自分の児文

元々は児童文学の感想置き場でした

話数単位で選ぶ、2025年TVアニメ10選

今年もお疲れ様でした。

昨年は間に合いませんでしたが、今年はこちらに参加させていただきます。

aninado.com

ルールはこちら。

・2025年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

それでは早速やっていきましょう。

 

 

全修。/ 第4話「永遠。」

2025年魂のアニメである全修。からは第4話を選出。

この回では、映画本編や設定資料集では描かれなかったメメルンの絶望やそれに至るまでの心の動きが描かれる。一度はメメルンの絶望を「くそつまんねぇ」「私が好きだったメメルンはこんなんじゃない」と切り捨てるナツ子だったが、最後にはメメルンの気持ちを汲み取り、アニメによって彼女の心を癒すことで幕を閉じる。

ナツ子はこの話数で、初めて彼等の「知らない側面」とキチンと正対し、"人対キャラクター"ではなく"人対人"として向き合う。ナツ子は物語を通して"キャラクター"だと思っていたナインソルジャーたちを徐々に"人"として捉えなおすよう変化していくが、この第4話はまさにそのターニングポイントとも言える話数だ。

そしてこの回は、個人的な視聴態度も正された回でもある。それは、これまでのようにアニメで物理的な生命への危機を救うのではなく、心を救うということを描いた回だということが大きい。そこにはアニメに救われている自分自身も重なって見えたし、ここから確実にこのアニメを見る目が変わった。描かれていることが自分事だと思えたらそれはもう魂のアニメなんだよな。

 

 

アークナイツ【焔燼曙明/RISE FROM EMBER】 / 第23話「泥濘 Stain」

アークナイツからは、アリーナの死というレユニオンの転換点を描いた第23話を選出。

差別や戦争に真正面から向き合っているこの物語を単純な勧善懲悪で終わらせないためには、対立する思想のどちらにも納得する部分がないといけないが、レユニオン側の思想に乗れるかどうかは、"タルラの絶望にどれだけ共感できるか"に懸かっていたと思う。その点でこの回は、これまで倒すべき敵と思ってきたタルラの事を自分事として捉え直すのに十分な衝撃を与えてくれたし、間違いなくタルラの絶望を視聴者に叩き付けてくれた。

細かいところで言えば、雪原でのレユニオンの活動を原作より希望的に描写したり、演技や細かい台詞回しを修正することでタルラも感情的な一人の人間であるという印象を強めたり、ラストの絶望を強調するための細かい調整が記憶に残っている。

演出もピカイチで、演出の中心に炎が据えられていたところは特に印象的だった。道標としての明るさや、凍える人を温める優しさや、命を奪うほどの激しさなど、炎が持つそれらの多面性をタルラと重ね合わせながら、彼女の心が傾く瞬間を描ききったのには舌を巻いた。

原作を踏まえても文句のつけようがない出来で、いちファンとして本当に感無量だった。見ていて一番苦しい回ではあったけれど、それでもこの回を選ばないのは嘘になるくらい素晴らしい回だっだと思う。

 

 

アポカリプスホテル / 第9話「お客様の人生に、今日という栞を」

アポカリプスホテルからは、ポン子の結婚とムジナの葬儀を同時に執り行うというトンチキ感動話である第9話を選出。

一見相反するように見える冠婚と葬祭、そして雑多に詰め込まれた色んな文化の数々、形式を重んじる昔のヤチヨさんだったら絶対に許さなかっただろう。それを、ムジナの想いを汲むべくヤチヨさんの側から提案するのだから、彼女も大きく変わったものだ。

おもてなしの本質は相手を想う気持ちにこそある、というのはこのアニメがずっと描いてきたことだ。ともすればギャグや不謹慎に転びそうなこの話が破綻しなかったのは、全てが等しく「相手を想う」という一点で重なっているからだという感覚がある。

積み重ねた描写により、何故か成立しているありえない画面と、何故か成立しているありえない物語。それがこの9話であり、このアニメの真骨頂だと思う。

 

 

Turkey! / 6話「飛び越えてリバースフック」

良くも悪くも色んな人の記憶に残ったであろうTurkeyから第6話を選出。

この回では、さゆりが傑里を救うか野武士を生かすかという"スネークアイ"に直面する。この"スネークアイ"に対して、さゆりは目を背けて誰も殺さないという"真ん中"を選ぼうとする。俺は、そんなさゆりが放った「命がもっと重いんです!」という言葉が残酷すぎて泣きたくなってしまった。

傑里だって命を選択することに葛藤がないわけがない。口では迷いを捨てたなどと言ってはいても、傑里はずっと迷いの中にいる。迷いがあるときは湖に来ると、そう語ったのは他でもない彼女自身なのだから。しかし、相手を殺さなければ自分たちが殺されるという場面に於いて、さゆりの思う"真ん中"は存在しないのだ。

だと言うのに、さゆりの言葉には、傑里が命を軽ろんじているという無意識の見下しがあり、傑里が苦しんできた命の選択を悪意なく否定する残酷さがあった。こんな言葉は傑里にかけていいものではない。

しかし、こんな事を言ってしまうさゆりだからこそ傑里を救えるところに、この回の美しさがある。なぜなら傑里にとって、命の選択を否定したさゆりの残酷さは、その価値観が育まれる平和な時代が確かに存在するという証明でもあるからだ。

傑里が葛藤し続けた先の救いは、さゆりだからこそ提示できるし、俺はその表裏一体の残酷さ/美しさに打ちのめされてしまった。この回があったから、俺はこの作品を信じようという気になったし、この作品を愛せるようになったんだよな。

 

 

TO BE HERO X / 第4話「リン・リン」

TO BE HERO Xからはナイス編の完結話である第4話を選出。

"上"の思惑一つで信頼値が移り変わる世界で、人々に望まれることが果たして本当にヒーローであることに値するのか。この回は、ヒーローを題材にした作品では避けては通れない"ヒーローとは何か"という問いに、リン・リンなりに答えを出す話だった。

この回が凄いのは、めちゃくちゃに良い話をしている一方で、信頼値システムの歪さや揺るがなさも描いているところだと思う。システムを無視して身一つでゴッド・アイに挑んだリン・リンが結局またシステムに組み込まれてしまったように、この回の中で起こった出来事は全てシステムの檻の中での話だ。リン・リンが自分なりの"ヒーローとは何か"に辿り着いた一方で、この話を通じて信頼値システムの本質的な問題は1mmも解決していないどころか、システムに警鐘を鳴らしたはずのゴッド・アイは悪役として片付けられているのだから恐ろしい。

"助けたいという思いこそヒーロー"という"本質"と、"結局ヒーローはシステムの中で生きていく他ない"という"現実"。"本質"を描いているように見せて、実は"現実"も余さず描いているという隙を生じ得ぬ二段構え。ナイス編の物語を綺麗に締めつつ、今後の物語はシステムに翻弄されるヒーローたちの話になるだろうと予感させる、とんでもなく骨太な回だった。

 

 

前橋ウィッチーズ / 第8話「キョウカちゃんって馬鹿なんだね」

前橋ウィッチーズからは、チョコとキョウカがそれぞれ抱える苦しみを打ち明け合う第8話を選出。

キョウカが「誰でも毎日苦しいことしんどいことがある」と言いながら、その実他人の苦しみに無関心で自分の苦しみにばかり目を向けているの、誰しもが陥りがちな思考だけど本当に良くない。「誰でも毎日苦しいことしんどいことがある」という考え方は、誰かを否定するためでなく、それぞれの苦しみを認めるための考え方であって欲しい。

だから、チョコの事情知ったキョウカが今度は「自分の悩みなんて」と自己否定に走ったときに、ユイナが二人の苦しみは別問題だと切り分けてくれたのが、地味だけどかなり嬉しかった。キョウカが自己の苦しみを否定しても構造が逆転しただけで何も良いことに繋がらないし、そういう"一番可哀想な人はだーれだ?"をせずにそれぞれの苦しみをさらけ出して認め合うことこそ必要だし、だからそれが出来る友達が集うドリーミードリーミーフラワーという居場所が大切なんだよな。

魔法で願いを叶えることは簡単かもしれないけど、じゃあ魔法のない現実に立ち返った時、それがどれだけ現実味のあることだろうか。そう考えると、こういう"苦しみを認め合う"とか"自分が自分でいられる居場所を作る"とか、地味でただひたすら現実的だけど大事なことを提示してくれる誠実さに救われるのは、俺だけではないはずだ。

 

 

鬼人幻燈抄 / 第19話「流転」

定長の死を通して鬼と人との断絶を描いた19話。

定長の顔に増えてきた皴に、甚夜たちは否応なく断絶を突きつけられる。流れゆく時の中で、鬼である彼らだけが取り残されてゆく悲しみがそこにはある。

また話の終盤では、甚夜は直次と野茉莉に鬼であることを晒してしまう。奈都との決別をも想起させるような、鬼と人との断絶をより強く印象付ける展開だ。

しかし、この断絶に悲しみを感じることこそが、彼らが鬼と人であっても素晴らしい関係を築けてきたという証でもある。「別れが辛いなら、それを誇れ」と定長の口から語られたように、定長の死に悲しむ彼らにはそれだけ積み重ねてきたものがあって、そのことが悲しくも嬉しい。

俺はこの回の定長との会話がひどく胸に刺さってしまい、何度ループしたかわからない。確実に自分のなかに一つの指針として刻まれており、この回を選ばずして何を入れようかという話なのである。

 

 

もめんたりー・リリィ / 第13話「みんながいる〆のお茶漬けバイキング」

"かっぽー"アニメのもめんたー・リリィからは、放送上の最終回である13話を。

俺はこの回で、皆が戦い続ける理由を聞けたことが本当に嬉しかった。理由はそれぞれ本、ゲーム、コスメ、部活と様々だったけれど、なんてったって各々の趣味のためというのが良い。なぜなら、趣味なんてのはまさしく"かっぽー"そのものだと思うから。

常に死と隣り合わせで、それでも力強く"生きる"ことを描いた本作において、"生きる"ことと不可分なものとして" 食べる"ことが描かれた。そう思うと、"食べる"を豊かにするかっぽーという行為の本質は、豊かに"生きる"ことに繋がる。

そして趣味もまた、豊かに"生きる"ためのものだ。だから、趣味のために戦う彼女たちは、その身を以て"かっぽー"の精神を体現しているように思える。

どれだけ閉塞な未来でも、それは今ある生を蔑ろにして絶望しなくちゃいけない訳じゃ無い。豊かに生きることを諦めない、そんな"かっぽー"の精神が今も彼女たちの中に息づいている。それが間違いなく見て取れた、素晴らしい最終回だった。

 

 

青のオーケストラ Season2 / 第6話「後悔と一歩」

青オケSeason2からは立花のトラウマに触れる第6話を選出。

この回、言動よりも気持ちを丁寧に汲み取る手つきの優しさとか、「立花のおかげ」と言われたときの彼女の表情とか、好きなところは色々あるが、選出理由は"調理実習直後の立花と秋音の会話シーンが素晴らしかったから"の一本と言っても過言ではない。

この会話シーンでは、立花が秋音に感情任せの言葉をぶつけてから、それが後悔に変わるまでがノーカットで描かれる。俺は、ここをモノローグなしの息遣いと間だけで演出する繊細さにこのアニメの真骨頂を感じた。一見大きな動きがあるわけでもなければリッチな画があるわけでもないこの場面だが、息遣いだけが聞こえる長すぎるほどの間には"想像する余白"があった。不要なものが削ぎ落とされたことで"余白"だけに焦点が定まって、自然と二人の心情を想像する方向へ心が動いていた。想像させるという余地を、描かないことによって産み出す。言葉遊びみたいだけど、そういう創造性に俺は喰らってしまった。

少ないリソースでシンプルにせざるを得ないからこその戦い方と、ここはむしろそうあるべきという必然性が合致した時、その場面の美しさは名作のそれを越える。この会話にもそんな必然性があって、こういうものを見られることこそTVアニメの嬉しさだと思う。

 

 

瑠璃の宝石 / 第2話「金色の価値」

瑠璃の宝石は全話10選級の作品だったが、ここは迷わず2話を選出。

この話はAパートとBパートで、相似な構造で話を組み立てているところがまず面白い。それぞれAパートでは広大な世界、Bパートでは膨大な時間を人間と対比させつつ、それが自らの掌の中に納まっている嬉しさや感動に集束する。別の角度から始まり最後には宝石の魅力へと繋げているところに確かな技を感じる。

そして、特筆すべきはカメラワーク。作品全編を通して明快で素晴らしいが、特にこの2話Aパートのそれは群を抜いていたように思う。

自然を写すときに大きく引きで撮って、これまで演出してきた人間の力関係をフリにして矮小化することで自然の雄大さを際立たせることから始まり、「先輩たちの積み重ね~」でカメラを引いて地層断面を映したり、「世界の広さ~」でカメラをはるか上空に引いたり、展開との嚙み合わせもバッチリ。そして雄大な自然を引きで撮ったことすらも実は世界>人間の構図をひっくり返すためのフリになっているという二段構えのフリオチも素晴らしく、見ていて全く飽きさせないから凄い。

瑠璃の宝石の作品としてのクオリティは言うまでもないが、この話では最初から最後まで技術で魅せられた感覚がある。映像として面白いアニメって嬉しすぎると思っているので、この回は外せなかった。

2025夏アニメ

 

鬼人幻燈抄

鬼と人との関わりあいの物語。2クール目に入り、甚夜の生き方について今一度自身に問い直すような展開が描かれた。

「ふと過去を振り返って泣きたくなったら、それを誇れ。その悲しみは、お前たちが悲しむに足るものを築き上げてきた証だ」

「どうか、別れに怯えて今を蔑ろにしないで欲しい」

現代に至るまで、それはあまりにも長い道のりだったろう。人と比べて、鬼の生はあまりにも長く、それだけ多くの別れを経験する。そして、その度彼は迷ってきた。自分の生き方は間違っていたのかと。このまま力を追い求めてどうなると。この言葉たちは、そんな彼の指針になったことだろう。

何の為に力を求め、どう生きるべきなのか。それに対して、ついぞ答えは出なかった。でもそれが甚夜の出した答えだったとも言える。彼は、何が正しいのか迷い続ける生き方を選択した。いつまでも迷い続ける弱さというのは、一方で向き合い続ける強さを内包している。自分を誤魔化して簡単な結論に逃げないこと。それが甚夜の出した答えだった。そんな自分を肯定することで、ようやく彼は自罰的になり過去にとらわれ続けるのではなく、迷いながらでも今を生きることが出来るようになった。

そして、だからこそ彼は土浦に勝てた。鬼は嘘を吐かない。自分の執着に嘘を吐き泰秀への忠誠が全てと思いこんだ土浦が、自分に嘘を吐かず迷い続けることを受け入れた甚夜に負けたのも必然なのだ。執着故に鬼になったその身で、その執着すら捨ててしまった相手に、弱くとも鬼として負ける道理はない。

「濁った剣では切れ味は鈍る。だが、お陰で切らずに済んだものもある」

彼は、その弱さゆえに土浦を切ることができた。そして、その弱さゆえに切らずに済んで良かったものもあるのなら、間違った生き方だとしても肯定することが出来るだろう。それをおふうが気付かせてくれたように。

物語はまだ途中だ。現代に至るまで、明治、大正、昭和、平成といくつもの時代を乗り越えていかなければならない。それでも、たとえ俺がここからの物語を読まなかったとしても、もう彼には救いがあると確信することが出来る。それが何より嬉しい。

 

 

瑠璃の宝石

鉱物を見ることで、その裏に積み重なったものを見る。それは時に雄大な自然だったり、時間だったり、人の思いだったりする。一人の人間の身には余るような膨大で長大なものが、ちっぽけな掌の中に収まる感動。それが存分に描かれていた。

そして、そうした鉱物の奥にある魅力を存分に描きつつ、でももっと表層的な純粋な美しさの側面も手を抜かずに描いてくれた。アカデミックな方向よりも少し俗っぽい好奇心を持った瑠璃の目線から見た美しさを取りこぼさなかったところが、彼女が興味関心を持つ説得力にも繋がっている。瑠璃の素朴な興味関心に応えてくれる凪さんたちがいて、応えてくれる美しい世界があって、それがただ純粋に嬉しい。

それと、何と言ってもカメラが良すぎた。アオリと俯瞰を使い分けながらキャラクターの関係性を演出したかと思えば、大きく引きで自然を写して、これまで演出してきた関係性をあえて矮小化することで自然の雄大さを際立たせてみたり、とにかく芸が細かい。

スタジオバインド、あり得ないクオリティの可愛い女の子のアニメと無職転生を一生交互に作り続けて欲しい。その交互浴で整いたすぎるから。

 

TO BE HERO X

黙殺編あたりでヒーローが交差しはじめてから物語がドライブする感覚があって、更に面白くなっていった。複数の視点から同じ出来事を見ることで物語にも厚みが増していき、その分だけ面白さも増していった。

にしても、満を持して登場したXがめちゃくちゃカッコいいのが流石。Xの能力を空間や次元を自在に操る能力にすることで文字通り”次元が違う強さ”を表現するの、あまりにオシャレすぎる。手を変え品を変え色々なアニメーション表現を駆使していたのもこの能力の伏線だったんだろうし、Xだけ能力が創造主側過ぎるのも意図がある気もしてくる。

現時点では、何物にも縛られない一般人のままヒーローの象徴としてあり続けるXの存在こそが、信頼値システムによる歪められたヒーローシステムへのアンサーなのだろう。彼こそ、キャッチコピーである「人は誰しも凡人で、即ち英雄である」を体現するような男だ。しかし、公式QAで全48話構想という話があったように、物語としては全てのヒーローが出そろったここからが本当の始まりのはずだ。魂電がシャオ・ユエチンを殺した理由、旧ナイスの復活、最終話ED映像の新キャラ、残された謎は枚挙に暇がない。

人気投票の結果をストーリーに反映させるのなら、制作はこれからになるのだろう。監督は時光代理人3期の制作もあり多忙を極めていると思うが、早く続きを見たいものである。

 

うたごえはミルフィー

こんなに趣味趣向も性格も違う人間同士が好き嫌いを飛び越えてお互いのパーソナルな部分に踏み込んで存在する空間って部活以外にない。そんな中で、意外にもコミュニケーションが苦手なウタが皆の鎹になっていた。

コミュニケーションが得意じゃないからこそ、愚直に言葉にして自分を分かってもらおうとして、相手を分かろうするウタが眩しい。ウタから言葉にしてもらって変われたクマちゃんだからこそ言える「言葉にしなくちゃ伝わらないです」が眩しい。彼女らは、コミュニケーションが得意じゃないからこそ、何となく相手の機微を読み取った気になってなあなあで済ませたりしないんだよな。

ウタがクマちゃんへの接し方を先輩たちに相談した時や、その後のウタとクマちゃんの会話には如実に表れているが、彼女たちは相手のことを理解した気になって何かを言うことの傲慢さに自覚的だ。だからこそ、相手を理解しようと、そして自分を理解してもらおうと言葉を尽くす。そして、そんな彼女たちが、それでも「分かるよ」という言葉を使うときの覚悟は相当なものだったろう。俺はそれを思うだけで涙がね。

大人になった彼女たちは、皆で必死に繋ぎとめたこの日々のことをどんなふうに思い出すんだろう。もしかしたら、思い出さなくても大丈夫かもしれない。それでも、間違いなく彼女たちの心の柔らかい部分に影響を与えたであろうこの日々を、思い出さなくとも確かにあったこの日々を、俺も大切に胸にしまっておきたい。

 

アークナイツ【焔燼曙明/RISE FROM EMBER】

「この大地が人を飲み込む時、選り好みなんてしませんよ」というアーミヤの言葉の通り、テラの大地は全ての人に選択を迫る。

ファウストも、フロストノヴァも、パトリオットも、彼らが最期の覚悟を決めたとき、過去の選択が去来していた。彼女から逃げていれば。彼女を止められていれば。正しい道を歩けていれば。しかし、そうはならなかった。

自身の過ちを知りながら彼等がレユニオンでありつづけたのは、気付いた時にはもうすでに身動きが取れなくなっていたからだ。選択には責任が伴う。責任を負えば体は重くなる。多くの感染者を巻き込んで、彼らの分まで責任を背負っていた彼等は、もう自由に動くことは出来なかった。

身動きが取れなくなったとき、人は運命に飲み込まれる。それでも、せめて抗う選択を、と最後まで手を伸ばし続ける彼らの姿は瞠目に値するものだった。

パトリオットの最期、それはアーミヤを殺さないという選択だった。「未来がどうなろうと、今の姿が真実」だと、フロストノヴァはタルラを見て言った。そしてパトリオットは、そんな在りし日のタルラをアーミヤに重ねた。だから殺さなかった。

結局、大切なのは"今"なんだ。過去に感じた憎しみや積み上げてきた信頼に囚われず、未来の誰かの影に怯えず、時に背負った責任から降りてでも、今目の前にある選択を色眼鏡なく見る。これがテラの大地で正しくあるために必要なのだと思う。

レユニオンとの戦いの中で、ロドスもまた沢山の仲間を失った。それでもロドスは憎しみに任せて力を振るうことを肯定しなかった。アーミヤは、決してロスモンティスの復讐を肯定しなかった。今目の前でやるべきことを違えなかった。これこそがロドスが持つ正しさであり、かつて同じ理想を掲げたロドスとレユニオンの決定的な違いだ。

彼等の行く道は、未だ険しく困難に満ちている。選択を誤った時、ロドスはレユニオンになる可能性を秘めている。だから彼女たちは、目の前の正しさを積み上げていくことでしか認められない。でも、だからこそ、ドクターが過去に犯した罪も、アーミヤが未来に犯す罪も、今の彼らが正しい選択を行うこととは関係ない。正しいと思ったのなら、それを選ぶ。至極単純だが、レユニオンの誰一人として歩めなかったその道を、ロドスは今進んでいる。

サルカズの予言の未来。その結末に辿り着く未来があることも、原作では既に示されている。でも、俺たちは彼女たちの積み重ねた正しさも知っていて、そうはならないと思える希望がそこにある。どうか違う未来に辿り着かんことを。そう願いながら彼女の結末を見届けたい。

 

青春ブタ野郎はサンタクロースの夢を見ない

俺、麻衣さんが正妻ムーブしてるの大好きだから、姫路さんに対して静かな闘志を秘めながら平静を装って正論で会話をするところが本当に好きで、、、。

これ以上のことは、ディアフレンドが終わってから喋りたいのでノーコメントで。

 

Summer Pockets

ずっと昔。

小さな頃。

永遠みたいな夏を、駆け回っていた。

家族と。

友達と。

どんなに遊んでもやることは尽きなくて、

太陽はそんな毎日を、まぶしく照らし続けてくれた。

いつの間にか忘れてしまっていた風景。

でも、確かに覚えている風景。

どうしたって足りない尺の中で、よくここまで頑張ってくれたよ。だから俺は、あそこがどうだったとか、ここがどうだったとか、細かいことは言わない。良いアニメだったのか、俺には正直分からない。それでも俺はこの作品を愛してくれる人が増えていたら嬉しい。

結局、夏休みって楽しかったよな、って思えるところがサマポケの良さだと思うんだ。

鴎ルートで羽依里が言ったように、実際はみんながみんな大層な夏休みを過ごしているわけじゃない。でもこのゲームを開けば、所謂原風景と呼ばれる夏がそこにあって、この作品を読むこと自体が夏休みの思い出に変わっていくし、自分の夏休みを含む総体としての夏休みが素晴らしいものだと感じさせてくれる。そして、そういうノスタルジーをギャンギャンに刺激されて全ての感性が増幅された状態で感じる物語は、絶対に特別な体験になると思うんだよ。

ワガママを言うと、やっぱり俺は、そういう"体験"としてのSummer Pocketsを受け取って欲しい。だから、アニメを見てこの作品のこと少しでも気に入ってくれた人がいるのなら、どうか原作ゲームもプレイしてみて欲しい。それだけの価値が絶対にあるはずだから。

 

Turkey!

