お久しぶりです、くぼはじめです。
今期も簡単な感想をまとめました。
相変わらずあらすじとかは一切書いてないんですけど、良かったら読んでいってください。
S
・Sonny Boy
個別で記事を書いたので良ければ読んでください。
最後の終わりは賛否あれど、私としてはベターエンド、少なくともバッドエンドではないなという風に感じました。二人の約束を思うととても切ないけれど、でも、希の核となる部分は変わっていないとわかって、その上で笑っていてくれるならそれが長良の隣でなくともいいじゃないかと、そう思います。
わからないことも沢山あるけれど、伝えたかった事は本当にシンプルなことなんじゃないでしょうか。
過去は変えられないし、世界は変えられないけれど、でも未来を選択するのは確かに自分で、その行動の責任を他人に預けることはできないのです。自己責任論なんて言ってしまえば救いのないように聞こえますが、そうじゃないんですよね、きっと。未来はまだ長く、その中で沢山の可能性に出会い、選択することができる。それが全て自分の手に委ねられている幸福。そういう希望を知覚できるようになったことに、長良が希に出会った意味があったのだと思うのです。
・かげきしょうじょ
自分語りになっちゃうんですけど、この作品は僕にとってはめちゃくちゃ思い入れの強い作品なんですよね。
その昔ジャンプ改っていう雑誌があって、かげきしょうじょもその時代に読んでたんですけど(単行本でいうシーズン0の部分)、雑誌が休刊になっちゃってMELODYに移籍することになったんですよね。でもその時はジャンプ改に載ってるのを読んでいるだけだったんでそこまで思い入れもなくて、読めなくなっちゃうんだーぐらいの感覚で暫くしたら存在すら忘れてしまいました。
それから数年経って、少女漫画に手を広げて何か面白いものがないかと探していた時にたまたまこの作品に再会して、読んでみたらもう滅茶苦茶に面白くて。だからなんかもう自分の中では奇跡の再会みたいな気分になっちゃって、それ以来めちゃくちゃ思い入れの深い作品になったという、そんな自分語りでした。今なんかめちゃくちゃかげきしょうじょの話題がTLに溢れているのがなんだか信じられない気持ちで、何様なんだと思うかもしれないけど本当に感慨深いです。
さて、本編に関してですが、色々削られた部分はありましたが個人的には大変満足のいくものでした。それは何故かと言えば、この作品を貫く一つのテーマである「挫折」という部分がしっかり描かれていたからです。
この作品のキャラクター達は皆、一様に何かに挫折したり諦めた経験があります。
渡辺さらさは性別の壁に阻まれ歌舞伎を諦め、奈良田愛は人間関係に諦めをつけ、星野薫は紅華に二度も落ち、杉本紗和は自らが秀才に過ぎないのだということに気付いて絶望し、山田綾子は周りとの差に思い悩みあわや紅華をやめてしまおうかというところまでいってしまいます。
彼女たちは全てを捧げてもなお、届かない夢があることを知っています。運命とは残酷で、女に生まれたさらさは歌舞伎役者にはなれないし、身長が伸びてしまった里見星は娘役にはなれないし、足を悪くした安道先生はもう舞台に立つことは出来ません。それはいわば運命であり、絶対不変の事実です。
「それなりの実力と称賛があっても、渡辺さんみたいな破天荒な人に劣等感を抱いてしまうんです」
「どんなに努力したってかなわないんだって直感するんです」
これは100期委員長、杉本紗和の台詞です。
彼女たちはまだ10代の少女です。若くして常に外からの視線に晒され成績で順位付けされる世界に身を投じた彼女たちは、壁にぶち当たり挫折することもしばしばです。杉本紗和はモーツァルトとサリエリの例を出して、子供心に自分はサリエリだということに気付いてしまったと言いました。
それでも彼女は努力をし続け、トップの成績で紅華に合格します。それは何故か。
「努力に裏打ちされた実力は、きっと、自分を裏切らないと思うから…」
「絶対なれると同様に絶対なれないなんて事はないと思うんです」
上は99期委員長の竹井が紗和にかけた言葉で、下はさらさの言葉です。しかし、これはきっと誰しもが皆信じていることなのです。
敵わないと思ってしまうことがあると、紗和も綾子も口を揃えて言いました。絶対に無理なこともこの世には存在すると、歌舞伎を諦めたさらさは誰よりもわかっているはずなのです。
それでも彼女たちは、そこにわずかでも可能性があると知れば前に進み続けます。それはきっと、「挫折」を知ってなお諦められない夢があるからです。
諦めざるを得なかった夢。夢のために犠牲にしてきた全てのこと。自分たちが越えてきた狭き門の前に涙した数多の少女たちの存在。「挫折」を経験してきた彼女たちはその重みを誰よりも知っています。彼女たちの下には、100期生になれなかった1095人もの女の子がいると、小野寺先生も言っていました。
「それにあなた大切なことを忘れてる」
「何も無い子が紅華に入れっこないのよ?」
