自分の児文

元々は児童文学の感想置き場でした

2022年まとめ5選

2022年に触れたもので素晴らしかったものを、各部門5作品ずつ選出。

本当は年内にあげたかったんですが、ヘラヘラ飲んでたら未完成のまま年が明けてしまいましたので、元旦にカリカリと加筆して何とか形にしました。

思い込みの激しいタイプの人間なので、最初に受け取ったイメージだけで変なことや間違ったことを言っているかもしれませんが、暖かい目で見てやって下さい。

 

 

 

アニメ

今年も新作TVアニメ部門、新作アニメ映画部門、過去作アニメ部門を設立。

 

新作TVアニメ部門

今年も新作アニメの感想は各クールの感想に書いてあるので割愛。ただ、何もないのも寂しいのでちょこっと何か書いてあります。

 

時光代理人

今年一番更新を心待ちにしていた作品であり、今一番続きが気になる作品です。最近は海外産のコンテンツが逆輸入されることが増えましたけど、感覚として中韓国の作品は私達と感性が近いことが多い気がしますね。現代舞台で田舎の人情噺が出来るのは中国ならではで、日本では産まれ得なかったであろう作品なのも素晴らしい点です。

 

平家物語

諸行無常」という言葉の意味を大抵の日本人が知っているのは平家物語のおかげですが、その映像化の中で今も昔も変わらぬ日本の四季の美しさが折に触れて描かれることに、特別な意図を感じます。変わらないものはないと語った平家物語が、形を変えて、語り口を変えて現代まで連綿と伝わってきているという事実には、感慨深いものがありますね。

 

ヒロインたるもの

今年私の中で一番大きかったオタク的出来事を挙げるならば、告白実行委員会シリーズを好きになったことかもしれません。桜丘高校を舞台にした正に恋愛"群像劇"と呼ぶに相応しいこのシリーズは、真っ直ぐな人間関係のぶつかり合いを数多く見せてくれました。私はそういう若さを二次元コンテンツに求めている節がありますね。

ちみも

今年のアニメを振り返ってみた時、意外とこのちみもの存在が大きくて、自分でもちょっとびっくり。
ペット系YouTubeチャンネルにぞっこんな私ですから、ちみもにハマったのも必然なのかもしれません。

 

Do It Yourself!!

激戦の秋クールを制したのはこのアニメ。また詳しい感想は秋アニメの記事に書こうと思いますが、DIYは誰かの見守る目線を強く感じるアニメでした。そのことがとっても嬉しくて今年の5選に選びました。

でも、DIYは本当に危ない面もあるからみんな気を付けてね!

 

新作アニメ映画部門

今年からド田舎に引っ越してしまったので、映画を見に行くのも結構な時間と交通費が掛かるようになって、あまり気軽に見に行けなくなりました。地方への移住を考えてるオタク(いない)、近くに大きい映画館があるかどうかだけはマジで気にした方が良いですよ。

 

映画バクテン

2022年個人的MVPはこの作品。

辛い気持ちも嬉しい気持ちも、終始彼ら思いがダイレクトに伝わってきて、比喩でなく最初から最後までずっと泣いていました。心象を背景描写に反映させるという変に奇を衒わない真っすぐな演出が、この作品には本当に合っていたと思いますし、その美しさったらないですよ。TVシリーズの演出をリフレインさせる場面もあって、ちゃんとTVシリーズと地続きの劇場アニメをしてくれたのもとても嬉しかったです。

 

劇場版は、インターハイ〜3年生引退に伴う世代交代したチームの立て直しのお話でした。

世代交代のお話は本当に見ていて辛かったです。偉大な先輩たちが抜けたあとの世代交代の描写は、否応なく私の心を締め付けました。亘理先輩の気持ち、悲しいかな私にも似たような体験があるから分かってしまうんですよね。自分語りになってしまいますが、私も中学時代、強豪校で主力としてプレーしながらも、自分たちの代で結果を残せなかったという苦い経験があります。自分たちは先輩達ほど優秀じゃない、という実感は常にあったのですが、終ぞそれを覆せぬまま引退を迎えてしまった、悔いの残る部活人生でした。だからこそ、亘理先輩の不安や苦悩が自分のことのように思えてとても苦しかったです。

しかし、亘理光太郎という男はそんな逆境を跳ね除けて、改めて前を向いて進んで行きました。彼は私とは違うのだな、と理解された瞬間、その時のために私はアニメを見ているかもしれないとすら思いました。そして、彼の強さに、カッコ良さにとことん惚れ込みました。

恥や外聞、自分の苦悩なんかより大事なものがあるって、心では分かっていても、実際に行動できる人なんて中々いるもんじゃありません。大事なことのために打算なく動ける人間の強さってこういうことだし、だからこそ周りの人間も利益なんて度外視で彼のために動いてくれたのです。気持ちだけでは動かぬものばかりのこの世界ですが、人の心を動かすものだけは、間違いなく誰かの強い気持ちなのだと思います。

私が物語の中に見ているのは、いつもそんな手の届かない人物なんです。こういう人になりたいという憧れこそ、私がアニメから貰っているものなのかもしれません。私がなれなかった、でもなりたかった姿を物語の中に見つける度、そのために私は沢山の物語を体験しているのだと実感します。

 

映画ゆるキャン

今年、一番見るのが辛かったアニメといえばこれ。

何の前情報も入れずに、映画館来てバクテンだけ見るのも勿体ないし(※映画館まで往復4時間、運賃3k)何か他にも見るか、とヘラヘラしながらスクリーンに入ったら、完全にタコ殴りにされましたよね。私はアニメを見に来たはずなのに、そこにあったのは触れられそうな程の現実で、リアルな手触りでした。

序盤から志摩リンが普通に社会人してるだけでも苦しかったのに、大垣千明が出てきてその経歴を語りだした時、私の心は完全に壊されてしまいました。彼女の高校卒業以降の来歴は、私と被るところがあまりにも多くて、でも彼女はとても充実した人生を送っているんですよね。東京でやりたいことはやり切った、って言える彼女が、直視できない程眩しかったです。