展開や絵面のトンチキさに目が行きがちで、何だか馬鹿にされることも多いアニメだったけれど、価値観のギャップを丁寧に埋めていく作劇には素晴らしいものがあった。

俺は、さゆりが11話で「私たちの人生はこの時代で続くから、誰も殺したくないし、皆にも殺させたくない」って言ったのがとても印象に残っている。

彼女は6話で命のやり取りを経験し、その異なる価値観に吞まれかけた。傑里を救えるのなら人を殺しても良いと思ってしまった。

だからこそ、人を殺さないし殺させないと言い切ることは、その後に彼女が自分なりの正しさを育んだ証だ。様々な価値観に触れた上で出した彼女なりの正しさは、現代の価値観しか知らなかった頃の「殺しは良くない」というものとは違う言葉だろう。

価値観は時代観を色濃く反映し、普遍的なものは存在しない。このアニメでは、異なる価値観に触れて、不用意に踏み込んだり傷つけあったりしながら、自分の中で新たな指針を獲得する描写が多く見られた。

異なる価値観が混ざりあう様に感じ入る。そういう見方をすれば、間違いなく良いアニメだったと思う。

 

陰陽廻天 Re:バース

今期のダークホース。作り手の掌の上で何十回転も転がされてしまった。

中々に複雑な物語のなかで、主人公の業平猛が「おれ馬鹿だから難しいことは分かんねえけどよぉ、、、」を地でいくキャラだったのが良かった。正義が二転三転していく中で、主人公が視聴者目線の絶対的な指針になってくれる見やすさって少なからずあって、そういう意味でこの物語に対してこの主人公っていうのは本当にベストマッチだったと思う。

晴明も同じくらい俺好みで良いキャラだった。晴明はツキミヤと同じく世界蟲毒の記憶を全て引き継ぐキャラクターでありながら、ツキミヤが無責任に何重もの生の快楽を享受する裏で、一人その罪と苦しみを背負い続けた。そういう男の覚悟が、一番カッコいいから。

難しくこねくり回して難しい顔してる奴らを、単純明快で爽快な答えでぶん殴って一緒に問題まで解決してしまう。それがこのアニメのスタイルで、気持ちが良い作品だったと思う。

 

雨と君と

言葉にするのは難しくって、でも好きって気持ちがあるのは本物で、それをこねくり回して言葉にしようと格闘するも、上手い言葉が見つからないことってある。最終回なんかは、正にそういう話だった。

とっても好きなアニメだけれど、どこがどう良かったかと言われると言葉にするのは難しい。人のエッセイを読んでいるような内省的な生っぽさだったり、近いだけが居心地の良さではない絶妙な距離感だったり、そこに漂う空気感だったり。それらがクリティカルかと言われると分からないが、間違いなく好きを構成する要素の一つではある。

心地よさを無理に言葉にし過ぎないことも未だ自分の中では重要な指針で、そういう意味で大切なアニメだった。

 

ばっどがーる

令和のこの時代に萌えの一本槍で勝負してくれること。まずは、ありがとう。

涼風涼さんの湿っぽさのお陰で楽しく見れたと言っても過言ではない。涼風さんと亜鳥先輩の絡み、好き、なんだよなぁ、、、。

 

Dr.STONE SCIENCE FUTURE

これまでの話を再構築して追体験するかのような23、24話がひたすらに良かった。一人ぼっちのストーンワールドをスイカの視点で体験することで、千空がやってきたことのとてつもなさを実感する。俺はスイカがルーナとチェルシーを探して何度も同じ道を行き来する場面を見て苦しくなったし、長い時間をかけたのに失敗した硝酸の畑に何度でも挑戦するスイカを見て涙した。

千空が最初にきりもみ式で火を起こそうとして失敗した時から、思えばDr.STONEってずっとそういう作品だったな。失敗を繰り返すことを、成功に辿り着くための足掛かりにする。千空たちがやってきたことって、こういうことなんだよな。

「クッソ地道な努力」を積み重ねることを科学だと千空が言っていたように、本当にできるかわからないことを地道にコツコツと続けたスイカには、科学の魂がちゃんと宿っている。人類が石化前の文明の科学を遥かに超えたメデューサに到達し、越えて行かんとするとその隣で、教えなくてもそのバトンを受け取った子供がいる。知識だけではなく方法論や思想に至るまで、人類が200万年積み重ねた科学のバトンが次の世代に受け継がれていく。俺そういうのに一番弱いねん。

 

出禁のモグラ

心霊現象を現実の問題として解釈を試みる作品は少なくないが、この作品ではかなりの俗っぽさを売りにしつつ納得感もある理由付けをするところが新鮮。繰り出されるブラックユーモアも、笑ってよいのか悪いのか。兎角、不思議な魅力のある作品だった。

モグラの説教が理想論的なところに行かずに、ただひたすらに目線を合わせた泥臭さがあったのが凄く良かった。心霊を取り扱っていながら、かなり現実的な落としどころになっていて、誠実だよなあと思う。

彼の説教は、自分の思いの表明の割合がかなり大きいと思う。結局自分の手の届かない範囲に対してできるのは、自分はこう思っているという表明だけなんだろうな。それを可能な限り不足なく相手に伝えて、相手のアクションが変わることを願うしかない。ただ、彼はあの世から出禁を喰らって、長い時間を人間として生活してきて色々なことを経験してきた。だから、その実感のこもった説教は妙に説得力があって胸に刺さる。

そういうところがいい塩梅で、彼の説教が説教臭くなくとも意味のあるものになっている所以なのかもしれない。

 

サイレント・ウィッチ 沈黙の魔女の隠しごと

サイレントウィッチのサイレントの部分(カスの部分ツイート)、モニカの性格と繋がってるのは勿論、掘っていくと彼女の生い立ちや過ごしてきた過去とも繋がって、物語とも密接に関わってくるのが味わい深い。設定、キャラクター、物語の有機的な結びつきに思わず感心してしまう。彼女のコミュニケーションの不得手さが全ての中心にあって、それで全てが駆動してんだよな。

 

まったく最近の探偵ときたら

マキちゃんの貧乳いじりと年齢いじりで笑顔になってしまった。

Vtuberにそういう絡み方している人たちのこと、俺もう笑えないかもしれない。

明日は我が身。

 

ゲーセン少女と異文化交流

ロシア語キャラには上坂すみれ、英語キャラには天城サリー。(ことわざ)

 

神椿市建設中。

11話とか凄い挑戦的なことしてる~と思いながらも、一方でキャラクターの心情を全然追い切れなくてしんどかった。俺が真面目に見てないのもあるけど、これはコンテンツ自体を追っているともう少し分かったのだろうか。

もう、柿本広大監督を歌ものに起用しないで欲しい。彼には、歌のために尺を歪められたアニメーションではなく、刀使ノ巫女のような本当のアニメーションにもう一度向き合ってもらわないといけないから。

あと、狸眼は冷笑をやめたほうがいいと思う。

 

ネクロノミ子のコズミックホラーショウ

俺は題材の神聖性を結構気にしてしまう性質なので、クトゥルフ神話の神聖性に対してあまりに俗っぽい作品づくりで気になってしまった。ただ、間口が広くないものは衰退する論もあるので、そういう意味ではクトゥルフ神話を親しみやすく落とし込んでいて成功と言えるのかもしれない。

ただ、合わなかったとはいえ、11話からの展開は正直かなりアツくて見入ってしまった。安全圏から消費しようとする人間(※これってアニメを見ている俺たちのことですか?)に対するカウンターが決まった時は最高に気持ちよかったし、その後人類をフルシカトして戦いに臨んでいったのマジで痺れた。

人間の俗っぽくて無自覚な消費による加害性を描き続けた理由が、この展開でミコへのヘイトが向くのを防ぐためのヘイト管理だったとしたら、かなり尖ったつくりをしていて凄い。このためだけにでも見てきて良かったかも。

 

「その着せ替え人形は恋をする」Season 2

クラスメイトに五条くんが受け入れられる展開に思うところがある人は多そうだけれど、一方でこの世界は真剣な人を笑わない世界では決してない。幼い頃の五条君の同級生だったりあまねさんの元カノだったり旭さんの親だったり、他人の"好き"を攻撃する人が存在する。そう思うと、五条くんは本当に本当にクラスメイトに恵まれているに過ぎなくて、それが本当によかったなと思う。都合の良い優しい世界だからじゃなく、たまたま優しいクラスメイトに恵まれたからって方が嬉しいよ、俺は。

その他、クオリティとしては申し分なかったけど、やっぱりアニメキャラがオタクの言葉喋ってるのだけは厳しかった。2期になってから色んなオタクが出てきたから余計にそう思ってしまった部分もある。俺は知らないオタクのこと薄っすら敵だと思ってるから嫌なんだよな。

 

地獄先生ぬ~べ~

怪現象に巻き込まれた生徒をぬ~べ~が助けるという基本フォーマットを確立しながら、百鬼夜行や座敷童のようにハートフルなお話もあれば、はたもんばや玉藻のようなバトル主体の少年漫画が前面に出てくることもあったり、てけてけのように最後に視聴者を巻き込んでくる怪談を放り込んできたりもして、様々な視聴感で飽きさせない。一話完結ながら各話の配置が見事で、1クール全体で見た時にアニメとしての完成度がとても高かったと思う。

一話完結を基本にしてきた物語の色んな要素が結びつく、ラスト3話がまた良い。ぬ~べ~にとって子供たちは弱く守るべき存在だったけれど、子供たちだって自主的に動いたり考えたりするし、そんな中で少しずつ成長を重ねてるんだよな。

所々に少し無理やりなところもあったが、週刊連載のライブ感と思えばご愛嬌。分割2クールらしいので、2クール目もどう構成するのか楽しみ。

 

ぷにるはかわいいスライム

ありのままを肯定する美しさがこの作品の味だったけれど、2クール目ではあえてそこに疑問を投げかけていた。俺は自分は自分のままでいいと思うんだけどな、ナチュラルに考えて。(プリパラ爆弾発言集)

コタローが昔、一番掛けて欲しかったであろう、ありのままを肯定する言葉をナチュラルに他人に言えるようになっているのが嬉しい成長である一方で、それがジュレにとっては呪いになってしまうのが本当に悲しい話である。まずはそのままの自分を認めてやらないと、という話ではあるが、そもそもジュレの本質って「AIのままの自分」なのか「人間になろうとする自分」なのか、どっちなんだろうとも思う。マドハカセに人間の思考を模すようにプログラムされたAIなんだとしたら、今の自分を認められないというのが彼女の本質であるかもしれないわけで、みんな違ってみんな良いを受け入れることは自己否定でもある。今後、ジュレがどう折り合いをつけるのかというのは一つ気になるポイント。

人間になるならないや、ホビーであることへのあれこれについて、未だうまく言葉にできていない。そこらへんはもう少し自分の中で考えてみようと思う。

 

ブサメンガチファイター

異世界転生って新たな世界で人生リセットして一発逆転が基本だけど、この作品は少し違った。フォーマットこそ借りているが、前世での善行が新たな人生で思わぬ救いになったり、逆に前世での因縁など悪い面も引き継いでいて、新たな人生のふりをした前世と地続きなままの人生が描かれている。

少し恣意的に見れば、誠実に生きることで、たとえそれが今世で返ってこなかったとしても、それが来世の自分への贈り物になるかもしれないとも言える。宗教じみた考えだけど、徳を積むと死後良いことありますよ、悪いことしたら地獄に落ちますよ、とそういうことだ。結局「悪いことせずに誠実に生きたら、きっと良いこともありますよ」というだけのことではあるんだけど、俺って正直さや誠実さが報われる話が好きすぎるし、贖罪の話も好きすぎるから結構刺さった。

やりなおし譚とは根本的に違う、むしろ真逆ともとれる作品。なろうをそこまで見ないから今となっては珍しくもないのかもしれないが、真の仲間やブサメンガチファイターのような、なろうの共通フォーマットを借りながらなろうへのアンチテーゼを描く作品はかなり好みだ。

 

銀河特急 ミルキー☆サブウェイ

最初に大きな謎を提示して物語全体への興味を引きつつ、短い尺の中で毎話引きも作って、その上でキャラクターの成長も描くって凄すぎる。カートとマックスが感謝を知らないだけのガキだったの本当に良くてぇ。

不思議なテンポ感の会話も聞いていてとても楽しい。気の抜けた怠そうな演技も相まってかなりリアリティのある質感で、聞き心地が最高だった。面白いんだよなあ、女友達と話している感じがして。

この短さでこの満足感、これは確かに一般層にもウケてるって言われても納得できる。

 

ダンダダン

この作品、あまりに変過ぎる。場面場面を見ていくと起こっている出来事は面白いけど、その状況に至るまでの脈絡がなさすぎる。現実には前振りがなくても、フィクションに前振りは必要な気がする。出来事主導じゃなくキャラクター主導の物語ならこれもありなのか?

オカルンとモモのラブコメは本当に良くて、そこを見たい気持ちはある。その一本槍で続編も見続けていくとは思うが、如何せん見るのに体力使うんだよな。

 

プリンセッション・オーケストラ

このクールでは、赤の女王の思想とは別の、バンドスナッチたちが持っている各々の気持ちが垣間見えたのがとても良かった。

本来アリスピアンたちの世界で、そこにお邪魔している立場の女の子たちが我が物顔で「私たちの世界」だなんて言っていたら、それに違和感を覚える気持ちはよくわかる。そういうバンドスナッチたちの思いに対して、プリンセスたちがどのようなスタンスで迎え撃つのか。そういう思いのぶつかり合いになってから、俄然面白くなった。手段の正誤と思想の正誤は、現実的には分けて考えることは難しいが、本当は分けて考えるべきものだと思う。人の思いをを踏みにじって、利用して。それ自体は許されることではないが、バンドスナッチ側にも一定の理が確かにあった。

プリンセスたちは現状、バンドスナッチたちの思いに対して明確なスタンスを示せていないように感じる。それは、このアリスピアの抱える秘密を知らないからなのかもしれない。そんな彼女たちが全てを知ったとき、どのようなスタンスを取るのか。バンドスナッチ、赤の女王、そしてこれから現れる白の女王の思想に対するプリンセスたちの答えを見せてもらいたいと思う。

 

SAKAMOTO DAYS

原作のSAKAMOTO DAYSは超絶作画のアクションが魅力の殆どを占めていると言っても過言ではないが、肝心のそこが残念ポイントになっていた。

このアニメを見ると、アクションには媒体の違いが如実に現れると感じる。漫画ではパースの効いた構図でアクションを魅せていたけれど、ことそれをアニメにするなら、原作の構図に縛られずにもっと動きで魅せて欲しかったという気持ちが拭えない。動画が静止画よりも窮屈に見えてしまうなんて本末転倒過ぎる。

原作にとても忠実に作ったアニメだけれど、作品としては魅力がないものになってしまったのが残念でならない。

 

CITY THE ANIMATION

主人公が居るわけでもなく、かといって群像劇と呼べるストーリーがあるわけでもない。ただこの街に生きる人々の生活が交差する様子だけを描いた、いわば街が主役の作品。

凄いアニメだったけど、面白いかと言われると最後までよくわからなかった。5話の画面分割で複数の視点が同時進行しながら最終的に全ての視点が交差する演出や、一つの画面で複数のキャラの視点をダイナミックに順繰りに追っていく9話のレース演出などを筆頭に、京アニの遊び心と野心が存分に発揮されていて素晴らしいと思う一方で、作品自体の面白さにはイマイチついていけなかった自分がいる。

俺が願うのは、えっちゃんとまつりが一生仲良しでいることと、泉わこが一生好き勝手することだけ。あとはもう煮るなり焼くなり。

 

ウィッチウォッチ

月と私のかくれんぼ、𝓑𝓘𝓖 𝓛𝓞𝓥𝓔。

 

フェルマーの料理

海や広瀬の持つエゴイズムの根底には才能を持つ者ゆえの孤独がある。そんな才能と孤独の表裏を描いた作品。

並び立つ者がいない比類なき才能とはすなわち孤独。そんな風に描いた傑作で言うと、松本大洋の「ZERO」と「ピンポン」が真っ先に頭に浮かぶ。才能を持つ者の一振りは、容易く他者を壊してしまう。トラビスもアクマも、圧倒的な才能の下に踏みつけられ壊されてしまった。この作品に於いて、岳が広瀬に壊されてしまったように。

しかし、だからこそ彼らは孤独だ。そしてそれ故に、並び立つ存在を渇望する。海や広瀬にとっての岳は、スマイルにとってのペコだ。彼らは自分の孤独を壊してくれる存在を望んでいる。

岳は今、頂きへの道に足を踏みだした。彼は自ら孤独になろうとしているし、それに足る才能が確かにある。だが、恐ろしいのは、彼が広瀬や海を飛び越してしまった時だ。彼が全てを飛び越して孤独になったとき、それを壊す存在は現れるのか、ということだ。

孤独を壊す存在が現れなかった世界線の彼ら、それがZEROの五島雅という男だ。自らの全てをぶつけても壊れない相手を探し続け、ついには出会えず、その手に残るのは虚無のみ。俺は、自ら孤独になりにいく岳の姿に、そんな未来をも重ねて見てしまった。

岳の周りには沢山の人が居る。魚見さんや神楽さんや父親や、彼の手を取ってくれる沢山の人が居る。追い詰められた岳に向けられていた、彼女らの門外漢の目線は本当に嬉しかった。だから俺は、そんな彼らの手を取った孤独じゃないままの岳で、料理の真理の扉を開けて欲しいと思う。

 

盾の勇者の成り上がり Season 4

4期は仲間のルーツを巡る物語だった。フォウルとアトラ、サディナとラフタリア。それぞれの故郷を巡り、問題を解決していった。

ただ、ここにきて波も四聖勇者も関係のない話をされて、正直あまり楽しめなかったというのが正直なところ。特に深い因縁のある相手はいないし、かといって波も来ないし、本筋に関係ないサブクエストが無限にポップアップしては解決していくのを眺めてる感じ。一昔前のジャンプアニメのアニオリ編を見ている感覚に近い。

正直、この4期でかなりモチベーションが下がってしまったが、ここまで見続けたのだから5期も見るとは思う。次はせめて、本筋に絡む話が見たいもの。

 

ガチアクタ

桃源暗鬼と同時に配信されて、序盤の展開も被っており、どちらも主人公が気悪い感じだったので、どちらも苦手だなぁというのが第一印象。ただ、ルドは幼さと生育環境の悪さによる歪みがかなり大きかったことが見て取れ、エンジンやザンカや他の掃除屋の面々から良い方向に導いてもらえているところもあり、今となってはあまり悪印象はない。それでも消せぬ狂気を孕んでいる部分も好きだし、むしろ好印象まである。

今のところ明確な敵が不明で戦闘回数もかなり少なく、盛り上がりに欠けている感は否めない。だが、設定を小出しにするのが上手く、ダレずに見続けられてはいる。敵が定まって本格的に能力バトルをやり始めたら盛り上がりそうな気はしているので注目したい。

 

桃源暗鬼

桃太郎側の強火な思想には全く乗り切れず、かといって鬼側もキャラクターの性格に難があり、感情の置きどころが難しいアニメだった。起こっている争いに対してどちらに肩入れすることもできなくて、どうしても他人事として見えてしまったのが良くなかった。

ここから本格的に学校生活が始まるが、主人公たちの人となりや良いところが見えてきたら少しは変わるだろうか。

 

9-nine- Ruler’s Crown

令和に和泉つばすさんの絵が動いてるアニメが2本同時放送してるの、結構ビックリする。そんな時期、平成にもなかったのに。

ヒロインが全員めちゃ萌えで良かった。特に結城希亜さんが好き。

そんな感じ。

 

真・侍伝 YAIBA

一つの展開が終わらぬままに次の展開へと転がって行って、息つく暇を与えない怒涛の展開。週刊連載の起承転結をさらに凝縮した、極上テンポの冒険活劇。テンポ、アクション作画、ギャグとシリアスのバランス、声優の演技、全てがハイレベルで纏まっていて退屈することがない。

個人的な話だが、俺は名探偵コナンをちゃんと通ってきてないので、今更高山みなみさんの演技の上手さに痺れている。特に後半はシリアス展開が多かったので、おちゃらけた刃と真剣な刃の声が切り替わる場面が多くて、マジでうぉってなる。全然違う声なのにちゃんと同一人物の声として認識できるの流石だ。

 

ホテル・インヒューマンズ

殺し屋専用ホテルで、殺し屋たちのお願いを絶対に叶えるコンシェルジュの物語。インヒューマンとは言いつつも、そうとしか生きられなかった殺し屋たちの悲喜交々が描かれるヒューマンドラマ。

殺し屋を相手にサービスを提供する生朗が、過度な感情移入をしてしまうのはどうなんだろうと思ったが、人間ってそういうものか。自分に実害のない悪事を働いた人間を、憎み切れる人間っていうのは案外少ないのかもしれない。

最近も、大炎上した人が裏垢に籠って身内とワイワイやっていたのをユダにリークされる、なんてことを何件も見た記憶がある。いくら対外的に悪事を働いても、直接優しくされると、自分に向けられた優しさの方を取ってしまう人はいる。勿論流出するということは、そうでない人もいるということではあるが、自分事じゃない悪事にマジになれる人ってそう多くはないと思う。

そう考えると、生朗の優しさは本当に良いことだったのだろうかとも思えてくる。これまでも何人も殺してきた殺し屋に対して、仕事としての割り切りではなく、心の向くままに感情移入することを、是としてよいのだろうか。それって相手にとっても幸せなことだろうか。

結局は因果応報で報いを受ける者が殆どだったなかで、少しでも殺し屋たちの気持ちを汲もうとする生朗に、俺も感情を寄り添わせながら見ていたし、良い話だとも思っていた。しかし、冷静に一歩引いてから振り返ると、褒められる話ではないとも思えてしまう。どう折り合いをつけるべきか難しい、そんなアニメだった。

 

ちいかわ シーズン2

ウ ウ・ワ・ワ・ウワ♪
ウワワタ~クタ~クチャァオ♪
ウワワワウワ ワーイワイトレリ♪
ウワワワイワイ タラチロ♪

 

クレバテス-魔獣の王と赤子と屍の勇者-

昨今のアニメにしては珍しく、ファンタジーという題材に真っ向から取り組んでいたのが好印象。ファンタジーへのカウンターポジションを取る作品ばかりだと、むしろこういう奇を衒わない真っ当な作品が映える。真っ当が故にネルルの過去を筆頭にした残虐描写にも手抜きはなく、正視に堪えない部分はあったが。

だだまぁ、個人的にはそれ以上の思いは特に無いのが正直なところ。2期は全然楽しんで見させていただくが。

 

宇宙人ムーム

桜子とムームーの間に徐々に育まれた愛情とも友情とも信頼ともつかない不思議な関係が本当に素敵で、ずーっと見ていたくなるアニメだった。

何だかゆるくて締まらない雰囲気も、2クールも続けりゃ愛着になる。例え劇的な展開がなくても(最後は劇的だったけれど)、こういう作品にだって"長さ"を積む意味があるんだよな。

ゆっくりだけども、桜子が徐々に生活に馴染んでいく様子にも、本当にニコニコしてしまう。都会での生活、大学生活、そして猫型宇宙人との同居生活。彼女は初めてを同時に3つも抱えて大変だったろうけど、それでも少しずつ変化を見せてくれた。こんなゆったりとしたわずかな変化が描けるのもまた、2クールだからこそだと思う。

作品の感想からは離れるけど、今の時代にこういうアニメを2クールでやってくれることが何より嬉しかったかもしれない。真新しい設定も、劇的な展開も、壮大なストーリーもない。ただ少し変で少しハートフルなコメディに、これを愛してくれる人が居るだろうと信じてお金を出してくれたことが本当に嬉しくて。

世の中がこういうアニメばかりになってしまったらそれはそれでつまらないが、一方で各クールに1~2本ぐらいは、こんなアニメをゆっくりと長くやってくれる土壌があれば一番嬉しいんだけどな。

 

ぐらんぶる』Season 2

7年ぶりのぐらんぶる、ノリがきつく感じたらどうしようとか思ってたけど全くの杞憂。一瞬で"あの頃"が帰って来た。

湘南乃風の皆さま。

そろそろアニメロサマーライブへの出演をしていただけないでしょうか?

ご所望とあらば、オタク一同でOPのダンスも踊ってみせます。

ご検討のほどよろしくお願いします。

 

地縛少年花子くん2

俺はこのアニメのキャラクターたちが大好きで、放課後少年花子くんが大好きで、だからこそ絵の中の世界を見たときは、正直この偽物の世界で幸せに暮らしていけるならそれで良いじゃんとも思ってしまった。永遠に醒めない幸せな幻想世界は、フィクションではほぼ100%唾棄されるが、それを悪いとすることって、俺はあんまり出来ないんだよな。

光はミツバに偽物の世界で生きることを許さなかったけれど、これって良いことなんだろうか。たとえ偽物の世界でも、本当の世界でその願望に届くことがないのなら、偽物で折り合いをつけようとしていたことが悪いことかよ。

花子くんは寧々に死んでほしくないと思って絵の中に閉じ込めようとしたり葵を生贄にしてみたり色々したし、輝は光をいつまでも庇護対象として手元に置いておこうとしたし、葵は自分の心を守ろうとして茜を遠ざけた。彼等の矢印って、相手の方を向いているようでいてその実自分に向いてたりする。

相手の行動や相手に起こる出来事に自分が耐えられないから突っ走ってしまう。その弱い気持ちも認めてあげたいけれど、一方でされた方の気持ちもどうなるんだよと思って居た堪れない。

正直、終わり方が途中も途中すぎて、これ以上どこがどうだとかあんまり言えない。でも、見ててあんまり気持ちよくしてくれないアニメだったと思う。面白さは別にしてね。

 

コウペンちゃん

アニメを沢山見るクールには、箸休めも必要。

そういうときのショートアニメ。

 

フードコートで、また明日。

俺普通に和田のことあんまり好きじゃなかった。同族嫌悪か?

 

自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う 2nd season

話が特別面白いだとか作画が特別良いだとかは思わないけれど、なんか好きなんだよな。珍しい自販機の能力を使って苦境を切り抜ける展開は少しマンネリを感じたりもしたけど、シリアスに持っていく振れ幅もあり、珍しい切り口でラブコメを見せてくれる良さもあって意外に退屈させない。精神的・肉体的な成長じゃなくて、言語コミュニケーション能力(狭義)の成長を軸にヒロインとのラブコメを進めるの、意外と新鮮な角度で良いんだよ。

コミュニケーションの初々しさも好み。俺は、満足にコミュニケーションが取れない状態でも何とか思いを伝えようと頑張っていることがかなり好きなのかもしれない。飼い主と久々に再会したワンちゃんが嬉しさのあまり発狂してる動画とかよくYouTubeで見るし、外国人と拙い英語で会話して意図が伝わった時にお互いが微笑みあう瞬間とかもめっちゃ好きだから。

個人的には、ラッミスとヒュールミがハッコンのこと取り合ってるだけの話をもっと作って良いと思ってる。3期、期待大。

外見は四角い鉄の箱!

内に秘めるは人の魂!

不思議が満ちた異世界で!

相棒ラッミスに背負われて!

東へ西へ大奔走!

俺はハッコン!

いらっしゃいませは、YESの意味だ!

2025春アニメ

 

TO BE HERO X

信頼値というシステムによって成り立っている社会の歪さを、手を変え品を変えリフレインさせ提示してくるアニメ。

ヒーローの能力が人々の信頼をもとに成り立つ、というのは一見合理的に見えて、その実、ヒーローの活動よりも人気取りを優先しなくてはいけないという、本末転倒な仕組みになってしまっている。何が大切で何が事実か、ではなく、人々が何を見たいか、というものが優先される社会で、ヒーローはその実民衆や権力の奴隷にすぎない。かなり恣意的に操作されうる信頼値が根幹にある世界で、じゃあ果たして正義って何なのか。

クイーンはこのシステム自体に抗おうとしたが、それは敢え無く失敗に終わった。

魂電は自分の意思だと思っていたことすらも、権力者の掌の上で転がされていたにすぎず、この世界におけるヒーローの歪みを一番端的に表していた。

リンリンは、守りたいものの為にナイスという肩書を捨て、自らの意思一つでゴッドアイに挑んだ。傀儡に成り下がった魂電とは対比的に描かれており、ヒーローの本質を体現していただろう。しかし悲しいかな、そんな決意をしたリンリンですら、即座に再び信頼値システムに組み込まれてしまった。

この物語がどういう着地を見せるかはわからないが、この歪んだシステムがどう是正されるのか、或いはどう壊されるのか、というところには間違いなく切り込んでいくだろう。もしそうなった時、各々のヒーローはどういう道を選ぶのか。彼らの正義はどこにあるのか。それも含め、今一番楽しみなアニメ。

 

LAZARUS ラザロ

この物語は、スキナーの視点の追体験であったように思う。

スキナーを追いかける過程でラザロの面々が対面してきた人や組織を振り返ると、この非常時にすら内ゲバに勤しむ人類に絶望する気持ちも、一方で市井に生きる人々に希望を見出す気持ちも、どちらもわかる。結局のところ、スキナーは人類に絶望したのではなく、どうすれば良いか分からなくなってしまっただけだ。さればこそ、彼は人類に選択を委ねた。人類の前に姿を現して警告し、期限が迫ると再びメッセージを発してみせた。そして、自分を見つけた者に問うた。「君には、この世界はどう見える」と。

だが、スキナーの視点を追体験する中で、殺し屋・双竜だけが異物だった。彼だけは恐らく、スキナーの物語の登場人物ではない。

思うに、双竜はあり得たかもしれないもう一人のアクセルなのだろう。人体実験を受けた唯一の生き残り同士でありながら、社会の枠組みで生きられないバケモノとなり果ててしまった双竜と、運良く居場所を見つけられたアクセル。彼らは逆だったかもしれない。

彼との決着に拘ったアクセルは、彼に自分のあり得たかもしれない姿を重ねたのかもしれない。過去と決別するためか、それとも自分は間違っていないと証明するためか。アクセルにとって彼を倒すことは、集団に属す自分を認めるためには必要な儀式だったのではないだろうか。

スキナーの問いかけに対してアクセルは、「全くひでえ世の中だけど、そこまで捨てたもんじゃないぜ」と返す。物語初期、脱獄を繰り返し、ラザロの勧誘からも逃げ回ったアクセルは明らかに社会を拒絶していた。集団に属すことを忌避し、社会を嫌った彼がこう答えたのは、彼が世の中に居場所を見つけたからではないか。

この物語は、スキナーの視点を追体験する物語だ。そして、それを経て出された答えは、自分の居場所がある世界ってのは、案外悪くはないってことだ。

 

前橋ウィッチーズ

やっぱりこのアニメの素晴らしいところは、魔法で悩みを解決して終わりにしないところ。別に彼女らの問題を魔法で解決してしまっても、それ自体は決してダメなことじゃない。魔法だってなんだって、問題が解決したらそれは嬉しいことなんだから。

でも、魔法で当座の問題を解決したって、それは長い人生においてのたった一つの問題が解決しただけであって、オールオッケーでずっとハッピーってわけじゃない。作中でも膳栄子が示してるように、結局魔法で一時的に悩みが解決したところで、生きている限り悩みは尽きない。じゃあ結局考えなきゃいけないのは、持続可能なハッピーな人生ってなんだってことだ。

このアニメでその例として示されたのは、例えば悩みを相談できる友達を作ったりするような、魔法なんかより地道で大変なことだった。でも、結局自分の人生の責任は自分が負うしかないし、人のせいになんて出来やしないんだから、魔法がなくたって問題を解決できるようにしなくちゃいけない。

だからこそ、大切なのは魔女見習いであることじゃなく、5人が仲間であることだったんだろう。何を話しても話さなくても、相談してもしなくても良い。長所も短所も受け止めてくれる、そんな居場所を作ることが必要なんだ。きっと「勇気」をもって助けを求めたり、「根気」強く人と向き合っていくことでそういう居場所を作れれば、魔法よりすごい魔法になって助けてくれるってことだ。

 

