。アニメを作る側の苦労は全く考慮しない物言いで恐縮ですが、尺を用意できないならやらないで欲しいというのが正直本音なんですよね。

だから、このアニメが100話という長尺で2年間にわたって妥協のない素晴らしいアニメを見せてくれたことに感動すら覚えました。作品本編の内容ではない部分なんですけど、まだちょっとはリブートに期待してもいいのかもな、なんて思わせてくれたのが何よりも嬉しかったのです。

 

RWBY氷雪帝国

難しすぎる……。設定周りでわからないことが多すぎて、かといって原作の方見るほど自分は惹かれなくて、あまりハマれないまま終わってしまいました。何度も振り出しに戻っては少しずつ進んでいく形式で変わり映えしない絵面が飽きを誘発させてしまっていた気がしますね。

アクション作画は抜群だっただけに、平常時の作画の粗が目立ったのもちょっとマイナスポイントです。最近のシャフトって小綺麗になったというか、良くも悪くも普通の制作会社になってきましたよね。アクション作画ができるようになって、でもアクの強い演出は減っていって、悪く言えば面白みが無くなってしまったというか。シャフトが原作付きを制作するって聞くと、シャフトなりの再構成というかその絵作りや演出の奇抜さに期待することが多かったので、そういう挑戦的な演出が減ってる現状は少し残念に思います。

夢の中の支離滅裂で脈絡なく何でもありになっちゃう感じが表されていたのはとても良かったです。夢の世界の変化からワイスの意図を汲み取る仕掛けなどもあったのでしょうが、あまりのめり込んで見れなかったためそこを適当に流してしまって、ちょっと反省。

 

ようこそ実力至上主義の教室へ 2nd Season

軽井沢恵を弄びやがって!😡綾小路清隆許さん!😡って怒ってたけど、オタクにこの先のネタバレ(?)を軽く喰らったおかげで普通に許せました。でもそれはそれとして、綾小路清隆が青春してると面白すぎるから普通にやめて欲しいけどね。

1期の頃と比べて意外と皆年相応だなって思う場面が多かったですが、多分記憶が曖昧だから超高校生級のキャラクターや出来事しか記憶に残ってないだけで、1期の頃も変わらずこうだったんでしょうね。

普通に綾小路清隆が"陰の実力者"やってるの楽しすぎて顔面ヤバいことになりましたね。Wikipediaにも「10‐20代から圧倒的な支持を集めている」って書かれてますし、私にもまだまだ若い感性が残っているみたいで良かったです。

 

ハナビちゃん

パチスロ全然わかんなかったけど、OP全部強かったし楽しかったです!ショートアニメの満足度、OPEDとキャラの可愛さで決まるからね(浅ッ……)。

 

BORUTO

BORUTO、月刊のせいで遅々として進まない原作のせいで本筋は進められないので、本編に何の影響もなく起伏もないアニオリストーリーが無限に繰り返されている訳ですが、6年目にもなると最早それにも慣れてきて、むしろ楽しめるようになってきている自分がいるわけですよ。だからといって感想という感想はないわけですが、もうなんかこれ見るのも日常の一部ですよね。

夏クールあたりから始まったアカデミー編は、カワキに加えて今まであまり描かれてこなかったヒマワリが主役のメインストーリーです。カワキの人間性が成長するのが微笑ましくて、ヒマワリもちゃんとナルトの子供なんだなぁと分かってちょっとエモい、そんな感じでした。

なんだかんだ言いながら来期も見続けるんでしょうね。

 

ルミナスウィッチーズ

戦闘はないし、ズボン(パンツ)もないし、使い魔がはっきり描写されるどころか使い魔中心のストーリーまでやっちゃうし、歴代シリーズ(といってもアニメしか知らない)とは色々と勝手が違うアニメでしたね。正直全然刺さらなかったし、アイドルものなににライブシーンも結構酷くて、あんまり感想という感想はないです……。

 

ダンまち4期

やー、ここまでじゃちょっと判断つかんですね。

分割2クールの1クール目が全然キリ良くないところで終わってるので、ちょっと2クール目に持ち越しです。

 

終わりに

ここまで読んでくださってありがとうございました。見てる作品数は減ってるのに感想の文字数はむしろ増えていて、書くのもいよいよ時間がかかるようになってきました。

夏も本当に面白いアニメが多くて楽しかったですね。前期までのアニメの感想は溜めちゃって大変な思いをしたので、夏こそはすぐ出そうと思ってちまちま書き溜めてたんですけど、結局11月までずれ込んでしましました。ままならないもんです。

夏は色々と豊作でどれも甲乙つけがたいのですが、個人的には「よふかしのうた」の出来が良かったのが嬉しかったですね。一番面白かったとかそういうベクトルではないですが、自分に影響を与えた作品が良い形で世に広まるのはとても嬉しいものです。

馬鹿みたいですが、アニメや漫画に救われることって全然あるし、それらが人生の指針になることだってあるんですよね。私がSNSで演じている人格だって、こういう人になりたいと思えるアニメや漫画のキャラクターから影響を受けてますし、現実世界でだってなるべくそうあろうと努めてますもん。

作り話が一時の娯楽として消費されるのではなく、誰かの人生に影響を与えるって、考えてみたら素敵なことです。私はこれからもそんな作品たちに出会うため、アニメや漫画を見続けるのだと思います。まだまだ摂取し足りないので、しばらくは飽きることはないでしょうし、感想を書くのも続けていけたらなと思います。

次は、秋アニメの感想か2022年の総括か、どちらかで会えますように。気が向いたらまた読んでくださると嬉しいです。

では。