私が上京してやりきったと思えることって何かあったかなぁと思い返しても、本当に何もないし、地方住みも良いけれど相変わらず東京への未練はあるし、今の人生充実してるかと言われると閉口してしまうのが正直なところです。私の頭の中では、都築詩船の「やりきったかい?」が何度も木霊していました(バンドリーマーの末路)。烏滸がましいかもしれませんが、私の心情的には「逆だったかもしれねぇ」なんですよね、大垣千明と私。それほどまでに彼女の存在にはダメージを受けました。

そこからはずっと辛かったのですが、中盤〜終盤に差し掛かる頃、志摩リンとなでしこが秘境温泉で語らうシーンでもう修復不能なダメージを受けましたよね。高校生の頃の、ノリと若さである意味何でもできると思っていた彼女たちが、大人になってもできないことがあるんだって知ってしまったんです。いや、いつかは大人になるって分かっているしその事実は別に辛くはないけど、大人になってもできないことがあるなんて、それをなでしこに言われちゃあ、もう私の心はズタズタですよ。

とまぁ愚痴はここまでにしまして、ここまで酷評めいたことを言ってきましたが、この映画は間違いなく名作ではありましたよね。上のものだって別に酷評でなく「私の心が辛かったよ」っていう一個人の心の内で、それさえ除けばめちゃくちゃ面白かったし、何ならそれだけ私の心に刺さったってことですから。

やっぱりみんなで一つのものを作り上げるのを、学生の課外活動規模でなく市政の事業規模でできちゃうのとかめちゃくちゃワクワクしましたし、酸いも甘いも噛み分けた社会人としての彼女たちは、あの頃とは別の魅力に溢れていたと思います。それに何より、生活に追われ好きを忘れてしまった社会人に再び夢を見せてくれるアニメを、私が好きにならないはずないんですよね。

見た直後はそれこそ一生見たくないなんて思っていたこのアニメですが、時間が経って噛み砕けば噛み砕くほどに「でも面白かったなぁ……」となってきて、私も心の置き所をどうしたら良いものか分からずにいます。それでも、これだけ私の心を掻き乱したアニメですから、それを今年の5選に選ばずして何とするか、と思うのです。

 

四畳半タイムマシンブルース

四畳半神話体系との出会いは、大学時代に友達の家で見せられたのが最初だったかと思います。今思うと、大学時代に四畳半を見れたことはとても幸せでした。こういうくだらなくてしょうもないことを大きく広げてウダウダできちゃうのが大学生という生き物であって、永遠のモラトリアムを過ごしている彼らを、同じ歳頃の感性で見ることができたのが大きかったなぁと。

そして、月日は流れ令和4年、そんな彼らが帰ってきました。同い年だったはずの彼らは相も変わらずモラトリアムを過ごしていますが、片や私は社会人になっていて、時間の流れを痛感します。もう彼らとは年齢も立場も違うんだな、なんて一抹の寂しさを覚えながらも、やっぱり彼らをまた見たいなと思い映画館に足を運ぶことに。

しかし、そんな少しのジェラシーと不安を抱えての鑑賞だった訳ですが、結論から言えば本当に素晴らしい映画で、見終わった後にはそんな些末なことは全て吹き飛んでいました。サマータイムマシンブルースの方は全くの予備知識無しなのでわからないですけど、この作品の中には、あの頃と変わらない「私」と愉快な仲間達が生きていました。一瞬であの頃に引き戻される感覚はとても心地良く、見始めるまでの不安なんて何処へやらといった具合です。

物語自体は馬鹿馬鹿しくも面白く、本当にいつもの四畳半で、サマータイムマシンブルースとの親和性の高さに驚きました。こんな馬鹿みたいな話なのにロジックや伏線の回収には目を見張るものがあり、そのギャップにもやられました。

まぁでも、何が一番良かったかと言われれば、最後の「私」の台詞でしょうね。あの台詞によって、今まで散々と同じ時間を繰り返してきた「私」たちの、その先の未来への展望がぱぁっと開けたように感じられました。語らないことで語るという小粋さもありながら、素晴らしい余韻を残す一言でもあって、この映画はこの台詞のためのものだったのかもしれないな、と私も思わず膝を打ちましたよ。

見終わってみると、永遠のモラトリアムだと思っていた彼等の日々も、いつかは終わりが来るのだなと感じさせられました。それは作品としては描かれないかもしれませんが、いつかは彼らも社会に出て、結婚をして子供を産んで、年老いていくのだなと。その点で、この映画は正に、終わらない青春に一つの区切りをつけた偉大な作品だったのではないかと思うのです。

 

すずめの戸締まり

新海誠監督、あくまで写実的な表現を突き詰めた上で、現実を遥かに凌駕するドラマチックな映像を作ってくれるところがとても好きです。演出のために逆光にならないところであえて逆光にしたりすることはあれど、基本的に彼の映像は、レンズの湾曲や収差、被写界深度に至るまで、極めて現実のカメラの光学に則ったものなのですよね。こういう今まで気にしてこなかったことに気付くと、自分の中に視点が増えたことに嬉しくなると同時に、自分より遥かに視点が多い人の途方もなさに軽く眩暈もします。
あまり作品を別の作品と絡めて評価したくはありませんが、この作品は「君の名は」と「天気の子」があったからこその作品だろうと思います。過去2作に渡って描いてきた災害に対しての新海誠なりのアンサーを、この作品でようやくを示してくれたような、そんな気持ち。

一作目の「君の名は」では、災害が起こったことに対して、その結果から逆算して過去を変えることで命を救う選択をしました。でも、それって災害を題材にしながらも災害から逃げているようでもあって、現実で救えなかった無念を作品で昇華しようとした作品のようにも思えます。

災害を題材として扱うのは、災害が忘れ去られることのないように、と新海誠監督がどこかのインタビューで言っていましたが、「君の名は」では、それが出来ていたかと言われると難しいところです。災害を被った人を、文字通り"なかったこと"にした訳ですから、見方によっては出来ていなかったとも言えそうです。