薬屋のひとりごと

俺は猫猫の人間らしさが好きだ。彼女は高い倫理基準を持ちながらも、基本的に自分の手の届く範囲のことに終始し、それ以外については傍観を決め込む。実に理性的で損得勘定が上手い。しかし、そんな彼女にも、これ以上踏み込むのは合理的でないと分かっていながらも、時々揺らぐ瞬間がある。そんな揺らぎを見ると、彼女もどうしようもなく人間なのだと分かって嬉しくなる。

今回でいえば、楼蘭に簪を渡す場面がその最たるものだろう。願掛けなどという非合理な手段をとってでも、何かせずにはいられなかった猫猫の心情が伝わってくるようだった。そして、そんな非合理なはずだった願掛けが、実際に楼蘭の命を救うことになるのだから、わからないものだ。

楼蘭の舞は、いつかの猫猫の舞と重なった。猫猫の舞は母を送り出すものだったが、楼蘭の舞は翠苓や残された子供たちを送り出すものだったように思う。ともあれ、楼蘭は本当に死ぬつもりだっただろう。だからこその離別の舞であったはずだ。しかし、彼女は生き残った。それは祈りが奇跡を起こしたかのような、美しい終わりで始まりだった。

あのラストを見てからOPを見ると、色々なことが想起される。狐の面が玉藻の前に繋ってたのか、とか、「石になったあなたの歌を」ってのは最終的に殺生石になる楼蘭のことだったのか、とか、映像が羽化なのも生まれ変わりに掛かってるのか、とか。

きっとOPだけじゃなく、随所にいろんな仕掛けがあるのだろう。大資本のアニメは少し引いて見てしまうこともあるが、これほどのクオリティのものをお出しされると素直に称賛せざるを得ない。お金が掛かっているだけじゃなく、手間も暇もアイデアも大量に掛かっている。そういうアニメが見れるのって、本当に幸せなことだ。

 

ヴィジランテ -僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-

ヴィジランテのキャラクターたちの地に足ついた地味さを見ると、本家ヒロアカのヒーローたちのキャラ立ちの凄さを実感する。最初はその地味さ故に最新話が更新されても食指が重かったが、9話で一気に跳ねてからは毎週楽しみになった。

特に12話は凄かった。ここでは、紘一やポップステップが人々の不安を取り除くために奮闘する裏で、きわめて個人的な目的の為に力を振るうナックルダスターが描かれる。彼等には共通してヒーロー免許はないが、紘一たちの目指すところがヒーロー行為である一方で、ナックルダスターはヒーローではなくあくまでヴィジランテであるということが浮き彫りになった。社会正義のためでなく個人的な目的のために力を使用する者はヒーローではない、これは本家ヒロアカでも描かれていることだ。俺はこの回を見て、この作品はヒーローになれなかった者の物語でなく、タイトルの通り正真正銘"ヴィジランテ"を描く物語なんだ、と気付いて襟を正した。

ナックルダスターは目的を成した。彼にはもうヴィジランテとして活動する理由がなくなり、紘一のモノローグによれば、今後紘一の部屋に来ることはなかったという。しかし、メインキャラクターがここで退場するなんて、にわかには信じがたいのもまた事実。別の形であれ何であれ、今後どこかで再登場してくれるだろうとは思っているので、それを楽しみにしながら今後も視聴したいと思う。

 

アポカリプスホテル

人間が出てこないからこその倫理の揺らぎが凄く魅力的だった。人間相手じゃないからこそ、許されることと許されないことの境界が曖昧で、ライン越えのギャグや展開も許容されている感じ。そういう倫理が曖昧ななかで、時には互いの地雷を踏んだり踏まれたりしながら相互理解を進めていく様が一貫して描かれていた。

様々なお客様との交流を通じて、最初はおもてなしの"形式"を重んじていたヤチヨさんが、おもてなしの"気持ち"を理解していくよう変化を見せたところが、この作品の一番大事な部分かも。

 

Summer Pockets

とりあえず120点。当アカウントは鳴瀬しろはさんをお慕いしております。

原風景みたいな夏休みに感じるノスタルジー、過去のKey作品のリフレインによって感じるノスタルジー、ループによって後半になるにつれ何気ない日常会話にすら感じるノスタルジー。それらが絡み合って強烈な情動となり襲いくる。やっぱ俺も、眩しさだけは忘れなかったみたい。

俺は正常な評価ができないのでオタクに聞いたら、紬の話は急すぎて乗り切れなかったみたいなことを聞いて、まぁそうだよね、、、とはなった。積み重ねた日常を失いたくないからこそ感情移入をしてしまうし、そこの描写が少ないと乗り切れないというのは納得。本編終わってからでもいいから、鳥白島少年団の皆とワイワイするだけのOVAとか作って欲しい。

 

鬼人幻燈抄

この作品は、鬼を討つのと同じくらい、鬼と人との関わり合いの話を描いていた。鬼だ人だと一括りにするのは簡単で、しかしそれぞれに抱えている事情があるということを描いていた。だからこそ、奈都と甚夜が袂を分かったのはあまりに悲しい。

奈都は甚夜に「私と同じだ」と言ったはずではなかったか。鬼だと分かる前と、何も変わっていないのではないか。しかし鬼であるという事実は、奈都にとってそれほど深い断絶だった。鬼になった父親から守ってもらった事実さえ、彼を父を殺したバケモノであると認識させてしまうほどに。

秋津染吾郎の「君らは鬼、どこまで行っても倒される側の存在や」という言葉が、今になってじわじわと効いて来る。鬼でありながら人の側で生きることを決めた甚夜への救いは本当にあるんだろうか。今はただ、現代編の穏やかな甚夜から、彼が救われていると信じるしかないが。

 

ウマ娘 シンデレラグレイ

ウマ娘3期以降コンテンツからめっきり離れていたけど、やっぱり物語が強い。展開がわかっていてもなお、レースは手に汗握る。

あと、純粋に差しや追込みのレースは見てて楽しい。タマモクロス宝塚記念とか、最後の秋天とか、仕掛ける直前まではわざとフレームアウトさせたり馬群に隠れるよう映しておいて、差すタイミングでズバッとフォーカスするのが王道にカッコ良すぎる。

 

真・侍伝 YAIBA

今期一の萌え「峰さやか」を擁するアニメーション。

めちゃくちゃテンポが良くて、視聴ストレスが全くない。原作をちょろっと読んだだけだが、アニオリにして圧縮している部分がかなり多い。八鬼のほぼ全員を3話でぶっ飛ばして、四天王全員を1話でボコすのは、あまりに思い切りが良すぎる。ドーパミン中毒のガキどもは全員YAIBAのアニメ見ろ。

アクションもかなり見応えがある。王様ランキングでも思ったけど、WITはアクションシーンのアニメへの昇華の仕方が上手すぎる。コマとコマの間を膨らませる想像力でいえば、WITに勝る会社ないと思う。きもちくしてくれてありがとう。

 

宇宙人ムーム

ムームーのこと、最初は何だコイツって思ってたけど、見てるとだんだんとかわいく思えてきて、いつの間にか「しょうがないにゃあ・・」になってた。

俺、ムームーで学んだ知識を職場で披露してるし、天空橋部長から学んだ知識で老人相手に無双してる梅屋敷桜子と一緒かもしれない。(トランス桜子)

 

日々は過ぎれど飯うまし

ストーリーテリングを行わず、積み重ねた日々の厚さで心を揺さぶる。最近のきららおよびきららフォロワーアニメに足りないものの全てがここにあるね。萌え萌え4コマはすぐストーリーに逃げる癖をやめろ。(チクチク)

 

mono

古賀葵さんがわーわー騒いでる時点で良いアニメなのは確定。

こういうのでいいんだよ。("こういうの"の基準が高すぎる男)

 

九龍ジェネリックロマンス

個人的には、もう少し工藤さんとレコぽんのラブ要素が欲しかったが、それはそれとして1クールで綺麗に纏まっていて面白かった。

工藤さんが情緒不安定すぎるの何とかならんかと思っていたら、それが世界の謎の根幹にガッツリ関わっていて仰天。結局工藤さんにとってレコぽんは水槽の中の金魚でしかなかったってことで、それをバシッと演出した12話ED入り前後の流れはマジで痺れた。ED映像が、夏まつりの屋台で金魚が並べられた状態から始まるの、この12話の流れを計算してのことだったんだ。

 

ロックは淑女の嗜みでして

この作品を見て、俺はあまり音楽を信じていないんだと分かった。作中でも触れられていたことだけど、大抵の人間はインストでどうやって盛り上がっていいのかわからないし、俺自身もそう。だから、いくら良い演奏をしたからといって、いくらわかりやすい構成にしたからといって、ロックレディの演奏がバッカスのワーキャーファンに届くことを信じることが出来ない。やっぱり俺にとっての音楽は歌詞ありき、物語ありきなんだよな。

あと、女の子は汚い言葉を使わないで欲しい。

 

プリンセッション・オーケストラ

女児アニメ版シンフォギアシンフォギア見たことないので知らんけど。

音楽とキャラはかなり好みで、その時点である程度の満足感が保証されてる。特にみなものキャラが結構変で面白い。頑張っている人を応援したいという強い気持ちがあるのは分かるけど、くじけそうになった時に自分で自分を鼓舞して復活できるの、あまりに自己完結型の狂戦士すぎるって。これって菜なれ花なれだっけ?

ただ、毎話似たり寄ったりの展開が続いており、正直ストーリーの見応えがあまりない。視聴者目線ではバンドスナッチの正体も割れているので、ここからそんなに話が持つビジョンも見えない。2クールぐらいで綺麗に纏まってくれると嬉しいが、女児アニメなので4クールやるんだろうか。

 

ある魔女が死ぬまで

かなり重いテーマだったが、メグ・ラズベリーの持ち前の明るさで、いい意味で軽く見ることが出来た。そういうキャラクターだからこそ、6話のような調子に乗る回がなければ逆に嘘くさかったとも思うし、バランス感覚もバッチリ。

後半は話のスケールが大きくなってストーリーとしては面白くなっていったものの、涙集めから目線がそれてしまった感じがあり少し残念。いつの間にか余命1年よりも、他の問題の方が大きくなりすぎており、どこにポジションを置いて見ればよいのか迷ってしまった感じがある。

 

ウィッチウォッチ

ギャグなので特に書くことがないが、生徒会の回では腹千切れるぐらい笑った。

ギャグにはある程度のストーリーラインがあった方が好みなのので、そこも良い。

 

ユア・フォルマ

ロボットに心はあるのか、みたいなものを扱う作品にイマイチ乗れないがちだけど、こちらも例に漏れずといったところ。アポホテは大丈夫だったんだけど、何が違いなのかは自分でもイマイチ分かっていない。

そんな感じでぼんやり見てたら、途中全然キャラクターの名前が分からなくなって焦った。馬鹿に難しいアニメは見れないわ。

 

この恋で鼻血を止めて

Live 2Dと手描きアニメを組み合わせたみたいな独特な画作り。これはリミテッドアニメーションに縛られていない文化圏からしか出てこない画かもしれない。

矢継ぎ早のギャグにノリが合えば前半は楽しめるが、後半のシリアスにはちょっと乗れなかった。

本国で全24話だったものを12話までしか放映してないという話と、全24話を切り貼りしてギュッと12話に押し込めたという話を目にしたが、結局どっちなんだろうか。

 

機動戦士Gundam GQuuuuuuX

面白かったけど、もう少しニャアン側の掘り下げ欲しかった。

これ以外の書きたいこと書くと変なファンに怒られそうだから、あとは書かない。

 

ざつ旅 -That's Journey-

・旅に成長とか学びとか求めるのやめてくれないか。

・2話から感動路線になってたの、早すぎると思うよ。

・お前と旅行するの息苦しいよ。(西川)

の三本でお届け。

 

コウペンちゃん

誰でもいいから誰かに肯定して貰いたい俺

 VS

無条件の肯定が本当に嬉しいのかよと思う俺

 

ギャグマンガ日和GO

麻雀回ってアニメ化してなかったんだ、意外。

 

おいでよ 魔法少女村(不法占拠)

おいでよ~。

話数単位で選ぶ、2024年TVアニメ10選

めちゃくちゃ遅刻したので件の集計には参加していませんし、文字だけのやっつけですが、せっかく久々に書いたので供養させてください。

 

 

 

 

カミエラビ 第21話「当たり前じゃん、私……なんだから」

物語の構造に干渉することで神の存在を描く、という挑戦的すぎる回。21-22話を合わせて見てこそ真に恐ろしいのだけれど、単話しか選べないということで21話を選出。

理外の存在を描くのだから、同じシーンのリフレインで台詞が変わっていたり、過去回想に介入したり、演出面にまで言及したり、とにかく掟破りの型破り。それでいて、視聴者に向けて語りかけるなどの次元の壁を越えるようなことはせず、あくまで物語の中で物語の構造を壊すというところに留まっている。おかげで視聴者目線の物語としては全然破綻していない。そういうバランス感覚のよさまで含めて、極めて完成度の高い回だった。

 


ガールズバンドクライ 第2話「夜行性の生き物3匹」

全話甲乙つけ難いぐらい好きではあるんだけど、ここは泣く泣く2話を選出。

この作品は全編通してキャラクターの立ち位置で心情や関係性を演出することの多いアニメだったが、特に2話、6話、8話あたりの立ち位置アニメーションぶりがお気に入り。

この2話はすばるちゃん登場回なだけあって彼女の立ち位置が秀逸。登場から最終盤までは基本桃香さんの側にいて仁菜と対面する構図を作り続けてるし、仁菜の部屋に来た時には、スーッと仁菜の背後に回ってフェードアウトして桃香と仁菜の2人だけの構図を作るし、最後は桃香と一緒に仁菜を挟んで、2人の輪の中に仁菜がいる構図を作る。「このキャラクターならここに立つだろう」という自然な動きに演出の都合がバッチリ噛み合っていて、本当に見ていて気持ちが良い。

加えて2話は天井のランプが分かりやすく希望のメタファーで、これもまた気持ち良い。きれいな光じゃなくて不格好なボロボロのライトっていうのも良いし、それすら一人ではつけられないってのがらしさだと思う。

 

 

ぷにるは可愛いスライム 第6話 「ルンルーンだらけのGP(グランプリ)ぷにるもあるよ!」

順当に行けば7話が選出されると断言できるぐらい頭一つ抜けた回だったと思うが、個人的に6話が刺さりすぎて選出。ルンルーンだらけのGP後の御金賀アリスさんの叫び、本当に心に響いた。
ぷにるのキャラクターは皆各々に確固たる「好き」があって、そこに素直で忠実だけど、主人公のコタローだけは世間体を気にして愛を叫べないでいる。そんなコタローが「皆あっちの方が気に入ってるんだから」って言いながら無意識にアリスの好きを歪めようとしてるのはあまりに皮肉だったし、アリスがそれを跳ね返してくれたのが本当に嬉しかった。
大きな流れに好きを歪められそうになったとき、それを跳ねっ返せるぐらい自信を持って好きでいたいよな。「好きなものだけが好きですわ」の精神、本当に大事だよな。

 

 

オーイ!とんぼ 第18話「生涯の平均ストローク

遊びのゴルフから競技ゴルフの世界へ身を投じたばかりのとんぼに対して、亡くなった夫の影響でゴルフを始めた島さんの存在が、対比的だけど重なり合う部分も大きく、優しく染みて良かった。プロになるだけがゴルフではない、とポジディブな意味で示してくれる島さんの存在は、とんぼに限らず同組で回っていた他2人にまでポジティブに作用した。

対戦相手がどうか、目標を達成できるかどうか、ではなく、自分の設定した目標に向けた助走に一喜一憂することもまた本気で取り組むことだと示してくれたおかげで、作品としての幅も広がったとも思う。ゴルフの「他人との競い合いがなくても成立するスポーツ」という特徴を拾い上げて精神的な成長描写に昇華するというところにゴルフへの愛を感じたし、「ゴルフは紳士淑女になるためのスポーツ」という支配人の言葉をも体現するような、すごく素敵な回だった。

 

 

きのこいぬ 第11話 「きのこいぬ うみへいく」

どの話見ても泣きそうになるんだけど、一つ選ぶならこの11話。

あゆみくんの「きのこいぬって、人の話聞いてないですよね」って台詞が凄く好き。確かにきのこいぬって人語を解するとはいえ、凄く自分に忠実でわがまま。でも、そこがきのこいぬの愛らしくて可愛いところ。何より、人の話を聞かずに、人の顔色伺うことなく、自分の思いだけで好きを伝えてくれたり、励ましてくれたりする。それって、何だか一番純粋な愛な気がする。だから、この台詞を聞けたこの話を選ぶことにした。

 

 

ぽんのみち 第10話(東十局)「みんなのメニ―クリスマス!」

我が町尾道のアニメであるぽんのみちからは、10話を選出。

ぽんのみちはキャラクターの掛け合いが好きなアニメだったが、特に跳の良さが出ていたと思うのがこの10話。

皆のノリに振り回される跳、イベントごとにお呼ばれしたのが嬉しくて早く着きすぎちゃう跳、家の外で皆と距離を保ちながら黙々と作業するも結構楽しんでいる跳。この回、欲しい跳が全部あるし、受け身なだけじゃなくて、イカサマされたときに強く出れる跳も見れたのが嬉しい。他の皆と距離感は違えど、立場やパワーバランスは対等の友達なの、素敵コミュニティすぎる。

この回に限らず、距離感や温度感の違う跳の存在は素晴らしいアクセントになってると思うし、だからこのアニメが好きなんだと気付かされた良い回だったので、この回を選出した。


夏目友人帳 漆 第十一話「名前を教えて」

夏目友人帳漆からは11話を選出。この回は夏目レイコの話だが、これまで明かされてきたキャラクターの輪郭じゃなく、内面に触れることができた初めての話だった。

これまで描かれた夏目レイコの輪郭は、「人も妖も嫌い」と言い誰彼構わず勝負を吹っ掛けていく無頼者、というようなものだった。しかし、妖から伝え聞く彼女の噂は、イメージとは妙にズレたものもあり不思議だったのだが、今回の話でそれが何だったのか分かった気がする。

これまで私が見てきた夏目レイコは、彼女が作った鎧だったんだな。臆病で強がりで、本当は人のことを信じたくて、でも裏切られ続けてきた彼女が作った強がりの殻。それが今まで俺達が見てきた夏目レイコの輪郭だったんだ。

夏目レイコと守永蒼子の関係は、すれ違いによって終わった。生きていれば、どちらが悪いでもなく、ままならないことや思い通りに行かないことに遭遇するけれど、そこにあった心までなかったことにはしたくない。それを確かに掬い上げる手があることが、こんなにも嬉しいんだって思わされた。

 

 

烏は主を選ばない 第12話「后選び」

権謀術数渦巻く権力闘争の物語から12話がノミネート。
この話の見せ場は、なんといっても東家の姫あせびの君と若宮様が相対するシーン。あせびの君を上手に、2人を真横から捉えるカメラ。次いでキャラクターのアップが数カット挟まったのち、元の逆位置にカメラが収まる。ここの演出は正直鳥肌が立った。

この一連のカメラワークにより上手下手が反転して話の主導権が移ったことを示しつつ、背景が満開の桜から桜花宮に切り替わることで、これから始まる話がキラキラした恋物語ではなく、桜花宮という檻の中の厳しい現実なんだと予感させ、更にあせびの君と若宮の胸中をも重ね合わせて演出している。

たったの数カットに詰め込まれた情報密度が高すぎて、めちゃくちゃに痺れた。どんだけ演出上手いんだよって。
烏は主を選ばないから選出するにあたって、11話や13話も捨てがたかったけど、この演出がいつまでも忘れられなくて、それ一本で選んだところがある。未見の方は是非見て欲しい。

 

 

響け!ユーフォニアム3 第12話「さいごのソリスト

今年はこのアニメ抜きには語れないし、この12話抜きには語れない。それぐらい賛否両論巻き起こした回だけど、個人的には原作を読んだ上で、この結論で良かったと思う。

12話は証明の話で、より音楽に向き合った者がソロの座を勝ち取った、音は嘘をつかなかった、そういう話だと思う。

11話で「公平にオーディションで競い合いたい」ってのを真由に「それは久美子ちゃんの本心じゃない」って否定されるシーン、真由からみたらまぁそうだったんだろう。久美子は北宇治の部長としてのポジショントークしかしてくれないって。

でも、久美子からしたら違う。久美子は北宇治の人間で、北宇治は実力主義という"正しさ"に誇りを持っている。久美子はその"正しさ"があったから、北宇治がここまでこれたことを知ってるし、それが自分を強くしたことも知ってるし、麗奈との"特別"の核であることも知っている。

だから、それを手放すわけにはいかない。北宇治としての正しさってのが、今の、麗奈と対等でいられる、特別で誇れる自分を作ってくれたから、自分の感情より大事だったんだろう。北宇治にこそ彼女のアイデンティティがあって、それゆえに久美子はその正しさを遵守できる"なりたい自分"になるために執着した。久美子にとっての北宇治は、リズにとっての青い鳥なんだ。久美子にとって音大という進路がピンとこなかったのも、鎧塚みぞれに「音大で吹いてる姿が想像できない」と言われて気がついたんだ。ああ、私にとっての青い鳥は"音楽"や"吹奏楽"じゃなくて"北宇治"で、その北宇治の根幹にある"正しさ"なんだ、って。それが真由には分からなかったんだろう。

対して、真由にも執着はあった。真由の捨てられないものは、真摯に音を楽しむこと。彼女はそこに自覚的でなかったから、彼女自身も苦しんだんだろうね。でも、彼女の唯一の執着が音に嘘をつかないことだったのだとしたら、オーディションで真由が勝ったのも、私は納得できる。

勿論、長い間久美子の視点でこの物語を観てきたわけだから、久美子に吹いて欲しかった、と思う気持ちは私にもある。でも、真由はソロを勝ち取ったことで音に嘘をつかず真摯に向き合った証明を得て、久美子は、その後誰ひとり欠けることなく北宇治で全国金賞を手にしたことで北宇治の"正しさ"の証明を得た。それぞれがそれぞれの一番を選び、選ばれた。その結論に、残酷だけど一番しっくりきてしまったんだよな。

 

 

無職転生Ⅱ 第24話「嗣ぐ」

無職転生Ⅱは、ルーデウスがこの世界に根を張るための物語だった。
無職転生はルーデウスの一人称視点の話で、彼のモノローグを中心に物語が進む。そして、そのモノローグのCVは杉田智和さん故、彼の人格のベースは未だに前世の男にあって、彼がルーデウスというアバターを通して、俯瞰して世界を見ている、という構図が生まれる。実際、ルーデウスのゼニス評などを聞くと、続柄上親というだけの他人だと思っていたのが分かるし、彼はこの世界で生きるルーデウスという人間を、心の深いところで自分事だと捉えてきれていない。
だからこそ、24話でモノローグを殆ど使わなかったことに心動かされた。モノローグを排するということはつまり、この世界を俯瞰して見ることなく、自分がルーデウス・グレイラットであるということを受け入れて、この世界の人々と同じ目線で生きていく決意をした、ということだと思う。

結婚、出産、兄弟喧嘩、親との死別。無職転生Ⅱは徹底して家族の話で、その家族との繋がりが、宙ぶらりんだったルーデウスをこの世界の輪に繋ぎ止めた。だから、集大成の24話が、それに応える回になっているのがとても美しくて大好きだ。

2022秋アニメ

お久しぶりです、くぼはじめです。

もう冬アニメも折り返しですが、秋アニメの感想を書いたのでよろしければ読んでください。

 

 

Do It Yourself!!

ディスイズ秋アニメナンバワン大好きアニメイショーンッ!(二枚屋王悦)

線の数が少なく影も最小限で整理された画面は見やすさがありつつ、動きにはバッチリ気合が入った本当に楽しいアニメでした。特に、何かを作っているの手つきには見入るものがありましたね。手を動かして頭の中にあるものを形にする楽しさが、これでもかってぐらい詰まっていたと思います。たくみんの匠の手付き、サイコー!