誰しもがモーツァルトのような圧倒的な才能を持っているわけではありません。でも彼女たちには彼女たちにしかないキラリと光るものが、それはまだ小さな光かも知れないけれど、確かにあるのです。
彼女たちは未熟な歳ではありますが、それでも子供ではありません。自分にはどうしようもない現実や、絶対に覆せないルール、偶然の紙一重というものが存在するのだということを知っています。それでも彼女たちは、諦めきれない夢の為に前に進み続けます。「挫折」を知ってもなお立ち上がる彼女たちの放つ輝きに、私はどうしようもなく惹かれてしまうのです。
・天官賜福
魔道祖師よりだいぶBL感強めではありましたが、正直全然気にならなかったです。BL、GL、NLで何が好きかと言われれば圧倒的にNLなんですけど、BLもGLもそこに必然性があれば全然いける口ではあるので。
アニメでは三郎(花城)の正体が謝憐が太子悦神の時に助けた男の子だとは明言されませんでした。まぁ見てたら確実にそうだと言い切れっても問題ないぐらいの回想描写はあったわけですが、それでも言い切らないのが良いんですよね。ミステリアスな男の色気ってやつですよこれが。
にしても三郎が謝憐を見つめる時の、あの何とも言えない切ない目。好きだけではない、決して一筋縄ではいかない感情を持っていることを予感させるあの目線がたまらなく好きなんですよね。
ここからはその目線に対する私なりの解釈なので話半分で読んでもらえば幸いです。
結論から言うと、三郎は愛する謝憐の仙楽国を滅ぼしてしまったが故にあのような悲しい目をしているのではないかと思うのです。といっても彼が直接手を下したとかそういう訳ではなくて。
まず、仙楽国が滅びたのは人面疫という疫病が原因なのは作中でも明かされましたよね。人面疫の詳細については明かされませんでしたが、3話で謝憐たちが助けた山に住む男の子は人面疫に感染していた痕跡が体中にあり、それを包帯で隠していました。
それで過去の回想を見ると三郎も同じように体中を包帯でぐるぐる巻きにしている訳です。状況証拠ではありますが、つまり三郎が人面疫を仙楽国に持ち込み、そのせいで仙楽国は滅んだと解釈することができます。
三郎は人面疫に感染し自殺しようとしていたところを謝憐に助けられ、生きる意味まで与えてもらいました。なのに謝憐が彼を助けてしまったがために、謝憐の愛した仙楽国は滅んでしまったのです。
だから三郎は謝憐にたいして、命を救われた恩と自分が国を滅ぼしたという罪悪感を感じて、触れたいけれど触れられない、そんな目で見ているのではないかと思うのです。そしてだからこその罪滅ぼしで、謝憐の「万人を救いたい」という意志を汲んで、そのためなら人道に悖る行為すら厭わない血雨探花・花城としての生を歩むことになったのではないのでしょうか。血雨探花・花城は鬼を大量に殺したという話は作中で言及されましたが、人を殺したという話はついぞ出ませんでしたし。
まぁ半分妄想のようなものなので合ってるかどうかは兎も角、そうすると三郎が過去の回想で包帯を巻いていたことや現在顔を隠していることや謝憐への異常なまでの執着や、最終話挿入歌の意味深な歌詞なども一応全て説明できますよ、とそういう話でした。
続きがめちゃくちゃ気になるんですけど、現状原作小説の日本語版は発売未定のため、この1クールのアニメだけが日本語で天官賜福を摂取できる唯一のものなんですよね。本当に苦しいです、今。
・転スラ
背負うものがあるとキャラクターが一気に人間らしく見えますね。自分の両手で抱えきれる分だけをキッチリ線引きして、そこだけは本当に大切にする。そういう線引きができるキャラって大好きです。力がないくせに何も失わず全てを為そうとするようキャラクターよりよっぽど好感持てます。
あとは単純にクレイマンをボコボコにするのは見ていて気持ちよかったですね。今まで3クール以上の尺をかけてオークロードやカリュブディスやファルムス王国とのごたごたを描いて、その全てを裏で操っていたクレイマンのストレスを視聴者に刷り込んできたわけですから、それを一気に解放させるような怒涛の大攻勢が本当に爽快でした。
「俺TUEEE」が揶揄されがちな昨今ですけど、別に全然悪いことじゃないと思うんですよね。私が愛してやまない児童文学の名作たちにだって言ってしまえば「俺TUEEE」系譜の作品は多いですし、当たり前ですけど要は使いどころなんです。主人公が無双するというのはストレスの解放という面で最高のエンタメのひとつだと私は思っていますよ。
A
・白い砂のアクアトープ
序盤中盤は正直そこまで肌に合わないなと思って見ていましたしたが、アクアリウムティンガーラの研修生が来た9話から話にグンと引き込まれていきました。
9話では、くくるが初めて外部からの客観的な目線により否応なく現実を突きつけられ、反論しようのない正論でぶん殴られます。「あなたはお仕事ごっこをして楽しいかもしれないけど、私は必死なの」「あなたはまだ高校生で、家業の手伝いをしてるだけよね? お金を稼ぐ苦労なんて何もわかってない。甘いわよ」と、研修生の知夢は容赦なくくくるを責め立てます。