続く二作目「天気の子」では、天気と大切な人を秤にかけて、大切な人を選んだ結果のあのラストでした。大切な人を救った上で災害にも正面から向き合っています。もしかしたらあの結末には、彼等が世界を恒久的に変えてしまったことで、今度こそ災害を忘れ去ることのないように、という狙いもあったのかもしれません。 

しかし、「天気の子」は陽菜と帆高とその周りの数人だけで物語が完結しています。そのセカイの外で災害に直面した人々については殆ど触れられることはなく、被災者不在の災害感が否めません(瀧くんのおばあちゃんぐらいですかね)。

被災するはずだった人々を救うことで結末を迎えた「君の名は」を見ると、災害とはそれ自体が本質なのではなく、被災した人々が居るということが本質だということが分かります。そうでなければ、「君の名は」では何も解決していないことになりますから。しかしそうすると、被災者が描かれない「天気の子」も、まだ未完成なんじゃないかと思えてきます。

そして、そんなことを感じた前述の2作品を見てきたからこそ、「すずめの戸締まり」は彼なりの答えなのではないかと感じたのです。

「すずめの戸締まり」は、これから起こり得る災害を未然に防ごうという物語である一方で、起こってしまった災害から目を背けることなく受け容れることを描いた作品でもありました。そして何より、被災した地域に生きた人々の思いを悼む作品でした。

「すずめの戸締まり」で描かれた受け容れるとは、痛みに慣れて忘れ去ってしまうことでも、心に蓋をして封じ込めてしまうことでもなく、その事実を胸に抱いてなお未来はきっと「大丈夫」だと信じられるようになることです。これは「天気の子」でも描かれましたが、すずめではその一歩先、そこに生きた人々の思いごと受け容れ、前に進むことまで描かれています。

各地の後戸を巡り、そこに生きた人々の思いを重しに蓋をする戸締まりという行為は追悼のようでもあります。災害のあった事実を忘れないのではなく、そこに生きた人々の思いを忘れず悼むこと、それが新海誠監督が出した結論なのだと感じました。

 

フルーツバスケット -prelude-

この映画、総集編ではないですが、半分ぐらいはTVシリーズの素材を使っていたんじゃないかと思います。とはいえ出来は十分に素晴らしいもので、文句をつけるところはありません。ただ、原作に忠実にというスタンスのアニメであるので、正直このエピソード単体で劇場アニメとして楽しめる強度でないのは確かです。あくまでフルーツバスケットの文脈の中にあってこそのお話をそのまま映画にしたので、完全にファンに向けた作品です。それでも5選に選んだのは、やっぱりフルバファンとしてこの映画を挙げないのは嘘になるからでしょう。

先程も言いましたが、出来についてケチを付けることは一切ありません。見終わった後には、ただ喪失感だけがありました。内容云々ではなく、これで本当にフルーツバスケットのアニメが終わってしまったんだな、という喪失感です。令和の時代にフルバのアニメが作られたことが奇跡みたいなものなのに、こんなに素晴らしい出来で最後までアニメ化なんてされちゃった日にはもう、その喪失感も推して知るべしでしょう。これからはフルバのアニメが作られることのない世界だなんて、あまりに残酷すぎますよ……。

 

過去作アニメ部門

今年は中々過去作を見る余裕がなくてサボりがちだったけど、一気見できるほどのめり込める作品が見つかると途端に楽しくなります。毎週追いかけて見るアニメと短期間で一気に見るアニメでは、摂取できる栄養素が違うと言われていますからね。

 

蟲師

高校生の頃、テレビでやってた蟲師続章をちらっと見て、「これ、ちゃんと腰を据えて見たいな」と思って幾星霜。いつの間にか存在を忘れていたアニメでした。次見るアニメを物色してた時に発見して、少しの懐かしさを覚えながら視聴することに。

そんな軽い気持ちで見始めたが最後、いつの間にやら続章から特別編に至るまで全話見終わって原作まで揃えていました。久々にこんな上質で濃密な視聴体験をしましたね、いやぁ良かったです……。

この作品の一番好きなところと言えば、やはり世界観の表現でしょう。漆原友紀先生が構築した蟲師の世界観を、少しの妥協もなく映像化出来ている凄味。「蟲師」の世界観を構成する要素以外が徹底的に排除されていて、間や無音、画面が真っ暗で何も映っていないことすらも恐れず積極的に挟み込んでいく、侘び寂びを感じるアニメとでも言いましょうか。OPEDですらも本編とシームレスに繋がっているような感覚で、本編に合っているというより、OPの立ち上がりやEDの余韻、そしてそれらの映像も含めて丸々一つの作品なんです。無駄なものは何も足さず、むしろ引き算で作っていって最後に残る静謐さを大切にしたこのアニメは、もう面白い面白くないという評価基準で語るのは野暮に感じるぐらいで、その世界観への誘いは芸術の域に達していると言っても過言ではないでしょう。

派手な作画でもなければ、お話も決してエンタメ然とはしておらず、釈然としない結末や、どうにもならない後味の悪さが残る話が多いです。しかし、人間の範疇を超えた存在と向き合うというのはそういうことなんだろうな、と納得させられてしまうのがこの作品。画面全体の説得力で捻じ伏せられてしまうのです。

蟲たちはただ在る様に在るだけで、それが人に悪く働くこともあればよく働くこともあるのですよね。それは作為や物語の都合などよりも大きな、「存在」による奔流です。人間だって生きていれば必ず周りに影響を与えるように、蟲もそうで、それがたまたま人間にまで影響を与えるものであっただけなのです。超自然的な存在か、あるいは現象か、その前になすすべない人の存在。それを人間レベルにまで嚙み砕き、何とか折り合いをつけようというのが「蟲師」なのでしょう。結末の中にも、「蟲」に翻弄されてままならないけれどそれでも続いてしまう日常や、あるいは悲しい結末を迎えた中にも、その当人だけにしかわからない救いがあったりします。ハッピーエンドにもバッドエンドにも分類できないような、その間の無限のグラデーションの中にある話に、どうしようもなく心が掴まれるのです。

 

