自分の児文

元々は児童文学の感想置き場でした

2022秋アニメ

お久しぶりです、くぼはじめです。

もう冬アニメも折り返しですが、秋アニメの感想を書いたのでよろしければ読んでください。

 

 

Do It Yourself!!

ディスイズ秋アニメナンバワン大好きアニメイショーンッ!(二枚屋王悦)

線の数が少なく影も最小限で整理された画面は見やすさがありつつ、動きにはバッチリ気合が入った本当に楽しいアニメでした。特に、何かを作っているの手つきには見入るものがありましたね。手を動かして頭の中にあるものを形にする楽しさが、これでもかってぐらい詰まっていたと思います。たくみんの匠の手付き、サイコー!

何を作ろうかと思案して、材料から調達して、あれこれ試行錯誤しながら作っていって、そして完成したときには達成感を分かち合える仲間がいて。もう最高だよね。そして、想像を形にする楽しさを何より知ってるアニメーターさん達がそれを本当に楽しそうに描くものだから、キャラクターからだけじゃなく作り手側からもその気持ちよさを共有してくれてる気がして、本当に見ていて楽しかったです。何気ないカットにも動きで表情がついていたりして、animationって、命を吹き込むってこういうことなんだろうねって思ったり。決して潤沢じゃないであろう制作資金の中で、ここだけは譲れないというこだわりが見える作画、そういうの大好きよ。

せるふがいっぱい失敗しながら部長に教えてもらってるかと思えば、たくみんが周りには目もくれず黙々と好きなことやってるのを見て、このアニメはとても良いアニメだなと思ったよね。ジョブ子が自分で考えながら色々アレンジしちゃうところとか、しーが一つのことに興味が出たらひたすらそれやっちゃうところとか、各々の自由が尊重されて許容されている自由さも、このアニメの良いところ。皆で一つのことに取り組むときも、自分のやりたいことを各々がやって、それってとっても健全な楽しみ方だよなぁと思うのです。やりたくないことやらされることなんか一回もなくて、やりたい人がやりたいことをやって回ってる関係ってとっても素敵です。

そして、それが出来ていたのは紛れもなく部長のおかげでした。各々にやりたいことをやらせてあげて、指導役までうっきうきで買って出ちゃう部長、本当に可愛くて良い人で、この人の存在ありきで回っていたアニメだったと思います。部長がみんなを見守る時の優しい眼差したるや。新しいことに挑戦するとき、勇気を出して踏み出したとき、それを暖かく見守ってくれる人がいるんだよね。そういう視線を作中に繰り返し登場させてくれたのが、この作品で一番好きなところです。それは、ある時には治子先生や部長が生徒(後輩)達を見守る時の眼差しで、またある時はジョブ子ママやせるふママが娘達の成長を見つめる眼差しで、でも、やっぱり作中で一番眼差しが描かれたのはぷりんでした。

彼女がせるふを見つめるのは大抵が窓越しで、近くに見えているのに踏み出せない彼女の気持ちが伝わります。1話で、せるふが湯女ではなく潟女に行くと聞いて思わず閉めてしまった窓ガラスが、いつしかぷりんにとっては越えられない壁となってしまったかのようです。

一度開いてしまった心の距離を丁寧に少しづつニュートラルに戻していく描写は秀逸で、話数が進むにつれ少しずつ二人の距離は元に戻っていきます。しかし、どれだけ距離が近づいても、ぷりんからその窓を開けることは出来ないのですよね。だから、10話でせるふが窓越しの視線に気が付いて、その壁をぶち壊して手を差し伸べてくれた時は本当に嬉しかったです。

多分せるふからしたら別にどうってことないことで、最初から最後まで変わらずぷりんに接しているんですよ。でも、ここまで10話という尺を使って描かれてきた丁寧なぷりんの気持ちの変化があったからこそ、あの描写はぷりんにとっての救いになり得たわけで、なんて丁寧に救いを描くアニメなんだと思いましたよね。

そして、そこで感動できたのはやっぱり、彼女がせるふに向ける眼差しが絶えず描かれていたからこそなんですよ。彼女の眼差しを見れば、今どんな気持ちを抱いているのかが如実に読み取れて、それを知ればこそ、視聴者である我々もぷりんに感情移入できたので。

このアニメを見て、ぼんやりと自分の中にあった、見守ってくれる眼差しに思いを馳せる嬉しさ、というのでしょうか、それが形になって理解されたような気がします。アニメや漫画を読むことは、好きを再確認する作業であると同時に、自分の中に視点や考え方を増やす作業でもあって、そういう気付きのあった作品はやはり自分の中で特別な存在になっていきます。この作品はそういう意味でも素晴らしく心に残り、これから私は事あるごとに思い出す作品になるでしょう。好きを再確認する作業の中で、好きが増えていくって、なんて素晴らしいことなんでしょうね。

 

アークナイツ

ソシャゲアニメに懐疑的な私もこれにはニッコリ。内容は笑顔で見れるようなものじゃないですけど……。

このアニメ、構図のとり方にはかなり気を遣っているように見えて、それを気にしながら見るととても楽しめたなと思います。縦が狭く奥行きを出すのが難しそうなシネスコの画面で、前景と後景に効果的に人やモノを配置して奥行きを表現したり、逆に横が広いという特性を生かして、左右に向かい合う構図や横並びの構図を多用して、独特のアス比を演出に昇華できていた印象があります。特に、向かい合う構図を活かした対比的な表現には目を見張るものがありました。

また、引きの構図を効果的に使いながらも、基本望遠でキャラクターのバストアップや顔のアップで写す"寄り"の構図が多かったのも印象的でした。寄りが多いのはキャラクターの表情による芝居を多用したが故だと思うのですが、バストアップにしても左右に空いた空間から背景や他のキャラクターが映り込み、キャラクターの位置関係や状況が十分に把握できるのも、横が広いことによる副次的な効果でしょう。また、前景に人やモノを配置して、時には主題さえも遮るような配置を多用することで、カメラ(=視聴者)がその場に存在しているかのような臨場感があり、視聴に緊張感が生まれていたのも良かったです。それが縦に狭いアスペクト比から来る圧迫感や不安定さ、そして作中の状況から来る緊迫感と見事に噛み合っていて、とても没入できる作品になっていたと感じます。