そこでようやく気付いたんですよ、これまでの展開の違和感に。つまり何が言いたいかっていうと、くくるたちが行ってきたことは「がまがま再建"ごっこ"」で、現実問題を見ていなかったんだということなんですよね。
一発逆転のアイデア探しに奔走するくくるたちとは対照的に、おじいは着実に生き物の受け入れ先や職員の今後についての根回しを進めていました。地に足をつけて現実を見据えていたおじいに対して、くくるたちは浮足立って現実すら見えていなかったんだなって、そこではっきりと分かったんです。それまでの話は水族館を立て直す方法を探していたかに見えて、その実彼女たちが行ってきたことは現実逃避とでも言うべきものだったんだなって。
くくるはがまがまを閉館させないことを目標にして行動していましたし、本気で閉館させないつもりではあったと思います。だけど閉館の根本的な原因は建物の老朽化だったのに、そのことをおじいとろくすっぽ話し合いもせず見当違いの客寄せに注力していたわけで、本質的に問題から逃げていたと言われても仕方がないのです。
そして「目の前のことをこなしていると何も考えずに済む」、「くくるの夢を手伝いたい」など、風花ががまがま水族館で働く理由も自分の将来を考えることからの逃げでした。
8話まではそんな彼女たちの現実逃避譚であったわけです。なるほど、だからいまいち噛み合わなかったのかと。今までこのアニメのことを水族館再建記だと思って見ていたから現実を見ていない彼女たちに苛立ってしまっていたけど、そうじゃなかったんですよ。このアニメはくくるが現実を受け入れ、風花が新たな夢を見つけ再起していく物語であり、1クール目はそのためのクールタイムだったんです。
そういう認識でこのアニメを見返したとき、今まで感じていた不満みたいなものは見当違いだったんだなというのが分かって、なるほど面白いじゃん、ってなったんですよね。
・ガンダムビルドリアル
展開のアツさもさることながら、微妙な人間関係の空気感を描くことに於いてこの作品は非常に卓越していましいた。グリッドマンとかダイナゼノンが目指すリアリティのある空気感って、あるいはこういうことなのかもしれません。久しぶりに再会したときの会話は盛り上がっているんだけどどこか空回りしているような空気だったり、仲良しグループのなかでもあんまり話さない2人がいたり、「あぁ、そういうのあるわ」っていう共感がとてもむず痒く、でも心地よかったのです。
これをアニメの枠に入れて語るべきか迷いましたが、大好きなガンダムビルドシリーズですしモビルスーツの戦闘シーンはCGを用いているので一応入れることにしました。アイカツプラネットやビルドリアルを見て「実写だから表現できること」って確かにあるんだと感じましたし、アニメ×実写という試みがもっと開拓されればなと思います。
・シンカリオンZ
「敵と対話するためには、敵を抑え込めるだけの強い力が必要」
当たり前なんだけど、見落とされがちなこれ。意外にこの部分をわかってない作品って多いように思えます。これがあるからシンカリオンが好きだったし、それが今作にもしっかりと受け継がれているのがアツいんですよね。
で、このシンカリオンZは前作から地続きで、前作のキャラクターも出てくるわけですが、この前作キャラの出し方がまぁ上手い。要所要所で小出しに出てきて、でもメインキャラを食ってしまわないようにあくまで助言役としての配置になっている。本当にバランス感覚に長けているなぁと感じさせます。
前作からある突拍子もないコラボは今作も健在で、キティちゃんやエヴァ、銀河鉄道999などとのコラボが見られます。しかし作品のカラーがちゃんと確立しているおかげでどんなコラボでもしっかりとシンカリオンらしさが出ています。
毎週コンスタントに楽しめるアニメが通年単位で続くというのはとても嬉しいものですね。最近の女児アニメが個人的に全然ヒットしてなくて、長らくこの喜びを忘れていた気がします。
・はめふらX
相変わらずシリアス方面の話はピンと来ていませんが、それ以外はほぼ満点でした。まずカタリナ・クラエスの魅力一本で勝負できるぐらいにキャラが良い。敵であってもその魅力で取り込んでしまうような、圧倒的な人間力の高さ。ギャグであっても鈍感系主人公を全く嫌味なく描けるのって凄いことだと思います。
でもそれだけではなくて、8話みたいな切り口でもしっかりレベルの高い話を見せてくれました。8話みたいなメインキャラたちを外から見たような目線の話めちゃくちゃ好きなんですよ。ぱっと思い浮かんだのでいうと、フルバの由希親衛隊の卒業話とか、今期で言うとSonny Boyの9,10話とか。メインキャラの誰かに感情移入して主観的に見てたりするのとはまた違った、外から見たメインキャラクター達の形や関係性が分かるのが良いんですよね。例えばカタリナが如何に公明正大であるかとか、ニコルが他の貴族令嬢たちにどのように見られているのかとか、身内ではないキャラクターを通してしか見ることができないキャラクターの輪郭というものも確かにあるのと思うのです。