R.O.D シリーズ

本作は紙を自在に操る紙使いを主人公にしたアニメです。OVA全3話+TVシリーズ26話で前々から気にはなっていたんですが、如何せんTVシリーズがU-Nextでしか配信されていないのもあって、中々手が出せずにいました。TVシリーズだけでも十分に楽しめますが、OVAはそれ自体のクオリティも高いですしTVシリーズに繋がる話でもあるので、見られる方は先にOVAを見ることをオススメします。

紙って、縁で指を切っちゃうような鋭さもあれば、重ねればとんでもなく硬い壁にもなり得るし、それでいて形も変幻自在だってんだから、よくよく考えたら凄い素材です。しかし、そんな何でもできそうな紙ですが、一方で水に弱いなんていう明確な弱点も持っていて、戦闘においてとても映える能力なんですよね。紙を使った変幻自在のアクションシーンはそれ自体が面白く、それに加えて作画も素晴らしく良いため、アクション目的での視聴にも十分に耐え得る強度があります。

また、物語の進行度に合わせて段々と物語がスケールアップしていくワクワク感もとても良かったです。最初は日常のあれやこれやを描いていきながら、最終的には世界の存亡を賭けた戦いまで話を膨らませちゃう全部乗せ感、大好きです。しかし、物語がどんどんとスケールアップしていって、最終的に世界の存亡を賭けた戦いの中にあっても、「三姉妹+菫川ねねね先生」という家族のお話が核に描かれていたところが私の一番の好きポイント。どれだけスケールが大きくになっても物語の中心は家族のお話で、最後までブレることはありませんでした。

「血の繋がりだけが家族じゃないんだ」なんて、有史以来何度となく繰り返されている言葉で、耳にタコが出来る程どこかで聞いた言葉であっても、人間口にしなくちゃ伝わらないんですよね。そういうことを臆面もなく言えるようになるってのが、家族になるってことなのかもしれません。こんな小っ恥ずかしいことを思っちゃうぐらい、素晴らしく愛に溢れたアニメでございましたよ、R.O.Dは。

 

RD潜脳調査室

士郎正宗×Production I.G.の本作、どうやら攻殻機動隊の少し先の未来を描いた作品らしいです。といっても物語上の繋がりはなくて、あくまで世界観を共有している程度の姉妹作品のような位置づけらしいんですけどね。らしい、らしいと言ってるのは、恥ずかしながら私が攻殻機動隊を見たことがないからです。シリーズが多すぎてどれから見るべきかと調べることすら億劫で、手を出すきっかけもないままここまで来てしまいました。去年はガンダムを履修し始めましたけど、ご長寿シリーズは如何せん見始めるまでの心理的なハードルが高くて、ね……。

ま、それはさておき、そんな位置づけの作品ですから、攻殻を全く知らない私でも十二分に楽しめました。ざっくりしたあらすじとしては、通称メタルと呼ばれる電脳世界が発達した世界で、そのメタルを通じた色々な事件を解決していきながら、徐々に50年前のある事故の真実に迫っていく、というSFチックな作品です。とはいえ、SFらしからぬのほほんとした雰囲気やゆるーい掛け合いが多く、人情噺も見どころの一つであるなど不思議なバランスで成り立っている作品なのですが。

まずもって、秀逸なのがキャラクターです。

女性キャラは所謂肉付きの良い健康的なポチャ子さんばかりで、一般的な王道からはかけ離れています。最近はライザ(アトリエ)や宝多六花(グリッドマン)のように体型に似合わぬ太ましい太腿なんかが大人気でありますが、このアニメの女の子はそういう感じではなく、兎角全身がふくよかなのです。でも、それがまた良いんだ。動いている姿を見てもらえばより伝わると思うのですが、全くそっちの気はない私ですら目覚めそうになっちゃったぐらい可愛いんですよ、彼女たち。

画質悪くてごめんね、でも太ましさは伝わるでしょ?

そして、男性キャラに関してもこれまた一癖ある人達ばかりです。主人公なんて81歳の車椅子のお爺ちゃんだし、30代半ばの義体を纏った80歳越えのダンディな部長さんに、ダイビングショップを営む癖の強い兄弟に、若いイケメンは唯一ヒロインの兄貴だけという、なんともまぁこちらも正統派とは呼べないような面々が揃い踏み。

で、この81歳のお爺ちゃん・波留さんと15歳の少女・ミナモさんという不思議なコンビが名コンビなんですよねぇ。

この年齢差の二人の絡みは、さながらお爺ちゃんと孫のそれで、ほんわかした雰囲気から安心して見ていられます。しかし、彼らは自他ともに認める"相棒"で、お互いに相手にないものがありリスペクトを欠かさない関係でもあるのがイカしてるんです。15歳を教え導く81歳が居てもいいし、81歳が15歳の純粋な真っすぐさに助けられることがあっても良いじゃあないですか。年の差があっても相棒として対等に認め合うことが出来るって、素敵やん?(島田紳助

また、体が不自由な波留さんが電脳世界にダイブして、同時進行でミナモさんが現実世界で行動してサポートする、という各話の基本構成もこの凸凹コンビとの相性バッチリでした。この電脳世界と現実世界両面からのアプローチで問題解決に向かう構成は、単話だけでなく、物語全体の構成としても適用されており、さながら美しいフラクタル構造のようです。結末については少々概念的過ぎる部分もありましたが、それを差し引いてもとても美しい幕引きでした。

これから攻殻機動隊に手を出そうかどうしようか迷っている方(私自身もまだ迷ってはいますが)、とりあえずこの作品は単体でも楽しめますし気軽に見てみては如何でしょう?