演出もキレッキレで、最終話のスカルシュレッダー(ミーシャ)絡みの演出なんかは特に凄かったですね。目元や表情で語ることが多いアニメだったからこそ、最終話ではミーシャの表情が徹底的に隠されており、その心の内を視聴者に想像させる余白を残したのが抜群でした。ミーシャの表情が写るのは、「スカルシュレッダーを立ち上がらせる」と決意した瞬間のワンカットだけで、その冷たい目と言葉の重みには背筋が凍るようでした。

スカルシュレッダーの復活に後光を背負わせ、あたかも神の奇跡のように描いておきながら、その散り際を生々しくあっけない人間の死として描くところなんかも、とんでもないなこのアニメと思わされましたよね。神であるかのように描いた少女を、ただの人間に戻してしまったこのこの描写は、あまりにも非情で残酷で、しかしこれ以上ない現実です。死人が蘇ることなどない、奇跡など起こりはしないのだと、非情な現実を突きつけて、だからこそアーミヤは選択をしなければいけないのだと、そう語り掛けてくるようでした。

こうした素晴らしい画面構成及び演出に支えられて描かれたのは、アーミヤという少女の選択と葛藤でした。彼女の個人的な感情と、組織の上に立つ人間として為さねばならぬことは違っていて、その乖離が彼女を苦しめます。この戦時下で組織の上に立つには、彼女はあまりにも若く、そして優しすぎたのかもしれません。しかし、「感染者と非感染者双方を救う」という理想論を掲げる彼女がトップであるからこそ、ロドスという組織があるとも言えます。理想がなければやってられませんよ、こんなことは。だからこそ、彼女は悩みながらも選択を続けるしかないのですよね。

私も彼女たちの行く末を見届けたいな、という気持ちはありつつ、もうソシャゲに手を出すのは懲り懲りなんだよなぁという気持ちもあって、ちょっぴり複雑な気持ちです。黎明編と銘打つぐらいですから、アニメで続きが描かれることを信じて、続編を待ってみようと思います。その間、皆さんはYostarにお金を落としてくださると幸いです。

 

モブサイコⅢ

これまでの全てはこの3期のため、モブが普通の学生生活の1ページを手にするための物語でした。原作を読んでた時には特に意識してなかったんですけど、モブサイコって「コミュニケーションの話」だったんですね。そういう旨のフォロワーのツイートを読んで、これまでの全てが繋がった感覚がありました、ありがとう。

振り返ってみると、特にこの3期はビックリするぐらい綺麗に纏まっています。3期は最初からエクボとの対話や脳幹電波部との対話が話の中心にあって、最期のエピソードも霊幻師匠との対話であり、つぼみちゃんとの対話であり、内に秘めたる自分自身との対話でした。最終回では「恋愛対象として見たことがないからわからない」とつぼみちゃんにフラれたモブですが、エピローグでは彼女と文通していることも明かされます。フラれたからってそこで終わらなくて、わかろうと努力してくれるのもまたコミュニケーションで、本当に最後まで徹底しているんですよね。

そしてまた、そのエピローグが美しいんですよ。コミュニケーションの果てに、モブが本当に望んでいた普通の学生生活の一ページを手にすることができた様子が描かれて、終いには霊幻師匠が救われちゃうご褒美もあったりしてね。

霊幻新隆という男は本当に胡散臭いしやってることも詐欺まがいで決して褒められた人間ではありませんが、それは彼が何者にもなれない自分に抗った末に作り出した人格で、彼なりの鎧なんですよね。本当の彼ってどうしようもない程に真っ当な常識人で、どんなに取り繕っても真人間なところが見えてしまうから憎めないんです。大人が子供を教え導くことを当然のことだと思っているところとかさ、モブのことを利用できるだけ利用してやろうなんて思う人間だったら出ない考えだもの。

だから、最終回で師匠がみんなに誕生日を祝われて、本当に嬉しかったです。彼はまだ本当の自分のことが嫌いだったかもしれないけど、真実を知ったモブがそれでもなお「霊幻師匠」って呼んでいるんだから、周りの人間はその仮面の下から覗く真人間なところも含めて皆彼のことが大好きだって、気付いたはずなんですよね。

彼はモブに「そのままの自分を受け入れてやれ」って言っていたけれど、それは何もモブだけじゃなくて、自分にも向けていい言葉なんだって思えるはずです。彼はこの後も仮面をかぶったまま生きていくのでしょうが、自分を曝け出しても肯定されたことは間違いなく彼の救いになったはずなんです。

全てを曝け出してなお、モブと師匠の関係が続いていくことがこんなに嬉しいなんて、多分私も彼のことが大好きなんでしょう。願わくば、この不思議な関係の少し先を、ちょっとだけ覗き見してみたいものです。

 

ヤマノススメNS

DIY、ぼっちざろっくに並ぶ、秋アニメ三大作画気持ちいいアニメーションの一角。

NSは初の30分枠でのヤマノススメということで、とんでもなく気合入ってましたね。前半4話は総集編なのもあって実質的な尺で言えば1クールの30分アニメには満たないですけど、ほのかちゃんの出番が増えたりかすみさんたちとの絡みが増えたり小春部長が参戦したりと、キャラクターを増やしても描き切れるだけの尺の余裕があるぞと言わんばかりの貫禄がありました。

15分2本立てで見ると、前後半での各回の作家性の違いを見るのも面白かったですね。この回は崩し多くて動き重視だなーとか、この回はデフォルメ多くて正統派に萌えアニメしてるなーとか、この回はパースの効いた構図多いなぁとかそんな程度の理解度ですけど、各回のノリの違いを見るのが一つの楽しみになっていて、スタッフ陣に詳しいオタクたちの楽しみ方を垣間見れたような気持ちです。ヤマノススメNSってもしかしてスペース☆ダンディなのかも。

そして、キャラクターが増えたのに伴って、あおいたちの世界が広がっていったのもまた素晴らしかったです。 物語の最大の見せ場としてはやはり富士山リベンジだったのでしょうが、それとは別に、1クールアニメとしてのNSはあおいの世界が広がるお話を中心に構成されていた気がします。同じ登山好きの友達と趣味でやっていた登山しか知らなかったあおいが、競技としての登山や、写真を撮ることが目的の登山などを知っていって、登山以外にもカヌー体験や渓流釣りにかすみさん達との登山なんかも経て、狭かった世界がどんどんと広がっていきました。そして、異なる価値観や文化圏との交流を経て、最後にクラスメイトとの天覧山登山があったのが構成として何とまぁ美しい……。これまでのシリーズを通した最終回が富士山リベンジだとするならば、NSとして描きたかった事の最終回はクラスメイトとの天覧山だったよなと。今まで内輪での関わりに終始していたあおいが、一番関わり方が分からなかったクラスメイト達と天覧山に行くんだもんね、いい最終回(プレ)でしたよホントに。