はめフラシリーズは全体を通して花言葉の演出が散見されますけど、8話は特に多かったですね。寡黙なニコルの本心が花言葉によって暗示されているというのは、とてもオシャレでキャラクターにもマッチした素晴らしい演出だったと思います。
主だったところで言うと、月見草の「ほのかな恋」、薔薇7本の「ひそかな愛」、黄色のシンビジウムの「飾らない心」、とかそのあたりでしょうか。時にお気に入りは月見草で、前半につぼみで描かれていたものがニコルとフレイのお見合いののちには花が開いていて、押しとどめていたほのかな恋心を捨てる必要はないのだとフレイによって気づかされた、という風に読み取れるものでした。
まぁでも花言葉なんてものは気にしすぎてもしょうがないなとも思います。画面内に描かれている以上は必ず意味があるというのはそうかもしれませんが、たとえば絵面の華やかさや、そこに花が存在することが自然なだけで、その意図が必ずしも花言葉だとは限らないわけです。それに無理やり意味を見出そうとするとまた変な方向に話が転がりかねませんし、ある程度のデフォルメを以って描かれたその花を断定することも難しいのです。だから花言葉なんてのは話半分ぐらいで調べるのが上手い付き合い方なのかもしれません。
・BORUTO
ナルトと九喇嘛との別れのシーンって、原作だと結構あっさりしてたんですけど、アニメだとガッツリ泣かせに来ててめちゃくちゃ良かったですね。ナルトにとって九喇嘛って生まれた時から一緒の呪いみたいなもので、苦労したことも沢山あったけど、それでもここまで一緒に生きてきた自分の半身のような存在なわけです。それと別れるってなったらそりゃああっさりとバイバイだけじゃ、読者としても不完全燃焼ですよ。読者だって彼らの関係を20年以上見守ってきているわけで、皆その思い入れは相当なもののはずです。だからこそ、その積み重ねを理解して、別れのシーンに重きを置いてを描いてくれたことには本当に感謝しかないのです。
・ダイ大
ザボエラが死んで、敵味方問わず魅力のあるキャラクターばかりが残った感じがしますね。特にポップとヒュンケルはめちゃくちゃ良いキャラしてるなぁと思います。ポップは前にも書いたんで割愛しますけど、ヒュンケルも本当にカッコいい。
敵から味方になるやつって大抵弱体化したり咬ませ犬になったりすることが多いと思うんですけど、ヒュンケルはずっとカッコいいし、そしてなにより52話が個人的にめちゃくちゃ刺さりました。
私こういう十字架を背負ったキャラにホント弱いんですよ。アビスのルーク、BASARAの朱里、7SEEDSの安居、ギアスのルルーシュ、ギルクラの集、魔道祖師の魏無羨、etc......、挙げればキリがないぐらいです。世の主人公たちには全員、償いようのない罪を犯してどん底に落ちて一生その罪と向き合いながら更生して生きて行って欲しい、そんな願望があるぐらいには大好きなんですよ。(文字にすると普通に性格悪くて最悪だなこれ)
だから52話でヒュンケルが未だにアバンやアバンの使徒たちに対して剣を向けたことに対する罪の意識を背負い続けて戦っていることを告白した時に、私のハートを撃ち抜かれてしまったわけなんですよね。「正義のための償いをしているのだ」という台詞を聞いた時にはもう、この男の行く末を見届けねばならないなという使命感のような何かが生まれてしまったんです。
B
・小林さんちのメイドラゴンS(+ミニドラ)
カンナ、萌え~。
京アニってやっぱ凄いですね、女の子の可愛い動き全部知ってますもん。
でも正直イルルとの衝突とか、トールとエルマの喧嘩とか、シリアス方面の話はうーん……。別に面白くない訳じゃないんですけど、自分がメイドラゴンで見たいのは、求めているのはそういうところじゃないんですよね。
異種族共生というテーマでガチガチに固められた話より、肩の力を抜いてキャラクターを愛でるような、そんなゆるーい話が好きなのです。
・迷宮ブラックカンパニー
現実がうまく行っていない主人公が異世界転生(転移)で人生逆転、というテンプレートを逆手にとって、現実で勝ち組主人公が異世界転移してブラック企業の下っ端として使い潰されるというところから話がはじまります。一発ネタかと思いきや、その後もちゃんと面白いんですよね。
楽して金儲けしようとするも結局最後は痛い目見てまたイチから、っていう構成で基本的な話が作られていたわけですけれど、これやってることドラえもんですね。のび太がドラえもんに秘密道具借りてインチキして、でも調子に乗りすぎて最終的に痛い目見てちゃんちゃん、っていう、幼き頃より何百回と見たドラえもんのテンプレ構成のような安定感が始終あって、とても安心して見ることができました。