 

オーバーマンキングゲイナー

ガンダムシリーズを見て以来、ようやく富野由悠季作品が体に馴染むようになってきた今日この頃。富野監督は極めて現実主義の人間だとは思いますが、その一方で根っこの部分では強い思いがあれば世界変られるというような理想主義を信じたい気持ちも持っていて、そのせめぎ合いの中で作品を作ってるんじゃないかと感じるんですよね。特にこの作品からはその部分を強く感じてとても好きだったため、今回の5選に挙げさせていただきました。

お気に入りはアデット先生。ガサツなようでいて愛の深い彼女は、見ていて本当に飽きないキャラクターでした。

 

宇宙船サジタリウス

やくもで日本アニメーションやるじゃん、ってなって、何か他にも見てみようかなぁと思って見た作品。何年か前に原作者がファンコミュニティに現れたってんでアニメーター周りの界隈が俄に活気付いていたのをぼんやりと覚えていたので、個人的には今なお根強いファンが多い作品という印象でした。

第一印象でまず好きになったのはキャラクターです。キャラクターのバランスというか、配置が絶妙なんですよね。しっかり者でサジタリウス号船長のトッピー、がんこで頭が固いステレオタイプなおっさん船員のラナ、見栄っ張りでうだつの上がらない生物学者のジラフ、歌が大好きでいい意味で空気を読まない異星人のシビップ。欲に目が眩んだラナやジラフがトラブルに巻き込まれて、仕方ないなとトッピーが助ける。しかし、それでも何とかならないことはしばしばで、そんなときにシビップの歌が意外な効力を発揮してハッピーエンドになったりします。予定調和に展開しているなと分かっていても、キャラクターの掛け合いが楽しくて何だか愛おしくなってしまうのですよね。

しかし、それだけで終わらないのがこのアニメです。見進めていくうちに段々と、子供向けに見えて意外と大人にならないとわからない要素を内包しているなと気付く訳です。構成としては数話単位で一つのエピソードを描くようなつくりなのですが、それぞれ環境問題、核戦争の危機、絶滅危惧種保全、etc……などを扱っており、笑ってばかりもいられない身につまされる話が意外と多いのです。当時はまだ私なんかが生まれる前でしたから実際のところは分かりませんが、当時騒がれていたような社会問題をテーマとして扱っているのではないでしょうか。それに加えて、冴えないサラリーマンの悲哀を感じるような部分もあって、子供に伝わらないであろう描写が多く、意外と社会派のアニメの側面もあったりなかったり。

今だったらポリコレ棒でぶっ叩かれそうな発言もバンバン出てきたり、キャラクターの成長が描かれなかったり、と色々と時代を感じる作品ではありますが、それでも素晴らしい作品であったことは間違いないと思います。

 

漫画部門

漫画も昨年同様2022年に完結巻が発売した漫画と第1巻が発売した漫画を5つずつ選びました。自分の肌感覚では私自身はあんまりギャグやコメディって好きじゃないと思ってたんですけど、挙げた作品を見たときに意外とそういうテイストの作品が多くて驚きました。まぁ今回選んだ「あそびあそばせ」や「スペシャル」はただギャグ漫画で終わらなかったところが大きいのでしょうけど、意外と自分で自分のことって分からないものですね。

 

完結漫画5選

途中まで紙で揃えている漫画を、紙で揃えるか電書で揃えるか迷うやつってあるあるですよね? 私の場合は、お金に余裕が出た時に電書で揃え直してそれまでは漫喫で読むか、ってなるんですけど、これって作者にお金入らないし良くないよなぁと思いつつ、でも追ってるやつ全部買い直すのも不可能で頭抱えてます。だから、電書移行前から追いかけてる漫画とりあえず早く全部終わって欲しいです(暴論)。

 

ちはやふる末次由紀

名人・クイーン戦、本当に何度泣かされたことか。この二戦が同時並行なの、現実に即しているだけなんでしょうけど、それによって様々なドラマが生まれていて凄かったですね。個人競技でありながら、精神的にはちはやと新と、応援してくれているみんなで団体戦をしているようでもあり、「個人戦こそ本当の団体戦」という言葉を彷彿とさせます。この言葉、本来は個人トーナメント戦で後続の味方のために相手を疲弊させる、という意味合いで使われたのでその原義には合わないのですが、言葉としては本当にピッタリだなと思います。応援してくれる皆の後押しを見ると、瑞沢高校かるた部を作ったり、クイーン予選を捨てて修学旅行に行ったり、ここまでちはやが歩んできた道程は決して最短距離ではなかったけれど、間違いでもなかったと思えて、それがとても嬉しいんですよね。

好きなところはそれこそ無限にあって、でもこういう大き過ぎる物語に対して、私はまだ語る術を持ち合わせていなくてもどかしさも感じています。しかし、私が何かを語るまでもなく、この作品は傑作であると何百何千万の人が知っています。それだけで十分なのかもしれません。

 

あそびあそばせ涼川りん

まさかのあそびあそばせ完結。

改めて、とんでもない漫画でしたね。終盤は作者でも御しきれていなかったんじゃないかなと思います。特にあそ研の3人の関係性がギクシャクしだしてからは殆ど新聞部と美術部の話になりましたし、思うように彼女たちを動かせなくなってるんだろうなと。

しかし、その終盤のとんでも闇深百合展開とギャグの合わせ技ですら面白いのは、流石と言わざるを得ません。作者も収集つかなくなって手探りで描いているんだろうなと伝わるからこそ、そこで生まれる緊張と緩和には予想外の角度から飛んでくるパンチのような鋭さがあります。恐怖と笑いがせめぎ合う読書体験、あまりにも新感覚過ぎるんですよね。不条理ギャグとかホラーコメディに当てはめるのも何だか違って、これは新たなジャンルと言っても差し支えないような、そんな感覚です。

まぁ、作者の迷走ガーとか言ってますが、本当は計算されたものなのかもしれないし、実際のところは分からないんですけどね。あくまで私の目にはそう映ったってだけの話です。

アニメだけしか知らないよ~って人には是非とも原作を読んでもらいたいですね。そして、この恐怖と笑いを共に分かち合いましょう。

 

スペシャル/平方イコルスン

この作品は、田舎に転校した主人公・葉野小夜子が怪力女子高生・伊賀と出会うところから始まる、所謂コメディ漫画でした。

本作の特徴として、作中にしばしば非現実的な出来事が挟み込まれたり、端々から謎の香りが立ち昇ることが挙げられます。最たる例でいえば、怪力女子高生・伊賀の存在がそうです。彼女の怪力は尋常ではなく、電柱に触れただけで折ってしまうし、紙なんて脆いものは勿論持てないから本すら読むことができない程です。しかし、それについて違和感があるのは我々と精々主人公だけで、作中の人物は我々とはズレたリアクションをとるところが、この作品の笑いの根幹なのです。妙に現実感があって地に足ついたキャラクターたちのはずなのに、我々とは微妙に齟齬があり面白おかしい、そこが魅力のコメディ作品でした。