富士山リベンジを果たしたことで、ひとまずヤマノススメのアニメシリーズは一段落ついた感じがあります。これからどうなっていくのでしょうね、楽しみです。

 

ぼっち・ざ・ろっく

後藤ひとりさんの反応を見るだけで面白い、とっても凄いアニメーション。ぼっちちゃんの姿かたちや心情を表すには既存のアニメ表現だけでは足りないようで、粘土やフェルト人形を使ったりと実写まで取り入れる発想の自由さが飛び抜けてましたよね。こういうお金をかけた遊び、大好きよ。私の中のメイジン・カワグチが「敢えて言おう、アニメは自由だ!」って絶叫してました。

結束バンドの皆が、明らかな異物であるぼっちちゃんを受け入れてくれて、なんだかんだで馴染んでるのが本当に微笑ましくてねぇ、好き。 彼女のカラーリングも、信号機カラーから見れば異物感があって、でも戦隊モノで言えば紅一点のポジションに馴染むし、なんというか絶妙ですよね。ぼっちちゃん総受け概念にカラーリングからマッチしている感じ。

結束バンドの皆が、ぼっちちゃんに目線の高さを(物理的&精神的に)合わせようとしてくれたのは本当何でなんでしょうね。地雷を踏み抜きながら、ドン引きしながらも、それでも歩み寄ってきてくれたのは、本当に人に恵まれましたよね。そんでもって、結束バンドの面々がちゃんと地雷を踏んでくれる人間で、本当に良かったです。

地雷を踏まない人間で言えば後藤ママが真っ先に思い浮かびますけど、この人はこの人で凄かったです。発作を起こして結束バンドの面々ではお手上げ状態のぼっちを一発で現実に引き戻していたりとか、ぼっちちゃんの扱いに関しては、まだまだママに一日の長があって、子供のことよく見てるんだなぁと感心してしまいました。ぼっちちゃんにとって家が絶対に安心できる居場所としてあるのは、家族の存在も大きかったことでしょう。

でも、それだけじゃ後藤ひとりはだめだったんだなって、彼女のステージングを見ると強く思うんです。オーディションで勝ち取ったライブの時も、文化祭ライブの時も、やらなきゃいけない環境に追い込まれた時の後藤ひとりの底力には凄まじいものがあって、彼女は自室でぬくぬくインターネットだけのギターヒーローをやっている場合じゃないんです。

多分、関わる人が皆ママみたいにぼっちちゃんへの距離感が完璧な人間だったら、皆遠巻きに彼女を眺めるだけで終わってしまって、彼女はぬくぬく自室で一生を終えていた気がします。だから、結束バンドの皆やきくりさんみたいに、強引に地雷を踏んででも近づいてきてくれて、外に引っ張り出してくれる人間に出会えたことって、彼女にとって本当に大きかったなと思うのです。

作画とか、楽曲のクオリティとか、とんでもポイントは沢山あって、本当に凄いアニメでした。人気過ぎて自分のアニメじゃないなと思っていたのに、ここまでのもの叩きつけられたら認めざるを得ないのが、ちょっと悔しくて、でもとても嬉しいです。

 

後宮の烏

烏妃様、好き。不器用で優しい人が好き。普段はクールなのに食べ物で釣られちゃうチョロいところが好き。人と関わった経験が薄いからこその真っすぐさや純粋さが好き。深く考えもせず放った酷い言葉をそっくりそのまま返されて、ムッとしちゃうけど言い返せないところが好き。とにかくこの烏妃様の置かれた境遇が切なくて、そんな境遇であっても優しさを捨てられない烏妃様に心を痛めながら見るアニメでした。

みんな籠の中の鳥

いつか抜け出す日夢見

俗世から隔絶された後宮という檻の閉塞感は凄まじく、烏妃様に限らず他の妃や侍女、宦官や帝に至るまで、皆が籠の中の鳥なのでしょう。そんな後宮のしがらみに絡めとられて非業の死を遂げた者の鎮魂を中心に物語は進みます。第1話でモブ侍女が「仕方ないわよ。私たちは一生ここから出られないのだから」と何食わぬトーンで言ったことが、ここまで重くのしかかってくるものだったとは。

一際重い業によって後宮に縛り付けられている烏妃様は、死して尚この場所に縛られている彼らを捨て置くことはできません。彼女は人一倍共感能力が高くって、死者の思いですら捨て置けなくて、不器用ながらも思いを汲もうとしてくれる人だから、みんな彼女が好きでなんですけどね。彼女の言葉や行動は、ときに尖っていたりもするけれど、それは不器用な彼女なりの優しさで、上手くそれを表に出せないだけなんです。そんな彼女の周りに、少しずつ人が集まっていく様子を見るのはとても嬉しいものでした。

この作品で大丈夫かな、、、と思ってハラハラしちゃったのは、彼女がその身の上を帝に「哀れ」だと評されたときです。作中で彼女が感情失禁してしまった場面は作中でもその一度だけで、しかし、その感情の吐露は冰月の乱入によって中断してしまっています。それでなくても感情を吐き出すのが上手ではない彼女のことだから、そのことで溢れ出した感情を上手く消化できないでパンクしたりはしまいか、という心配がありました。でも、それも杞憂でしたね。その後に、帝が烏妃の真実と寿雪様の心を慮って、対等な王となり、歴代烏妃に敬意を払い、そして友人となることを誓ってくれましたから。一度ハラハラさせながらも最後にはちゃんと救いを描いてくれるの、アニメがお上手すぎる。

私が常々言っていることなんですけど、誰かを救う立場の人間には、同じだけ救われて欲しいんですよね。完璧な人間なんていやしないんだから、与えるだけの立場と与えられるだけの立場で成り立ってる関係って、本当にとても危ういと思うんですよ。だから、こういうお互いに救いのある関係であるかどうかって、私にとってはかなり重視している部分で、そういうのが描かれていると「良い作品だな」って思えるんです。

 

新米錬金術師の店舗経営

アイリスさんが不憫な目に合ってるだけでめちゃくちゃ嬉しくなるこのアニメ、天才すぎる。基本ゆるふわーな感じなのに、要所要所でめちゃくちゃシビアな描写が入るの、ギャップで風邪ひいちゃいますよ。アイリスさん、結構エグめの失敗したり不幸な目に合っていて、普通ならめちゃくちゃ可哀想なはずなのに、持ち前の明るさやお調子者気質のお陰で「お、今日もやってんね~^^」ぐらいに感じられるの、本当に良いキャラしてますよね。 しかも、本人はどんな場面でも至って真面目ですし。