何を作ろうかと思案して、材料から調達して、あれこれ試行錯誤しながら作っていって、そして完成したときには達成感を分かち合える仲間がいて。もう最高だよね。そして、想像を形にする楽しさを何より知ってるアニメーターさん達がそれを本当に楽しそうに描くものだから、キャラクターからだけじゃなく作り手側からもその気持ちよさを共有してくれてる気がして、本当に見ていて楽しかったです。何気ないカットにも動きで表情がついていたりして、animationって、命を吹き込むってこういうことなんだろうねって思ったり。決して潤沢じゃないであろう制作資金の中で、ここだけは譲れないというこだわりが見える作画、そういうの大好きよ。

せるふがいっぱい失敗しながら部長に教えてもらってるかと思えば、たくみんが周りには目もくれず黙々と好きなことやってるのを見て、このアニメはとても良いアニメだなと思ったよね。ジョブ子が自分で考えながら色々アレンジしちゃうところとか、しーが一つのことに興味が出たらひたすらそれやっちゃうところとか、各々の自由が尊重されて許容されている自由さも、このアニメの良いところ。皆で一つのことに取り組むときも、自分のやりたいことを各々がやって、それってとっても健全な楽しみ方だよなぁと思うのです。やりたくないことやらされることなんか一回もなくて、やりたい人がやりたいことをやって回ってる関係ってとっても素敵です。

そして、それが出来ていたのは紛れもなく部長のおかげでした。各々にやりたいことをやらせてあげて、指導役までうっきうきで買って出ちゃう部長、本当に可愛くて良い人で、この人の存在ありきで回っていたアニメだったと思います。部長がみんなを見守る時の優しい眼差したるや。新しいことに挑戦するとき、勇気を出して踏み出したとき、それを暖かく見守ってくれる人がいるんだよね。そういう視線を作中に繰り返し登場させてくれたのが、この作品で一番好きなところです。それは、ある時には治子先生や部長が生徒(後輩)達を見守る時の眼差しで、またある時はジョブ子ママやせるふママが娘達の成長を見つめる眼差しで、でも、やっぱり作中で一番眼差しが描かれたのはぷりんでした。

彼女がせるふを見つめるのは大抵が窓越しで、近くに見えているのに踏み出せない彼女の気持ちが伝わります。1話で、せるふが湯女ではなく潟女に行くと聞いて思わず閉めてしまった窓ガラスが、いつしかぷりんにとっては越えられない壁となってしまったかのようです。

一度開いてしまった心の距離を丁寧に少しづつニュートラルに戻していく描写は秀逸で、話数が進むにつれ少しずつ二人の距離は元に戻っていきます。しかし、どれだけ距離が近づいても、ぷりんからその窓を開けることは出来ないのですよね。だから、10話でせるふが窓越しの視線に気が付いて、その壁をぶち壊して手を差し伸べてくれた時は本当に嬉しかったです。

多分せるふからしたら別にどうってことないことで、最初から最後まで変わらずぷりんに接しているんですよ。でも、ここまで10話という尺を使って描かれてきた丁寧なぷりんの気持ちの変化があったからこそ、あの描写はぷりんにとっての救いになり得たわけで、なんて丁寧に救いを描くアニメなんだと思いましたよね。

そして、そこで感動できたのはやっぱり、彼女がせるふに向ける眼差しが絶えず描かれていたからこそなんですよ。彼女の眼差しを見れば、今どんな気持ちを抱いているのかが如実に読み取れて、それを知ればこそ、視聴者である我々もぷりんに感情移入できたので。

このアニメを見て、ぼんやりと自分の中にあった、見守ってくれる眼差しに思いを馳せる嬉しさ、というのでしょうか、それが形になって理解されたような気がします。アニメや漫画を読むことは、好きを再確認する作業であると同時に、自分の中に視点や考え方を増やす作業でもあって、そういう気付きのあった作品はやはり自分の中で特別な存在になっていきます。この作品はそういう意味でも素晴らしく心に残り、これから私は事あるごとに思い出す作品になるでしょう。好きを再確認する作業の中で、好きが増えていくって、なんて素晴らしいことなんでしょうね。

 

アークナイツ

ソシャゲアニメに懐疑的な私もこれにはニッコリ。内容は笑顔で見れるようなものじゃないですけど……。

このアニメ、構図のとり方にはかなり気を遣っているように見えて、それを気にしながら見るととても楽しめたなと思います。縦が狭く奥行きを出すのが難しそうなシネスコの画面で、前景と後景に効果的に人やモノを配置して奥行きを表現したり、逆に横が広いという特性を生かして、左右に向かい合う構図や横並びの構図を多用して、独特のアス比を演出に昇華できていた印象があります。特に、向かい合う構図を活かした対比的な表現には目を見張るものがありました。

また、引きの構図を効果的に使いながらも、基本望遠でキャラクターのバストアップや顔のアップで写す"寄り"の構図が多かったのも印象的でした。寄りが多いのはキャラクターの表情による芝居を多用したが故だと思うのですが、バストアップにしても左右に空いた空間から背景や他のキャラクターが映り込み、キャラクターの位置関係や状況が十分に把握できるのも、横が広いことによる副次的な効果でしょう。また、前景に人やモノを配置して、時には主題さえも遮るような配置を多用することで、カメラ(=視聴者)がその場に存在しているかのような臨場感があり、視聴に緊張感が生まれていたのも良かったです。それが縦に狭いアスペクト比から来る圧迫感や不安定さ、そして作中の状況から来る緊迫感と見事に噛み合っていて、とても没入できる作品になっていたと感じます。

演出もキレッキレで、最終話のスカルシュレッダー(ミーシャ)絡みの演出なんかは特に凄かったですね。目元や表情で語ることが多いアニメだったからこそ、最終話ではミーシャの表情が徹底的に隠されており、その心の内を視聴者に想像させる余白を残したのが抜群でした。ミーシャの表情が写るのは、「スカルシュレッダーを立ち上がらせる」と決意した瞬間のワンカットだけで、その冷たい目と言葉の重みには背筋が凍るようでした。

スカルシュレッダーの復活に後光を背負わせ、あたかも神の奇跡のように描いておきながら、その散り際を生々しくあっけない人間の死として描くところなんかも、とんでもないなこのアニメと思わされましたよね。神であるかのように描いた少女を、ただの人間に戻してしまったこのこの描写は、あまりにも非情で残酷で、しかしこれ以上ない現実です。死人が蘇ることなどない、奇跡など起こりはしないのだと、非情な現実を突きつけて、だからこそアーミヤは選択をしなければいけないのだと、そう語り掛けてくるようでした。

こうした素晴らしい画面構成及び演出に支えられて描かれたのは、アーミヤという少女の選択と葛藤でした。彼女の個人的な感情と、組織の上に立つ人間として為さねばならぬことは違っていて、その乖離が彼女を苦しめます。この戦時下で組織の上に立つには、彼女はあまりにも若く、そして優しすぎたのかもしれません。しかし、「感染者と非感染者双方を救う」という理想論を掲げる彼女がトップであるからこそ、ロドスという組織があるとも言えます。理想がなければやってられませんよ、こんなことは。だからこそ、彼女は悩みながらも選択を続けるしかないのですよね。

私も彼女たちの行く末を見届けたいな、という気持ちはありつつ、もうソシャゲに手を出すのは懲り懲りなんだよなぁという気持ちもあって、ちょっぴり複雑な気持ちです。黎明編と銘打つぐらいですから、アニメで続きが描かれることを信じて、続編を待ってみようと思います。その間、皆さんはYostarにお金を落としてくださると幸いです。

 

モブサイコⅢ

これまでの全てはこの3期のため、モブが普通の学生生活の1ページを手にするための物語でした。原作を読んでた時には特に意識してなかったんですけど、モブサイコって「コミュニケーションの話」だったんですね。そういう旨のフォロワーのツイートを読んで、これまでの全てが繋がった感覚がありました、ありがとう。

振り返ってみると、特にこの3期はビックリするぐらい綺麗に纏まっています。3期は最初からエクボとの対話や脳幹電波部との対話が話の中心にあって、最期のエピソードも霊幻師匠との対話であり、つぼみちゃんとの対話であり、内に秘めたる自分自身との対話でした。最終回では「恋愛対象として見たことがないからわからない」とつぼみちゃんにフラれたモブですが、エピローグでは彼女と文通していることも明かされます。フラれたからってそこで終わらなくて、わかろうと努力してくれるのもまたコミュニケーションで、本当に最後まで徹底しているんですよね。

そしてまた、そのエピローグが美しいんですよ。コミュニケーションの果てに、モブが本当に望んでいた普通の学生生活の一ページを手にすることができた様子が描かれて、終いには霊幻師匠が救われちゃうご褒美もあったりしてね。

霊幻新隆という男は本当に胡散臭いしやってることも詐欺まがいで決して褒められた人間ではありませんが、それは彼が何者にもなれない自分に抗った末に作り出した人格で、彼なりの鎧なんですよね。本当の彼ってどうしようもない程に真っ当な常識人で、どんなに取り繕っても真人間なところが見えてしまうから憎めないんです。大人が子供を教え導くことを当然のことだと思っているところとかさ、モブのことを利用できるだけ利用してやろうなんて思う人間だったら出ない考えだもの。

だから、最終回で師匠がみんなに誕生日を祝われて、本当に嬉しかったです。彼はまだ本当の自分のことが嫌いだったかもしれないけど、真実を知ったモブがそれでもなお「霊幻師匠」って呼んでいるんだから、周りの人間はその仮面の下から覗く真人間なところも含めて皆彼のことが大好きだって、気付いたはずなんですよね。

彼はモブに「そのままの自分を受け入れてやれ」って言っていたけれど、それは何もモブだけじゃなくて、自分にも向けていい言葉なんだって思えるはずです。彼はこの後も仮面をかぶったまま生きていくのでしょうが、自分を曝け出しても肯定されたことは間違いなく彼の救いになったはずなんです。

全てを曝け出してなお、モブと師匠の関係が続いていくことがこんなに嬉しいなんて、多分私も彼のことが大好きなんでしょう。願わくば、この不思議な関係の少し先を、ちょっとだけ覗き見してみたいものです。

 

ヤマノススメNS

DIY、ぼっちざろっくに並ぶ、秋アニメ三大作画気持ちいいアニメーションの一角。

NSは初の30分枠でのヤマノススメということで、とんでもなく気合入ってましたね。前半4話は総集編なのもあって実質的な尺で言えば1クールの30分アニメには満たないですけど、ほのかちゃんの出番が増えたりかすみさんたちとの絡みが増えたり小春部長が参戦したりと、キャラクターを増やしても描き切れるだけの尺の余裕があるぞと言わんばかりの貫禄がありました。

15分2本立てで見ると、前後半での各回の作家性の違いを見るのも面白かったですね。この回は崩し多くて動き重視だなーとか、この回はデフォルメ多くて正統派に萌えアニメしてるなーとか、この回はパースの効いた構図多いなぁとかそんな程度の理解度ですけど、各回のノリの違いを見るのが一つの楽しみになっていて、スタッフ陣に詳しいオタクたちの楽しみ方を垣間見れたような気持ちです。ヤマノススメNSってもしかしてスペース☆ダンディなのかも。

そして、キャラクターが増えたのに伴って、あおいたちの世界が広がっていったのもまた素晴らしかったです。 物語の最大の見せ場としてはやはり富士山リベンジだったのでしょうが、それとは別に、1クールアニメとしてのNSはあおいの世界が広がるお話を中心に構成されていた気がします。同じ登山好きの友達と趣味でやっていた登山しか知らなかったあおいが、競技としての登山や、写真を撮ることが目的の登山などを知っていって、登山以外にもカヌー体験や渓流釣りにかすみさん達との登山なんかも経て、狭かった世界がどんどんと広がっていきました。そして、異なる価値観や文化圏との交流を経て、最後にクラスメイトとの天覧山登山があったのが構成として何とまぁ美しい……。これまでのシリーズを通した最終回が富士山リベンジだとするならば、NSとして描きたかった事の最終回はクラスメイトとの天覧山だったよなと。今まで内輪での関わりに終始していたあおいが、一番関わり方が分からなかったクラスメイト達と天覧山に行くんだもんね、いい最終回(プレ)でしたよホントに。

富士山リベンジを果たしたことで、ひとまずヤマノススメのアニメシリーズは一段落ついた感じがあります。これからどうなっていくのでしょうね、楽しみです。

 

ぼっち・ざ・ろっく

後藤ひとりさんの反応を見るだけで面白い、とっても凄いアニメーション。ぼっちちゃんの姿かたちや心情を表すには既存のアニメ表現だけでは足りないようで、粘土やフェルト人形を使ったりと実写まで取り入れる発想の自由さが飛び抜けてましたよね。こういうお金をかけた遊び、大好きよ。私の中のメイジン・カワグチが「敢えて言おう、アニメは自由だ!」って絶叫してました。

結束バンドの皆が、明らかな異物であるぼっちちゃんを受け入れてくれて、なんだかんだで馴染んでるのが本当に微笑ましくてねぇ、好き。 彼女のカラーリングも、信号機カラーから見れば異物感があって、でも戦隊モノで言えば紅一点のポジションに馴染むし、なんというか絶妙ですよね。ぼっちちゃん総受け概念にカラーリングからマッチしている感じ。

結束バンドの皆が、ぼっちちゃんに目線の高さを(物理的&精神的に)合わせようとしてくれたのは本当何でなんでしょうね。地雷を踏み抜きながら、ドン引きしながらも、それでも歩み寄ってきてくれたのは、本当に人に恵まれましたよね。そんでもって、結束バンドの面々がちゃんと地雷を踏んでくれる人間で、本当に良かったです。

地雷を踏まない人間で言えば後藤ママが真っ先に思い浮かびますけど、この人はこの人で凄かったです。発作を起こして結束バンドの面々ではお手上げ状態のぼっちを一発で現実に引き戻していたりとか、ぼっちちゃんの扱いに関しては、まだまだママに一日の長があって、子供のことよく見てるんだなぁと感心してしまいました。ぼっちちゃんにとって家が絶対に安心できる居場所としてあるのは、家族の存在も大きかったことでしょう。

でも、それだけじゃ後藤ひとりはだめだったんだなって、彼女のステージングを見ると強く思うんです。オーディションで勝ち取ったライブの時も、文化祭ライブの時も、やらなきゃいけない環境に追い込まれた時の後藤ひとりの底力には凄まじいものがあって、彼女は自室でぬくぬくインターネットだけのギターヒーローをやっている場合じゃないんです。

多分、関わる人が皆ママみたいにぼっちちゃんへの距離感が完璧な人間だったら、皆遠巻きに彼女を眺めるだけで終わってしまって、彼女はぬくぬく自室で一生を終えていた気がします。だから、結束バンドの皆やきくりさんみたいに、強引に地雷を踏んででも近づいてきてくれて、外に引っ張り出してくれる人間に出会えたことって、彼女にとって本当に大きかったなと思うのです。

作画とか、楽曲のクオリティとか、とんでもポイントは沢山あって、本当に凄いアニメでした。人気過ぎて自分のアニメじゃないなと思っていたのに、ここまでのもの叩きつけられたら認めざるを得ないのが、ちょっと悔しくて、でもとても嬉しいです。

 

後宮の烏

烏妃様、好き。不器用で優しい人が好き。普段はクールなのに食べ物で釣られちゃうチョロいところが好き。人と関わった経験が薄いからこその真っすぐさや純粋さが好き。深く考えもせず放った酷い言葉をそっくりそのまま返されて、ムッとしちゃうけど言い返せないところが好き。とにかくこの烏妃様の置かれた境遇が切なくて、そんな境遇であっても優しさを捨てられない烏妃様に心を痛めながら見るアニメでした。

みんな籠の中の鳥

いつか抜け出す日夢見

俗世から隔絶された後宮という檻の閉塞感は凄まじく、烏妃様に限らず他の妃や侍女、宦官や帝に至るまで、皆が籠の中の鳥なのでしょう。そんな後宮のしがらみに絡めとられて非業の死を遂げた者の鎮魂を中心に物語は進みます。第1話でモブ侍女が「仕方ないわよ。私たちは一生ここから出られないのだから」と何食わぬトーンで言ったことが、ここまで重くのしかかってくるものだったとは。

一際重い業によって後宮に縛り付けられている烏妃様は、死して尚この場所に縛られている彼らを捨て置くことはできません。彼女は人一倍共感能力が高くって、死者の思いですら捨て置けなくて、不器用ながらも思いを汲もうとしてくれる人だから、みんな彼女が好きでなんですけどね。彼女の言葉や行動は、ときに尖っていたりもするけれど、それは不器用な彼女なりの優しさで、上手くそれを表に出せないだけなんです。そんな彼女の周りに、少しずつ人が集まっていく様子を見るのはとても嬉しいものでした。

この作品で大丈夫かな、、、と思ってハラハラしちゃったのは、彼女がその身の上を帝に「哀れ」だと評されたときです。作中で彼女が感情失禁してしまった場面は作中でもその一度だけで、しかし、その感情の吐露は冰月の乱入によって中断してしまっています。それでなくても感情を吐き出すのが上手ではない彼女のことだから、そのことで溢れ出した感情を上手く消化できないでパンクしたりはしまいか、という心配がありました。でも、それも杞憂でしたね。その後に、帝が烏妃の真実と寿雪様の心を慮って、対等な王となり、歴代烏妃に敬意を払い、そして友人となることを誓ってくれましたから。一度ハラハラさせながらも最後にはちゃんと救いを描いてくれるの、アニメがお上手すぎる。

私が常々言っていることなんですけど、誰かを救う立場の人間には、同じだけ救われて欲しいんですよね。完璧な人間なんていやしないんだから、与えるだけの立場と与えられるだけの立場で成り立ってる関係って、本当にとても危ういと思うんですよ。だから、こういうお互いに救いのある関係であるかどうかって、私にとってはかなり重視している部分で、そういうのが描かれていると「良い作品だな」って思えるんです。

 

新米錬金術師の店舗経営

アイリスさんが不憫な目に合ってるだけでめちゃくちゃ嬉しくなるこのアニメ、天才すぎる。基本ゆるふわーな感じなのに、要所要所でめちゃくちゃシビアな描写が入るの、ギャップで風邪ひいちゃいますよ。アイリスさん、結構エグめの失敗したり不幸な目に合っていて、普通ならめちゃくちゃ可哀想なはずなのに、持ち前の明るさやお調子者気質のお陰で「お、今日もやってんね~^^」ぐらいに感じられるの、本当に良いキャラしてますよね。 しかも、本人はどんな場面でも至って真面目ですし。

ちゃんと店舗経営のお話を中心にやってくれたのも良かったですね。地域密着型錬金術店ということで、ご近所づきあいのサービスも兼ねてですが、あくまでWin-Winな商売を心掛けているのもニクいです。人の命をお金に換算する厳しい一面もあったりして、人助けやご近所づきあいであっても、ちゃんと互いの利になることしかしないというのが徹底されていました。こんなこと言っちゃうと角が立つのですが、なろうなのにちゃんと経営アニメしてるなというのが、結構驚いた点でもあります。

また、経営アニメとしては、特に最終話、商会の申し出を断って店舗経営を続けるという結論に安易に至らなかったのが本当に偉かったです。一時は悩むけど、村の人たちに必要とされていることを実感して店を続けることを決意する流れかなーと思って見ていましたけど、良い意味で予想を裏切ってくれました。

村の人たちの感謝と商会の人たちの思い、どちらも受け取った上で、その感情に身を委ねることはせず、ちゃんと経営者の目線で第三の選択肢を導き出したその姿に、不覚にも感動しちゃいましたよね。しかも、ここでもちゃんとwin-winな関係が念頭にあって、互いが利益を得ることがサラサさんの基本の考え方なんだなって分かるんですよ。1話では「商売のことなんて何も知りません!」なんて言っていたのに、酸いも甘いも噛み分けてちゃんと経営者の思考になってるんだなぁって。正に、「新米錬金術師の店舗経営術」の看板に偽りなしといったところです。

なろうアニメは名作しか見ないと決めている私が見たこのアニメは、間違いなく名作です。そして、これでまた「高尾奏音さんがヒロインのCVを担当するなろうアニメ」説が補強されました。皆も「高尾奏音さんがヒロインのCVを担当するなろうアニメ」は見た方が良いですよ、名作なので。

 

不徳のギルド

私もどうやら、不徳のギルドが好きな方の性別だったみたいです。(サムネイルがちょっと不徳な配信ver.だということは……)

ま、冗談はさておき、私は直接的なエロ描写がある作品ってあまり得意ではないんですけど、この作品は珍しく大丈夫なタイプでした。ちゃんと話の笑い所やオチにエロがあることが多くて、明るく笑えるエロだったのがとても良かったなぁと。最後には伏線回収的な設定の開示もありましたし、作者の性癖をオブラートに包んで、「これは必要なエロなんです!!!」って言って出すのが本当に上手かった気がしますね。決して私がむっつりスケベのエロガキということではございません、決してね。

vsヨケグモ戦で、え、ちゃんとした戦闘もやるんだっていうのも、良い意味で裏切られましたよね。エロコメ一辺倒じゃない振れ幅をもっていて、ちゃんとそれがオモシロいのも流石としか。それに、ヨケグモ戦ではトキシッコ・ダナーちゃんの活躍もありましたし。(トキシッコ・ダナーちゃん激推しおぢさん)

久々にアニメキャラに恋する感覚も思い出せて、とても良いアニメでした。フォロワーのエロガキさんたちも円盤を買っていたみたいですし、2期来ないかなぁ……。(他力本願)

 

BLEACH 千年血戦篇

BLEACH最終章、待望のアニメ化ですよ。今までのテレビシリーズとは気合の入りようが明らかに違っていて、尺稼ぎのためのアニオリを散々やってきたBLEACHが、クオリティを維持するためにむしろ分割にしちゃう始末。超絶クオリティの演出・作画に加えて原作では明かされなかった初出しの設定や補完までしちゃって、あまりの情報量の多さに毎週感動しながら見てましたね。

原作はオサレオサレ言われてますけど、今回のアニメ化に関してはそれに負けず劣らずのオサレを醸し出せていたのも凄かったですよね。斬月の正体判明の時にNumber One(一護のテーマ)がBGMとして流れるのとかもオサレすぎて普通に泡吹いて倒れましたし、毎週次回予告のポエムがあったり、各話始まりのサブタイトルの出し方まで凄くて、オサレ度数相当高かったです。こんなクオリティのものをみせてくれるなら、分割も全然ウェルカムです。そもそもアニメ化までに待った年数を考えれば、数か月程度訳ないですよ。

久保先生と森田成一さんの対談記事で、2クール目では原作では描けなかった戦闘が追加されるって書いてあって、もう今からワクワクがさぁ……!!! 2クール目PVでは、平子が原作に無かった卍解しそうな台詞喋ってるし、これもう絶対平子が卍解して戦ってくれるやつじゃん。 小学生の頃から平子真子一筋だった私がようやく報われるのかと思うと、感慨深いものがあります。

これで平子戦じゃなかったら泣いちゃうかもしれないけど、何にせよ新規戦闘があるだけで嬉しい限り。これといい初代護艇十三隊といい新規台詞の追加といい、「総監修・久保帯人」のパワーってやっぱり凄いですね。久保帯人先生、この仕事が終わったら、BTWや獄頤鳴鳴篇の続きも是非お待ちしております。

 

チェンソーマン

原作が元々大人気だったこともあって、製作委員会方式でなくMAPPA資本100%という異例の製作方式を採用したり、OP米津玄師に各話EDに今旬の大物アーティストを集めたりなど、放送前から話題に事欠かない作品で、秋アニメの大本命と目されていたこの作品。私も一応原作は第一部の終わりまで読んではいたんですけどイマイチハマり切れなくて、でもアニメで見てみたらめちゃくちゃ面白かったですね。

原作とアニメではノリが違うというのは確かにあって、原作の軽さとテンポ感の方がデンジたちの異常性は引き立っていたと思いますし、笑うべきところでストレートに笑えたのもこちらの方でした。対してアニメの方は全体的に重苦しい雰囲気で、質感や間を重視したような作り方をされていたように思います。どちらにも良さがあって、だからこれは好みの問題なんですけど、冗談言われてもこの空気じゃ笑えねぇよ、っていう張りつめた雰囲気にヒリヒリしたり、逆に重苦しい雰囲気だからこその落差でふっと笑わせてもらうこともあって、アニメ版の方が真面目で好きなんですよね。そういう冗談要らねえよ、ってわけではなくて、むしろ彼らの異常性を表すには必須な要素ではあるんだけど、ただそれでストレートに笑うよりは、「え、これ笑っていいやつ?」って描写で思わず笑っちゃうのが好きなんだよねという、ただの好みなんですけど。最後のサムライソードの玉蹴り(意味深)とかも、ここまでしっとり描いてきたからこその落差があって、それもやっぱりアニメの方がその落差が大きくて面白かったなと思いますもん。

ただ、肝心のチェンソーマンの戦闘シーンの物足りなさは確かに私も感じていて、もうちょっとスピード感が欲しかったなという風に思います。重くリアリティのある雰囲気に合わせたのか、ちゃんと動きにも重量を感じるようなアクションが多かったですが、悪く言えばもっさりしてしまっていた気がします。スタイリッシュにスピーディーにという感じのアクションだと、本編を重く作ってしまった分馴染まないのかも、なんて思ったりもしましたが、一番の見どころが見ていて気持ち良くないのは非常にもったいなかったです。最後のサムライソード戦は、サムライソードがスピーディーなキャラクターなのもあって戦闘もとてもカッコよかったので、そういう感じで1話や3話も作られていればなぁと。

原作ファンからは結構賛否あるようですが、私的にはとても好きなアニメでした。でも、一つ苦言を呈するなら、EDは毎話聞かないと覚えらんないから1つにしてください、ということだけ言っておきたいです。ゲロチューのやつしか覚えてないので。

 

異世界おじさん

俺たちの異世界おじさんが帰ってきた!!!!!!

おじさんが異世界で酷い目に合ったり勘違いラブコメを続けるだけでも十分に面白い作品なのに、それを現世に帰ってきてから俯瞰して見るというメタ視点を挟むことによってこんなに化けるとは。この作品は、アニメ実況ならぬ「実況アニメ」なわけですね。たかふみや藤宮さんが常に視聴者の代弁をして突っ込んでくれるの、ホント気持ち良いね。異世界おじさん、もしかしたら陣内智則のコントと本質的に同じかもしれない。

おじさんのジェネギャによる勘違いやすれ違いの笑いが本当に面白いんのは勿論なんですけど、個人的にはそれ以上に、所々で顔を覗かせる意味不明さがツボに入ってしまいました。例えば、おじさんが田淵先生に変身して論破(?)するところとか、たかふみとおじさんが恐竜になってそのまま話が終わる回とか、常人には思いもよらない思考回路から飛び出す理不尽な笑い、本当に怖くて面白くて最高です。

こういうおじさんの意味不明な思考回路が、一部たかふみにも遺伝しているのも面白かったですよね。普段はツッコミ役なのに藤宮さんのことになるとたかふみのヤバい一面が顔を見せたりして、「何だこいつ……(ドン引き)」ってなったりさ。もしかしたらこのアニメで一番ヤバいのって、おじさんじゃなくてたかふみなのかもしれないという恐怖。おじさんにはたかふみや藤宮さんという制止役がいるけど、当のたかふみはアンチェインだし、本人に自覚もないですからね。

私って、こういう意味不明さで笑わせてくるアニメがもうほんとに大好きなんですよ。こういう感性になったのって、私のギャグの原体験がボボボーボ・ボーボボだからなのかもしれません。意味が解らなくても面白いの、誰にでも刺さる可能性を持った笑いで無敵なんですよね。 

最終話はまたもや放送延期ですけど、ギャグアニメはいつ見ても面白いので気楽に待つとします。

 

うちの師匠はしっぽがない

本当に素晴らしいアニメでした。豆狸のまめだ、M・A・Oさんの声が付いたことで5割増しぐらい魅力的なキャラクターになったと思います。まめだを見るだけで一週間の疲れも吹き飛ぶような、そんな明るさと一生懸命さが本当に好きで……。文狐師匠はまめだのこと好きすぎだけど、多分私もだいぶまめだのことが好きです。

火事と喧嘩が江戸の華なら、大阪の華は義理と人情かい?ってな具合に、義理人情に溢れるエピソードが多かったのが良かったですよね。江戸っ子も義理人情に篤いイメージがあるけれど、大阪人だって負けてないですよ。

特に後半の四天王のお話は本当に良かったです。四天王それぞれに文鳥師匠との思い出があってさ、それぞれが受け継いだものや思い出なんかを今度はまめだに継承してあげるの、結局皆まめだのこと好きなんじゃん! このツンデレさんめ!ってなりましたよ。勿論、そこにはまめだの頑張りがあった訳だけど、四天王は文鳥師匠に受けた恩を世代を超えてまめだに返してくれた訳で、皆なんて義理堅く人情に厚い人たちなんだろうね。

私、こういう人情噺に滅法弱くて、見るだけで涙腺が破壊されちゃってダメなんですよ。文鳥師匠も文狐師匠も人を寄せ付けないようにしてたのに、いざ関わっちゃったら情が湧いて手放せなくなるんだもんね。本当に可愛い人たちで、大好きで泣けちゃいます。

上方落語がこうして連綿と受け継がれてくる間には、本当にどこかでこんなお話があったのかもしれません。そこに狸や狐は居なくとも、世代を超えて伝える行為には、様々なドラマが生まれてきたことでしょう。そう思うと、何だか自然と胸と目頭がアツくなるじゃあないですか。

 

陰の実力者になりたくて!&かげじつ!

めちゃくちゃ面白くて、恥ずかしさにちょっとムズムズもして、とっても良いアニメです。

すれ違いギャグが面白いのは勿論のことなんですけど、設定とかネーミングとかに結構メタ要素が多くて、どこまで真面目に見ればいいんだろうっていう所在のない感覚も新鮮で楽しいです。同期のアキバ冥途戦争とは、自分の置きどころに迷う感じは同じでも、受ける印象は真逆かもね。

シャドウには陰の実力者の輪郭をなぞるだけでなくて、いっそ普通に陰の実力者になれば良いじゃんと思う瞬間もあって、少しやきもきしてしまうんですけど、そこもまた魅力というか、だからこそ見続けてしまうというのもありますよね。彼は自分が憧れたシチュエーション再現以外に興味はなくて、どこまで行っても自分本位であるからこそ、この作品がすれ違いギャグとして成立している訳ですし、そこで本当に陰の実力者になっちゃったら、凡百の作品に埋もれてしまいますもんね。流行へのカウンターを、ちゃんとカウンターとして貫き通す覚悟が有るの、その意気やヨシすぎる。

現代技術や知識の侵食も、どうなるかわからないって意味で一つのオモシロポイントです。あれはどこまでいくんでしょうね、最終的には現パロOPぐらいの文明レベルが上がるんでしょうか。モブの私服が明らかに現代のものだったりするし、ガンマのマグロナルドとかミツゴシ商会とかは既存の経済ぶっ壊しかねないし、石油が採れるようになったらイータがまた色々発明するでしょうし、これからもっと加速度的に文明レベルが上がりそうです。変に現代知識で無双する作品よりよっぽどシャドウ由来のあれやこれやが侵食していて、本筋じゃないのに一つの気になるフックになっていて目が離せないんですよね。

感想をちんたら書いていたら、陰実も残すところ最終話のみになってしまったんですけど、最後までこの勢いのまま駆け抜けていって欲しいですね。

 

SPY×FAMILY

おもしろい!コードネーム夜帷好き!(小学生の感想)

OPは荒木哲郎×BUMP OF CHICKENという私の青春全部載せ、最高すぎ!