しかし、それも中盤までのお話です。そんなコメディ作品だったはずの「スペシャル」ですが、終盤ではいつの間にやら全く別の何かに変わっていたのです。それは一気に覆される訳ではなく、コメディを見ていたはずが、いつの間にやら別の何かになっていた、そんな感覚。「○○が全く気付かないうちに△△になる」って一時期流行りましたけど、それを漫画で感じたのって初めてですよ。

私がギャグのための要素だと思っていたそれらは、実はそんな簡単なものではなくて、彼女らにとっては切実であり現実の問題だったんですよね。いつの間にか作品は非現実に支配され、不穏な何かで埋め尽くされてしまいました。謎は殆ど明かされず、結末も良く言えば想像の余地を残させる、悪く言えばぶつ切りのバッドエンドという、何とも心の整理が付けられない終わり方。

正直、評価にはかなり難しいところがありますが、私はこの作品とても大好きなんです。単行本の2pの描き下ろし部分で、本当に終わったんだと初めて理解されるぐらいには、頭も心も追いつかない展開と終わり方でしたから、自分でも噛み砕けていないことばかりです。それでも、私はこの最終巻に大きく心動かされました。私はこの「よくわからないけど心動かされた」という感覚を、とても大事にしています。

私は昔から、心動かすロジックを解き明かしてしまえば、何か大切なものが無くなってしまう気がしていました。自分が心動かされたことが、言葉で説明されて欲しくなくて、定式化されたものの上に成り立っていて欲しくなかったのです。どんなものにもロジックがあって、そのもとに作られていると、頭では分かってはいても、心でそれを受け入れたくなかったのです。

そんな私ですから、「よくわからないけど心動かされた」という作品が存在することは、ある意味で救いなんです。私の心を、私が理解できない感動で満たしてくれるんです。私が私の心がどういう風に動くかを完全に知ってしまったら、そこにあるのは既知の感動だけであって、絶対にいつかは心の針が動かなくなる瞬間が来てしまいます。だからこそ、未だ私は自分の心を解き明かそうとしながらも、全てが明らかになることのないように願っているのです。

心を言葉にすればするほど難しくなる類の感動を、未だ味わわせてくれる作品があるんです。そんなの、どうしたって嬉しいに決まってるじゃないですか。だから、そんな作品に出会えることは、私にとって何よりの喜びなのです。

この作品は、私の中で確実に大切な作品になりました。わからなくっても、好きって言える作品になりました。平方イコルスン先生には、これからもそんな素晴らしい作品をどうか作り続けて欲しいですね。

 

惰性67パーセント/紙魚丸

煩悩まみれで怠惰で冴えない美大生の仲良し男女が集まって、色々とバカなことする漫画です(勿論、彼らの生活は色んな意味でオワっています)。作者の紙魚丸先生は成人漫画畑の方なので、そちらで知っている人も多いかもしれませんね。

この作品は私にとっての理想の大学生活を描いたものでした。大学にキラキラした理想を持って入学した人は多かったかもしれませんが、私にとってはこの色々オワってる生活こそが理想だったんです。学業はギリギリで何とかこなしつつ、自堕落な生活を送りながら大学近くの友達の家に入り浸って、適当に駄弁ったり時々バカやったりするような、そんな生活。何故か、自然とそういうものを求めてしまうのですよね。多分、手が届きそうで届かない、絶妙なラインだったからっていうのもあるんでしょう。そして、キラキラした生活よりも、何百倍も居心地よさそうに見えたんでしょう。だからこそ、この作品のキャラクター達にはとても感情移入できるし、ここまで好きになれるのだと思います。

本当に永遠に続いて欲しい漫画だったなぁと、終わってから特に思います。もう彼らの汚ねぇひだまりスケッチみたいな生活は見れないのか、という寂しさは日に日に募っていくばかりです。

 

ブスに花束を/作楽ロク

あまりブスなどと言うの憚られますが、ブスな主人公とクラスメイトの王子様が恋愛をするお話です。主人公がブスであるというのは第一印象のインパクトこそ強烈かもしれませんが、やっていることは王道に真っ当な恋愛漫画です。でも、それがいいんですよね。自己肯定感の低い人間が勇気を出して一歩踏み出す大変さは私自身もよく知っているし、だからこそ主人公カップルの何の変哲もない歩みの一つ一つが、とても愛おしく感じるのです。

主人公カップルが好きなのは勿論のことですが、私が一番応援してたのは、クラスメイトのキョロ充くん。キョロ充って聞くとイメージ悪いですけど全然悪いやつではなくて、自分なんか分不相応かもと思いながらも、背伸びして頑張り続けている姿がとてもカッコいいやつなんです。彼の空回りで場の空気が緩むし、細かいところまで気配りできる性格してるし、ホント応援したくなるんですよね。

主人公もキョロ充くんもそうですけど、結局、誠実に頑張って生きている人間が報われるのが見たいんですよ、私は。自分が真面目で誠実であるなんてことはとても言えませんが、それでも不真面目で不誠実な人間が得する世界ではあって欲しくないと思います。だから、真面目な人が報われる話を見ると、これを書いている人がいるなら、まだまだ世の中捨てたもんじゃないな、と思える気がするのです。

 

新作漫画5選

今回5選に挙げた「おとなのずかん改訂版」が3巻で打ち切りの憂き目にあいそうなので、興味がある人は買ってください(宣伝)。まだ2巻しか出ていない現時点ですら私の人生のマスターピースに入りそうなほどの作品なので(泣)。

 

ブレス/園山ゆきの

元モデルの宇田川アイアといつも背中を丸めているそばかすの女の子・炭崎純。期待からはみ出さないように生きてきた二人、そんな二人が出会ったことで、それぞれの夢が動き出す。