キャラクターの掘り下げの塩梅も丁度良かったと思います。二宮にもシアにも暗い過去が用意されていて、でもそれを堀り下げて暗い話にするわけではないんですよね。その過去は今の彼らの行動の動機付けに過ぎなくて、ちゃんと最後には笑えるような明るい話に持っていくのがこの作品らしさだったなぁと思うのです。
・ピーチボーイリバーサイド
最初は時系列版で見るかオンエア版で見るか迷いましたが、フォロワーに「とりあえずオンエア版で見て整理したくなったら時系列見ればいいんじゃない?」って言われたのと、監督のインタビューを読んでオンエア版で見ることに決めました。
インタビューを読んで時系列をシャッフルした意図を理解したつもりでも、最初はイマイチよくわかりませんでした。その意図が実感として理解できるようになったのは「ミコトとミコト」(オンエア版9話、時系列版最終回)を見たあたりでしょうか。
最後まで見てみると時系列シャッフルの意図としては本当に監督がインタビューで言ってた通りでしたね。
「ミコトとミコト」という桃太郎の文脈を継いだ重要な回を入れつつ、サリーの物語として構成するために、出会いをサリーとフラウの出会いの「元姫と卯人」に定め、終わりをサリーの旅を通しての成長や気付きから今後の方向性を決定した「決意と別れに」定めた。それがシャッフルという形をとった意味だったのではないでしょうか。物語的にも最終回に最高潮の盛り上がりがあって、素晴らしかったと思います。
「鬼と人間との和解」や「差別撤廃」などの理想論を叫ぶではなく、「もう少し妥協させたい」というサリーの決意は納得できる落としどころですし、その上でどうしても分かり合えない敵には力を使うというのもどうしようもなく人間で好感が持てます。
理想論を掲げて正しさでブン殴る作品も大好きですけど、それを納得させるにはそれ相応の熱量が必要で、だからそれに達していない作品だと見ていて腹が立つんですよ。そんなもんじゃ誰も救えやしないだろって。少年漫画のヒーローたちは眩しくてアツくて最高だけど、皆が皆そうなれるわけじゃないでしょうって。だから現実を知って妥協できるキャラクターというものにも、どうしようもなく魅力を感じてしまうのです。
・100万の命の上に俺は立っている
1期の出来でハードルが限りなく低くなっていたのはあるんですが、存外面白かったです。
またこの話ですが、四谷友助もどうしようもなく人間なんですよ。彼は自らの手で守れる範囲に区切りをつけて、優先順位をつけていました。理想論を振りかざすことはカッコよく見えるけど、現実的ではないから理想論なんだということを彼はわかっているんですね。だから全てを守ろうという気はさらさらなくて、大事なものを守るためには他を切り捨てることができる。そんな彼と他のキャラクターとの温度差の中で、お互いに歩み寄れる部分、寄れない部分があり、そういった対比が残酷に映ってしまうこともありました。でもそれは彼が決して冷酷なわけではないと思うのです。
作画のレベルが低いのは擁護しようがないし、第1話のいらすとやとか次回予告のおふざけとかを筆頭に面白くないマイナスの内輪ノリみたいなのもキツかったですが、内容だけ見ればとても良かったと思います。
・RE-MAIN
終わり良ければ全て良し、というか、最終回に綺麗に着地したときの気持ちよさの為にテレビアニメを見ているところが少なからず私にはあって、だから最終回が良いとそれだけで結構高評価なんですよね。それまでに描かれてきた人間関係のわだかまり。みなとと母親、みなとと元チームメイト、みなととちぬ、キャプテンと父親、網浜兄弟、網浜兄と監督、etc……、彼らの滞っていた関係性、RE-MAINしていた時間が最後の試合をきっかけにまた各々動き出しました。この瞬間を見れただけでもこのアニメを見ていて良かったなと思います。
でも正直なことを言うと、最終回までは見るのが結構しんどかったです。それは記憶を取り戻してからのエゴイストなみなとを見るのが辛いという部分もありましたが、単純にあまり盛り上がる展開がなかったからかなと思います。
あひるの空を見ている時も同じこと思ったんですけど、リアリティを追求することと物語を盛り上げることの両立って難しいんですよね。スポーツを真剣にやっていた人間ならわかると思うんですけど、未経験者やブランクのある人間がそれまで弛まず努力してきた人間を超える、と言うのはあまり現実的じゃないんですよ。
だから、あひるの空では全50話という贅沢な尺があっても主人公たちは一勝もできないまま終わるし、RE-MAINだって最初は小学生にすら負けてしまう有り様で、でもそれって凄く当たり前でリアルなことなんですよ。でもそのリアルを見ていて楽しいかっていうと、主人公たちに感情移入して見ている以上は辛いんです。やっぱり主人公たちが勝つと嬉しいし、負けると辛い、当たり前のことです。