 

4人はそれぞれウソをつく

1話は若干俺の苦手な奴かもしれない……という不安があったんですけど、見ていくうちに徐々に体に馴染んでいく感覚がありました。関根嬢のCVが佐倉綾音さんで本当に良かったです。佐倉綾音さんのツッコミ、何故だかわからないけど体に馴染むなぁ~(脳裏をよぎるキャラクターの数々)。彼女にツッコミをさせたらもう天下一品で、そのおかげで成り立っているアニメと言っても過言ではなかったと思います。

リッカ大佐や千代さん行動が絶妙にズレていて、なんだか居た堪れない気持ちもあるけど、関根嬢や翼さんの不憫さには毎回笑ってしまうんですよね。関根嬢の裏回しや気苦労を思うと、この二人と普通に友達を続けてる彼女らはあまりにも聖人過ぎやしないかと。でも、それを許容できてしまうのも、二人の行動の根底に友達を思う気持ちがあるからなのだと思います。行動の裏に下心があるかどうかとかそういうの、サイキックだからわかっちゃうんですもんね、関根嬢は。だから、彼女が一緒に居るってことは、リッカ大佐も千代さんも逆説的に相当良い奴らってことなんですよ。良い奴らの友達を思う気持ちだけで回ってるアニメ、あまりにも良すぎる。微妙かと思ったアニメが体に馴染む感覚の為に、数多のアニメを最後まで切らずに見続けていると言っても過言ではなくて、そういう中で正にこういうアニメに出会えると嬉しくなりますね。

 

アキバ冥途戦争

任侠モノのフォーマットでヤクザ部分をメイドに置き換えたらどうなるか、そんな悪ふざけのような問題作。最後の最後まで私はこのアニメのことを掴めなくて、どう楽しんだものかと思案していた気がします。人の命が軽い作品なんて言うのは別段珍しいものではないけれど、その軽い命の散り様を、美しく見せたいのかギャグで見せたいのかドン引きさせたいのか、最後まで分からなかったなぁと。命だけでなく食べものを粗末にする描写なんかも散見されて、角が立つような、人を選ぶような、アクの強い描写がとても多かったです。やっちゃいけないことをやって「面白いでしょ?」って言ってくる感じ、私は正直あまり好きではなかったなと。

ただ、不義理を働いた者や恨みを買った者にちゃんと報いが来ているのは潔かったですね。それは主人公の一人であった嵐子さんも例外ではなくて、彼女も終盤でチュキチュキつきちゃんの残党に殺されてしまいます。やはり彼女もやくざ者ですから、あれだけ人を殺していれば相当の恨みを買っていたことでしょう。チュキチュキつきちゃんの残党でなくとも、いつかは名前のない誰かしらに殺されていただろうと思いますが、作中でちゃんと死を描いていたのが良かったです。アクの強い描写が多いからこそ、そこらへんのヘイト管理はしっかり行っていた印象ですね。

なごみが信念を最後まで貫き通したのもカッコよかったです。嵐子さんや愛美さんなんかも信念を貫き通した人間でしたが、彼女たちがそうできたのにはあまり驚きはありませんでした。なぜなら、彼女たちは根っからのやくざ者であって、自分なりの筋を通すだろうということに疑う余地すらなかったので。しかし、対するなごみはその目線で言えば明らかな異物で、本来任侠物で登場しようはずもない、ただの堅気のメイドでした。そんな一般人がこの"アキバ"で"メイドをする"という信念貫き通したって、それはもう尋常なことじゃないでしょう。野球回なんかもなごみ一人が真っ当に野球をしようとしていて、それがギャグのように描かれていましたけど、そういうところから既に信念を曲げない強さを描いていたのは流石です。

最近のP.A.WORKS、ちょっと挑戦が過ぎる気がしないでもないですが、とはいえ世界観のあるオリジナルアニメをコンスタントに作り続けてくれる会社は貴重なのでありがたいです。今回は合わなかったですけど、あまり外野の評価を気にしすぎずこれからもオリジナルアニメで攻めていって欲しいなと思います。あと、00年代の在りし日のGONZOはマジで帰ってこい。

 

入間くん3期

関係性の~~~~~~~~~~オタク~~~~~~~~~~!!!入間ち、クララ、アズくんの三人組が離れ離れになっちゃってどうなっちゃうの~って思ってたけど、より絆が深まったようで一安心です。会えない時間が愛を育むとはよく言ったものですね。

3期はアブノーマルクラスの各キャラクターの成長にフォーカスを当てていたところがとても良かったです。序盤は少年漫画らしい修行パートから始まり、後半で遂に成長のお披露目会といったところ。ようやく少年漫画らしくなってきたなというか、家系能力が日の目を浴びてからは能力バトル的側面が見えてきて、いよいよ面白くなってきました。

2期まではなんとなく見ていた感じだったんですけど、3期になって一気に引き込まれています。収穫祭も大団円で終わり、次から新しい展開が始まりますね。2クール目も後半になってしまいましたが、引き続き楽しんでいきます。

 

ブルーロック

サッカーを題材にした疑似デスゲームものということで最初の手触りは個人的に最悪だった訳ですけど、そのファーストインプレッションで抱いた嫌悪感とは裏腹にどんどんと面白くなっていって、ちょっと悔しいです。私がそもそもデスゲームものを好きじゃなかったり、それこそ前期にアオアシがあった分サッカー描写はそれでいいのかって思っちゃうことがあったり。方程式がーとか化学反応がーとか武器がーとか、まぁ要素分解して単純化したんだろうけど、そういう安易な言葉に落とし込んでいいモノなのかな、なんて思ったり。

これは競技をエンタメに落とし込むためにどこまでデフォルメするか、という問題だと思うのですが、強みが特殊能力のように取り沙汰されすぎている、というのはあって、基礎を研鑽しその先にある複合的な要素によって獲得したであろう強みを、「武器」という形で特殊能力のように取り扱われると、あまりにやりすぎじゃないかな、なんて思ったりもします。

でも悔しいかな、燃えるシチュエーション作るのがあまりにお上手すぎて、嫌いなはずなのに胸がトゥンクしちゃうんですよね。真っ当なサッカー漫画じゃないからこそ、やりたいシチュエーション先行でセレクションの内容を考えられるの、設定段階からもう勝利してますよ。実際どのように作られているかはともかく。

2クール目の現在も着実にドリームチームが出来つつあって、本当に展開がずる過ぎです。今後も、嫌いなのに何度もイカされちゃうであろうことが安易に予想出来てしまって、本当に悔しい限り。

 

ンダム水星の魔女

正に新時代のガンダムって感じですね。水星の魔女は今までのガンダムの型を破るような作品だったからこそ、私意外とアムロとかカミーユとかバナージとかも結構好きだったんだなって思えた気がします。

UCってやっぱり大人の世界が舞台で、その中で主人公たちって、口悪く大人は勝手だの軍の規律がなんだ俺は軍人じゃないだの言ってモヤモヤしながらも、それこそ時にはブライトさんにぶん殴られたりもしながらも、結局のところは生きるために命令に従って戦うしかないんだって知っていったんですよね。そして、善悪で測れない大人の世界に揉まれながら、命を繋ぐための戦いを通して徐々に自分の信念を形成していくのですよね。青さでぶつかったってどうにもならない世界だってわかっちゃって、でもそれでも譲れないものを獲得していく青年たちの成長を見るのが一つの醍醐味だったというか。

で、それで言うと水星の魔女って、若さゆえの青さと勢いを携えたまま大人の世界に殴り込みに行って、それであわよくば構造からぶっ壊してやろうぜ、なんて、かなり攻めた作りしていて、これまでのガンダムシリーズまでもぶっ壊そうとしているようにも見えるんです。学園舞台であるとか主人公が女性であるとか、既存のブランドイメージを壊してして新規層を取り込もうとしているというのはどこかのインタビューで読みましたが、そういうものが物語の構造にも表れてきているのが面白いなぁと思って見ていました。

まぁしかし、そんな甘っちょろい幻想を叩き潰すかの如く絶望を叩きつけてきたのが、衝撃の12話なんですけどね。これまで何だかんだと上手く行っていた彼女たちは、学園という箱庭で守られていたんだなって。外の世界は結局そんな甘くないんだって突きつけるような恐ろしい展開の連続、あまりにも悪魔的すぎやしませんか。新しいことやりますよ!女の子が学園で決闘する新しいガンダムですよ!って触れ込みで新規を沼に引きずり込んでおいて、洗脳完了したところでいつものガンダムが始まりそうなの、あまりに狡猾で若干引いてます。本当にやり口が汚くて好き。

1クール目は、正直面白いのは面白いんだけどそこまでのめり込めなくて、周りとの熱量の差も感じていて、ちょっと残念な気持ちだったんですけど、12話があってから俄然続きが楽しみになりました。2クール目が本番ぐらいの気持ちでいるので、今からワクワクが止まりません(虹野ゆめ)。

 

虫かぶり姫

少女漫画やそれに類する女性向け作品では、力強く自立したヒロイン像が主流として定着して久しい昨今、巻き込まれ型乙女ゲーヒロインのような受け身体質のエリアーナ嬢を主役に据えた虫かぶり姫が人気を博しているのは何だか新鮮だよね。まぁどちらにも需要があるわけですから、要はバランスなのでしょう。

私としてはやはり自立したヒロイン像が好きなので、自分から全く行動に移すことがないエリアーナ嬢は好みからは外れるのですが、それはそれとして作品としては楽しく見ることが出来ました。少女漫画大好きくんだから、ただひたすらに甘い言葉を囁くお砂糖のような恋愛を見るの大好きなんです。

ただ、殿下はこれからも大変でしょうね。あんなにも言葉で愛してると言い続け、行動でもエリアーナの為にありとあらゆる手を尽くしても、彼女はふとしたことで不安になって殿下の愛を信じられなくなっちゃうんですもの。それでも、それも殿下にとっては嬉しいことなのでしょう。十何年と追い続けてきた女の子が、初めて自分を意識して恋心を抱いてくれて、不安になってくれているのですから。エリアーナが初めての感情を知っていくその過程を見守れる喜びは、何にも代えがたいものがありますし、その点で言えば、それを一番近くで見守れる殿下には、少し妬いてしまいそうにもなりますね。

 

羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来

中国発の劇場アニメ。何年か前に映画をやっていて、それテレビ版に再編集したものです。

羅小黒戦記の売りに一つとしてアクションが挙げられると思うんですけど、何よりもまず驚いたのが、アクションシーンの"浮かなさ"です。別にアクションシーンが凄い作品なんてのはそれこそいっぱいあって、でも、そういう作品って、アクションシーンとそれ以外の平場の差が激しすぎてアクションだけ浮いてるというか、「ここ気合入れて作りました!!!」感がありありと見て取れるものが多い気がするんです。

それに対して、この作品はアクションと平場に殆ど差がないというか、あってもそれを感じさせないんです。しかも、平場のレベルにアクションを合わせているのではなく、アクションシーンのカロリーの高さに平場を合わせているような感覚で、全編に渡って均一なクオリティの絵を見せてくれます。アニメーターの個性を楽しんでいるような作画オタクなら或いは戸惑うかもしれませんが、私はこんなことができるアニメがあるのかと衝撃を受けましたね。

作品の内容についても、力強い二項対立が軸となっており、テーマにも普遍性があって面白かったです。自然を破壊し版図を広げる人間たちに対して、主人公たち妖精は人間との共存を目指すか、或いはそれに抗うか、といった思想の対立が軸なんですね。小黒目線では、序盤はフーシーたち反人間派閥が「味方」で、それを捕まえに来たムゲンたちは「敵」である、と意図的に描かれていましたが、しかし敵のはずだったムゲンと過ごす時間の中で、どうやらそればかりではないみたいだぞと、徐々に思想を逆転させる手法は見事の一言でした。

体制側が勝利するというのは、体制による検閲のある中国らしい作品だ、という言説をどこかで見たのですが、それも間違いではないとは思います。でも、この作品には、フーシーたちの思想が間違っている訳ではないという意味も暗に込められている気がします。彼等も、やり口は兎も角、その思想までは悪と断ずることが出来ないと思うんですよね。彼等は散々虐げられてきた側で、その苦しみから救う根本の解決策を誰も提示できなかったからこそ、彼らは凶行に及んでしまったわけなので。だからこそ、サブタイトルの「ぼくが選ぶ未来」には、これはあくまで小黒の選択であって、対立する彼等の思想の善悪を決めるものではない、という意味も込められているのではないかと思うのです。革命を成し遂げることが出来ずに散ってしまい、フーシー達は救われない悪者になってしまいましたが、彼らの思想自体が否定されるわけではないんですよと。

流石に無理やりこじつけ過ぎですかね、でも私にはそんな窮屈なアニメには見えなかったんですよね、このアニメは。勝った方が正義になるんだ、なんてよく言いますけど、人の数だけ正義があるとも言うじゃないですか。歴史上正義とされてきたものは勝者の側なんでしょうけど、傍観者である我々から見ればどちらにも言い分があって、どちらにも正義があるんだなってわかるじゃないですか。結局はそういうことだと思うんですよ。勝ち負けが思想の優劣ではなくて、そこをはき違えると窮屈なアニメに見えるけれど、別にそういう訳でもないよなと思う訳です。

 

万聖街

羅小黒戦記の制作会社さんの新作で、羅小黒戦記と放送枠を前期後期で分割して放送したアニメ。

4コマ漫画をそのままアニメにしたような作りは新鮮で、とにかくサクサク進んで子気味の良いテンポ感です。キャラクターも良く動くし、アクションシーンも抜群で、動きの緩急やデフォルメ具合にカートゥーンっぽい気持ちの良さを感じたりなんかして、見ていて気持ちの良いアニメでした。

キャラクターもみんな可愛くって、私は特にリリィがお気に入り。自由奔放・天真爛漫で全く嫌味のないキャラで、ともすれば嘘臭く見えてしまいそうなキャラクターなのですが、天使という属性のおかげでそれに疑いをはさむ余地が無くなるのがバランス良くて凄いです。全くあざとくなくて裏表も感じない可憐さ、あこがれちゃうね。

 

僕とロボコ

あまりジャンプで育ってこなかったタイプの人間でも意外とジャンプネタってわかるもんなんですね。読んでなくてもミームとして定着していたり、他作品でパロディされて知っていたりで、ちゃんと面白かったです。

個人的にはガチゴリラとモツオがただの良い奴なのがツボです。何回見ても大好きだから、このネタずっと擦って欲しいですね。誰も傷つけない笑いって言うんですか?私は結構好きですよ。

 

令和のデジキャラット


見た!何かノリがよく分からなかった!(完)

ブシロの嫌いなところ、すぐ内輪でワイワイやるところなので。

 

聖剣伝説LOM

原作ゲームは未プレイ。ゲーム原作のアニメ化の難しさをヒシヒシと感じるアニメになりました(もちろん、あまりいい意味でなく……)。

イベントシーンを繋げただけではどうにもおざなりで、冒険の道中のワクワク感も描けなければ、キャラクターの掘り下げにも乏しかったです。昔のRPGだからってのもあるのでしょうが、キャラクターも記号的で多面性がなく、主人公もプレイヤーキャラクター的であまり個性がありません。ゲーム部分ありきの、そこで楽しんでもらうこと前提のストーリーとキャラクター達を、何の思い入れもない視聴者にそのまま提示したら、そりゃあ面白いとはなかなかね……。

セラフィナの意図も最後まで読めなかったし、よくわからないキャラクターでした。友人を殺しておいてさ、「本当は裏切りたくなかったし、殺したくなかった」って言われても、セラフィナの葛藤も描かれず真意も明かされないから、見ている側からすると意味不明で。

主人公たちも主人公たちで、裏切られて仲間が目の前で殺されたのに、その後なんで殺したやつのこと再び信用できるんですかね。それでまた裏切られてんだから、性善説を信じているとかそういうレベルの話じゃなくてただの馬鹿じゃん……。

そういう意味でこのアニメは、納得のできる展開が少なく、キャラクターへの感情移入も困難であるなど、全体的に視聴者置いてけぼり感の強い作品だったなと思います。セラフィナってどうやらゲームの女主人公のアバターを使ったアニオリキャラらしいですね。原作ゲームで女主人公を使ってた人達、アニオリで全てのヘイトを担う悪者にされちゃったから、怒っている人や悲しんでる人も結構観測されて本当に可哀想だなと。ちょっとこのアニメ、ファンにも喧嘩売って初見さんには説明が全くなしという、どこに向けてのアニメ化だったのか分からず困惑してしまいます。

あと、結局聖剣ってなんやったん?言葉が一瞬出てきただけやったけど。

 

BORUTO

今期はなんとBORUTOでデスゲームものをやるという謎采配。誰にでも手を差し伸べて、自己犠牲で全てを救おうとするボルトの性格、私はあんまり好きじゃないなぁ。同じ理由で衛宮士郎も苦手だし、そのせいでFateシリーズ全般にも苦手意識があるんだけど。
BORUTOの体たらくはBLEACHに人員取られてるからだったりするのでしょうか? だったら全然許せるんですけど。

 

終わりに

秋アニメの打率の高さ、はっきり言って異常です。いくらなんでも面白いアニメが多すぎるでしょ。秋が収穫の時期だからって、豊作にしなきゃいけない法律でもあるんかい!!!!!! いや、嬉しい悲鳴なんですけど。

そんなわけで、秋はいつにも増して毎日特大の楽しみがある凄いクールでした。チェンソーマンやBLEACH最終章の待望のアニメ化であったり、リコリコに続いてぼざろが大バズりをカマしたり、水星の魔女のとんでもない引きが話題になったりと、いつ何時も話題にも事欠かなかったですよね。話題作のアニメが現れると、アニメを引退したかつてのアニメ老人たちがぽつぽつとアニメに戻ってきてくれるのが地味に嬉しかったりします。競馬とかパチンコとか麻雀の話はできないけどアニメの話ならできるから、また気が向いたらアニメに戻って来て欲しいな、なんて思いながらみんなの様子を眺めているキモい奴なので。

また次にお会いするのは冬アニメの感想になるんですけど、冬は打率こそ秋に及ばなさそうなものの、見たい、というか見ているアニメ数が多くて久々にアニメが溜まる感覚を味わっています。俺が好みそうなアニメを作るのが上手いね、アニメ業界の人たちは。また冬も感想を書く予定ですので、気が向いたら読んでくださいね。では。

2022年まとめ5選

2022年に触れたもので素晴らしかったものを、各部門5作品ずつ選出。

本当は年内にあげたかったんですが、ヘラヘラ飲んでたら未完成のまま年が明けてしまいましたので、元旦にカリカリと加筆して何とか形にしました。

思い込みの激しいタイプの人間なので、最初に受け取ったイメージだけで変なことや間違ったことを言っているかもしれませんが、暖かい目で見てやって下さい。

 

 

 

アニメ

今年も新作TVアニメ部門、新作アニメ映画部門、過去作アニメ部門を設立。

 

新作TVアニメ部門

今年も新作アニメの感想は各クールの感想に書いてあるので割愛。ただ、何もないのも寂しいのでちょこっと何か書いてあります。

 

時光代理人

今年一番更新を心待ちにしていた作品であり、今一番続きが気になる作品です。最近は海外産のコンテンツが逆輸入されることが増えましたけど、感覚として中韓国の作品は私達と感性が近いことが多い気がしますね。現代舞台で田舎の人情噺が出来るのは中国ならではで、日本では産まれ得なかったであろう作品なのも素晴らしい点です。

 

平家物語

諸行無常」という言葉の意味を大抵の日本人が知っているのは平家物語のおかげですが、その映像化の中で今も昔も変わらぬ日本の四季の美しさが折に触れて描かれることに、特別な意図を感じます。変わらないものはないと語った平家物語が、形を変えて、語り口を変えて現代まで連綿と伝わってきているという事実には、感慨深いものがありますね。

 

ヒロインたるもの

今年私の中で一番大きかったオタク的出来事を挙げるならば、告白実行委員会シリーズを好きになったことかもしれません。桜丘高校を舞台にした正に恋愛"群像劇"と呼ぶに相応しいこのシリーズは、真っ直ぐな人間関係のぶつかり合いを数多く見せてくれました。私はそういう若さを二次元コンテンツに求めている節がありますね。

ちみも

今年のアニメを振り返ってみた時、意外とこのちみもの存在が大きくて、自分でもちょっとびっくり。
ペット系YouTubeチャンネルにぞっこんな私ですから、ちみもにハマったのも必然なのかもしれません。

 

Do It Yourself!!

激戦の秋クールを制したのはこのアニメ。また詳しい感想は秋アニメの記事に書こうと思いますが、DIYは誰かの見守る目線を強く感じるアニメでした。そのことがとっても嬉しくて今年の5選に選びました。

でも、DIYは本当に危ない面もあるからみんな気を付けてね!

 

新作アニメ映画部門

今年からド田舎に引っ越してしまったので、映画を見に行くのも結構な時間と交通費が掛かるようになって、あまり気軽に見に行けなくなりました。地方への移住を考えてるオタク(いない)、近くに大きい映画館があるかどうかだけはマジで気にした方が良いですよ。

 

映画バクテン

2022年個人的MVPはこの作品。

辛い気持ちも嬉しい気持ちも、終始彼ら思いがダイレクトに伝わってきて、比喩でなく最初から最後までずっと泣いていました。心象を背景描写に反映させるという変に奇を衒わない真っすぐな演出が、この作品には本当に合っていたと思いますし、その美しさったらないですよ。TVシリーズの演出をリフレインさせる場面もあって、ちゃんとTVシリーズと地続きの劇場アニメをしてくれたのもとても嬉しかったです。

 

劇場版は、インターハイ〜3年生引退に伴う世代交代したチームの立て直しのお話でした。

世代交代のお話は本当に見ていて辛かったです。偉大な先輩たちが抜けたあとの世代交代の描写は、否応なく私の心を締め付けました。亘理先輩の気持ち、悲しいかな私にも似たような体験があるから分かってしまうんですよね。自分語りになってしまいますが、私も中学時代、強豪校で主力としてプレーしながらも、自分たちの代で結果を残せなかったという苦い経験があります。自分たちは先輩達ほど優秀じゃない、という実感は常にあったのですが、終ぞそれを覆せぬまま引退を迎えてしまった、悔いの残る部活人生でした。だからこそ、亘理先輩の不安や苦悩が自分のことのように思えてとても苦しかったです。

しかし、亘理光太郎という男はそんな逆境を跳ね除けて、改めて前を向いて進んで行きました。彼は私とは違うのだな、と理解された瞬間、その時のために私はアニメを見ているかもしれないとすら思いました。そして、彼の強さに、カッコ良さにとことん惚れ込みました。

恥や外聞、自分の苦悩なんかより大事なものがあるって、心では分かっていても、実際に行動できる人なんて中々いるもんじゃありません。大事なことのために打算なく動ける人間の強さってこういうことだし、だからこそ周りの人間も利益なんて度外視で彼のために動いてくれたのです。気持ちだけでは動かぬものばかりのこの世界ですが、人の心を動かすものだけは、間違いなく誰かの強い気持ちなのだと思います。

私が物語の中に見ているのは、いつもそんな手の届かない人物なんです。こういう人になりたいという憧れこそ、私がアニメから貰っているものなのかもしれません。私がなれなかった、でもなりたかった姿を物語の中に見つける度、そのために私は沢山の物語を体験しているのだと実感します。

 

映画ゆるキャン

今年、一番見るのが辛かったアニメといえばこれ。

何の前情報も入れずに、映画館来てバクテンだけ見るのも勿体ないし(※映画館まで往復4時間、運賃3k)何か他にも見るか、とヘラヘラしながらスクリーンに入ったら、完全にタコ殴りにされましたよね。私はアニメを見に来たはずなのに、そこにあったのは触れられそうな程の現実で、リアルな手触りでした。

序盤から志摩リンが普通に社会人してるだけでも苦しかったのに、大垣千明が出てきてその経歴を語りだした時、私の心は完全に壊されてしまいました。彼女の高校卒業以降の来歴は、私と被るところがあまりにも多くて、でも彼女はとても充実した人生を送っているんですよね。東京でやりたいことはやり切った、って言える彼女が、直視できない程眩しかったです。

私が上京してやりきったと思えることって何かあったかなぁと思い返しても、本当に何もないし、地方住みも良いけれど相変わらず東京への未練はあるし、今の人生充実してるかと言われると閉口してしまうのが正直なところです。私の頭の中では、都築詩船の「やりきったかい?」が何度も木霊していました(バンドリーマーの末路)。烏滸がましいかもしれませんが、私の心情的には「逆だったかもしれねぇ」なんですよね、大垣千明と私。それほどまでに彼女の存在にはダメージを受けました。

そこからはずっと辛かったのですが、中盤〜終盤に差し掛かる頃、志摩リンとなでしこが秘境温泉で語らうシーンでもう修復不能なダメージを受けましたよね。高校生の頃の、ノリと若さである意味何でもできると思っていた彼女たちが、大人になってもできないことがあるんだって知ってしまったんです。いや、いつかは大人になるって分かっているしその事実は別に辛くはないけど、大人になってもできないことがあるなんて、それをなでしこに言われちゃあ、もう私の心はズタズタですよ。

とまぁ愚痴はここまでにしまして、ここまで酷評めいたことを言ってきましたが、この映画は間違いなく名作ではありましたよね。上のものだって別に酷評でなく「私の心が辛かったよ」っていう一個人の心の内で、それさえ除けばめちゃくちゃ面白かったし、何ならそれだけ私の心に刺さったってことですから。

やっぱりみんなで一つのものを作り上げるのを、学生の課外活動規模でなく市政の事業規模でできちゃうのとかめちゃくちゃワクワクしましたし、酸いも甘いも噛み分けた社会人としての彼女たちは、あの頃とは別の魅力に溢れていたと思います。それに何より、生活に追われ好きを忘れてしまった社会人に再び夢を見せてくれるアニメを、私が好きにならないはずないんですよね。

見た直後はそれこそ一生見たくないなんて思っていたこのアニメですが、時間が経って噛み砕けば噛み砕くほどに「でも面白かったなぁ……」となってきて、私も心の置き所をどうしたら良いものか分からずにいます。それでも、これだけ私の心を掻き乱したアニメですから、それを今年の5選に選ばずして何とするか、と思うのです。

 

四畳半タイムマシンブルース

四畳半神話体系との出会いは、大学時代に友達の家で見せられたのが最初だったかと思います。今思うと、大学時代に四畳半を見れたことはとても幸せでした。こういうくだらなくてしょうもないことを大きく広げてウダウダできちゃうのが大学生という生き物であって、永遠のモラトリアムを過ごしている彼らを、同じ歳頃の感性で見ることができたのが大きかったなぁと。

そして、月日は流れ令和4年、そんな彼らが帰ってきました。同い年だったはずの彼らは相も変わらずモラトリアムを過ごしていますが、片や私は社会人になっていて、時間の流れを痛感します。もう彼らとは年齢も立場も違うんだな、なんて一抹の寂しさを覚えながらも、やっぱり彼らをまた見たいなと思い映画館に足を運ぶことに。

しかし、そんな少しのジェラシーと不安を抱えての鑑賞だった訳ですが、結論から言えば本当に素晴らしい映画で、見終わった後にはそんな些末なことは全て吹き飛んでいました。サマータイムマシンブルースの方は全くの予備知識無しなのでわからないですけど、この作品の中には、あの頃と変わらない「私」と愉快な仲間達が生きていました。一瞬であの頃に引き戻される感覚はとても心地良く、見始めるまでの不安なんて何処へやらといった具合です。

物語自体は馬鹿馬鹿しくも面白く、本当にいつもの四畳半で、サマータイムマシンブルースとの親和性の高さに驚きました。こんな馬鹿みたいな話なのにロジックや伏線の回収には目を見張るものがあり、そのギャップにもやられました。

まぁでも、何が一番良かったかと言われれば、最後の「私」の台詞でしょうね。あの台詞によって、今まで散々と同じ時間を繰り返してきた「私」たちの、その先の未来への展望がぱぁっと開けたように感じられました。語らないことで語るという小粋さもありながら、素晴らしい余韻を残す一言でもあって、この映画はこの台詞のためのものだったのかもしれないな、と私も思わず膝を打ちましたよ。

見終わってみると、永遠のモラトリアムだと思っていた彼等の日々も、いつかは終わりが来るのだなと感じさせられました。それは作品としては描かれないかもしれませんが、いつかは彼らも社会に出て、結婚をして子供を産んで、年老いていくのだなと。その点で、この映画は正に、終わらない青春に一つの区切りをつけた偉大な作品だったのではないかと思うのです。