圧倒的な筆致で描かれる第一話にはもう度肝抜かれましたよね。メイクという題材を扱うに足る画力、線の美しさ、構図のとり方、キメるべきところでバッチリ決めてくれる気持ちよさ、その全てに見惚れてしまいます。全てにおいて想像以上のものを叩きつけられた時、人間ってのは言葉を失うんですね。

それでいて、話も抜群に面白いってんですから末恐ろしいですよ。抑圧からの解放のカタルシスも素晴らしいし、1話のメイクコンテストの題材に「変身」を持ってきたところとか3重ぐらい意味が掛かってるし、1巻の最後でタイトルの「ブレス」まで回収していく大局的な構成力もあって、もう本当にとんでもない新人さんが現れたものです。

皆さんも是非、第1話だけでも読んでみてください。絶対に損はさせませんので。

 

シュガーレス・シュガー/木村イマ

女性の一生を乗りこなすことは容易い

そんな語りから始まる第一話。「妻」や「母親」という役割に収まれば、何はなくとも無難に生きていくことができる。そんな風に考えていた主人公が、小説家の青年と出会うことによって変わっていく物語です。

元々小説家志望だった彼女は、青年と出会ってしまったことで、少しずつ欲が出始めます。夫は認めてくれないけれど、自分も本当は小説を書きたかった。今の「妻」や「母親」を「演じている」自分は本当の自分ではない。本当の私を認めてくれるのは件の青年だけだ。と、身勝手にもそう思うようになっていきます。でも、結局はそれって幻想なんですよね。その役割を引き受けたのは自分の選択だし、本当の自分じゃないと思っているのは「自分が嫌いな自分自身」です。

主人公が不幸だったのは、青年に出会ってしまったことで自身の身の上の悲しさに気付いてしまったことですが、主人公が幸運だったのは、青年が彼女の過ちを指摘してくれる人だったことです。果たして、出会わないほうが幸せだったのかどうなのか、それは物語が終わった後で、彼女にしか分からないことでしょう。

正直私も主人公みたいな思考に陥ることが度々あるので、読んでいて身を切られる思いでした。願わくば、幸せな方向に向かって欲しいですが、果たしてどうなることやら。

 

おとなのずかん改訂版/イトイ圭

感情を言葉にしてくれるって、これだ。

私が大好きな芸人さんの又吉直樹さんのエッセイに「夜を乗り越える」というものがあります。「夜を乗り越える」は、又吉さんの生い立ちから現在までの軌跡を振り返り、彼が本を読むに至る理由を様々な角度から考えてみる、というようなエッセイなのですが、その中にこんな一節があります。

僕が本を読んでいて、おもしろいなあ、この瞬間だなあと思うのは、普段からなんとなく感じている細かい感覚や自分の中で曖昧模糊としていた感情を、文章で的確に表現された時です。

自分の中で曖昧で、言葉にすることが出来なくて、でも漠然とずっと感じていたものが、作品の中に描かれている驚きと感動。それこそが本を読む理由だと彼は語っていました。私にとっては、この文章で表されたことこそが自分の中で曖昧模糊としていた感情であったため、その入れ子構造のような感情に大変興奮したのを覚えていますが、まぁ今はそれはどうでもよくて。何が言いたいかっていうと、「おとなのずかん改訂版」には私にとっての言葉にできない感情が描かれていた、ということなのです。

この作品は、家族の形を問い直すようなそんな作品です。所謂肉欲を伴う愛だの恋だのではなく、ただ単純にそれに匹敵する感情を他人に持つことはそんなにおかしなことですか? 家族になるって、それがなければいけませんか? そういったことを悩み、苦悩し続け、それでも家族になろうと藻掻く人たちがこの作品の中で生きているのです。

自分はどうにもそういった感情を人に向けることが出来なくて、でもそれってあまり言っちゃいけないことのような気もしていて、ずっとモヤモヤしていました。だから、そういう感情を持たなくていいし、こういう家族の形があってもいいじゃないかって、言ってくれるこの作品にとても救われたような気がして。

無論、作中でもその歪な家族の形が正解であるとは描かれないし、他人の目線から心無い言葉が飛んでくることもちゃんとあります。だけど、スタンダードではないけれど、これも一つの形だって教えてくれただけで、私はこの作品を人生のマスターピースの一つに挙げることに何の躊躇いもなくなったのです。

 

白山と三田さん/くさかべゆうへい

ひょんなことから付き合うことになった、上京を夢見る地味カップルのギャグ漫画。所々で挟まる恋愛(?)要素も、意外だからこそキュンと来ます。

何でしょう、この絶妙な「いそう」感。エッセイや写実的な作風であればいざ知らず、ギャグでこの「いそう」感が出せて、しかもちゃんとめちゃくちゃ面白いって凄いですよ。過度に強調しすぎない、等身大の冴えなさ。極端に振り切れた言動・行動の可笑しさや醜悪さってそれだけで笑えるし強い武器ですけど、このしみじみとした冴えなさはまた違うベクトルの笑いなんですよね(所々に極端な部分もあるにはありますが)。シュール、なんでしょうか。でも非現実ではない現実感、本当に面白いです。

冴えないだけで、おとなしいだけで、キモいだけで、根っこはただの良い人なんですよね。そんな主人公と三田さんの行く末を見届けるのが、今からとても楽しみです。

 

天幕のジャードゥーガル/トマトスープ

かつて世界の四分の一を支配したと言われる「モンゴル帝国」を舞台に、その捕虜として捕まってしまった少女の反逆の物語です。

私がジャードゥーガルで特に好きなのが、ナレーションの語り口です。場面場面ではしっかりキャラクターの心情にフォーカスして描かれているんだけれど、一方の歴史上の出来事をなぞるナレーションは淡々としていて、キャラクターとは違う温度感なんですよね。そこらへん、歴史をなぞるために必要な情報を過不足なく伝えつつ、読み進める際のテンポ感は損なわず、これが本当に絶妙な塩梅なんですよ。更には、ナレーションは淡々と事実を並べているだけでそれ自体に温度はないはずなのに、それを話の締めに持ってくることで不安を煽ったり話に印象的な影を落としたりするなど、使い所もまた抜群に巧い。