ちゃんと店舗経営のお話を中心にやってくれたのも良かったですね。地域密着型錬金術店ということで、ご近所づきあいのサービスも兼ねてですが、あくまでWin-Winな商売を心掛けているのもニクいです。人の命をお金に換算する厳しい一面もあったりして、人助けやご近所づきあいであっても、ちゃんと互いの利になることしかしないというのが徹底されていました。こんなこと言っちゃうと角が立つのですが、なろうなのにちゃんと経営アニメしてるなというのが、結構驚いた点でもあります。

また、経営アニメとしては、特に最終話、商会の申し出を断って店舗経営を続けるという結論に安易に至らなかったのが本当に偉かったです。一時は悩むけど、村の人たちに必要とされていることを実感して店を続けることを決意する流れかなーと思って見ていましたけど、良い意味で予想を裏切ってくれました。

村の人たちの感謝と商会の人たちの思い、どちらも受け取った上で、その感情に身を委ねることはせず、ちゃんと経営者の目線で第三の選択肢を導き出したその姿に、不覚にも感動しちゃいましたよね。しかも、ここでもちゃんとwin-winな関係が念頭にあって、互いが利益を得ることがサラサさんの基本の考え方なんだなって分かるんですよ。1話では「商売のことなんて何も知りません!」なんて言っていたのに、酸いも甘いも噛み分けてちゃんと経営者の思考になってるんだなぁって。正に、「新米錬金術師の店舗経営術」の看板に偽りなしといったところです。

なろうアニメは名作しか見ないと決めている私が見たこのアニメは、間違いなく名作です。そして、これでまた「高尾奏音さんがヒロインのCVを担当するなろうアニメ」説が補強されました。皆も「高尾奏音さんがヒロインのCVを担当するなろうアニメ」は見た方が良いですよ、名作なので。

 

不徳のギルド

私もどうやら、不徳のギルドが好きな方の性別だったみたいです。(サムネイルがちょっと不徳な配信ver.だということは……)

ま、冗談はさておき、私は直接的なエロ描写がある作品ってあまり得意ではないんですけど、この作品は珍しく大丈夫なタイプでした。ちゃんと話の笑い所やオチにエロがあることが多くて、明るく笑えるエロだったのがとても良かったなぁと。最後には伏線回収的な設定の開示もありましたし、作者の性癖をオブラートに包んで、「これは必要なエロなんです!!!」って言って出すのが本当に上手かった気がしますね。決して私がむっつりスケベのエロガキということではございません、決してね。

vsヨケグモ戦で、え、ちゃんとした戦闘もやるんだっていうのも、良い意味で裏切られましたよね。エロコメ一辺倒じゃない振れ幅をもっていて、ちゃんとそれがオモシロいのも流石としか。それに、ヨケグモ戦ではトキシッコ・ダナーちゃんの活躍もありましたし。(トキシッコ・ダナーちゃん激推しおぢさん)

久々にアニメキャラに恋する感覚も思い出せて、とても良いアニメでした。フォロワーのエロガキさんたちも円盤を買っていたみたいですし、2期来ないかなぁ……。(他力本願)

 

BLEACH 千年血戦篇

BLEACH最終章、待望のアニメ化ですよ。今までのテレビシリーズとは気合の入りようが明らかに違っていて、尺稼ぎのためのアニオリを散々やってきたBLEACHが、クオリティを維持するためにむしろ分割にしちゃう始末。超絶クオリティの演出・作画に加えて原作では明かされなかった初出しの設定や補完までしちゃって、あまりの情報量の多さに毎週感動しながら見てましたね。

原作はオサレオサレ言われてますけど、今回のアニメ化に関してはそれに負けず劣らずのオサレを醸し出せていたのも凄かったですよね。斬月の正体判明の時にNumber One(一護のテーマ)がBGMとして流れるのとかもオサレすぎて普通に泡吹いて倒れましたし、毎週次回予告のポエムがあったり、各話始まりのサブタイトルの出し方まで凄くて、オサレ度数相当高かったです。こんなクオリティのものをみせてくれるなら、分割も全然ウェルカムです。そもそもアニメ化までに待った年数を考えれば、数か月程度訳ないですよ。

久保先生と森田成一さんの対談記事で、2クール目では原作では描けなかった戦闘が追加されるって書いてあって、もう今からワクワクがさぁ……!!! 2クール目PVでは、平子が原作に無かった卍解しそうな台詞喋ってるし、これもう絶対平子が卍解して戦ってくれるやつじゃん。 小学生の頃から平子真子一筋だった私がようやく報われるのかと思うと、感慨深いものがあります。

これで平子戦じゃなかったら泣いちゃうかもしれないけど、何にせよ新規戦闘があるだけで嬉しい限り。これといい初代護艇十三隊といい新規台詞の追加といい、「総監修・久保帯人」のパワーってやっぱり凄いですね。久保帯人先生、この仕事が終わったら、BTWや獄頤鳴鳴篇の続きも是非お待ちしております。

 

チェンソーマン

原作が元々大人気だったこともあって、製作委員会方式でなくMAPPA資本100%という異例の製作方式を採用したり、OP米津玄師に各話EDに今旬の大物アーティストを集めたりなど、放送前から話題に事欠かない作品で、秋アニメの大本命と目されていたこの作品。私も一応原作は第一部の終わりまで読んではいたんですけどイマイチハマり切れなくて、でもアニメで見てみたらめちゃくちゃ面白かったですね。

原作とアニメではノリが違うというのは確かにあって、原作の軽さとテンポ感の方がデンジたちの異常性は引き立っていたと思いますし、笑うべきところでストレートに笑えたのもこちらの方でした。対してアニメの方は全体的に重苦しい雰囲気で、質感や間を重視したような作り方をされていたように思います。どちらにも良さがあって、だからこれは好みの問題なんですけど、冗談言われてもこの空気じゃ笑えねぇよ、っていう張りつめた雰囲気にヒリヒリしたり、逆に重苦しい雰囲気だからこその落差でふっと笑わせてもらうこともあって、アニメ版の方が真面目で好きなんですよね。そういう冗談要らねえよ、ってわけではなくて、むしろ彼らの異常性を表すには必須な要素ではあるんだけど、ただそれでストレートに笑うよりは、「え、これ笑っていいやつ?」って描写で思わず笑っちゃうのが好きなんだよねという、ただの好みなんですけど。最後のサムライソードの玉蹴り(意味深)とかも、ここまでしっとり描いてきたからこその落差があって、それもやっぱりアニメの方がその落差が大きくて面白かったなと思いますもん。