だからそのリアリティのラインをどこに設定するかっていうのはとても重要で、この作品はあまりにもリアルに寄せすぎたのではないかと思うんですよね。強豪校相手にチームの皆で一点をもぎ取る、というのは絶妙なリアリティランだと思うし、正直めちゃくちゃ感動しました。でもそれをしたいがために、そこにリアリティラインを設けてしまったがために、そこに辿り着くまでの展開に面白みが欠ける結果になってしまったのではないかと思うのです。
C
・死神坊ちゃんと黒メイド
根本的にエロコメみたいなのが好きじゃなくて、その上でシリアスとエロの食い合わせって本当に悪いと思うのであんまり笑って見ていられない部分もありました。
でも妹弟や友人と絡む話は軒並み良かったです。距離感が絶妙ですよね。可哀想だとか怖いだとか、そういう感情もないことはないだろうし弟は更に嫉妬だなんだと色々ありましたけれど、それでも拒絶せずに感情をぶつけてくれる存在は坊ちゃんにとって大きかったのかなと思います。
坊ちゃんにとって、アリスやロブは必要不可欠な存在でした。彼女たちが居なければ、坊ちゃんは未だに引きこもり人生に絶望していたことだと思います。
でも彼女たちだけではだけではきっとダメなのでしょう。彼を甘やかして優しく接してくれる人間だけでは、主従関係を基にした人間関係だけでは、彼は自分の境遇を嘆くことに甘んじてしまうのではないかと思います。
不器用ながらも自分を他の人間と区別せずぶつかってきてくれる妹や弟。偏見無く友人として接してくれるカフやザイン。彼らは坊ちゃんのことを、対等な一人の人間として扱いました。それはアリスやロブのような主従の関係とは違う、彼にとっては新たな人間関係でした。だからこそ彼は人間としての尊厳を取り戻し、最終話で母親へ啖呵を切れるまでに成長できたのだと思うのです。
物語の核心にはまだ遠いけれど、続編があるとのことなので楽しみに待っていようと思います。
・魔入りました入間くん
未だにこのアニメがどのようなジャンルに分類される作品かわかっていません。だから何だといわれるかもしれませんが、どのように楽しめばよいのかが未だにわからないのです。ギャグというほどギャグでない、バトルというほどバトルでもない、日常系とは呼べないほどの非日常、ラブコメほどラブ要素も濃くない。
キャラクターを好きになれれば彼らが何してても大体楽しめるのでしょうし、実際自分はそうなのですが、でもそこにハマらないと見るのはちょっと厳しいのかもしれません。
・東京リベンジャーズ
原作読んでるときはライブ感でめちゃくちゃ感情移入できたし面白かったんですけど、一旦冷静になってアニメで見ると「?」ってなることが多くてうまくのめり込めませんでした。逼迫した状況でただ突っ立て会話してたりとか、そういうのがとても気になります。
バトルものとかスポーツものとかをアニメ化した際に「戦ってる最中にどんだけ喋るんだよこいつら……」とか思うやつって、結局媒体が違うから起こることだと思うんですよね。
漫画における台詞って所謂「尺」の概念がなくて、コマで切り出した瞬間にタイムラグなく台詞の頭からケツまでを乗せることができてるんですよ(逆に意図的に「尺」や「間」を表現することも可能だけど)。だから漫画を読んでるときは全く気にならないことが、映像媒体になった場合「そんなことちんたら喋ってる場合じゃないだろ」となってしまうのでははないかと思っています。自分が考えていることなので実際のところどうなのかとかは知らないですけどね。
個人的には映像作品って作り手がそのことを意識して違和感がないように作ってくれているかが顕著に出ると思っています。だから東京リベンジャーズは本当に素晴らしい作品だし、アニメも忠実に原作を再現してるとは思うけれども、アニメとして素晴らしい作品になっているかと問われれば個人的には微妙でした。
・SCARLET NEXUS
怪異の正体が人間とか、体制側が人体実験をしてるとか、地球が住めなくなったから一旦宇宙に逃げて環境が戻ったから再び戻ってきたとか、他にもタイムリープ、クローン、コールドスリープetc……、もう設定だけでどこかで見たようなのをとりあえず詰め込みましたって感じでお腹一杯。……なんですが偉いもので、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、じゃないですけれど、使い古されたような設定や展開でも重ねりゃ結構やるもんだなと思わされましたね。(悪口ではないですよ)
どんな使い古された設定でもやっぱりそれが面白いから使われている訳で、しかも毎週毎週設定が開示されていく感じとかもTVアニメというフォーマットに合っていて何だかんだ面白く見れています。序盤こそ辟易していましたけど見ているうちに段々と好きになっていった感じなので、今後もっと評価が上がると思います。
D
・D_CIDE TRAUMEREI
ソシャゲ側の主人公たちが出てきて二話に渡って話が展開したあたり、完全に要らなかったと思います。あの回、龍平がただの嫌な奴にしか見えなくて株が下がっただけじゃないですか?