 

すずめの戸締まり

新海誠監督、あくまで写実的な表現を突き詰めた上で、現実を遥かに凌駕するドラマチックな映像を作ってくれるところがとても好きです。演出のために逆光にならないところであえて逆光にしたりすることはあれど、基本的に彼の映像は、レンズの湾曲や収差、被写界深度に至るまで、極めて現実のカメラの光学に則ったものなのですよね。こういう今まで気にしてこなかったことに気付くと、自分の中に視点が増えたことに嬉しくなると同時に、自分より遥かに視点が多い人の途方もなさに軽く眩暈もします。
あまり作品を別の作品と絡めて評価したくはありませんが、この作品は「君の名は」と「天気の子」があったからこその作品だろうと思います。過去2作に渡って描いてきた災害に対しての新海誠なりのアンサーを、この作品でようやくを示してくれたような、そんな気持ち。

一作目の「君の名は」では、災害が起こったことに対して、その結果から逆算して過去を変えることで命を救う選択をしました。でも、それって災害を題材にしながらも災害から逃げているようでもあって、現実で救えなかった無念を作品で昇華しようとした作品のようにも思えます。

災害を題材として扱うのは、災害が忘れ去られることのないように、と新海誠監督がどこかのインタビューで言っていましたが、「君の名は」では、それが出来ていたかと言われると難しいところです。災害を被った人を、文字通り"なかったこと"にした訳ですから、見方によっては出来ていなかったとも言えそうです。

続く二作目「天気の子」では、天気と大切な人を秤にかけて、大切な人を選んだ結果のあのラストでした。大切な人を救った上で災害にも正面から向き合っています。もしかしたらあの結末には、彼等が世界を恒久的に変えてしまったことで、今度こそ災害を忘れ去ることのないように、という狙いもあったのかもしれません。 

しかし、「天気の子」は陽菜と帆高とその周りの数人だけで物語が完結しています。そのセカイの外で災害に直面した人々については殆ど触れられることはなく、被災者不在の災害感が否めません(瀧くんのおばあちゃんぐらいですかね)。

被災するはずだった人々を救うことで結末を迎えた「君の名は」を見ると、災害とはそれ自体が本質なのではなく、被災した人々が居るということが本質だということが分かります。そうでなければ、「君の名は」では何も解決していないことになりますから。しかしそうすると、被災者が描かれない「天気の子」も、まだ未完成なんじゃないかと思えてきます。

そして、そんなことを感じた前述の2作品を見てきたからこそ、「すずめの戸締まり」は彼なりの答えなのではないかと感じたのです。

「すずめの戸締まり」は、これから起こり得る災害を未然に防ごうという物語である一方で、起こってしまった災害から目を背けることなく受け容れることを描いた作品でもありました。そして何より、被災した地域に生きた人々の思いを悼む作品でした。

「すずめの戸締まり」で描かれた受け容れるとは、痛みに慣れて忘れ去ってしまうことでも、心に蓋をして封じ込めてしまうことでもなく、その事実を胸に抱いてなお未来はきっと「大丈夫」だと信じられるようになることです。これは「天気の子」でも描かれましたが、すずめではその一歩先、そこに生きた人々の思いごと受け容れ、前に進むことまで描かれています。

各地の後戸を巡り、そこに生きた人々の思いを重しに蓋をする戸締まりという行為は追悼のようでもあります。災害のあった事実を忘れないのではなく、そこに生きた人々の思いを忘れず悼むこと、それが新海誠監督が出した結論なのだと感じました。

 

フルーツバスケット -prelude-

この映画、総集編ではないですが、半分ぐらいはTVシリーズの素材を使っていたんじゃないかと思います。とはいえ出来は十分に素晴らしいもので、文句をつけるところはありません。ただ、原作に忠実にというスタンスのアニメであるので、正直このエピソード単体で劇場アニメとして楽しめる強度でないのは確かです。あくまでフルーツバスケットの文脈の中にあってこそのお話をそのまま映画にしたので、完全にファンに向けた作品です。それでも5選に選んだのは、やっぱりフルバファンとしてこの映画を挙げないのは嘘になるからでしょう。

先程も言いましたが、出来についてケチを付けることは一切ありません。見終わった後には、ただ喪失感だけがありました。内容云々ではなく、これで本当にフルーツバスケットのアニメが終わってしまったんだな、という喪失感です。令和の時代にフルバのアニメが作られたことが奇跡みたいなものなのに、こんなに素晴らしい出来で最後までアニメ化なんてされちゃった日にはもう、その喪失感も推して知るべしでしょう。これからはフルバのアニメが作られることのない世界だなんて、あまりに残酷すぎますよ……。

 

過去作アニメ部門

今年は中々過去作を見る余裕がなくてサボりがちだったけど、一気見できるほどのめり込める作品が見つかると途端に楽しくなります。毎週追いかけて見るアニメと短期間で一気に見るアニメでは、摂取できる栄養素が違うと言われていますからね。

 

蟲師

高校生の頃、テレビでやってた蟲師続章をちらっと見て、「これ、ちゃんと腰を据えて見たいな」と思って幾星霜。いつの間にか存在を忘れていたアニメでした。次見るアニメを物色してた時に発見して、少しの懐かしさを覚えながら視聴することに。

そんな軽い気持ちで見始めたが最後、いつの間にやら続章から特別編に至るまで全話見終わって原作まで揃えていました。久々にこんな上質で濃密な視聴体験をしましたね、いやぁ良かったです……。

この作品の一番好きなところと言えば、やはり世界観の表現でしょう。漆原友紀先生が構築した蟲師の世界観を、少しの妥協もなく映像化出来ている凄味。「蟲師」の世界観を構成する要素以外が徹底的に排除されていて、間や無音、画面が真っ暗で何も映っていないことすらも恐れず積極的に挟み込んでいく、侘び寂びを感じるアニメとでも言いましょうか。OPEDですらも本編とシームレスに繋がっているような感覚で、本編に合っているというより、OPの立ち上がりやEDの余韻、そしてそれらの映像も含めて丸々一つの作品なんです。無駄なものは何も足さず、むしろ引き算で作っていって最後に残る静謐さを大切にしたこのアニメは、もう面白い面白くないという評価基準で語るのは野暮に感じるぐらいで、その世界観への誘いは芸術の域に達していると言っても過言ではないでしょう。

派手な作画でもなければ、お話も決してエンタメ然とはしておらず、釈然としない結末や、どうにもならない後味の悪さが残る話が多いです。しかし、人間の範疇を超えた存在と向き合うというのはそういうことなんだろうな、と納得させられてしまうのがこの作品。画面全体の説得力で捻じ伏せられてしまうのです。

蟲たちはただ在る様に在るだけで、それが人に悪く働くこともあればよく働くこともあるのですよね。それは作為や物語の都合などよりも大きな、「存在」による奔流です。人間だって生きていれば必ず周りに影響を与えるように、蟲もそうで、それがたまたま人間にまで影響を与えるものであっただけなのです。超自然的な存在か、あるいは現象か、その前になすすべない人の存在。それを人間レベルにまで嚙み砕き、何とか折り合いをつけようというのが「蟲師」なのでしょう。結末の中にも、「蟲」に翻弄されてままならないけれどそれでも続いてしまう日常や、あるいは悲しい結末を迎えた中にも、その当人だけにしかわからない救いがあったりします。ハッピーエンドにもバッドエンドにも分類できないような、その間の無限のグラデーションの中にある話に、どうしようもなく心が掴まれるのです。

 

R.O.D シリーズ

本作は紙を自在に操る紙使いを主人公にしたアニメです。OVA全3話+TVシリーズ26話で前々から気にはなっていたんですが、如何せんTVシリーズがU-Nextでしか配信されていないのもあって、中々手が出せずにいました。TVシリーズだけでも十分に楽しめますが、OVAはそれ自体のクオリティも高いですしTVシリーズに繋がる話でもあるので、見られる方は先にOVAを見ることをオススメします。

紙って、縁で指を切っちゃうような鋭さもあれば、重ねればとんでもなく硬い壁にもなり得るし、それでいて形も変幻自在だってんだから、よくよく考えたら凄い素材です。しかし、そんな何でもできそうな紙ですが、一方で水に弱いなんていう明確な弱点も持っていて、戦闘においてとても映える能力なんですよね。紙を使った変幻自在のアクションシーンはそれ自体が面白く、それに加えて作画も素晴らしく良いため、アクション目的での視聴にも十分に耐え得る強度があります。

また、物語の進行度に合わせて段々と物語がスケールアップしていくワクワク感もとても良かったです。最初は日常のあれやこれやを描いていきながら、最終的には世界の存亡を賭けた戦いまで話を膨らませちゃう全部乗せ感、大好きです。しかし、物語がどんどんとスケールアップしていって、最終的に世界の存亡を賭けた戦いの中にあっても、「三姉妹+菫川ねねね先生」という家族のお話が核に描かれていたところが私の一番の好きポイント。どれだけスケールが大きくになっても物語の中心は家族のお話で、最後までブレることはありませんでした。

「血の繋がりだけが家族じゃないんだ」なんて、有史以来何度となく繰り返されている言葉で、耳にタコが出来る程どこかで聞いた言葉であっても、人間口にしなくちゃ伝わらないんですよね。そういうことを臆面もなく言えるようになるってのが、家族になるってことなのかもしれません。こんな小っ恥ずかしいことを思っちゃうぐらい、素晴らしく愛に溢れたアニメでございましたよ、R.O.Dは。

 

RD潜脳調査室

士郎正宗×Production I.G.の本作、どうやら攻殻機動隊の少し先の未来を描いた作品らしいです。といっても物語上の繋がりはなくて、あくまで世界観を共有している程度の姉妹作品のような位置づけらしいんですけどね。らしい、らしいと言ってるのは、恥ずかしながら私が攻殻機動隊を見たことがないからです。シリーズが多すぎてどれから見るべきかと調べることすら億劫で、手を出すきっかけもないままここまで来てしまいました。去年はガンダムを履修し始めましたけど、ご長寿シリーズは如何せん見始めるまでの心理的なハードルが高くて、ね……。

ま、それはさておき、そんな位置づけの作品ですから、攻殻を全く知らない私でも十二分に楽しめました。ざっくりしたあらすじとしては、通称メタルと呼ばれる電脳世界が発達した世界で、そのメタルを通じた色々な事件を解決していきながら、徐々に50年前のある事故の真実に迫っていく、というSFチックな作品です。とはいえ、SFらしからぬのほほんとした雰囲気やゆるーい掛け合いが多く、人情噺も見どころの一つであるなど不思議なバランスで成り立っている作品なのですが。

まずもって、秀逸なのがキャラクターです。

女性キャラは所謂肉付きの良い健康的なポチャ子さんばかりで、一般的な王道からはかけ離れています。最近はライザ(アトリエ)や宝多六花(グリッドマン)のように体型に似合わぬ太ましい太腿なんかが大人気でありますが、このアニメの女の子はそういう感じではなく、兎角全身がふくよかなのです。でも、それがまた良いんだ。動いている姿を見てもらえばより伝わると思うのですが、全くそっちの気はない私ですら目覚めそうになっちゃったぐらい可愛いんですよ、彼女たち。

画質悪くてごめんね、でも太ましさは伝わるでしょ?

そして、男性キャラに関してもこれまた一癖ある人達ばかりです。主人公なんて81歳の車椅子のお爺ちゃんだし、30代半ばの義体を纏った80歳越えのダンディな部長さんに、ダイビングショップを営む癖の強い兄弟に、若いイケメンは唯一ヒロインの兄貴だけという、なんともまぁこちらも正統派とは呼べないような面々が揃い踏み。

で、この81歳のお爺ちゃん・波留さんと15歳の少女・ミナモさんという不思議なコンビが名コンビなんですよねぇ。

この年齢差の二人の絡みは、さながらお爺ちゃんと孫のそれで、ほんわかした雰囲気から安心して見ていられます。しかし、彼らは自他ともに認める"相棒"で、お互いに相手にないものがありリスペクトを欠かさない関係でもあるのがイカしてるんです。15歳を教え導く81歳が居てもいいし、81歳が15歳の純粋な真っすぐさに助けられることがあっても良いじゃあないですか。年の差があっても相棒として対等に認め合うことが出来るって、素敵やん?(島田紳助

また、体が不自由な波留さんが電脳世界にダイブして、同時進行でミナモさんが現実世界で行動してサポートする、という各話の基本構成もこの凸凹コンビとの相性バッチリでした。この電脳世界と現実世界両面からのアプローチで問題解決に向かう構成は、単話だけでなく、物語全体の構成としても適用されており、さながら美しいフラクタル構造のようです。結末については少々概念的過ぎる部分もありましたが、それを差し引いてもとても美しい幕引きでした。

これから攻殻機動隊に手を出そうかどうしようか迷っている方(私自身もまだ迷ってはいますが)、とりあえずこの作品は単体でも楽しめますし気軽に見てみては如何でしょう?

 

オーバーマンキングゲイナー

ガンダムシリーズを見て以来、ようやく富野由悠季作品が体に馴染むようになってきた今日この頃。富野監督は極めて現実主義の人間だとは思いますが、その一方で根っこの部分では強い思いがあれば世界変られるというような理想主義を信じたい気持ちも持っていて、そのせめぎ合いの中で作品を作ってるんじゃないかと感じるんですよね。特にこの作品からはその部分を強く感じてとても好きだったため、今回の5選に挙げさせていただきました。

お気に入りはアデット先生。ガサツなようでいて愛の深い彼女は、見ていて本当に飽きないキャラクターでした。

 

宇宙船サジタリウス

やくもで日本アニメーションやるじゃん、ってなって、何か他にも見てみようかなぁと思って見た作品。何年か前に原作者がファンコミュニティに現れたってんでアニメーター周りの界隈が俄に活気付いていたのをぼんやりと覚えていたので、個人的には今なお根強いファンが多い作品という印象でした。

第一印象でまず好きになったのはキャラクターです。キャラクターのバランスというか、配置が絶妙なんですよね。しっかり者でサジタリウス号船長のトッピー、がんこで頭が固いステレオタイプなおっさん船員のラナ、見栄っ張りでうだつの上がらない生物学者のジラフ、歌が大好きでいい意味で空気を読まない異星人のシビップ。欲に目が眩んだラナやジラフがトラブルに巻き込まれて、仕方ないなとトッピーが助ける。しかし、それでも何とかならないことはしばしばで、そんなときにシビップの歌が意外な効力を発揮してハッピーエンドになったりします。予定調和に展開しているなと分かっていても、キャラクターの掛け合いが楽しくて何だか愛おしくなってしまうのですよね。

しかし、それだけで終わらないのがこのアニメです。見進めていくうちに段々と、子供向けに見えて意外と大人にならないとわからない要素を内包しているなと気付く訳です。構成としては数話単位で一つのエピソードを描くようなつくりなのですが、それぞれ環境問題、核戦争の危機、絶滅危惧種保全、etc……などを扱っており、笑ってばかりもいられない身につまされる話が意外と多いのです。当時はまだ私なんかが生まれる前でしたから実際のところは分かりませんが、当時騒がれていたような社会問題をテーマとして扱っているのではないでしょうか。それに加えて、冴えないサラリーマンの悲哀を感じるような部分もあって、子供に伝わらないであろう描写が多く、意外と社会派のアニメの側面もあったりなかったり。

今だったらポリコレ棒でぶっ叩かれそうな発言もバンバン出てきたり、キャラクターの成長が描かれなかったり、と色々と時代を感じる作品ではありますが、それでも素晴らしい作品であったことは間違いないと思います。

 

漫画部門

漫画も昨年同様2022年に完結巻が発売した漫画と第1巻が発売した漫画を5つずつ選びました。自分の肌感覚では私自身はあんまりギャグやコメディって好きじゃないと思ってたんですけど、挙げた作品を見たときに意外とそういうテイストの作品が多くて驚きました。まぁ今回選んだ「あそびあそばせ」や「スペシャル」はただギャグ漫画で終わらなかったところが大きいのでしょうけど、意外と自分で自分のことって分からないものですね。

 

完結漫画5選

途中まで紙で揃えている漫画を、紙で揃えるか電書で揃えるか迷うやつってあるあるですよね? 私の場合は、お金に余裕が出た時に電書で揃え直してそれまでは漫喫で読むか、ってなるんですけど、これって作者にお金入らないし良くないよなぁと思いつつ、でも追ってるやつ全部買い直すのも不可能で頭抱えてます。だから、電書移行前から追いかけてる漫画とりあえず早く全部終わって欲しいです(暴論)。

 

ちはやふる末次由紀

名人・クイーン戦、本当に何度泣かされたことか。この二戦が同時並行なの、現実に即しているだけなんでしょうけど、それによって様々なドラマが生まれていて凄かったですね。個人競技でありながら、精神的にはちはやと新と、応援してくれているみんなで団体戦をしているようでもあり、「個人戦こそ本当の団体戦」という言葉を彷彿とさせます。この言葉、本来は個人トーナメント戦で後続の味方のために相手を疲弊させる、という意味合いで使われたのでその原義には合わないのですが、言葉としては本当にピッタリだなと思います。応援してくれる皆の後押しを見ると、瑞沢高校かるた部を作ったり、クイーン予選を捨てて修学旅行に行ったり、ここまでちはやが歩んできた道程は決して最短距離ではなかったけれど、間違いでもなかったと思えて、それがとても嬉しいんですよね。

好きなところはそれこそ無限にあって、でもこういう大き過ぎる物語に対して、私はまだ語る術を持ち合わせていなくてもどかしさも感じています。しかし、私が何かを語るまでもなく、この作品は傑作であると何百何千万の人が知っています。それだけで十分なのかもしれません。

 

あそびあそばせ涼川りん

まさかのあそびあそばせ完結。

改めて、とんでもない漫画でしたね。終盤は作者でも御しきれていなかったんじゃないかなと思います。特にあそ研の3人の関係性がギクシャクしだしてからは殆ど新聞部と美術部の話になりましたし、思うように彼女たちを動かせなくなってるんだろうなと。

しかし、その終盤のとんでも闇深百合展開とギャグの合わせ技ですら面白いのは、流石と言わざるを得ません。作者も収集つかなくなって手探りで描いているんだろうなと伝わるからこそ、そこで生まれる緊張と緩和には予想外の角度から飛んでくるパンチのような鋭さがあります。恐怖と笑いがせめぎ合う読書体験、あまりにも新感覚過ぎるんですよね。不条理ギャグとかホラーコメディに当てはめるのも何だか違って、これは新たなジャンルと言っても差し支えないような、そんな感覚です。

まぁ、作者の迷走ガーとか言ってますが、本当は計算されたものなのかもしれないし、実際のところは分からないんですけどね。あくまで私の目にはそう映ったってだけの話です。

アニメだけしか知らないよ~って人には是非とも原作を読んでもらいたいですね。そして、この恐怖と笑いを共に分かち合いましょう。

 

スペシャル/平方イコルスン

この作品は、田舎に転校した主人公・葉野小夜子が怪力女子高生・伊賀と出会うところから始まる、所謂コメディ漫画でした。

本作の特徴として、作中にしばしば非現実的な出来事が挟み込まれたり、端々から謎の香りが立ち昇ることが挙げられます。最たる例でいえば、怪力女子高生・伊賀の存在がそうです。彼女の怪力は尋常ではなく、電柱に触れただけで折ってしまうし、紙なんて脆いものは勿論持てないから本すら読むことができない程です。しかし、それについて違和感があるのは我々と精々主人公だけで、作中の人物は我々とはズレたリアクションをとるところが、この作品の笑いの根幹なのです。妙に現実感があって地に足ついたキャラクターたちのはずなのに、我々とは微妙に齟齬があり面白おかしい、そこが魅力のコメディ作品でした。

しかし、それも中盤までのお話です。そんなコメディ作品だったはずの「スペシャル」ですが、終盤ではいつの間にやら全く別の何かに変わっていたのです。それは一気に覆される訳ではなく、コメディを見ていたはずが、いつの間にやら別の何かになっていた、そんな感覚。「○○が全く気付かないうちに△△になる」って一時期流行りましたけど、それを漫画で感じたのって初めてですよ。

私がギャグのための要素だと思っていたそれらは、実はそんな簡単なものではなくて、彼女らにとっては切実であり現実の問題だったんですよね。いつの間にか作品は非現実に支配され、不穏な何かで埋め尽くされてしまいました。謎は殆ど明かされず、結末も良く言えば想像の余地を残させる、悪く言えばぶつ切りのバッドエンドという、何とも心の整理が付けられない終わり方。

正直、評価にはかなり難しいところがありますが、私はこの作品とても大好きなんです。単行本の2pの描き下ろし部分で、本当に終わったんだと初めて理解されるぐらいには、頭も心も追いつかない展開と終わり方でしたから、自分でも噛み砕けていないことばかりです。それでも、私はこの最終巻に大きく心動かされました。私はこの「よくわからないけど心動かされた」という感覚を、とても大事にしています。

私は昔から、心動かすロジックを解き明かしてしまえば、何か大切なものが無くなってしまう気がしていました。自分が心動かされたことが、言葉で説明されて欲しくなくて、定式化されたものの上に成り立っていて欲しくなかったのです。どんなものにもロジックがあって、そのもとに作られていると、頭では分かってはいても、心でそれを受け入れたくなかったのです。

そんな私ですから、「よくわからないけど心動かされた」という作品が存在することは、ある意味で救いなんです。私の心を、私が理解できない感動で満たしてくれるんです。私が私の心がどういう風に動くかを完全に知ってしまったら、そこにあるのは既知の感動だけであって、絶対にいつかは心の針が動かなくなる瞬間が来てしまいます。だからこそ、未だ私は自分の心を解き明かそうとしながらも、全てが明らかになることのないように願っているのです。

心を言葉にすればするほど難しくなる類の感動を、未だ味わわせてくれる作品があるんです。そんなの、どうしたって嬉しいに決まってるじゃないですか。だから、そんな作品に出会えることは、私にとって何よりの喜びなのです。

この作品は、私の中で確実に大切な作品になりました。わからなくっても、好きって言える作品になりました。平方イコルスン先生には、これからもそんな素晴らしい作品をどうか作り続けて欲しいですね。

 

惰性67パーセント/紙魚丸

煩悩まみれで怠惰で冴えない美大生の仲良し男女が集まって、色々とバカなことする漫画です(勿論、彼らの生活は色んな意味でオワっています)。作者の紙魚丸先生は成人漫画畑の方なので、そちらで知っている人も多いかもしれませんね。

この作品は私にとっての理想の大学生活を描いたものでした。大学にキラキラした理想を持って入学した人は多かったかもしれませんが、私にとってはこの色々オワってる生活こそが理想だったんです。学業はギリギリで何とかこなしつつ、自堕落な生活を送りながら大学近くの友達の家に入り浸って、適当に駄弁ったり時々バカやったりするような、そんな生活。何故か、自然とそういうものを求めてしまうのですよね。多分、手が届きそうで届かない、絶妙なラインだったからっていうのもあるんでしょう。そして、キラキラした生活よりも、何百倍も居心地よさそうに見えたんでしょう。だからこそ、この作品のキャラクター達にはとても感情移入できるし、ここまで好きになれるのだと思います。

本当に永遠に続いて欲しい漫画だったなぁと、終わってから特に思います。もう彼らの汚ねぇひだまりスケッチみたいな生活は見れないのか、という寂しさは日に日に募っていくばかりです。

 

ブスに花束を/作楽ロク

あまりブスなどと言うの憚られますが、ブスな主人公とクラスメイトの王子様が恋愛をするお話です。主人公がブスであるというのは第一印象のインパクトこそ強烈かもしれませんが、やっていることは王道に真っ当な恋愛漫画です。でも、それがいいんですよね。自己肯定感の低い人間が勇気を出して一歩踏み出す大変さは私自身もよく知っているし、だからこそ主人公カップルの何の変哲もない歩みの一つ一つが、とても愛おしく感じるのです。

主人公カップルが好きなのは勿論のことですが、私が一番応援してたのは、クラスメイトのキョロ充くん。キョロ充って聞くとイメージ悪いですけど全然悪いやつではなくて、自分なんか分不相応かもと思いながらも、背伸びして頑張り続けている姿がとてもカッコいいやつなんです。彼の空回りで場の空気が緩むし、細かいところまで気配りできる性格してるし、ホント応援したくなるんですよね。

主人公もキョロ充くんもそうですけど、結局、誠実に頑張って生きている人間が報われるのが見たいんですよ、私は。自分が真面目で誠実であるなんてことはとても言えませんが、それでも不真面目で不誠実な人間が得する世界ではあって欲しくないと思います。だから、真面目な人が報われる話を見ると、これを書いている人がいるなら、まだまだ世の中捨てたもんじゃないな、と思える気がするのです。

 

新作漫画5選

今回5選に挙げた「おとなのずかん改訂版」が3巻で打ち切りの憂き目にあいそうなので、興味がある人は買ってください(宣伝)。まだ2巻しか出ていない現時点ですら私の人生のマスターピースに入りそうなほどの作品なので(泣)。

 

ブレス/園山ゆきの

元モデルの宇田川アイアといつも背中を丸めているそばかすの女の子・炭崎純。期待からはみ出さないように生きてきた二人、そんな二人が出会ったことで、それぞれの夢が動き出す。

圧倒的な筆致で描かれる第一話にはもう度肝抜かれましたよね。メイクという題材を扱うに足る画力、線の美しさ、構図のとり方、キメるべきところでバッチリ決めてくれる気持ちよさ、その全てに見惚れてしまいます。全てにおいて想像以上のものを叩きつけられた時、人間ってのは言葉を失うんですね。

それでいて、話も抜群に面白いってんですから末恐ろしいですよ。抑圧からの解放のカタルシスも素晴らしいし、1話のメイクコンテストの題材に「変身」を持ってきたところとか3重ぐらい意味が掛かってるし、1巻の最後でタイトルの「ブレス」まで回収していく大局的な構成力もあって、もう本当にとんでもない新人さんが現れたものです。

皆さんも是非、第1話だけでも読んでみてください。絶対に損はさせませんので。

 

シュガーレス・シュガー/木村イマ

女性の一生を乗りこなすことは容易い

そんな語りから始まる第一話。「妻」や「母親」という役割に収まれば、何はなくとも無難に生きていくことができる。そんな風に考えていた主人公が、小説家の青年と出会うことによって変わっていく物語です。

元々小説家志望だった彼女は、青年と出会ってしまったことで、少しずつ欲が出始めます。夫は認めてくれないけれど、自分も本当は小説を書きたかった。今の「妻」や「母親」を「演じている」自分は本当の自分ではない。本当の私を認めてくれるのは件の青年だけだ。と、身勝手にもそう思うようになっていきます。でも、結局はそれって幻想なんですよね。その役割を引き受けたのは自分の選択だし、本当の自分じゃないと思っているのは「自分が嫌いな自分自身」です。

主人公が不幸だったのは、青年に出会ってしまったことで自身の身の上の悲しさに気付いてしまったことですが、主人公が幸運だったのは、青年が彼女の過ちを指摘してくれる人だったことです。果たして、出会わないほうが幸せだったのかどうなのか、それは物語が終わった後で、彼女にしか分からないことでしょう。

正直私も主人公みたいな思考に陥ることが度々あるので、読んでいて身を切られる思いでした。願わくば、幸せな方向に向かって欲しいですが、果たしてどうなることやら。

 

おとなのずかん改訂版/イトイ圭

感情を言葉にしてくれるって、これだ。

私が大好きな芸人さんの又吉直樹さんのエッセイに「夜を乗り越える」というものがあります。「夜を乗り越える」は、又吉さんの生い立ちから現在までの軌跡を振り返り、彼が本を読むに至る理由を様々な角度から考えてみる、というようなエッセイなのですが、その中にこんな一節があります。

僕が本を読んでいて、おもしろいなあ、この瞬間だなあと思うのは、普段からなんとなく感じている細かい感覚や自分の中で曖昧模糊としていた感情を、文章で的確に表現された時です。