ただ、肝心のチェンソーマンの戦闘シーンの物足りなさは確かに私も感じていて、もうちょっとスピード感が欲しかったなという風に思います。重くリアリティのある雰囲気に合わせたのか、ちゃんと動きにも重量を感じるようなアクションが多かったですが、悪く言えばもっさりしてしまっていた気がします。スタイリッシュにスピーディーにという感じのアクションだと、本編を重く作ってしまった分馴染まないのかも、なんて思ったりもしましたが、一番の見どころが見ていて気持ち良くないのは非常にもったいなかったです。最後のサムライソード戦は、サムライソードがスピーディーなキャラクターなのもあって戦闘もとてもカッコよかったので、そういう感じで1話や3話も作られていればなぁと。

原作ファンからは結構賛否あるようですが、私的にはとても好きなアニメでした。でも、一つ苦言を呈するなら、EDは毎話聞かないと覚えらんないから1つにしてください、ということだけ言っておきたいです。ゲロチューのやつしか覚えてないので。

 

異世界おじさん

俺たちの異世界おじさんが帰ってきた!!!!!!

おじさんが異世界で酷い目に合ったり勘違いラブコメを続けるだけでも十分に面白い作品なのに、それを現世に帰ってきてから俯瞰して見るというメタ視点を挟むことによってこんなに化けるとは。この作品は、アニメ実況ならぬ「実況アニメ」なわけですね。たかふみや藤宮さんが常に視聴者の代弁をして突っ込んでくれるの、ホント気持ち良いね。異世界おじさん、もしかしたら陣内智則のコントと本質的に同じかもしれない。

おじさんのジェネギャによる勘違いやすれ違いの笑いが本当に面白いんのは勿論なんですけど、個人的にはそれ以上に、所々で顔を覗かせる意味不明さがツボに入ってしまいました。例えば、おじさんが田淵先生に変身して論破(?)するところとか、たかふみとおじさんが恐竜になってそのまま話が終わる回とか、常人には思いもよらない思考回路から飛び出す理不尽な笑い、本当に怖くて面白くて最高です。

こういうおじさんの意味不明な思考回路が、一部たかふみにも遺伝しているのも面白かったですよね。普段はツッコミ役なのに藤宮さんのことになるとたかふみのヤバい一面が顔を見せたりして、「何だこいつ……(ドン引き)」ってなったりさ。もしかしたらこのアニメで一番ヤバいのって、おじさんじゃなくてたかふみなのかもしれないという恐怖。おじさんにはたかふみや藤宮さんという制止役がいるけど、当のたかふみはアンチェインだし、本人に自覚もないですからね。

私って、こういう意味不明さで笑わせてくるアニメがもうほんとに大好きなんですよ。こういう感性になったのって、私のギャグの原体験がボボボーボ・ボーボボだからなのかもしれません。意味が解らなくても面白いの、誰にでも刺さる可能性を持った笑いで無敵なんですよね。 

最終話はまたもや放送延期ですけど、ギャグアニメはいつ見ても面白いので気楽に待つとします。

 

うちの師匠はしっぽがない

本当に素晴らしいアニメでした。豆狸のまめだ、M・A・Oさんの声が付いたことで5割増しぐらい魅力的なキャラクターになったと思います。まめだを見るだけで一週間の疲れも吹き飛ぶような、そんな明るさと一生懸命さが本当に好きで……。文狐師匠はまめだのこと好きすぎだけど、多分私もだいぶまめだのことが好きです。

火事と喧嘩が江戸の華なら、大阪の華は義理と人情かい?ってな具合に、義理人情に溢れるエピソードが多かったのが良かったですよね。江戸っ子も義理人情に篤いイメージがあるけれど、大阪人だって負けてないですよ。

特に後半の四天王のお話は本当に良かったです。四天王それぞれに文鳥師匠との思い出があってさ、それぞれが受け継いだものや思い出なんかを今度はまめだに継承してあげるの、結局皆まめだのこと好きなんじゃん! このツンデレさんめ!ってなりましたよ。勿論、そこにはまめだの頑張りがあった訳だけど、四天王は文鳥師匠に受けた恩を世代を超えてまめだに返してくれた訳で、皆なんて義理堅く人情に厚い人たちなんだろうね。

私、こういう人情噺に滅法弱くて、見るだけで涙腺が破壊されちゃってダメなんですよ。文鳥師匠も文狐師匠も人を寄せ付けないようにしてたのに、いざ関わっちゃったら情が湧いて手放せなくなるんだもんね。本当に可愛い人たちで、大好きで泣けちゃいます。

上方落語がこうして連綿と受け継がれてくる間には、本当にどこかでこんなお話があったのかもしれません。そこに狸や狐は居なくとも、世代を超えて伝える行為には、様々なドラマが生まれてきたことでしょう。そう思うと、何だか自然と胸と目頭がアツくなるじゃあないですか。

 

陰の実力者になりたくて!&かげじつ!

めちゃくちゃ面白くて、恥ずかしさにちょっとムズムズもして、とっても良いアニメです。

すれ違いギャグが面白いのは勿論のことなんですけど、設定とかネーミングとかに結構メタ要素が多くて、どこまで真面目に見ればいいんだろうっていう所在のない感覚も新鮮で楽しいです。同期のアキバ冥途戦争とは、自分の置きどころに迷う感じは同じでも、受ける印象は真逆かもね。

シャドウには陰の実力者の輪郭をなぞるだけでなくて、いっそ普通に陰の実力者になれば良いじゃんと思う瞬間もあって、少しやきもきしてしまうんですけど、そこもまた魅力というか、だからこそ見続けてしまうというのもありますよね。彼は自分が憧れたシチュエーション再現以外に興味はなくて、どこまで行っても自分本位であるからこそ、この作品がすれ違いギャグとして成立している訳ですし、そこで本当に陰の実力者になっちゃったら、凡百の作品に埋もれてしまいますもんね。流行へのカウンターを、ちゃんとカウンターとして貫き通す覚悟が有るの、その意気やヨシすぎる。

現代技術や知識の侵食も、どうなるかわからないって意味で一つのオモシロポイントです。あれはどこまでいくんでしょうね、最終的には現パロOPぐらいの文明レベルが上がるんでしょうか。モブの私服が明らかに現代のものだったりするし、ガンマのマグロナルドとかミツゴシ商会とかは既存の経済ぶっ壊しかねないし、石油が採れるようになったらイータがまた色々発明するでしょうし、これからもっと加速度的に文明レベルが上がりそうです。変に現代知識で無双する作品よりよっぽどシャドウ由来のあれやこれやが侵食していて、本筋じゃないのに一つの気になるフックになっていて目が離せないんですよね。

感想をちんたら書いていたら、陰実も残すところ最終話のみになってしまったんですけど、最後までこの勢いのまま駆け抜けていって欲しいですね。

 

SPY×FAMILY

おもしろい!コードネーム夜帷好き!(小学生の感想)

OPは荒木哲郎×BUMP OF CHICKENという私の青春全部載せ、最高すぎ!