あとは最終話前にいきなり浅いクトゥルフ神話要素入れてきたり、雑な広義セカイ系みたいなことしたり、なんだか色々とっ散らかしたまま終わってしまったなあと。
どうせならソシャゲ側の人物出すならもっとバンバン物語に絡めてくれれば、最終話の増援とかももっとアツい演出になったのに、とか色々思ったりもしましたが、無責任な視聴者だからこその意見なんでしょうね。
・不滅のあなたへ
ジャナンダ島編ではいまいちフシ以外のキャラクターに感情移入できませんでした。キャラクターへのファーストインプレッションが最悪だったのが最後まで拭えなかった感じですね。多分それは皆が自分の利益の為に動いているせいで、ある意味とても人間らしいキャラクターばかりではありました。でもやはりここまでずっとフシの目線で物語を見ているとどうしてもフシに感情移入してしまうし、そうすると彼を利用しようと思って近づく者たちの存在はあまり気持ちのいいものではないわけです。
まぁでも、望まざるとも彼らと一緒のフシを見て彼らの人となりを知っていくと段々と情が湧いてくるもので、ちょっとずつですが好きになれそうかもな~って思ってたんです。思ってたんですけど、無常なもので、またそこにノッカーが現れて皆殺しですよ。
何というか、悲しいとかより先に、置いてきぼりだなぁという風に感じてしまったんですよね。キャラクターを好きになりきる前に終わってしまったというか、感情移入できるようになる前に終わってしまったというか。
アニメ自体はめちゃくちゃ良い出来で、トナリたちのことも好きになれていれば本当に楽しめたんだと思います。物語に乗り切れなかったのが本当に悔やまれるなぁ。
・ぼくたちのリメイク
中盤から後半の展開が好きになれませんでした。周りが主人公を盲信し始めたあたりから何かコレジャナイ感があったんですよね。
まず第一に、いうほど橋場恭也の問題解決能力ってそんなに凄いですか?っていう点。卒なく何でもこなすけれど、それが飛びぬけた才能だとは、私の目には映りませんでした。別にいいんですよ、橋場恭也がなんでも卒なくこなせる優等生なキャラクターであったって。それでも彼が優秀であることに間違いはないんだし。でも物語としてそこを軸にしてしまった以上はアッと驚くたった一つの冴えたやり方で問題を解決して欲しいんですよ。このアニメは恭也の周りの人間が彼を信用したことで展開が動く構成になっているわけで、だからこの物語が説得力を以って成り立つにはその解決方法が何より重要だと思うんです。
ビデオカメラがないから写真でコマ撮り動画にしました、とかはまだ良いにしても、炎上対策で詫び石の数を増やしました、とか、炎上中だからこそ社員に休暇を取らせます、とか、スランプの絵師に絵を見せたらかけるようになりました、とか。そんなんじゃないでしょって。一般人が十分に考え得るやりかたで問題が解決してしまうのなら、それは主人公が凄いんじゃなくて物語の都合で周りの知能を落としてるだけなんだって、どうしてもそう見えてしまったんですよね。
序盤は展開にワクワクして見れてとても面白かったし、シノアキも方言萌えの自分としては近年稀に見るドストライクキャラクターだったので、ハマらなくて悲しい気持ちです。
・探偵はもう、死んでいる
ユーモアたっぷりのわざとらしい会話劇、やっぱ苦手です。読んでいて気持ちのいい会話劇と聞いていて気持ちのいい会話劇って全く別物で、ラノベアニメとか見るとやっぱりそのことを強く感じますね。(声優陣の演技もいまいち残念だし……)
あと、TOA大好きくんだからこういう人格統合がどうとかそういうのめちゃくちゃモヤるんですよね。(アビスED時の人格がアッシュかルークか問題)
君塚君彦はずっとシエスタが一番で、それでシエスタの人格が復活なんかできちゃったら、あまりにも夏凪渚の立つ瀬がありません。シエスタの復活は今回だけと言っていましたが、渚がその気になればシエスタに体を明け渡すこともできるような描写でした。君塚は渚の後ろにシエスタがいることを知ってしまって、シエスタも一番大切に思っているのは君塚で、そんなだから間に挟まれてしまった渚はこの先ずっと悩まされるのではないかと思ってしまいます。いや、完全なる妄想で嫌な気分になってるだけなんですけどね、これ。
・ヴァニタスの手記
ノエの天然ぶった鈍さとかジャンヌの明らかに狙いすぎなキャラとか勿体付けた雰囲気全振りの台詞回しとか、作者の作為が裏に透けて見える気がして私には全く合いませんでした。
アニメーションとしての出来は抜群に良かったと思うんですけど、それでも全く肌に合わない作品って時々あるんですよね。
・Obey Me!