自分の中で曖昧で、言葉にすることが出来なくて、でも漠然とずっと感じていたものが、作品の中に描かれている驚きと感動。それこそが本を読む理由だと彼は語っていました。私にとっては、この文章で表されたことこそが自分の中で曖昧模糊としていた感情であったため、その入れ子構造のような感情に大変興奮したのを覚えていますが、まぁ今はそれはどうでもよくて。何が言いたいかっていうと、「おとなのずかん改訂版」には私にとっての言葉にできない感情が描かれていた、ということなのです。

この作品は、家族の形を問い直すようなそんな作品です。所謂肉欲を伴う愛だの恋だのではなく、ただ単純にそれに匹敵する感情を他人に持つことはそんなにおかしなことですか? 家族になるって、それがなければいけませんか? そういったことを悩み、苦悩し続け、それでも家族になろうと藻掻く人たちがこの作品の中で生きているのです。

自分はどうにもそういった感情を人に向けることが出来なくて、でもそれってあまり言っちゃいけないことのような気もしていて、ずっとモヤモヤしていました。だから、そういう感情を持たなくていいし、こういう家族の形があってもいいじゃないかって、言ってくれるこの作品にとても救われたような気がして。

無論、作中でもその歪な家族の形が正解であるとは描かれないし、他人の目線から心無い言葉が飛んでくることもちゃんとあります。だけど、スタンダードではないけれど、これも一つの形だって教えてくれただけで、私はこの作品を人生のマスターピースの一つに挙げることに何の躊躇いもなくなったのです。

 

白山と三田さん/くさかべゆうへい

ひょんなことから付き合うことになった、上京を夢見る地味カップルのギャグ漫画。所々で挟まる恋愛(?)要素も、意外だからこそキュンと来ます。

何でしょう、この絶妙な「いそう」感。エッセイや写実的な作風であればいざ知らず、ギャグでこの「いそう」感が出せて、しかもちゃんとめちゃくちゃ面白いって凄いですよ。過度に強調しすぎない、等身大の冴えなさ。極端に振り切れた言動・行動の可笑しさや醜悪さってそれだけで笑えるし強い武器ですけど、このしみじみとした冴えなさはまた違うベクトルの笑いなんですよね(所々に極端な部分もあるにはありますが)。シュール、なんでしょうか。でも非現実ではない現実感、本当に面白いです。

冴えないだけで、おとなしいだけで、キモいだけで、根っこはただの良い人なんですよね。そんな主人公と三田さんの行く末を見届けるのが、今からとても楽しみです。

 

天幕のジャードゥーガル/トマトスープ

かつて世界の四分の一を支配したと言われる「モンゴル帝国」を舞台に、その捕虜として捕まってしまった少女の反逆の物語です。

私がジャードゥーガルで特に好きなのが、ナレーションの語り口です。場面場面ではしっかりキャラクターの心情にフォーカスして描かれているんだけれど、一方の歴史上の出来事をなぞるナレーションは淡々としていて、キャラクターとは違う温度感なんですよね。そこらへん、歴史をなぞるために必要な情報を過不足なく伝えつつ、読み進める際のテンポ感は損なわず、これが本当に絶妙な塩梅なんですよ。更には、ナレーションは淡々と事実を並べているだけでそれ自体に温度はないはずなのに、それを話の締めに持ってくることで不安を煽ったり話に印象的な影を落としたりするなど、使い所もまた抜群に巧い。

一昨年の新刊5選にもトマトスープ先生の「ダンピアの美味しい冒険」を挙げさせていただきましたが、今年もまた先生の作品を選出しました。とはいえトマトスープ先生が大好きな私でも、この作品がこのマンガが凄い2023の女性部門1位を取るとは思ってませんでしたけどね。ただ、それだけの面白さは十分にある作品ですので、気になっている方は是非に。

 

音楽部門

記事書くにあたって色々聞き直しましたが、もう忘れてるものが多すぎますね。やっぱり私って音楽にあんまり興味ないのかも。ということで、今年も聞いたのはアニソンだけです。

 

アニソン5選

曲が好きなことは大前提として、僕がやっぱり一番気にしてるのは歌詞です。作品ありきのアニソンは、歌詞も作品の物語の一部なのでね。

 

裸の勇者/Vaundy
裸の勇者

裸の勇者

  • Vaundy
  • J-Pop
  • ¥255
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恐らくですけど、私が今年一番聞いた曲だと思います。曲の展開のドラマチックさが凄いですよね、そういう知識とか全くないですけど。

お恥ずかしながらVaundyさんのことをこの曲で初めて知ったんですが、変幻自在の歌声も驚愕すぎでしょ。これを一人で歌い上げてるの、レーダーチャートがあったとしたら表現力のパラメーターが限界突破してますよね、絶対。

 

光るとき/羊文学
光るとき

光るとき

  • 羊文学
  • ロック
  • ¥255
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諸行無常の残酷な世の中で、それでも、と世界の美しさを歌ったこの歌が好きです。何度も繰り返し「世界は美しいよ」と言うのには、琵琶や徳子のそうあって欲しいという祈りも込められているんじゃないかな、なんて、希望的観測でしょうか。

 

0/GOOD ON THE REEL
0 - Single

0 - Single

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人の数だけ思いがあって 僕はなんか泣きそうになって

ここを聞くたびに、私もなんか泣きそうになります。人それぞれの思いに寄り添ってくれる素晴らしいアニメでしたよね、エスタブライフは。

映画エスタブライフも楽しみです。嶺内ともみさんが引退を発表されましたが、エクアさんのCVはどうなるのでしょう。

 

菫/坂本真綾
菫

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2番Aメロがないなんてありなんだ。(書き終わってから思ったけど、オトメの心得とかもそうだったかも)

夢を抱いたり 砕いたり

ここめちゃくちゃ好きです。「夢を砕く」ってフレーズがであいもんという作品を象徴しているような気がしますよね。

「夢を砕く」なんて、ともすれば強い負のエネルギーを持った言葉にもなりかねないけれど、であいもんという作品において「夢を砕く」ことは、夢を次の世代へと託すという意味も持っています。そうして託し、託されてここまで繋がってきたバトンを、また次の世代に託す喜び。そこに悲しみがないと言えば嘘になるけれど、それよりも喜べることが何より嬉しいんですよね。

いつの日か、一果ちゃんもまた誰かに繋ぐことになるのでしょう。作品はどこまで続くやらわかりませんが、そこまで見届けられたらどんなに幸せかと思います。

 

花の塔/さユり
花の塔

花の塔

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俺バカだから音楽的なことは分かんねぇけどよ、2番で転調してキー下がるやつめっちゃ良くねぇか?

あと、リコリコ見た全員が言うことだけどEDの入り最強ですよね~。この曲だけでリコリコの評価何段階か上がってる気がするもん。

 

終わりに

まずは、ここまで読んでくださってありがとうございました。2022年もこの記事に入りきらなかった名作たちが数多くありましたが、その全てに感想を書くような時間的余裕も精神的余裕もなく、例年通り5選ということでお茶を濁させていただきました。特に漫画の方はTwitterでは殆ど話題に出さないようにしているのもあって、この場ぐらいでしか語ることがないので、選択にはかなり迷いましたね。

ま、それはさておくとして、2022年は個人的に激動の年でした。卒論に追われ何とか大学を卒業し、田舎に移住して社会人になって、ニート生活やっていた去年と比べてかなり忙しい一年を過ごした実感があります。それに加えて経済的な余裕が少しでてきたお陰で、ロードバイクや陶磁器という新たな趣味も開拓できたり、カメラに一層投資したり、積極的に旅行にも出かけるようになったりと、兎に角時間が足りないと感じるようになりました。去年までと比べるとアニメや漫画に割ける時間って言うのは確実に少なくなっていて、社会人の諸先輩方がオタクを卒業する気持ちもわからんでもないなと感じてしまうなど、嫌な実感もあったものです。

実は私にも、暫くアニメや漫画から離れていた時期がありました。別にオタクを卒業する気はなくって、でもただ何となく生活が忙しくって見れなくなって、いつの間にかフェードアウトしてしまうオタクの典型みたいな時期が。でも、今思い出そうとしてもその頃のことってあまり思い出せないし、空っぽだったなと思うんですよね。その頃、心動かされた思い出が全くないんです。

多分それが思い出せないのは、私が自分の人生をつまらないものだと思っているから。私は自分に対する期待感がとても薄くて自分の人生ってつまらないものだと思っているから、人生をただ生きていることに対して大きな喜怒哀楽が発生しないんです。だからこそつまらない生活の隙間を埋めてくれるような趣味が必要で、それがドラマチックで心を大きく動かすものであって欲しいんでしょうね。そして、それこそがアニメや漫画だと気付いてからは、私にとってそれらは生活の一部へと昇華した気がします。

趣味の時間が「非日常」でなく「日常」になって、それが生活に根付いている状態は強いですよ。仕事食事風呂アニメ漫画ですからね、本当に。

いつまでこの生活が続くのかはわかりませんが、2023年も引き続きアニメや漫画を存分に楽しめればなと思います。Twitterはあまり活発にはならないと思いますがぼちぼち流し見はしているので、同じ趣味をお持ちの方は引き続き仲良くしてくださると嬉しいです。

では、また来年(もう今年)もお会いできることを願って締めさせていただきます。さようなら。

2022夏アニメ

 

ちみも

大好きアニメーション。夏クール始まって3、4週目ぐらいに遅まきながら見始めたらドはまりしちゃって、宝物を見つけたような気分になったよね。ちみもたちの可愛さにまず1HIT。カナヘイさんのゆるふわ〜なキャラデザから地獄というギャップのある題材に2HIT。そして、あの見た目で人間臭さ溢れる鬼神家の三姉妹のギャップに3HIT。最後に不憫可愛い地獄さんにフィニッシュブロウを喰らったわけです。溜まってたアニメを消化しきって見るものがなくて、何の気なしに見始めたアニメがぶっ刺さったとき、自分が暇な人間で良かったとつくづく思います。

15分×2本立ての構成は、子供の頃に見たお茶の間アニメーションを思い出させるどこか懐かしさを感じる作り。シンエイ動画っていったらドラえもんクレしんのとこだもんね、納得です。地味にこの15分2本立てが嬉しくってね。私、好きなアニメを見るのに結構心構えがいるタイプなんですけど、ちみもは15分で一区切りという軽さのお陰で、肩肘張らずに何時でも見れちゃうんですよ。そういうアニメって私には中々なくて、だからこのアニメが夏クールの精神安定剤だったと言っても過言ではないでしょう。

それに、このアニメって私たちの日常の嫌なことを笑いに変えてくれるじゃないですか。普段私たちが生活していて遭遇する、モヤモヤすることや納得いかないこと、はたまた慣れ過ぎて不感症になってたけどよく考えたら嫌だよねぇ、なんてことまで、地獄さんが「地獄じゃ~!」って言って笑いに変えてくれる。だから、見ていて胸のすく思いでしたし、そういう意味でも精神安定剤だったんですよね。

最終話で地獄さんが地獄先輩に「生きづらい世の中でそれぞれ地獄を抱えて生きとるんじゃ!」と言ってくれたシーンは、この作品屈指の名シーンでした。この作品では、嫌なことをコミカルに「地獄」と形容してギャグや微笑ましさに昇華していましたが、普通に考えたら、そんな嫌なことが辛くない訳ないですよね。それを最後に、おふざけなんて一切なしの心から絞り出した本気の言葉で「辛いことは辛いんだ」と言ってくれることが、どんなに嬉しかったか。それが地獄先輩に対する言い訳の言葉であっても、あの追い詰められた状況で出た、地獄さんの偽りのない本心であることは疑いようがありません。地獄から来た地獄さんだからこそ、フラットな目線で人間界の地獄を見つけられて、その辛さを代弁できるんです。辛いことを認めて、代弁して、訴えかけてくれるって、もう人間のこと救いに来てるじゃん。笑いあり癒しあり涙ありで、しまいには見てる人まで救ってくれる、本当に最高のアニメなんですよ、ちみもって。

私のフォロワーさんには、まさかちみもを見ていない方などいらっしゃらないとは思いますが、もし仮にうっかり見逃していました、なんて方は早急に見るべきです。そこに地獄から来た魑魅魍魎による"救い"が待っていますから。

 

Extream Hearts

スポーツ×アイドルという中々に難しそうな組み合わせですが、今期でも屈指の大好きアニメでした。スポーツ×アイドルで言うとウマ娘とかプラオレなんかが思い浮かびますけど、どちらもアイドル要素は添え物程度でしたし、直近だとリーマンズクラブが会社員×スポーツをやってましたが会社員描写もスポーツ描写も中途半端になってしまっていたのもあって、最初は大丈夫かなぁという気持ちが強かったです。それぞれが単体で成り立っちゃうぐらい強力な題材なだけに喰い合ってやしまわないかなんて心配をしていたわけです。まぁ見進めていくうちに杞憂だったと思わされるんですけど。キャラクターの細かい描写はSSSや公式ブログに任せると割り切って、本編はスポーツもアイドルもどっちもやっちゃう欲張り構成が気持ちいいくらいにバッチリとハマっていて、最高でしたね。テンポ良くノンストップでノンストレスな構成、見ていて本当に気持ちが良かったです。

個人的転機は8話だった気がします。それまでも十分楽しく見てたんですが、それはあくまでもスポーツものとしての楽しさでした。仲間集めしながら強敵に挑んでいく展開とか完全に少年漫画の構図ですし、少年心くすぐるアツいスポ根を楽しんでた感じ。そんなアニメだと思ってキャッキャしてたので、8話でいきなりキラッキラのアイドルがぶん殴りに来たら、そりゃあ一発で落ちますよね。あまりにもズルじゃん、そんなの。そこで遅まきながら「このアニメ、スポーツもアイドルも本気でやるつもりなんだ」って気付いて、俄然視聴にも熱が入るようになったんです。

RISEのみんなは、一度は夢を諦めた/諦めかけた人たちで、だからこそ夢を諦めたくないという思いに共感して、アイドルもスポーツも本気でやりたいという陽和所長についてきてくれたんですよね。SSSでも言っていましたが、陽和所長は圧倒的リーダーって感じでじはありません。ただ、「この子の力になりたい」って思わせてくれるような人なんです。彼女のひたむきなところとか、困ってる人を見捨てられないところとか、絶対に諦めないところとか、メンバーにさえ弱いところを見せないちょっと心配なところとか、その全てが彼女の本当で、彼女の真っすぐを構成しています。そんなひたむきに頑張る彼女を見たらさ、好きにならない訳ないじゃないですか、冷静に考えて。頑張った人が頑張った分だけ報われるなんてそんなうまい話はそうないけれど、陽和所長には絶対に報われて欲しいなって思わずにはいられない、それこそが彼女の持つ力なのですよね。このアニメ、マジで陽和所長のためのアニメ過ぎるし、陽和所長のことを好きになったら、それだけでその他の全てが気にならなくなるの最強すぎません?

更にはSSSやRISEの公式ブログで、本編に詰め込めなかった沢山のこぼれ話なんかを見れば、皆のこともどんどん好きになっていって、もう爆発してしまいますよ、好きという感情が。SSSは、他チームのキャラとの本編では見られない掛け合いとか未解禁の情報とかじゃんじゃん見れるし、ブログは、小鷹咲希ちゃんが顔文字いっぱい使うのとか、雪乃さんの文体が硬いのとか、純華ちゃんが他のメンバーの内容まで見て情報をフォローする役回りしてたりとか、それぞれのメンバーの等身大がそのまんま文章に現れていて、キャラクターの輪郭の補完としてめちゃくちゃに優秀ですし、あまりにも隙がなさすぎます( ( •̀ワ•́ )b←小鷹咲希ちゃんがよく使う顔文字、マジで小鷹咲希ちゃん)。

アイドルアニメとしても、曲もライブシーンのクオリティも申し分ないです。ライブシーンに一家言ある私をも唸らす手描きライブシーン、マジでヤバイ(誰?)。圧巻のパフォーマンスでアイドルとしての格を見せつけるMay-Beeのステージなんか、あまりの迫力にちびりそうになりましたし。本業の芸能活動があるからこそ、エクストリームハーツの勝ち負け以外の部分で存在感を示せたり、他のグループと交流するメリットが生まれたり、ホント上手いこと考えられてますよね。手描きだからこその生き生きとした表情や、躍動感を出すために崩せるという強みを最大限に活かしながら、手描き故にカメラを自由に動かせない弱みまでもカット切り替えを多用してカバーする柔軟性。3DCGの使用も最低限で、引きのときやカメラが難しい動きをするとき等目立たない部分だけ。令和にもこんな素晴らしい手描きライブが見れるなんて思ってなかったので、嬉しさ余って最終話のライブシーンなんか10回ぐらい見直しましたもんね。

書いてることがぐっちゃぐちゃで纏まらなくなってきたんでもう適当に切るんですけど、とにかくめちゃくちゃ良いアニメで大好きだよ、ということだけでも伝わればいいかなと思います。皆も見てね!

 

ワッチャプリマジ

この作品、今までのプリティーシリーズを踏襲しトップのタイトルをかけて争う形をとりながらも、終盤でトッププリマジスタを決めるという予定調和をぶっ壊し、最終的にはそれぞれの違う道への進路を描くという、あまりにも佐藤順一(総)監督イズムに溢れる素晴らしいアニメでした。エキシビションですら5人センターという変則フォーメーションを取り入れて順位付けを避け、しまいには全員優勝なんてこともやっちゃう徹底ぶりも、とても佐藤順一監督らしいなと。それぞれの目指す未来にそれぞれが羽ばたいていくことを描くのは、佐藤順一監督なりのキャラクターに対する誠実な向き合い方なんでしょう(これはたまゆらでもARIAでもハグプリでも描かれていたことですからね)。

思うにこのアニメは、トッププリマジスタを目指すことを第一目標に掲げながらも、本当のところは自分自身を受け入れるために努力して苦しんできた人たちが、自分を受け入れられるようになるのための過程を描いたアニメでした。ライバルに勝てなくて自分を認められない者、プリマジをすること自体に葛藤がある者、自分は主人公じゃないと自覚してしまっている者、自分がプリマジスタであることを誇れない者、皆それぞれに悩みを抱えながらプリマジをしていました。

そんな彼女らの抱える悩みは、物語を通じて少しずつ解消されて行きます。何か一つの劇的なきっかけで成長するでなく、様々な出来事が積み重なって徐々に変化していく丁寧なキャラクター描写は、4クールという長尺を基本とした女児アニメだからこそできたことでしょう。そして、彼女たちの成長にヘブンズ化という形で晴れ舞台を作り、本筋にまで絡めるという構成力。流石にお上手すぎません? 個別回で積み上げてきたそのキャラクター描写を一切無駄にすることなく、ヘブンズ化の際にキャラクターが自分を肯定するための材料にまで昇華できています。メインストーリーのために数多の個別回も絶対に必要だったと言えることが、このアニメの構成力の高さを正に物語っているでしょう。

このアニメの中で、陽比野まつりの存在だけは少し異質でした。彼女一人だけエレメンツに認められることもなく、大きな問題を抱えているわけでもなく、別段個性が強いわけでもありません。しかし、そんな彼女こそ、このアニメの主人公にふさわしいのですよね。

他のプリマジスタって、みんな我が強いというか、モノの見方が自分中心で、自分のことでいっぱいいっぱいなんですよね。ジェニファーのステージを見て「私じゃ勝てないからセンターを降りる」だとか「私なら勝てるからセンターやらせろ」だとか、ジェニファーが太陽のエレメンツと融合してワッチャを全て奪っていってしまった時も、「プリマジ(プリマジスタ)はもう終わりだ」とか「エレメンツを持っていてもジェニファーなんかに勝てっこない」とか、とにかく自分がどうなるか、自分がどうにかできるか、を基準にモノを見ているんです。デュオプリマジでさえお互いの高め合いであり、他人との協力や協調を考えるものではなかったように思います。

それに比べて、陽比野まつりにはあまり我がありませんでした。我がないと言っても、勝ちたいという意思がないわけではなく、自分本位でない見方もできる柔軟性があるという意味です。エキシビションで5人センターを提案したのも彼女だし、ユーフォリアレビューでも、自分以外のエレメンツ所持者が力を合わせれば何とかなるよと提案したのも彼女だし、彼女はそういう他のキャラにはない視点を持っています。

私は、多分これが陽比野まつりが主人公である理由なんだと思うんです。これから先プリマジはどうなって、プリマジスタはどうなるのか、という場面ですら、まつりが一番に心配していたのはジェニファーのことでした。「私たちじゃジェニファーに勝てない」じゃなくて、「どうすればジェニファーを救えるのか」という目線。「自分がどうか」だけで動いていた個性の塊のキャラクター達を結びつけたのは陽比野まつりで、彼女が居なければみんなが手と手を取り合うことも無ければ、ジェニファーが救われることもありませんでした。

彼女たちはユニットでも何でもないけれど、全体を考えて見渡せるリーダーのような陽比野まつりが居たからこそ、団結が生まれ、物語が生まれ、大団円で終われたと思うのです。だからこそ、この物語においては陽比野まつりだけが主人公足り得るのだと、そう思うのです。

 

アオアシ

葦人の「お前の言う通り勝つことが一番や。勝たなきゃ富樫にも黒田にも正義はねぇ」って台詞、カッコいいぜ。

何もできやしないやつが語る理想論には誰も耳なんか貸さなくて、行動と結果で示すしかないんだってことは、みんなよくわかってるんですよね。竹島も黒田も浅利もことあるごとに「点を決めてから言え」だとか「お前は何もできちゃいないじゃないか」とか言ってましたけど、小さなころから真剣勝負の世界で生きてきた彼らにとっては当たり前の感覚なのでしょう。そしてそんな黒田や浅利と衝突したからこそ、葦人もその重さが身に染みてるんですよね。

でも、どこまで行っても結果を示すことでしか生きていけない世界であることは救いでもあります。あまりのレベル差に軽視され馬鹿にされてきた葦人でも、結果を出せば認められる世界なわけですから。あれだけ傍若無人に振る舞った金田の存在が許容されたのだって、彼が圧倒的な結果を残してきたからに他なりません。

これまでに類を見ない程高度で繊細な戦略・戦術描写に飾り立てられながらも、その根底にあるのは勝つことこそが全てであるという単純明快で力強い一つの答えなの、痺れますねぇ。セレクション組と内部昇格組のいざこざや、冨樫と内部昇格組との数年来のわだかまりでさえも余裕でぶっ飛ばしてしまうような、そんな根源的で強力な"勝利"への渇望。"勝利"を眼前に、バラバラだった足並みが一つに集束していく様は本当に見事でした。身も蓋もないですけど、要は勝ちゃあいいんですよね。彼らが戦っているのはそういう世界なんだって、ビシビシと伝わってきました。そんな真剣勝負の世界で切磋琢磨する選手たちの熱量に、見てるこっちまで当てられてしまう、そんな心地よい疲労感を伴った視聴体験は中々にエキサイティングでした。

あと、個人的に注目したいのは選手以外のキャラクターです。

その中でも、花ちゃんとお母さんの存在は特筆すべきものでした。上澄みの上澄み、才能と努力を日本最高峰のレベルで両立させた者達のぶつかり合いの中で、唯一この二人だけがサッカーの門外漢でいてくれたありがたさですよね。門外漢として、無理にわかろうとするでなく、ただ絶対的な味方になってくれたことが本当に大きかった。サッカーを知らないからこそ、この二人は葦人の味方になり得たんですよね。サッカーを知らないからこそ、彼を絶対的に肯定できたし、彼に「辛いなら帰っておいで」と、「たかがサッカー」と言うことが出来たんです。そんな居場所があることが葦人をどれだけ救ったことでしょう。彼女たちなしで葦人の物語は成り立たなかったことを思うと、この二人はやはり外せないなと。

あと、伊達監督ですよね。彼のことも、ホント凄く好きですよ。葦人のSBへの転向や武蔵野戦でのアドバイスの際に迷いが見えたり、指導者としての葛藤がちゃんとある人が指導してくれて本当に良かったです。選手の前では決して悩みは見せず、情も見せず、でも誰よりも選手のことを見てくれて考えてくれてる人。葦人や冨樫みたいな問題児のことも色眼鏡なしでちゃんと見ていてくれるの、あなたと福田監督だけですよ。福田監督みたいなカリスマ指導者じゃなくとも、必ず選手たちには必要な存在だって、私ぐらいになるとわかっちゃいますからね。

こういう選手以外の人たちの存在もこの作品には不可欠で、彼らの起こす局所的なドラマですらも描写も欠かさないから、私はこの作品のことが大好きなんですよね。サッカー描写が激化すればするほど、彼らの出番は減って行ったりするけれど、それでも、彼らによる盤外のドラマこそがこの作品を素晴らしいものにしていることは、疑いようのない事実でしょう。

 

ラブオールプレー

この作品を通して思ったのが、「懐の深さがあるアニメ なんとすばらしい‼(ミギー)」ってことなんですよね。内田くんみたいな初心者をちゃんとプレイヤーとして扱ってくれたり、かと思えば初心者で練習についていけなくて辞めてしまった学友たちも試合を応援してくれていたり、バドを諦めざるを得なくなってしまった花ちゃんにマネージャーとして関わる道があったり、そういうのを描いてくれたのがとっても嬉しかったです。スポーツって何もガチでやるだけじゃなくて、色んな楽しみ方があるわけで、関わり方は人それぞれなんだなって教えてくれるような、そんな懐の深さをこの作品からは感じました。初心者を集めて全国制覇、みたいな夢物語でなくて、強者は強者としての舞台が用意されていて、でも初心者や応援してくれているプレイヤーじゃない人たちのことも蔑ろにしない、そんな懐の深さをこの作品からは感じました。

これは多分同期にアオアシがあったこともかなり大きかったと思うんです。アオアシって高校年代サッカーの最上位の中でもさらにその上澄みの才能のぶつかり合いのお話で、着いてこれない者は容赦なく切り捨てる鋭さのある作品だったじゃないですか。そんな作品と同期だったからこそ、余計にこの作品の懐の深さが心地良かったんです、どちらが優れているとかでなく、どちらも本当に素晴らしい作品であること前提のお話でね。

でも、この作品もアオアシと正反対という訳ではなく、監督たちの指導という点では同じイズムを感じることができました。彼らの教育方針は明解で、一貫して「自発的な課題解決のための思考力・行動力を養う」といったところに重きを置いた指導がなされていました。指導はあくまで"きっかけ"で、そこから先は自分たちで考えなさいよ、というやり方です。

この、答えではなくきっかけを与えて本人に気付かせるやり方は、非常に賛否の分かれる部分だと思います。もちろん、自発的な思考能力を養うことはあらゆる技能の上達の要でもあるし、一番生徒たちの為になるやり方なのかもしれません。でも、問題はそれが理想論であるということなのです。そのことに気付くことが出来ずに潰れていった人たちも、絶対に星の数ほどいると思うんです。自ら選んで勝負の世界に身を投じて、それで食っていこうとしているユースの選手たちに向けてであるならばともかく、高校の部活でそれをすることのリスクはとても高いと思わざるを得ません。

15話は正にそのことに主眼を置いたエピソードでした。あらすじをざっくり言うと、厳しい練習についていけずにバド部をやめようとする新1年生の一ノ瀬くんに対して、その練習の"意味"を考えることで新しいものが見えてくるんだと水嶋くんが説いたことで、無事彼を引き留めることが出来た、というお話です(だいぶ諸々端折りましたが)。これって、本来は指導者がやるべき役目のことを水嶋くんがやっているわけで、しかも海老原先生は引き留めようとせず「本人が決めることだ」と切り捨てているんですよ、仮にも自分がスカウトした人材なのに。

これは海老原先生の指導方針が分かっている人なら、切り捨てている訳ではなく自ら考えて出した答えを尊重しているのだと理解できるのですが、分からなかった人たちの目線で言えば、海老原先生の指導方法は放任と捉えられてしまっても仕方のないものなのですよね。