 

4人はそれぞれウソをつく

1話は若干俺の苦手な奴かもしれない……という不安があったんですけど、見ていくうちに徐々に体に馴染んでいく感覚がありました。関根嬢のCVが佐倉綾音さんで本当に良かったです。佐倉綾音さんのツッコミ、何故だかわからないけど体に馴染むなぁ~(脳裏をよぎるキャラクターの数々)。彼女にツッコミをさせたらもう天下一品で、そのおかげで成り立っているアニメと言っても過言ではなかったと思います。

リッカ大佐や千代さん行動が絶妙にズレていて、なんだか居た堪れない気持ちもあるけど、関根嬢や翼さんの不憫さには毎回笑ってしまうんですよね。関根嬢の裏回しや気苦労を思うと、この二人と普通に友達を続けてる彼女らはあまりにも聖人過ぎやしないかと。でも、それを許容できてしまうのも、二人の行動の根底に友達を思う気持ちがあるからなのだと思います。行動の裏に下心があるかどうかとかそういうの、サイキックだからわかっちゃうんですもんね、関根嬢は。だから、彼女が一緒に居るってことは、リッカ大佐も千代さんも逆説的に相当良い奴らってことなんですよ。良い奴らの友達を思う気持ちだけで回ってるアニメ、あまりにも良すぎる。微妙かと思ったアニメが体に馴染む感覚の為に、数多のアニメを最後まで切らずに見続けていると言っても過言ではなくて、そういう中で正にこういうアニメに出会えると嬉しくなりますね。

 

アキバ冥途戦争

任侠モノのフォーマットでヤクザ部分をメイドに置き換えたらどうなるか、そんな悪ふざけのような問題作。最後の最後まで私はこのアニメのことを掴めなくて、どう楽しんだものかと思案していた気がします。人の命が軽い作品なんて言うのは別段珍しいものではないけれど、その軽い命の散り様を、美しく見せたいのかギャグで見せたいのかドン引きさせたいのか、最後まで分からなかったなぁと。命だけでなく食べものを粗末にする描写なんかも散見されて、角が立つような、人を選ぶような、アクの強い描写がとても多かったです。やっちゃいけないことをやって「面白いでしょ?」って言ってくる感じ、私は正直あまり好きではなかったなと。

ただ、不義理を働いた者や恨みを買った者にちゃんと報いが来ているのは潔かったですね。それは主人公の一人であった嵐子さんも例外ではなくて、彼女も終盤でチュキチュキつきちゃんの残党に殺されてしまいます。やはり彼女もやくざ者ですから、あれだけ人を殺していれば相当の恨みを買っていたことでしょう。チュキチュキつきちゃんの残党でなくとも、いつかは名前のない誰かしらに殺されていただろうと思いますが、作中でちゃんと死を描いていたのが良かったです。アクの強い描写が多いからこそ、そこらへんのヘイト管理はしっかり行っていた印象ですね。

なごみが信念を最後まで貫き通したのもカッコよかったです。嵐子さんや愛美さんなんかも信念を貫き通した人間でしたが、彼女たちがそうできたのにはあまり驚きはありませんでした。なぜなら、彼女たちは根っからのやくざ者であって、自分なりの筋を通すだろうということに疑う余地すらなかったので。しかし、対するなごみはその目線で言えば明らかな異物で、本来任侠物で登場しようはずもない、ただの堅気のメイドでした。そんな一般人がこの"アキバ"で"メイドをする"という信念貫き通したって、それはもう尋常なことじゃないでしょう。野球回なんかもなごみ一人が真っ当に野球をしようとしていて、それがギャグのように描かれていましたけど、そういうところから既に信念を曲げない強さを描いていたのは流石です。

最近のP.A.WORKS、ちょっと挑戦が過ぎる気がしないでもないですが、とはいえ世界観のあるオリジナルアニメをコンスタントに作り続けてくれる会社は貴重なのでありがたいです。今回は合わなかったですけど、あまり外野の評価を気にしすぎずこれからもオリジナルアニメで攻めていって欲しいなと思います。あと、00年代の在りし日のGONZOはマジで帰ってこい。

 

入間くん3期

関係性の~~~~~~~~~~オタク~~~~~~~~~~!!!入間ち、クララ、アズくんの三人組が離れ離れになっちゃってどうなっちゃうの~って思ってたけど、より絆が深まったようで一安心です。会えない時間が愛を育むとはよく言ったものですね。

3期はアブノーマルクラスの各キャラクターの成長にフォーカスを当てていたところがとても良かったです。序盤は少年漫画らしい修行パートから始まり、後半で遂に成長のお披露目会といったところ。ようやく少年漫画らしくなってきたなというか、家系能力が日の目を浴びてからは能力バトル的側面が見えてきて、いよいよ面白くなってきました。

2期まではなんとなく見ていた感じだったんですけど、3期になって一気に引き込まれています。収穫祭も大団円で終わり、次から新しい展開が始まりますね。2クール目も後半になってしまいましたが、引き続き楽しんでいきます。

 

ブルーロック

サッカーを題材にした疑似デスゲームものということで最初の手触りは個人的に最悪だった訳ですけど、そのファーストインプレッションで抱いた嫌悪感とは裏腹にどんどんと面白くなっていって、ちょっと悔しいです。私がそもそもデスゲームものを好きじゃなかったり、それこそ前期にアオアシがあった分サッカー描写はそれでいいのかって思っちゃうことがあったり。方程式がーとか化学反応がーとか武器がーとか、まぁ要素分解して単純化したんだろうけど、そういう安易な言葉に落とし込んでいいモノなのかな、なんて思ったり。