何となく見たんですけど、6話は結構笑いました。
E
・魔法科高校の優等生
作画怪しくて話は殆ど劣等生と同じって、正直なんでアニメ化したんでしょうか……。
例えば転スラ日記だったら、本編では描かれなかったテンペストでの日常風景が見れましたし、寄生獣リバーシだったらパラサイトによる大量バラバラ殺人事件について、サスペンス的な側面という新たな切り口で描いたことに意味があったわけです。
この作品は視点は女子グループに移ったものの、達也と深雪が大抵いつも一緒にいるせいで実質的にほぼ変わっておらず、劣等生1期の総集編のようなアニメだったと思います。
・出会って5秒でバトル
作画の悪さがまず第一にあって、思考ゲームを描こうというところでも今一歩足りてない感じがします。どうも思考に飛躍が感じられるんですよね。
・SHAMAN KING
主人公の達観具合がどうも鼻にかかります。あまりに達観しすぎているというか、「こいつホントに人間か?」って思ってしまうぐらいの達観具合で私は全く感情移入できませんでした。
普段そんなキャラだからたまに怒ったりするのさえも白々しく感じちゃって、もうどうしても楽しんで見れない気がします。
・ぷっちみく
無
・ミュークルドリーミーみっくす
あからさまに実写回増えてきたし、もう描くこと無くなってる気がしますね。
ゆめと朝陽と会長の三角関係に百合先輩や森村さんも絡んできて、そこまでは良かったけど結局なあなあで流してしまって。なのに今度はあっきーからゆめへの矢印を増やしてみたり、朝陽にフラれた森村さんを引っ張り出してきて「まだ南川のことが好き」と言わせるなんて、あまりに残酷でしょう。
あと、やってることももうよくわからないんですよ。
1年目の時は生徒会長に心の闇があって、だからそこにつけ込まれて悪夢を広げる活動をしていたわけじゃないですか?
なのに2年目になってからの敵のアッキーは遊び半分で悪夢を広げてるし、改心したはずの会長もいきなり戻ってきたと思ったら脈絡なくアクム―側についてまた悪夢広げだすしで、もうめちゃくちゃ。彼らが何がしたいのか本気でわからないんですよね。
・デジモンアドベンチャー:
単話完結の適当な回ばっかやって肝心のデジタルワールドを危機に陥れる敵の存在は全く描かれてなくて、だから最後の二話ぐらいでぽっと出のラスボスに出てこられても「あ、そっか」ぐらいの感想しか出てこなかったです。
あと、ラストの変更も個人的には悲しいです。デジモンアドベンチャー02の一話で普通に行き来できるようになってるのが許せなくて結局02見れなかったぐらい、無印の離れ離れになるラストが好きだったんですよ、私。だからこの結末の変更は本当に辛かった。
終わりに
今期も合うアニメ合わないアニメはありましたがめちゃくちゃ楽しかったです。
元々あんまりネガティブなことは書きたくないなーって思ってはじめたはずなのに、良くなかったところの方がスラスラ出てくる自分に少し辟易してしまうこともある今日この頃。正直あんまり何かを考えながら作品を見る性質ではないし、これまで意図的に言語化することを避けてきたこともあって、「面白かった」「合わなかった」以外の感想を絞り出すのにめちゃくちゃ苦労しているのですが、これを続けていくことによってそこら辺の苦手意識を克服できると良いなと思います。
余談ですが最近アニメを語ってないことに対するストレスが凄いんですよね。自分はリアタイでアニメ実況とかしないし、その上コロナで引きこもりになってしまって、一気にアニメを語る場が失われてしまいました。久々にアニメガタリズしたいなぁとぼんやりと考えていますので、暇な人は誘ってください。