学生時代にもうダメだと諦めてしまった経験って、絶対に後を引くと思うんですよ。だからこそ、海老原先生の指導を手放しに評価していいモノかと思う訳です。思えば10話で榊が水嶋とのダブルスを解消したいと言い出した時は、口をはさみこそしなかったものの、とても険しい表情で見つめていましたし、先生にもやきもきする気持ちがないわけではないとも思うのです。だからこそ、もう少しできない人間には助け舟をあげて欲しいなと、そう思ってしまったのです。誰もが日本一を目指せるわけではないし、ましてや部活なのですから、我武者羅に続けることで学ぶことだって沢山あると思うので。

なんか酷評っぽくなっちゃいましたが、基本的にずっと楽しみながら見ていましたしめちゃくちゃ面白かったですよ、このアニメ。それだけに、小さな気になる点が大きく見えてしまった、それだけなんです。

 

リコリス・リコイル

夏アニメで間違いなく一番人気であり、一番話題になったアニメですね。

このアニメのキャラクターって、その繋がりの強弱はあれども基本的にニコイチでデザインされていて、そういうとこカプ厨だから大好きです。私は順張りで千束とたきなの組み合わせが一番好きですね。たきなと千束の関係はたきなが可哀想で良いんですよね(最低の発言)。たきなはいつでも千束を求めてるのに、必ずしも千束はそうではない、その非対称性がね。

もちろん、千束にとってもたきなが大切な人であることに疑いはありません。「DAだけが世界じゃなくて、もっと楽しいことだって沢山あるんだよ」とたきなに教えることで、そして同じ目線で隣を歩いてくれる人が居ることで、千束も救われていたのでしょうから。でもそれは、自分に新たな生き方を提示してくれた救世主の影を自身に重ねた行動であり、自分の寂しさを紛らわす行動でもあり、たきな"が"千束を救ったわけではないと思います。物語が進むにつれて互いが互いの大切な人になりはしたものの、どこまで行ってもたきなが千束に向けていた感情が返ってくることはなくて、千束がその感情を向けるのは救世主の幻影です。千束の中で神格化されてしまったヨシさんを、たきなはどう頑張っても上回れませんでした。千束の心を救った存在がたきなではないのは明白で、千束に対する思いだけがより重くのしかかって来るのです。

 

というのが、一回通して見た時の感想でした。でも、これを書いてから最終回をもう一度見返したときにちょっと違うのかも、なんて思ったり。最終回では、意外とたきなと千束って対等なのかもなって思ったのです。

千束って今までずっと自分のじゃない価値観に縛られて生きてきたじゃないですか。DAとして実力を認められ上に行くことこそが正義だという価値観、幼い頃から植え付けられたそれを打ち破った先で千束は自由になった気でいたけれど、結局その後もヨシさんの「使命を果たせ」という言葉に縛られて、その価値観で生きてきました(それはヨシさんの意図とは違って伝わってしまいましたが)。千束が人を助けることは素晴らしいけれど、それはヨシさんの言葉ありきのものでした。

しかし、12話で千束は、「使命を果たせ」という言葉の本当の意味を知ってしまいます。自分の思っていのとは真逆の意味だったと知り、その価値観すら揺らいでしまって、千束には何もなくなってしまいました。彼女には生きる指針が無くなってしまったわけです。「何しようか、これから」という台詞に、彼女のそんな気持ちが詰まっているのですよね。宮古島に逃げたのだって、色々理由をつけてはいましたが、自分がなにをすれば良いのかわからなくなってしまったからかもしれません。

だから、そんな千束に「諦めてたことから始めてみたらどうですか」という何気ない一言をかけたたきなは、千束のことを救えたんじゃないかなと思うんです。ここまで、たきなが物理的にピンチを救ったことはあっても、千束に影響を与えたことってなかったと思うんですよ。まっさらになってしまった千束に指針を与えてくれたたきなって、何気ないけどちょっとは千束に影響を与えることが出来たんじゃないのかな、なんて思うようになったわけです。

非対称な関係って好きですけど、やっぱり最後には対等に向き合えるようになって欲しいというのも本音です。だから、最終回でようやくたきなが隣に並び立てたんじゃないかな、と気付けたことは、私にとってはとても嬉しいことでした。

 

組長娘と世話係

決して小さい子が好きな訳ではないが、小さい子が出てくるアニメは大抵大好きな私。桜樹八重花ちゃん、あまりにも守りたい笑顔すぎる……。

でも私、八重花ちゃんが悪い奴ら(霧島たちも十二分に悪い奴らだけど)に怪我をさせられたところで、そいつらもこの作品のことも本当に許せなくなりそうでした。序盤の方から薄々分かっていた展開ではあれど、どこかでこの作品の筋者はその一線だけは越えないでいてくれるんじゃないかって思ってたんでしょうね、多分。雅也さんとか、霧島にはオラオラだったけど横にいる八重花ちゃんには絡まないでいてくれた訳だし、「もしかしたら……」って思わずには居られなかった。霧島も八重花ちゃんの前では極力ヤクザの顔しないようにしてたし、いつでも裏社会と隣り合わせに見えてもちゃんと見えない壁で守られてたと思うんです。

子供ってやっぱり特別なもので、良い影響も悪い影響もすぐ受けちゃうじゃないですか。そんな真っ白なキャンバスを物語の都合でズタズタにされちゃったりしたらさ、それはもう笑ってみてらんないですよ。子供は親を選べないし、自分を取り巻く環境を変える権利も与えられていないんですよね。子供は自分の意思で契約も結べないんですもの。だから、組長の娘という立場に生まれてしまったが故に傷付いてしまった八重花ちゃんを見るのが本当に辛かったんです。

でもやっぱりこのアニメの最終回まで見て笑顔で笑うことが出来ている八重花ちゃんをみたら、この作品のこと嫌いにはなれなかったなと。それは彼女が障害を負ったりトラウマになったりしなかったから結果的に良かったって言ってるのとは少し違います。そこではなくて、事件の後も変わらず霧島のことを求める彼女の姿を見て、怖い思いを掻き消すぐらいに楽しい霧島との思い出が彼女の中にはあるんだってわかっちゃったんですよね。これは大人の都合の良い解釈かもしれません。好きな作品を嫌いになりたくないがための私のエゴかもしれません。まだ小さくてよく分かっていないだけで、今後八重花ちゃんも周りの環境を呪うことがあるかもしれません。でも、それでも私は、最後には笑っていられた八重花ちゃんのその笑顔を信じたいなと思ったんです。だから最後には、やっぱり見て良かったなって思うことが出来ましたし、大好きなアニメだと思うことが出来ました。

 

メイドインアビス 烈日の黄金郷

この作品、誰にも悪意がないところが本当にヤバいと思います。誰かを陥れてやろうという意思はなく、ただ自分たちの諦めきれない一つの為に選択を迫られた結果、何かを犠牲にせざるを得なくなり、衝突が生まれ、喪失が起こってしまいました。このアニメを見ていると、どこにもやり場のない感情が無限に発生してきて、本当に困るんですよね。ファプタの視点に立てば成れ果て村を許せないのは当たり前で、でもワズキャンの立場に立ってみれば、これ以外の選択肢は存在しなかったわけです。だからと言って彼の行動が許されるとは思いませんが、少なくとも彼の選択は数多くのガンジャ隊の命を救い、姿形はどうであれここまで生き永らえさせました。また、リコもワズキャンに利用されそうになりますが、彼女自身が誰より深層を目指す気持ちに抗えないと知っているからこそ、彼女もワズキャンのことを責められません。彼らだけじゃなくキャラクター一人一人に異なる思惑や感情があって、それぞれの視点で見ると全く違う物語に感じられるほどに矢印が複雑です。だから物語を俯瞰で見た時に、誰が悪いということは一意的に決められなくて、行き場のない感情だけがずっと渦巻いてしまうのです。

そんなことを引き起こしているのはやはり、原生生物やアビスの呪いや遺物といった、到底人間の身でどうにかなるものではない圧倒的な理不尽の数々なのでしょう。悲しみを、怒りを、誰かのせいにできないって相当苦しいですよ。その思いをずっと抱えさせるなんて、本当にどういう神経してるんですかつくしあきひと先生……。やっぱりこれ描いてるつくしあきひと先生、相当面白さに貪欲か相当性格悪いかのどっちかだと思います。

 

プリマドール

今期守りたい笑顔ランキングのTopを桜樹八重花選手(組長娘と世話係所属)とエミリコ選手(シャドーハウス所属)と争った、灰桜選手の所属アニメです。

人の喜びを自分のことのように喜んで、人の悲しみで当事者以上に泣くような、そういう灰桜みたいな生き方に、何でしょうね、憧れ?とも少し違うんですけど、しみじみとした畏敬の念のようなものがありました。

関わった全部を他人事ではなく自分事として捉えるなんて、普通は出来ません。どれだけ他人を思いやる心があっても、無意識に自己と他人には線引きをしてしまうもので、しかし彼女にはそれがないのですよね。ちょっと穿った見方をするなら、それは彼女が自律人形だからなのかもしれません。思考を複製して下の世代の自律人形に共有するという自律人形の特異性。だからこそ、自己と他人の境界が曖昧であるのかもしれません。まぁ、今そこはどうでも良いんですけど。

私たちは、大人になればなるほど素直に感情を吐露することが難しくなります。周りに心配をかけないように、はたまた恥や外聞を気にして、様々な要素が私たちを縛っています。辛いことがあっても、大人だからと抱え込んで、感情を押し殺してしまうことがいつしかデフォルトになっているんですよね。そんな折に灰桜が側にいてくれることが、彼女が感情を代弁してくれることが如何に救いとなり得るか、大人になった今だからこそわかります。直情的で幼いように見えて、でもそういう灰桜だからこそ皆を救えるのです。

誰かの救いになれるって、それはとっても素敵なことで、形は違ってもそういう灰桜みたいな人になりたいなと、そう思わせてくれるアニメでした。

 

Engage Kiss

ド屑なヒモ主人公を取り合う二人のヒロインという構図。第一印象は結構最悪で、「女性ってこういう男が好きなんだね……。オタクだからわかんないや……(アニメでしか恋愛を知らない悲しきバケモノ)」という悲しみを伴った視聴感だったわけですが、話が進むにつれどんどんと惹きこまれて行きました。

正直嫌いな要素は嫌いなままで、最後までずっとありはしたんですよね。シュウの軽薄さは最後まで好きになれなかったし、D災害の対処にあたる競合他社が悪魔をビジネスとして見てる感じとかも苦手だったなぁとか、その他諸々小さいことなんですけど苦手な部分は多くありました。心象が悪かったことに対して、そこにちゃんと納得に足る理由付けや反省があればすぐに手のひら返すんですけど、そこを描かずなあなあにされるともうダメなのです。シュウなんかは可哀想な過去ではあったし、そこに対して感情移入は十分にできたけど、でもそれと屑なのはまた別問題ですからね。

それでもこのアニメが好きだったのは、嫌いな要素以上にキサラやアヤノさん達ヒロインが魅力的だったからなんです。シュウを取り合ってわちゃわちゃしている二人を見るのが楽しくて、かと思えば記憶を代償にしているなんて設定が明かされて切なくもなっちゃって、兎角彼女たちの感情の動きからは目が離せませんでした。シュウにはたった一つのブレない目的があって、そこに向かって脇目も振らず自分のことも顧みず進んでいくもんだから、背負わされているのはいつもヒロインの二人です。大事なことは全部忘れて先に進んじゃって、残される人の葛藤も知らないでさ、都合のいい男だよホントに。

最終回で「未解決で大団円」って銘打ってましたけど、まぁアスモデウスを追い返しただけで倒せてないし、諸々未解決なのは本当ですよね。目下一番の問題であった妹の救出はできたけど、シュウが大変なのはここからです。ようやく妹を助けて、これからはヒロインたちと向き合う時間ですから。今まで散々な不義理をしてきて、その上それを一からキサラに説明しなくちゃいけないし、アヤノさんとの関係もなぁなぁで流してきたけどそれも清算しなくちゃいけないし、今度は妹のカンナまで争奪戦に参加です。この先のシュウの苦労を想像すると、同情半分ざまぁみろ半分でまぁ何とか許してやろうじゃないのという気持ちになるし、意外といい塩梅の落としどころだったのかもしれません。

 

シャドーハウス 2nd Season

1期ではまだキャラクターを掴みあぐねていた部分やキャラクターの意図が見えない部分が多くて結構モヤモヤしていたんですけど、2期は驚くほど見やすくなっていて面白かったですね。

1期の頃見辛さって多分、作品の中に謎"しか"なかったところから来てたと思うんですよ。全てが謎に包まれて、この物語のやりたいことすらわからない状態。手探りで一つ一つ謎に挑むも、それがわかったから何なんだって状態。それがどうにも居心地が悪くて、見る時にどういうスタンスで見ればいいのか分からなかったんだと思います。

そんな状態から、1期終盤でケイトの目的が明かされて、ようやくこの物語の指針が見えたんですよね。ケイトの目的が明かされることで、作品としての指針ができて、それに向けて物語が進んで行くんだってわかったから、視聴者も断然意図を汲み取りやすくなりました。だからこそ2期は見やすくて面白く感じたのではないかと。

あと2期はキャラクターの成長も嬉しかったですね。エミリコが「アホの子」から「考えるアホの子」になってたのが愛おしすぎるし、同期の皆も型に嵌ったキャラクターだったのが段々個性が出てきてたのも感慨深かったです。何の気なしに、子供たちの塔のシャドーって直情的であまり深く考えないやつが多いなって思って見てましたけど、シャドーが人間を真似て学習しているという話を受けてちょっと見方が変わりましたよね。シャドーって年齢的な幼さよりもかなり幼くて、まだ思考や感情も学習途上にあるみたいなので、大部分のシャドーが欲望に忠実で裏がないのはそこから来ているのでしょう。だから、特にパトリックとか、2期は出番が少ないながらも心の揺れ動きや思考が深化しているのが見て取れるようになっていて、そういう成長が嬉しかったのです。

 

神クズ☆アイドル

このアニメはアイドルアニメというべきか、アイドルオタクアニメというべきか。仁淀ユウヤの成長を楽しみに見つつも、それに振り回されるドルオタの悲喜交交を楽しむところまでがワンセットで、一度で二度美味しいアニメ、みたいなところありましたよね。

自分が結構移り気なオタクだったからというわけでは無いんですが、一つのことだけに情熱を注げる人は凄いです。自分も好きな作品はずっと好きだけど、やっぱりずっと高い熱量で応援し続けられるかっていうとそんなことはなくって。コロナ禍に突入する前は声優さんの追っかけやライブキッズみたいなこともやってましたけど、ずっと一人の声優さんやアーティストさんを追いかけ続けていたわけでもないですし。

だから、推しの一挙手一投足で泣き笑いできるオタクたちに共感もしながら、でも同時に羨ましさや引け目みたいなものもちょっとだけ感じながら見ていました。自分には何があっても何年経っても応援し続けるような熱量はないなぁ、って。人は人、って簡単に割り切れたらいいですけど、私は性格が内向的で後ろ向きなもんで、要らんことばっかり気にしてしまうんですよね。

それもあって、仁淀くんが「ファンってよくわかんないんだけど、絶対一人だけしか応援しちゃダメなの?」って言ってくれた時はもう、スタンディングオベーションですよ。元々誰か一人を応援し続けなくてはならない、みたいなルールなんてないですし、俺が勝手に引け目を感じていただけなんですけど、でも、なんというか、楽しみ方に狭量になっちゃいけないなと改めて思わされたと言いますか。

まぁ多分この手の話は気にする人は全く気にしないし、私みたいなのは一生気にしていくことになるのでしょうが、それでも少しは肩の荷が下りて、もうちょっと遠くまで見渡してみようかと思わせてくれたこのアニメには感謝しかありません。

 

咲うアルスノトリア すんっ!

一つ一つの何気ない掛け合いが楽しくって、大きな山も谷も無くともそれだけで大好きになってしまえるぐらいには、このアニメのことが好きでした。

最初は本当に何がしたい作品なのか分からず、ただ困惑するばかりでした。このアニメでは、基本的にペンタグラムたちの学園パートと騎士たちの不穏パートが9:1ぐらいの割合で描かれます。ただ、そこが最後まで繋がってこないんです。私には、ニトロプラス原作なのも相まって、てっきり3話~少なくとも中盤ぐらいには平和な学園生活が壊れてしまうのだろうという先入観があったんですよね。というより、そういうブランドイメージも込みでそういうミスリードを演出した制作側に、まんまと釣られてしまったんでしょうけど。だからこそ、いつまで経っても"本編"が始まらないな、という感覚でイマイチ入り込めなかったんですよね。

でも、キャラクターのことを知って、キャラクターのことを愛せるようになってきてからは徐々に変わっていきました。「もしかしてシリアスなアニメじゃないのでは?」と思うようになり、そうすると不思議なことに繋がりそうで繋がらない緊張感やもどかしさすら、平和な学園生活において一種のスパイスのように作用しているな、と好意的に解釈できるようになってきたのですよね。

特に最終話は秀逸でした。最終話の学園パートは明らかに1話の構成をなぞった作りです。そこでは、端々にキャラクターの小さな成長が見られながらも、最初から最後まで何ら変わりない学園生活の様子が描かれます。そして、それとは対照的にクライマックスに向けどんどんと加速していくのは騎士パートです。あわただしく敵の本拠地へ向かう騎士たち。騎士にとっての敵は誰か、それは明言こそされませんでしたが誰が見ても明らかです。それでずんずんと進軍していくものだから、最終回でいよいよ本当に2つの世界が邂逅してしまうのではないか、ここまで引っ張ったのも最終回に山場を持ってくるための布石だったのではないか、と疑心暗鬼になりながら、緊張感だけがどんどんと高まっていきます。そして、緊張感の糸がピンと張りつめて切れる直前、あわや邂逅か……!といったところで、結局またもミスリードでしたというオチが明かされ、ホッと胸をなでおろす、というような構成です。緊張と緩和、学園と騎士の対比を最大限に利用したハチャメチャに素晴らしい構成、いやぁ脱帽です。

結局私はキャラクターを見ることが多いので、それさえ好きになれば作品の色々な要素を、マイナスだと思っていたことでさえも好意的に捉えられるようになるんだなぁ、という発見が出来たのは、自分でも思わぬ収穫でした。こうやって、自分が好きになれることを増やしていってどんなものでも好きになれると、人生がもっと楽しくなるのでしょうね。

 

よふかしのうた

モノクロの漫画の世界では十分に表現し得なかった、蠱惑的なほどにキラキラと輝く夜の世界。なずなちゃんが言ったように、中学生のコウくんにとって夜はまさに「非日常」であり、何よりも自由で魅力的に写っていたことでしょう。そのコウくんの心の内を反映したかのような、情景と連動しているかのような背景美術こそがこのアニメの真骨頂だったのではないかと思います。背景全体を写し取るような構図や引きの構図も多く、夜の魅力を全身で以って訴えかけてくるようでした。

11話で鶯餡子に出会ってから、そんな楽しいだけだった夜の生活も一変するわけですが、そこからの演出がまたとんでもなく良かったです。今まで眩しくキラキラ光っていたはずの夜の世界が急激に色を失いくすんでいく様や、本当に吸血鬼になって良いのかと思い悩むんでいても、なずなちゃんに会うとやっぱり夜はキラキラ輝いて見えてしまう様。そして、フラットに夜を見た上でその輝きを再認識したコウくんの変化までをも克明に描き出していた素晴らしい演出。原作を読んでいたときとは全く違う視聴感で、総合的な演出の良さではアニメの方に軍配が上がるかもしれないですね。(端折られたエピソードはさておき)

個人的な話をさせてもらうと、この作品はちょうど自分が不眠症で苦しんでいる時に出会った作品です。不眠症って寝れないだけじゃん、と思われるかもしれませんが、ぐっすりと眠れないのは存外辛いモノです。夜寝れなくて昼夜逆転、寝れても浅い眠りですぐに目覚めるし、日中も常に眠気だけがあってパフォーマンスはダダ下がりです。しかも、寝よう寝ようと思うと余計に眠れなくなって負のループに嵌るからたちが悪い。それで苦しんで、今日もまた眠れないのかな、なんて考えていた折に出会ったのがこの作品(と「君は放課後インソムニア」というこれまた不眠症を題材にした作品)なんです。

この作品は、夜寝れないことを正当化してくれるんですよね。正当化というと聞こえは悪いですが、要は夜も寝るばっかりじゃつまんないぜって教えてくれるんです。現実にナズナちゃんはいないけど、夜起きてるのも楽しいもんだぜとか、皆大なり小なり病気なんだからそれとうまく付き合う方法を見つければいいんだぜとか、そういう生き方(というと大仰過ぎますが)を認めてくれるこの作品には、精神的にかなり救われました。読んだからと言って眠れるわけではないのですけど、心の持ちよう一つで辛さは大きく緩和されるものです。

今は不眠症の治療も終えて普通に生活していますが、それでもまだ時々眠れないことはあります。あの頃に戻ったらどうしようと不安は常にあって、でもそんな折、この作品を思い出しては少し安心するんです。そんな作品が素晴らしいアニメ化の機会に恵まれて、私としても本当に嬉しいのでした。来年には君は放課後インソムニアのアニメ化も控えていて、楽しみは増すばかりです。

 

ダイ大

この2年間毎週楽しかったです、ありがとう。とにかく出てくるキャラクターがみんなカッコよくて、しかもちゃんと散り際までちゃんとカッコよくってさ。キャラクターの散り際って作者の美学が色濃く出ると思うんですけど、散り際に必ず活躍を描いてくれる作品って好きなんです。あっけない死とか、身を呈した死とか、未練を残した死とか、散り際にも色々ありますけど、そこを最後の晴れ舞台としてちゃんと活躍をさせてあげられる作品は、その世界で生きているキャラクターへのリスペクトがあってとても好感が持てるんですよね。

原作を読んだことがないのでどこまで原作に忠実だったのかはわからないですけど、原作ファンの反応を見るに素晴らしいアニメ化であったことは間違いないのでしょう。私みたいな若輩者が内容にとやかく言うのは野暮ってもんでしょうからやめておきます。

私的には、往年の名作に真正面から向き合って最後までしっかりアニメ化してくれたという事実が嬉しかったです。ここ5~10年ぐらい、過去の名作リブートの流れがどんどん盛り上がってますけど、ファンも大満足なタイトルってどれぐらいありました? 私の記憶にある限りでは、ダイ大、フルバ、ジョジョぐらいだと思うんですが、いかがです?(ジョジョ見てないですけど) この打率の低さは、アニメのクオリティ以上に尺の問題が大きいと思います。尺とそれを作り切る体力さえあればリブートが評価された作品も沢山あったと思うんですよ。うしとら然りからくりサーカス然りイエスタデイ然り封神演義然り、私には合わなかったけどマンキン然り。アニメを作る側の苦労は全く考慮しない物言いで恐縮ですが、尺を用意できないならやらないで欲しいというのが正直本音なんですよね。

だから、このアニメが100話という長尺で2年間にわたって妥協のない素晴らしいアニメを見せてくれたことに感動すら覚えました。作品本編の内容ではない部分なんですけど、まだちょっとはリブートに期待してもいいのかもな、なんて思わせてくれたのが何よりも嬉しかったのです。

 

RWBY氷雪帝国

難しすぎる……。設定周りでわからないことが多すぎて、かといって原作の方見るほど自分は惹かれなくて、あまりハマれないまま終わってしまいました。何度も振り出しに戻っては少しずつ進んでいく形式で変わり映えしない絵面が飽きを誘発させてしまっていた気がしますね。

アクション作画は抜群だっただけに、平常時の作画の粗が目立ったのもちょっとマイナスポイントです。最近のシャフトって小綺麗になったというか、良くも悪くも普通の制作会社になってきましたよね。アクション作画ができるようになって、でもアクの強い演出は減っていって、悪く言えば面白みが無くなってしまったというか。シャフトが原作付きを制作するって聞くと、シャフトなりの再構成というかその絵作りや演出の奇抜さに期待することが多かったので、そういう挑戦的な演出が減ってる現状は少し残念に思います。

夢の中の支離滅裂で脈絡なく何でもありになっちゃう感じが表されていたのはとても良かったです。夢の世界の変化からワイスの意図を汲み取る仕掛けなどもあったのでしょうが、あまりのめり込んで見れなかったためそこを適当に流してしまって、ちょっと反省。

 

ようこそ実力至上主義の教室へ 2nd Season

軽井沢恵を弄びやがって!😡綾小路清隆許さん!😡って怒ってたけど、オタクにこの先のネタバレ(?)を軽く喰らったおかげで普通に許せました。でもそれはそれとして、綾小路清隆が青春してると面白すぎるから普通にやめて欲しいけどね。

1期の頃と比べて意外と皆年相応だなって思う場面が多かったですが、多分記憶が曖昧だから超高校生級のキャラクターや出来事しか記憶に残ってないだけで、1期の頃も変わらずこうだったんでしょうね。

普通に綾小路清隆が"陰の実力者"やってるの楽しすぎて顔面ヤバいことになりましたね。Wikipediaにも「10‐20代から圧倒的な支持を集めている」って書かれてますし、私にもまだまだ若い感性が残っているみたいで良かったです。

 

ハナビちゃん

パチスロ全然わかんなかったけど、OP全部強かったし楽しかったです!ショートアニメの満足度、OPEDとキャラの可愛さで決まるからね(浅ッ……)。

 

BORUTO

BORUTO、月刊のせいで遅々として進まない原作のせいで本筋は進められないので、本編に何の影響もなく起伏もないアニオリストーリーが無限に繰り返されている訳ですが、6年目にもなると最早それにも慣れてきて、むしろ楽しめるようになってきている自分がいるわけですよ。だからといって感想という感想はないわけですが、もうなんかこれ見るのも日常の一部ですよね。

夏クールあたりから始まったアカデミー編は、カワキに加えて今まであまり描かれてこなかったヒマワリが主役のメインストーリーです。カワキの人間性が成長するのが微笑ましくて、ヒマワリもちゃんとナルトの子供なんだなぁと分かってちょっとエモい、そんな感じでした。

なんだかんだ言いながら来期も見続けるんでしょうね。

 

ルミナスウィッチーズ

戦闘はないし、ズボン(パンツ)もないし、使い魔がはっきり描写されるどころか使い魔中心のストーリーまでやっちゃうし、歴代シリーズ(といってもアニメしか知らない)とは色々と勝手が違うアニメでしたね。正直全然刺さらなかったし、アイドルものなににライブシーンも結構酷くて、あんまり感想という感想はないです……。

 

ダンまち4期

やー、ここまでじゃちょっと判断つかんですね。

分割2クールの1クール目が全然キリ良くないところで終わってるので、ちょっと2クール目に持ち越しです。

 

終わりに

ここまで読んでくださってありがとうございました。見てる作品数は減ってるのに感想の文字数はむしろ増えていて、書くのもいよいよ時間がかかるようになってきました。

夏も本当に面白いアニメが多くて楽しかったですね。前期までのアニメの感想は溜めちゃって大変な思いをしたので、夏こそはすぐ出そうと思ってちまちま書き溜めてたんですけど、結局11月までずれ込んでしましました。ままならないもんです。

夏は色々と豊作でどれも甲乙つけがたいのですが、個人的には「よふかしのうた」の出来が良かったのが嬉しかったですね。一番面白かったとかそういうベクトルではないですが、自分に影響を与えた作品が良い形で世に広まるのはとても嬉しいものです。

馬鹿みたいですが、アニメや漫画に救われることって全然あるし、それらが人生の指針になることだってあるんですよね。私がSNSで演じている人格だって、こういう人になりたいと思えるアニメや漫画のキャラクターから影響を受けてますし、現実世界でだってなるべくそうあろうと努めてますもん。

作り話が一時の娯楽として消費されるのではなく、誰かの人生に影響を与えるって、考えてみたら素敵なことです。私はこれからもそんな作品たちに出会うため、アニメや漫画を見続けるのだと思います。まだまだ摂取し足りないので、しばらくは飽きることはないでしょうし、感想を書くのも続けていけたらなと思います。

次は、秋アニメの感想か2022年の総括か、どちらかで会えますように。気が向いたらまた読んでくださると嬉しいです。

では。