これは競技をエンタメに落とし込むためにどこまでデフォルメするか、という問題だと思うのですが、強みが特殊能力のように取り沙汰されすぎている、というのはあって、基礎を研鑽しその先にある複合的な要素によって獲得したであろう強みを、「武器」という形で特殊能力のように取り扱われると、あまりにやりすぎじゃないかな、なんて思ったりもします。

でも悔しいかな、燃えるシチュエーション作るのがあまりにお上手すぎて、嫌いなはずなのに胸がトゥンクしちゃうんですよね。真っ当なサッカー漫画じゃないからこそ、やりたいシチュエーション先行でセレクションの内容を考えられるの、設定段階からもう勝利してますよ。実際どのように作られているかはともかく。

2クール目の現在も着実にドリームチームが出来つつあって、本当に展開がずる過ぎです。今後も、嫌いなのに何度もイカされちゃうであろうことが安易に予想出来てしまって、本当に悔しい限り。

 

ンダム水星の魔女

正に新時代のガンダムって感じですね。水星の魔女は今までのガンダムの型を破るような作品だったからこそ、私意外とアムロとかカミーユとかバナージとかも結構好きだったんだなって思えた気がします。

UCってやっぱり大人の世界が舞台で、その中で主人公たちって、口悪く大人は勝手だの軍の規律がなんだ俺は軍人じゃないだの言ってモヤモヤしながらも、それこそ時にはブライトさんにぶん殴られたりもしながらも、結局のところは生きるために命令に従って戦うしかないんだって知っていったんですよね。そして、善悪で測れない大人の世界に揉まれながら、命を繋ぐための戦いを通して徐々に自分の信念を形成していくのですよね。青さでぶつかったってどうにもならない世界だってわかっちゃって、でもそれでも譲れないものを獲得していく青年たちの成長を見るのが一つの醍醐味だったというか。

で、それで言うと水星の魔女って、若さゆえの青さと勢いを携えたまま大人の世界に殴り込みに行って、それであわよくば構造からぶっ壊してやろうぜ、なんて、かなり攻めた作りしていて、これまでのガンダムシリーズまでもぶっ壊そうとしているようにも見えるんです。学園舞台であるとか主人公が女性であるとか、既存のブランドイメージを壊してして新規層を取り込もうとしているというのはどこかのインタビューで読みましたが、そういうものが物語の構造にも表れてきているのが面白いなぁと思って見ていました。

まぁしかし、そんな甘っちょろい幻想を叩き潰すかの如く絶望を叩きつけてきたのが、衝撃の12話なんですけどね。これまで何だかんだと上手く行っていた彼女たちは、学園という箱庭で守られていたんだなって。外の世界は結局そんな甘くないんだって突きつけるような恐ろしい展開の連続、あまりにも悪魔的すぎやしませんか。新しいことやりますよ!女の子が学園で決闘する新しいガンダムですよ!って触れ込みで新規を沼に引きずり込んでおいて、洗脳完了したところでいつものガンダムが始まりそうなの、あまりに狡猾で若干引いてます。本当にやり口が汚くて好き。

1クール目は、正直面白いのは面白いんだけどそこまでのめり込めなくて、周りとの熱量の差も感じていて、ちょっと残念な気持ちだったんですけど、12話があってから俄然続きが楽しみになりました。2クール目が本番ぐらいの気持ちでいるので、今からワクワクが止まりません(虹野ゆめ)。

 

虫かぶり姫

少女漫画やそれに類する女性向け作品では、力強く自立したヒロイン像が主流として定着して久しい昨今、巻き込まれ型乙女ゲーヒロインのような受け身体質のエリアーナ嬢を主役に据えた虫かぶり姫が人気を博しているのは何だか新鮮だよね。まぁどちらにも需要があるわけですから、要はバランスなのでしょう。

私としてはやはり自立したヒロイン像が好きなので、自分から全く行動に移すことがないエリアーナ嬢は好みからは外れるのですが、それはそれとして作品としては楽しく見ることが出来ました。少女漫画大好きくんだから、ただひたすらに甘い言葉を囁くお砂糖のような恋愛を見るの大好きなんです。

ただ、殿下はこれからも大変でしょうね。あんなにも言葉で愛してると言い続け、行動でもエリアーナの為にありとあらゆる手を尽くしても、彼女はふとしたことで不安になって殿下の愛を信じられなくなっちゃうんですもの。それでも、それも殿下にとっては嬉しいことなのでしょう。十何年と追い続けてきた女の子が、初めて自分を意識して恋心を抱いてくれて、不安になってくれているのですから。エリアーナが初めての感情を知っていくその過程を見守れる喜びは、何にも代えがたいものがありますし、その点で言えば、それを一番近くで見守れる殿下には、少し妬いてしまいそうにもなりますね。

 

羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来

中国発の劇場アニメ。何年か前に映画をやっていて、それテレビ版に再編集したものです。

羅小黒戦記の売りに一つとしてアクションが挙げられると思うんですけど、何よりもまず驚いたのが、アクションシーンの"浮かなさ"です。別にアクションシーンが凄い作品なんてのはそれこそいっぱいあって、でも、そういう作品って、アクションシーンとそれ以外の平場の差が激しすぎてアクションだけ浮いてるというか、「ここ気合入れて作りました!!!」感がありありと見て取れるものが多い気がするんです。

それに対して、この作品はアクションと平場に殆ど差がないというか、あってもそれを感じさせないんです。しかも、平場のレベルにアクションを合わせているのではなく、アクションシーンのカロリーの高さに平場を合わせているような感覚で、全編に渡って均一なクオリティの絵を見せてくれます。アニメーターの個性を楽しんでいるような作画オタクなら或いは戸惑うかもしれませんが、私はこんなことができるアニメがあるのかと衝撃を受けましたね。

作品の内容についても、力強い二項対立が軸となっており、テーマにも普遍性があって面白かったです。自然を破壊し版図を広げる人間たちに対して、主人公たち妖精は人間との共存を目指すか、或いはそれに抗うか、といった思想の対立が軸なんですね。小黒目線では、序盤はフーシーたち反人間派閥が「味方」で、それを捕まえに来たムゲンたちは「敵」である、と意図的に描かれていましたが、しかし敵のはずだったムゲンと過ごす時間の中で、どうやらそればかりではないみたいだぞと、徐々に思想を逆転させる手法は見事の一言でした。