一昨年の新刊5選にもトマトスープ先生の「ダンピアの美味しい冒険」を挙げさせていただきましたが、今年もまた先生の作品を選出しました。とはいえトマトスープ先生が大好きな私でも、この作品がこのマンガが凄い2023の女性部門1位を取るとは思ってませんでしたけどね。ただ、それだけの面白さは十分にある作品ですので、気になっている方は是非に。

 

音楽部門

記事書くにあたって色々聞き直しましたが、もう忘れてるものが多すぎますね。やっぱり私って音楽にあんまり興味ないのかも。ということで、今年も聞いたのはアニソンだけです。

 

アニソン5選

曲が好きなことは大前提として、僕がやっぱり一番気にしてるのは歌詞です。作品ありきのアニソンは、歌詞も作品の物語の一部なのでね。

 

裸の勇者/Vaundy
裸の勇者

裸の勇者

  • Vaundy
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

恐らくですけど、私が今年一番聞いた曲だと思います。曲の展開のドラマチックさが凄いですよね、そういう知識とか全くないですけど。

お恥ずかしながらVaundyさんのことをこの曲で初めて知ったんですが、変幻自在の歌声も驚愕すぎでしょ。これを一人で歌い上げてるの、レーダーチャートがあったとしたら表現力のパラメーターが限界突破してますよね、絶対。

 

光るとき/羊文学
光るとき

光るとき

  • 羊文学
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

諸行無常の残酷な世の中で、それでも、と世界の美しさを歌ったこの歌が好きです。何度も繰り返し「世界は美しいよ」と言うのには、琵琶や徳子のそうあって欲しいという祈りも込められているんじゃないかな、なんて、希望的観測でしょうか。

 

0/GOOD ON THE REEL
0 - Single

0 - Single

  • provided courtesy of iTunes

人の数だけ思いがあって 僕はなんか泣きそうになって

ここを聞くたびに、私もなんか泣きそうになります。人それぞれの思いに寄り添ってくれる素晴らしいアニメでしたよね、エスタブライフは。

映画エスタブライフも楽しみです。嶺内ともみさんが引退を発表されましたが、エクアさんのCVはどうなるのでしょう。

 

菫/坂本真綾
菫

  • provided courtesy of iTunes

2番Aメロがないなんてありなんだ。(書き終わってから思ったけど、オトメの心得とかもそうだったかも)

夢を抱いたり 砕いたり

ここめちゃくちゃ好きです。「夢を砕く」ってフレーズがであいもんという作品を象徴しているような気がしますよね。

「夢を砕く」なんて、ともすれば強い負のエネルギーを持った言葉にもなりかねないけれど、であいもんという作品において「夢を砕く」ことは、夢を次の世代へと託すという意味も持っています。そうして託し、託されてここまで繋がってきたバトンを、また次の世代に託す喜び。そこに悲しみがないと言えば嘘になるけれど、それよりも喜べることが何より嬉しいんですよね。

いつの日か、一果ちゃんもまた誰かに繋ぐことになるのでしょう。作品はどこまで続くやらわかりませんが、そこまで見届けられたらどんなに幸せかと思います。

 

花の塔/さユり
花の塔

花の塔

  • provided courtesy of iTunes

俺バカだから音楽的なことは分かんねぇけどよ、2番で転調してキー下がるやつめっちゃ良くねぇか?

あと、リコリコ見た全員が言うことだけどEDの入り最強ですよね~。この曲だけでリコリコの評価何段階か上がってる気がするもん。

 

終わりに

まずは、ここまで読んでくださってありがとうございました。2022年もこの記事に入りきらなかった名作たちが数多くありましたが、その全てに感想を書くような時間的余裕も精神的余裕もなく、例年通り5選ということでお茶を濁させていただきました。特に漫画の方はTwitterでは殆ど話題に出さないようにしているのもあって、この場ぐらいでしか語ることがないので、選択にはかなり迷いましたね。

ま、それはさておくとして、2022年は個人的に激動の年でした。卒論に追われ何とか大学を卒業し、田舎に移住して社会人になって、ニート生活やっていた去年と比べてかなり忙しい一年を過ごした実感があります。それに加えて経済的な余裕が少しでてきたお陰で、ロードバイクや陶磁器という新たな趣味も開拓できたり、カメラに一層投資したり、積極的に旅行にも出かけるようになったりと、兎に角時間が足りないと感じるようになりました。去年までと比べるとアニメや漫画に割ける時間って言うのは確実に少なくなっていて、社会人の諸先輩方がオタクを卒業する気持ちもわからんでもないなと感じてしまうなど、嫌な実感もあったものです。

実は私にも、暫くアニメや漫画から離れていた時期がありました。別にオタクを卒業する気はなくって、でもただ何となく生活が忙しくって見れなくなって、いつの間にかフェードアウトしてしまうオタクの典型みたいな時期が。でも、今思い出そうとしてもその頃のことってあまり思い出せないし、空っぽだったなと思うんですよね。その頃、心動かされた思い出が全くないんです。

多分それが思い出せないのは、私が自分の人生をつまらないものだと思っているから。私は自分に対する期待感がとても薄くて自分の人生ってつまらないものだと思っているから、人生をただ生きていることに対して大きな喜怒哀楽が発生しないんです。だからこそつまらない生活の隙間を埋めてくれるような趣味が必要で、それがドラマチックで心を大きく動かすものであって欲しいんでしょうね。そして、それこそがアニメや漫画だと気付いてからは、私にとってそれらは生活の一部へと昇華した気がします。

趣味の時間が「非日常」でなく「日常」になって、それが生活に根付いている状態は強いですよ。仕事食事風呂アニメ漫画ですからね、本当に。

いつまでこの生活が続くのかはわかりませんが、2023年も引き続きアニメや漫画を存分に楽しめればなと思います。Twitterはあまり活発にはならないと思いますがぼちぼち流し見はしているので、同じ趣味をお持ちの方は引き続き仲良くしてくださると嬉しいです。

では、また来年(もう今年)もお会いできることを願って締めさせていただきます。さようなら。