体制側が勝利するというのは、体制による検閲のある中国らしい作品だ、という言説をどこかで見たのですが、それも間違いではないとは思います。でも、この作品には、フーシーたちの思想が間違っている訳ではないという意味も暗に込められている気がします。彼等も、やり口は兎も角、その思想までは悪と断ずることが出来ないと思うんですよね。彼等は散々虐げられてきた側で、その苦しみから救う根本の解決策を誰も提示できなかったからこそ、彼らは凶行に及んでしまったわけなので。だからこそ、サブタイトルの「ぼくが選ぶ未来」には、これはあくまで小黒の選択であって、対立する彼等の思想の善悪を決めるものではない、という意味も込められているのではないかと思うのです。革命を成し遂げることが出来ずに散ってしまい、フーシー達は救われない悪者になってしまいましたが、彼らの思想自体が否定されるわけではないんですよと。

流石に無理やりこじつけ過ぎですかね、でも私にはそんな窮屈なアニメには見えなかったんですよね、このアニメは。勝った方が正義になるんだ、なんてよく言いますけど、人の数だけ正義があるとも言うじゃないですか。歴史上正義とされてきたものは勝者の側なんでしょうけど、傍観者である我々から見ればどちらにも言い分があって、どちらにも正義があるんだなってわかるじゃないですか。結局はそういうことだと思うんですよ。勝ち負けが思想の優劣ではなくて、そこをはき違えると窮屈なアニメに見えるけれど、別にそういう訳でもないよなと思う訳です。

 

万聖街

羅小黒戦記の制作会社さんの新作で、羅小黒戦記と放送枠を前期後期で分割して放送したアニメ。

4コマ漫画をそのままアニメにしたような作りは新鮮で、とにかくサクサク進んで子気味の良いテンポ感です。キャラクターも良く動くし、アクションシーンも抜群で、動きの緩急やデフォルメ具合にカートゥーンっぽい気持ちの良さを感じたりなんかして、見ていて気持ちの良いアニメでした。

キャラクターもみんな可愛くって、私は特にリリィがお気に入り。自由奔放・天真爛漫で全く嫌味のないキャラで、ともすれば嘘臭く見えてしまいそうなキャラクターなのですが、天使という属性のおかげでそれに疑いをはさむ余地が無くなるのがバランス良くて凄いです。全くあざとくなくて裏表も感じない可憐さ、あこがれちゃうね。

 

僕とロボコ

あまりジャンプで育ってこなかったタイプの人間でも意外とジャンプネタってわかるもんなんですね。読んでなくてもミームとして定着していたり、他作品でパロディされて知っていたりで、ちゃんと面白かったです。

個人的にはガチゴリラとモツオがただの良い奴なのがツボです。何回見ても大好きだから、このネタずっと擦って欲しいですね。誰も傷つけない笑いって言うんですか?私は結構好きですよ。

 

令和のデジキャラット


見た!何かノリがよく分からなかった!(完)

ブシロの嫌いなところ、すぐ内輪でワイワイやるところなので。

 

聖剣伝説LOM

原作ゲームは未プレイ。ゲーム原作のアニメ化の難しさをヒシヒシと感じるアニメになりました(もちろん、あまりいい意味でなく……)。

イベントシーンを繋げただけではどうにもおざなりで、冒険の道中のワクワク感も描けなければ、キャラクターの掘り下げにも乏しかったです。昔のRPGだからってのもあるのでしょうが、キャラクターも記号的で多面性がなく、主人公もプレイヤーキャラクター的であまり個性がありません。ゲーム部分ありきの、そこで楽しんでもらうこと前提のストーリーとキャラクター達を、何の思い入れもない視聴者にそのまま提示したら、そりゃあ面白いとはなかなかね……。

セラフィナの意図も最後まで読めなかったし、よくわからないキャラクターでした。友人を殺しておいてさ、「本当は裏切りたくなかったし、殺したくなかった」って言われても、セラフィナの葛藤も描かれず真意も明かされないから、見ている側からすると意味不明で。

主人公たちも主人公たちで、裏切られて仲間が目の前で殺されたのに、その後なんで殺したやつのこと再び信用できるんですかね。それでまた裏切られてんだから、性善説を信じているとかそういうレベルの話じゃなくてただの馬鹿じゃん……。

そういう意味でこのアニメは、納得のできる展開が少なく、キャラクターへの感情移入も困難であるなど、全体的に視聴者置いてけぼり感の強い作品だったなと思います。セラフィナってどうやらゲームの女主人公のアバターを使ったアニオリキャラらしいですね。原作ゲームで女主人公を使ってた人達、アニオリで全てのヘイトを担う悪者にされちゃったから、怒っている人や悲しんでる人も結構観測されて本当に可哀想だなと。ちょっとこのアニメ、ファンにも喧嘩売って初見さんには説明が全くなしという、どこに向けてのアニメ化だったのか分からず困惑してしまいます。

あと、結局聖剣ってなんやったん?言葉が一瞬出てきただけやったけど。

 

BORUTO

今期はなんとBORUTOでデスゲームものをやるという謎采配。誰にでも手を差し伸べて、自己犠牲で全てを救おうとするボルトの性格、私はあんまり好きじゃないなぁ。同じ理由で衛宮士郎も苦手だし、そのせいでFateシリーズ全般にも苦手意識があるんだけど。
BORUTOの体たらくはBLEACHに人員取られてるからだったりするのでしょうか? だったら全然許せるんですけど。

 

終わりに

秋アニメの打率の高さ、はっきり言って異常です。いくらなんでも面白いアニメが多すぎるでしょ。秋が収穫の時期だからって、豊作にしなきゃいけない法律でもあるんかい!!!!!! いや、嬉しい悲鳴なんですけど。

そんなわけで、秋はいつにも増して毎日特大の楽しみがある凄いクールでした。チェンソーマンやBLEACH最終章の待望のアニメ化であったり、リコリコに続いてぼざろが大バズりをカマしたり、水星の魔女のとんでもない引きが話題になったりと、いつ何時も話題にも事欠かなかったですよね。話題作のアニメが現れると、アニメを引退したかつてのアニメ老人たちがぽつぽつとアニメに戻ってきてくれるのが地味に嬉しかったりします。競馬とかパチンコとか麻雀の話はできないけどアニメの話ならできるから、また気が向いたらアニメに戻って来て欲しいな、なんて思いながらみんなの様子を眺めているキモい奴なので。

また次にお会いするのは冬アニメの感想になるんですけど、冬は打率こそ秋に及ばなさそうなものの、見たい、というか見ているアニメ数が多くて久々にアニメが溜まる感覚を味わっています。俺が好みそうなアニメを作るのが上手いね、アニメ業界の人たちは。また冬も感想を書く予定ですので、気が向いたら読んでくださいね。では。